映画『メイド・イン・バングラデシュ』を岩波ホールで観た記録。
本作を含め、あと2本で閉館となる岩波ホール。前回の上映作品『金の糸』を観に来たときから、あと残り2本とも来ようと決めていた。
まとまらない感想をバラバラとメモ。
※内容に深く触れていますので、未見の方はご注意ください。
・当日は何を着て行くか迷って、顔の見える人が作った服と、店員さんと楽しいやり取りをしながら買った服を選んだ。私はこの映画が作られた意味を大切にしたかった。
・何度見てもこのポスタービジュアルは最高。
グローバル資本主義と女性下位男性上位社会への告発。
・ロードー(労働)ムービーでもあり、シスターフッドムービーでもある。
・今自分が着ているものすべて、誰かが、人間が縫い、アイロンをかけて、できているという事実。ノートや耐熱強化ガラスのコップなどの工業製品のようには機械化されてはいないのだ。そう考えると、人の手がこんなにかかっているものをなぜこの値段で買えるのか、あらためて考えるとおかしい。
「人件費が安い国で生産しているから安く提供できる」という説明をそのまま自分に流し込んでいた。それはつまりどういうことなのか、ちゃんと考えたことはなかった。2013年のバングラデシュのラナプラザでの事故で、目が覚めた。やはり搾取されている人たちがいた。
・「これだけ苦労して働いて作っている商品は、よほど高く売られているんだろう」、そうあってほしいという主人公・シムの姿に胸が痛む。
「いや、そうではなく、あなたのTシャツ2、3枚分があなたの月給に相当する」という説明。その意味するところ。こんなんじゃ暮らしていけないと思っているその金額の1/3しかしない1枚の服。それを1日そんなもののために働かされている。
そして、さらに買い叩こうとされている。
驚いていたシムに、「まさか一人の人間がTシャツを1日に1,650枚も作らされているなんて(そんなことができるなんて)、まさか納期に間に合わせるために泊まり込みまでやらされているなんて、買って着て使い捨てている側は思いもしなかった」……この驚きを伝えたらどうなるのだろう。実際劇中には、同じ色の服を大量に作るようすが描かれる。ある日はピンク、ある日はグリーン、ある日はイエロー……。
・暴動を起こすのではなく、正当な手続きで組合を組織し、権利を主張するために行動するのも非常に重要だと感じた。劇中世界は、業界団体からの圧力に政府が屈するような、法があってないような国だ。コネやワイロがものを言う。しかしそれでも、正当な手続きを経て承認させることが大切なのだと食い下がる姿に心打たれた。
どんなに腐っていようと法治国家である限り、それに則っていかなければ真の変化は起こらない。つまりこれは単にいち業界の変革の話ではなく、国家に対する批判でもあり、なんなら国家をまともに育てようとする国民による重要な社会運動なのだ。
その姿勢には、民主主義の国であり、選挙権を持つ国民は学ばねばならないと思う。
・「私」「私たち」がつらいのは女性だから。女性を下位に位置づけ、搾取する社会構造があるから。その構造を握っている者たちがいるから。
これが個人的な話に留まっていれば、リーダーが悪い、経営者が悪いということで終わっている。しかしシムは、社会の構造として学んでいく。知る喜びに満ちるシムの瞳の輝き。本当の相手がわかったときに立ち上がってくる闘志。
・監督が当事者国にルーツを持つからこそ描ける映画。それと共に重要なのは、監督は上の階層だから、この主人公とまったく同等の立場ではないということ。監督がそこに自覚的だから観られる。監督はナシマと同様、オフィスに飾られたポスターにある"Say NO To Violence against women"と言える、言う権利があることを知っている側にいる。撮影監督が女性であることにもこだわりがあることが伝わってくる。
・映画を見ていてもインタビューを読んでいても、だんだん途上国の話なんかではなく、日本の話じゃないかと思えてくる。なんだこれ。ファストファッションとか言ってる場合じゃない。「ファストファッション」と名付けることそのものが差別の構図だ。弱い者がさらに弱い者を叩く。知らず知らずのうちにこの構図に加担してないか。
・この映画にはバングラデュの社会課題が凝縮されている。そしてバングラデシュの話だと思っていたら、日本の話だということにも気づく。
・ここでは子どもの権利が守られていない。シムは13,14歳のときに40歳の男と結婚させられそうになり、故郷を逃げ出した。それからすぐに働き、縫製工場に務めている。ここが3軒目。働かざるをえなかったから学びの機会も奪われた。ナシマから渡されたスマホで写真を撮り、写真を撮ること、表現することの純粋な喜びを覚える様子に、学問としてだけでない学びの機会を彼女が求めていることが感じられる。
大家さんの娘も12,13歳に見える。児童婚だ。TVでロマンティックな映画を見ている。恋愛もきっと知らない。でも嫁に出される。そうでないと大家の女性が生きていけないから。TVに映るグローバル企業の商品のCMを見つめる。当日はクラブのような喧騒の結婚式。正装した娘は本当に幼かった。隣にいる新郎はシムが結婚させられそうになったぐらいの年齢。何も知らない子どもたちが大人の女性と同じように腰をふり、性的な歌を歌うのにはグロテスクだった。
・女性が単身で生きることの難しさ。「結婚する」「結婚しても同じよ」というやり取り。「結婚しても解決にもならない」というのはシム自身の実感。しかし「独りの辛さを忘れたの?どんなに悲惨か」とうダリヤの言葉もまた重要な実感。どちらも根は同じ構造にあるはずが、表面的に対立させられてしまう。
・工場の上司から手を出されて不倫関係になったダリヤは、男から裏切られ、住んでいた家も追われ、おそらく性産業に携わっている。生き延びるための性になっていくと、それまでいた人とのつながりが途切れてしまう。しかし、一度「貞操」に傷がつくと異なる目で見られる。宗教的、倫理的な感覚が根深いことがわかる。
権利を主張すると、愛を失うという板挟みに苦しむダリヤの心情も描かれていたところがよかった。シムを信じて組合立ち上げの書類に署名した同僚たちの話す言葉の端々にも、置かれた複雑さが方々に滲み、一見シンプルな物語を複雑で奥行きあるものにしている。
・冒頭の火事の事故で亡くなったシムの同僚の母親は、娘を亡くした悲しみと同時に、おそらく稼ぎ手を失い困窮に陥っていることと両方で絶望しているのだろう。あの手を握って、おそらく形見の腕輪を渡した、無言で見つめ合う老いた女性と若い女性を横から写したシーン。非常に印象的。
・女性には妊娠、出産が期待されている。シムの夫は「妊娠か?」と軽口をたたく。けれど生活が苦しければ子育てなどできない。それを考え、解決することもなぜか女性に押しつけられている。
・「誰のおかげで儲けてんのよ」「給料があるだけマシ」
「やめたらどうだ」「やめません」「何も知らないくせに何がリーダーだ」
いや、そうじゃない。そうじゃないのに、言いくるめられてきた。雇い主からもそうだし、社会通念からも。抗い方を誰も教えてこなかったし、抗わないように知識を伝えてこなかった。
・夫は自分が無職で妻に頼らざるを得ないが、妻が学び、主張する言葉を持ち、自分より社会とつながりを太くすることを恐れて阻止しようとする。自分の立場がなくなるから。どこにでもある家父長制社会の図。出てくる男がだれもかれもクズだったが、特に夫がどこまでもクズだった。。
・全方位から詰められて立場が厳しくなっていくシム。守ろうとした同僚を守れなかったくだりが一番きつい。何もしてくれないと詰められ、そんなことをしても意味がないと詰められる。法律があるからといって行使できるわけではないという矛盾にも苦しむ。でも諦めない。労務省にいる受付係も、窓口の女性も構造の一部と化している。ここにはシスターフッドはなかったが、無理やり風穴を開けたのはすごかった。ちなみにこの労務省の廊下に静かに座っているだけの人たちもとても怖い。
・ひと昔前は、「かわいそう」か「たくましい」という表現で流されてきたこれらの訴え。今は違う。
あんたはどうなの? あんたにもあるんでしょう?
と問いかけてくれる。うれしい。ハイタッチしたくなる。Stand up, sisters!
・ラストシーンのなだれ込みと、ラストカットもいい。ほんとうの闘い、ほんとうの解決まではまだ長い。シムはこれからもっと根の深い問題にぶち当たっていくだろう。道は果てしないけれど、諦めない。諦めなくていい。そのことを教えてくれる作品。
・私の母くらいの年代、70才前後と思しき方々が、「ああいうのは気が強くなきゃできないよね」と話しているのが聞こえた。
かれらに私はこう話しかけたかった。
「いや、そうではないんですよ。すごい人だからやっているのではない。もちろん資質はあるだろうけれども。それを上回るほどの苦難があり、尊厳がかかっているんですよ。あなた方にもきっと、女性であること、結婚にまつわることで自由や尊厳が奪われていると感じたことがあるはず。
『私たちは女だから、結婚前もあとも自由はない』ってセリフに心当たりありませんでしたか。無視できない状況に置かれた人があのように動いているだけなのですよ。自分のためだけじゃなくて、仲間のため、自分より若い人たちのためでもあるからがんばれるんです。覚悟を決めるたびに強くなっていったんですよ。」
▼こっちのビジュアルもいい。シム役の俳優、リキタ・ナンディニ・シムさんがほんとうに生き生きと演じている。
パンフレットにも「丸顔」に言及されていたけれど、そこも注目すべきところ。主人公をグローバルな価値観における「美形」に近づけようとすると造作も似通ってくる。その中に丸顔はない。ああ、これもルッキズム。
「私たちはここにいる」というキャッチコピーが、時間が経てば経つほど鮮やかさを増してくる。
これは悲惨さの暴露ではないのだ。
私たちには力があるということの表現。
▼タイトルやリードが似ていて区別がつきづらいが、4回の連載インタビュー。
主人公シムにはモデルがいて、10代半ばからバングラデシュの労働運動に関わってきた人。彼女の魅力についてもインタビューで語られている。彼女のように他の女性たちのために労働組合を立ち上げ、組合長になる人はバングラデシュでは珍しくないのだという。
安いファッションが抱える搾取の構造 日本も「他人事ではない」理由(朝日新聞)
一行一行が重要事項。
「字幕は、南出さんが教える学生たちが手がけたそうですね」
「アパレルは完全な機械化が難しく、人の手が必要とされる産業なのです」
「バングラデシュでも、縫製工場は、長時間労働の割には賃金が低く、できれば『働きたくない場所』です。働くのは、他に選択肢のない貧困層の女性たちです」
2015年公開のこの映画が、世界に問題提起した。私は中身は観ていないが、トレイラーを観て概要を知って、衣服についてあらためて考えるきっかけになっている。
『ザ・トゥルー・コスト ~ファストファッション 真の代償~』
上記にも関連するが、この問題も深刻。「私たちのファッションが途上国にしわ寄せ!?」
対局にあるもの。イタリアのアパレルブランド、ブルネロ・クチネリの哲学。
そもそもの「私たちが頭の中で描いている幸福の形」を変えるときではないか。
パラグアイの前大統領、ムヒカ氏の国連スピーチも思い出す。刺激を受けるままに欲しがって、そのために犠牲になっているのは、誰なのか、何なのか。
この30年、50年が異常だったのではないか。世界は今までと同じではない。自分自身の発想を変えるときではないか。
『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』
『世界でいちばん貧しい大統領からきみへ』
「ファストファッション」は、私たちが全体的に貧しくなっていることの証でもある。
私も、安くないと買えない生活状況に陥ることは何度となくあった。そんなとき、安いけれど個性的なファッションができて、いろんなアイテムから選べる「ファストファッション」はありがたかった。ああ、でももうこの言葉は使いたくない。
私は今は考え方や購買行動は変わっているが、買った「ファストファッション」の服はどれも気に入っていて、擦り切れるまで着たり、直しながら着たりしている。ささやかすぎるけれども、そういうことは一つできるだろうか。
「買わないことが解決につながるわけではない」という監督の言葉が重く残る。
ミシンをかける彼女たちが、安全な職場環境で、自分の心身を大切にできる就労環境で、仕事に誇りを持ち、適正な報酬を受けてほしい。
私も私の身体を包むものに愛と信頼を感じたい。
次回の上映が最後の作品になる。必ず来るとの約束の気持ちを込めて、前売り券を購入した。映画自体も良さそうで楽しみだ。
歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡 | 岩波ホール
岩波ホールから徒歩7分ほどのところにある千代田図書館で、ミニ展示を開催中。
第I期は、「岩波ホールのはじまり」
1968年の開館から1974年の「エキプ・ド・シネマ」立ち上げまでの多目的ホール時代の活動を取り上げます。映画、音楽、伝統芸能、演劇などの公演や、それとセットで行われていた講座などの様子を、当時の写真や資料、支配人・岩波律子氏の思い出と共に紹介します。(千代田区立図書館ホームページより)
資料の中の岩波ホールは、ロビー、場内、証明、ステージの感じなどは今とあまり変わらない。
戦前、岩波書店の創業者、岩波茂雄には、「古書店街で働く若者たちが無料で学べる市民大学」の構想があったという。
ああ、だから今も岩波ホールの最終回は「学割(大学生、大学院生、専門学校生)」の設定があるのか。通常は1,500円のところ、最終回のみ1,200円。
総支配人高野悦子さんが立ち上げ、育てた岩波ホールのおかげで私も10代、20代に特に多くの恩恵に預かってきた。岩波ホールがなければ、あの映画もこの映画も埋れてしまっていたと思う。日本の映画文化の裾野を広げ、芸術文化としての映画を守り、多くの人に社会的遺伝子を渡して行った。
私自身は、直接岩波ホールに出向くことがそこまで多かったわけではなかったのが悔やまれる。いや、その分、他の文化施設にはお金が落ちていたと思うけれど。
岩波ホールの歩みの中では、映画に関する講座も多数開講されており、そのすべてが記録されている。音源と文字起こしで残されている。一つひとつの場の唯一無二性を自覚し、後世に価値あるものとなることを意図し、アーカイブが当時から行われていたことにも、岩波ホールが背負っていた社会的使命を感じる。
アニエス・ヴァルダの『落ち穂拾い』ここで観たかったなぁ。
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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年)