国立民族学博物館で企画展『邂逅する写真たち モンゴルの100年前と今』を観た記録。
今回観たかった企画展示の一つ。
100年前のヨーロッパや日本からの探検家が撮った写真と、現代のフォトジャーナリストが撮った写真とを比較しながら、ここ100年のモンゴルの歩みと、そこから見えてくるグローバルな価値観や環境の変遷について考察する展示。変わったもの、変わらないもの。
頭を殴られたみたいなショックと、そりゃそうだよなという納得と。遊牧民と大自然、相撲だけじゃない。ロマンと現実は別。エジプトのスフィンクスを観に行って、振り返ったらケンタッキー・フライドチキンがあるみたいな感じに近いかな。
世界は広いからいったんステレオタイプで認識するのはしょうがないかもしれないけれど、多くの場合、虚構であること。たまに実情に触れて、認識を破壊され続けることが大切。一番いいのはその国を訪れたり、その国の人と出会うこと。
それができなくてもこういう展示で知ること。ステレオタイプは写っていない。見たことのないモンゴル。「思ってたんと違った」のはおもしろいし、グローバル・新自由主義・資本主義について考え込むところもある。
人口の約半分がウランバートルに住み、高層ビル群が立ち並ぶ都心部と、過密して住居が立ち並ぶゲル地区とのギャップ。牧畜の移動生活をする人もいるけれども全国民の9%に過ぎず、乗っているのは馬ではなくてオートバイ。
100年前は人間らしい営みがあったとか、今のほうが便利で幸福そうとか、全然そういう判断をするようなものではない。
100年前は探検家という外からの眼差しを向けられるだけの側だったけれど、100年後の現代は内側からの発信になっている点も注目したい。時代も違うし、写真の技術や表現方法の違いもあるが、それらから受ける印象はけっこう違う。ガイドブックで見ることのできないモンゴルの今を知ったことで、身近に感じられる。
日本もこんなふうに比較して見てみたらおもしろいかもしれない。失われたものを確認することで、今とこれからをどういう社会にしていけばよいのかのヒントが見つかるかもしれない。歴史や伝統と言っているようなものが、けっこう最近に人為的に作られたことを知るかもしれない。
また、この100年の変化はどこの国にとっても急速で、今それをどう取り扱ったらいいのか、誰もわからないで立ち尽くしてしまっているようにも感じるので、振り返るのもよい機会なのかも。
写真と物品、映像などを使って、100年の差をくっきりと対比させつつも、細部を見たい向きにはとことん解説してくれる展示は、さすがみんぱく。担当した方はこれをずっとやりたかったんだろうな〜という熱量も伝わってきた。
いっこいっこに「怖さ」を感じる。はかり知れなさという意味の。
でもそれでいいんだと思う。わかった気にならないのが大事で。圧倒されてみること。
はるばる行ったかいがあった。図録も買って帰った。モンゴルと聞くたびに開きたい。
バックナンバーがPDFで読める。太っ腹すぎる!
2022年3月号 特集 新たなモンゴルとの出逢い――モンゴルの100年前と今
(第46巻第3号通巻第534号 2022年3月1日発行)
図録はオンラインショップで購入可能
https://www.minpaku.ac.jp/post-goods/31583
担当学芸員の島村さんの著書。図録を読んだ後に、これでもっと深く知りたい。
『憑依と抵抗 ――現代モンゴルにおける宗教とナショナリズム』島村一平著(晶文社, 2022年)
https://www.minpaku.ac.jp/post-goods/31177
みんぱく友の会講演会 第523回……! すご。アーカイブ残してくださってありがたい。前後編あります。
「文化人類学は"国際社会"というものさえ疑っていく」「人それぞれにとって最大の財産は時間」が個人的にハイライト。モンゴルの話とそこでつながるのか!という想像していたのと違う対話の展開。ノマドとモンゴルの人のあり方。
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鑑賞対話の場づくり相談、ファシリテーション、ワークショップ企画等のお仕事を承っております。
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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年)