ひととび〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『桃太郎 海の神兵』鑑賞記録

映画『桃太郎 海の神兵』を観た記録。

www.shochiku.co.jp

 

この映画を知ったきっかけは何だったか定かでないが、日本のアニメーション映画史上、非常に重要な作品としてうっすらと知っていた。たまたま仕事で映画を観る必要があり、Amazonの「プラス松竹」というサブスクに加入していたところ、ラインナップされているのに気づいた。

手塚治虫が、焼け野原に立つ道頓堀の大阪松竹座の、ガラガラの劇場で観て涙を流すほど観劇し、これでアニメ製作を強く志したという、そういう作品でもある。

同じ道を歩む者なら興奮を覚えないわけにいかない、高度な技術と感性の素晴らしさを嬉々として語る様子。素人の私が見ても、「あの大戦末期にこんな映画があったのか!」と驚く。でも仕事の最終的な目的を考えると、一つひとつのコマ、シーンにいちいち寒気を覚える。

 

冒頭で示される「兵隊さんは戦地で何をしているの?」という素朴な疑問がキーになっていて、全編がそれに答えるような内容になっている。それを言葉でくどくどと説明するのではなく、自然で滑らかな動きで、役割を持っててきぱきと働く姿や、生活を見せることによって示していく。どのように日々を送っているのか、戦っているのか。中には本当にそうしていたこともあるだろうし、美化している部分もあるだろう。モノクロだし、動物なのだが、リアリティがある。

敵が誰なのか、誰と戦っているのかをわかりやすくするために、子どもが知っている桃太郎の物語に置き換えるという手口(と言っていいだろう)は残酷だ。自分たちが日頃大人たちから聞かされていることと、このアニメーションで扱われていることは一致している。それによってまた「信じる」根拠が増える。多層的になっていく。

動物で子どもの声であるだけに、うっかり親しみが湧いてしまいそうになる。自分が親になって、子が小さい頃にたくさんのどうぶつが出てくる絵本や物語をたくさん見せてきたことを思い出すと、胸が苦しくなる。「鬼ヶ島」が「鬼」に乗っ取られた顛末を描く影絵のクオリティも高い。普段は禁じられている異文化への憧れも、ここでは惜しみなく提供される。TVもない時代、同種の目的を持ってつくられた創作物を子どもたちは食い入るように見たことだろう。そして男の子は「お兄さん」に憧れただろう。

そもそも全編が子どもの声でできているところが怖い。声を当てているのは職業声優なのか、子どもなのか、あるいは子どものような声を出せる大人なのかは不明。

 

海軍省が巨額の費用を投じて作らせたプロパガンダ映画、国策映画。昭和19年12月に完成し、昭和20年4月に公開。ちょうどアメリカ軍が沖縄本島に上陸しているとき。

冒頭には、これが国策映画であること、日本のアニメーション映画史にとって重要な作品のため残し、公開していることが松竹によって示される。

映画のターゲットであった子どもたちは疎開して都市部にはいなかったし、映画館も空襲に遭い上映するところがなかったりもして、リアルタイムで観ていた人はそう多くなかったという。それはよかったのか、皮肉めいているのか、なんなのか、なんとも言えない気分になる。

 

製作の苦労はあったのだろうが、全編にわたってつくることの喜びに満ちていると感じる。多くの技術的な工夫があり、感性の表現があり、能力の深化がある。作家にとっての活躍のチャンスだったのだろうと、そこは非常によく伝わってくる。むしろ自分にしかできないことで貢献できるという喜びさえあったのかもしれない。戦時にはそういう情熱や野心が多く利用されたことだろう。

 

取材のために落下傘部隊に体験入隊したというだけあって、子ども向けのアニメーションとは思えないほどにリアリティがある。今のCGでつくるリアリティとは全く違う質の表現。従軍カメラマン、映像技術者、画家とはまた異なる表現で現場を克明に記録している。そういう意味でも貴重な作品。絵もすごいが、音もすごい。どのように録ったのだろうか。海軍から素材の提供があったのだろうか。

徹頭徹尾、非の打ちどころがない国策映画。初めて実物を全編通して観ることができてよかった。実物として残る、アーカイブされていることには大きな意味がある。

 

とはいえ製作者の側に立って観ると、戦後いかに活躍したとしても、自分のこの仕事が「存在するべきではなかった」と見做されるというのは、どのような気持ちなのだろうか。想像もできない。

と書いてみて、いや、フィクションのためのフィクションを作るという仕事はいつの時代にもあり、後世から見れば「加担した」と判じられることも多いことにも気づく。加担したつもりはなかったとしても、それが直接的、間接的に人を殺すことだってある。

かといってどんな責任が取れるのかということも、ひと言では断じられない。自分が仕事を通じて過去にしたことを思い返しても、難しいと思う。

こういう無数の人の物語がまだ語れずに埋もれているのだろう。語られることなく亡くなっていった人も多いのだろう。

 

資料

・焼け野原の国策アニメ『桃太郎 海の神兵』/週刊金曜日7/9号(2021年)

図書館で読ませてもらった。"製作時、徴用などで若いスタッフが抜ける困難な状況下、監督らは落下傘部隊への体験入隊など取材を重ねたという"(本文引用)


・「海の神兵」を知っていますか? (2011年5月30日)

www.asahi.com

 

・『戦争と日本アニメ  「桃太郎 海の神兵」とは何だったのか』佐野明子, 堀ひかり著(青弓社, 2022年)

イムリーにこんな本も出たので、読んでみる。

www.seikyusha.co.jp

 

・瀬尾監督の前作に、真珠湾攻撃を題材にした中編映画『桃太郎の海鷲』(ももたろうのうみわし)がある。当時の国産アニメは10分程度までしかなかったので、37分もの作品は快挙だった。

これも見てみると、『桃太郎の海鷲』でやり残したことを『海の神兵』で実現したり発展させたりしたことが見えるのかもしれない。機会があれば観たいが、なかなかエネルギーを使うものでもある。

 

ここ数年追っているテーマの一つに、「アジア・太平洋戦争中のプロパガンダに協力した芸術人・文化人」がある。

たとえばこの映画で表されたようなこと。

hitotobi.hatenadiary.jp


たとえば展示で見たようなこと。

note.com

 

あるいはこのような「語られてこなかったこと」「未だ直視できないでいること」

hitotobi.hatenadiary.jp

hitotobi.hatenadiary.jp

 

アニメーションや人形劇を使ったメディアコントロールを調べたくて入手したところ。

 

引き続き探究していく。

 

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年