ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

展示『仙厓ワールド ―また来て笑って!仙厓さんのZen Zen 禅画―』@永青文庫 鑑賞記録

永青文庫で『仙厓ワールド   ―また来て笑って!仙厓さんのZen Zen 禅画―』を観た記録。

www.eiseibunko.com

bijutsutecho.com

 

仙厓のことは2019年の三井記念美術館で開催の『日本の素朴絵』展で知った。「ゆるかわ」な素朴絵満載の展覧会で、楽しかった。中でも仙厓の絵はインパクトがあり、「仙厓」という名前を覚えておいて、次に展覧会があったら絶対観に行こうと決意したぐらいだった。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

今回の永星文庫では、仙厓以外にも禅画で有名な白隠慧鶴(はくいんえかく)や、仙厓の兄弟子にあたる誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)の画も展示されていて、禅画というジャンルについて親しめる内容になっていた。

白隠のことは、2014年の森美術館で開催の「リー・ミンウェイとその関係展」で知った。私がこれまで観た中でベスト3に入る、忘れられない展覧会。

www.mori.art.museum

このときはリー・ミンウェイの作品ではなく、その作品がテーマにしている「関係性」や「つながり」に着目して、その本質はなにか探りながら、ミンウェイ作品を理解していく手がかりを得るという企画コーナーだった。

https://www.mori.art.museum/contents/lee_mingwei/highlight/index.html#03

白隠の他には、今北洪川、鈴木大拙イヴ・クラインジョン・ケージ李禹煥、田中工起など。

 

そういう今までの少しばかりの体験を持って、仙厓展に赴いた。

いやはや、あれこれ考える前に、ただただかわいい。胸が苦しくなるほどかわいい。まずはそれ。

ほんとうはめちゃめちゃ写実的に描くのが上手い人が、さらっと描いちゃう落書きのような感じで、こちらも「ちゃんと観なければ!」と力が入るというより、「かわいい」と愛でられるのは、いい。貴重なものなんだけど、別にいつも気張らなくてもいいよな。

館内では「あなたが選ぶ禅画キャラ Best10」という投票企画もやっていた。

私は①の「疫病退散」にしました。(正式名称「鍾馗図」)前期だけの展示らしい。

 

仙厓は40代後半になって書画を嗜みはじめ、ずっと仕事を引退した62歳から本格的に書がに取り組み、73歳のときに「厓画無法」を宣言して、ゆるかわな禅画を描き始める。

作品はすぐに評判になって依頼が後を絶たず、あまりの忙しさにもう無理と「断筆宣言」をしたら(断筆と描いた作品まである)、余計に人気が出てやめられなくなったとか。おもろいおじさんである。なんとなく、「昭和のサラリーマン」みたいな人生も親近感がある。

「虎図」には「猫か虎か当ててみろ」という言葉と、ゆるすぎる猫か虎かわからないものの絵が書かれている。これはほとんどナンシー関の「記憶スケッチアカデミー」。やぱり愉快なおじさんだった。88歳(米寿)で亡くなったというのも、やるなぁという感じ。でも実はすごい神経質だったりしてね。解説パネルには死去を「遷化(せんげ)」と書かれていた。高僧が亡くなることをそういうんだそう。知らなかった。

山水画は、中国由来の、ある程度伝統的な画題があって、そういう型を踏襲していく中で技を極めていくものらしいが、私には個性の区別がつかなくて苦手。

むしろ現代的な感覚では、作家の個性が滲み出るこういう禅画がおもしろい。実際の風景を写生したり、その場で描かなくとも、自分の思い入れのある風景を書画に残していった仙厓、白隠や誠拙には共感がある。そういう点からも、画と書(禅画では「賛」)なので、書をやってる人はもちろん、絵手紙を嗜んでいる人もおもしろく観られるんじゃないだろうか。

 

禅に絡めて考えるとすると、「観る」という日常的行為は、写実的に捉えることだけを意味するわけではないと言えるのだろうか。なんとなくの存在感を再現することや、そのものが持つ特性や温かい眼差しで拾い、表すということだって、「観る」ではないか。強引だけれど、私自身はそんなものを受け取った。

 

永青文庫4Fの展示室は、展示ケースの床は100cmぐらいの高さにあって、掛け軸などは見上げるような形になる。これって不思議だなと思っていたら、展示ケースの下の部分は長持を収納(展示?)していたのですね。全然気づかなかった。またこの長持が巨大で、豪奢で、肥後鍋島藩、細川家の威光をつくづくと感じるものになっている。

家系図も貼ってあって、今回のコレクションは細川護立(もりたつ)さんが熱心に集めたものだそう。昔首相も務めた細川護煕(もりひろ)さんの祖父にあたる方ですね。

今や元公家や元大名でこういう私設のミュージアムを持てるほどの余裕のあるおうちはどのぐらいあるんでしょうか。今回も貴重なものを見せていただきました。ありがとうございます。

細川家と永青文庫
https://www.eiseibunko.com/history.html

細川家の九曜紋

能楽シテ方金剛流の紋と同じだな〜と思いカチャカチャ(検索)してみたら、使っていた大名は複数あったのね。

http://shinjo-matsuri.jp/db/mikoshi/emblem#:~:text=%E4%B9%9D%E6%9B%9C%E3%81%AE%E7%B4%8B%E3%81%AF%E5%B9%B3%E5%AE%89,%E9%83%BD(%E3%81%91%E3%81%84%E3%81%A8)%E3%80%8D%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

 

保存の関係上か、けっこう展示替えがあるようなので、後期展示も来ようかな〜

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三井記念美術館での展示のときに思ったのは、「こんな落書きみたいなゆるっとしてかわいい絵があったのか!」ということと、「これを美術品として保管、展示されているというのも不思議だな!」ということだった。

仙厓や白隠の書画は当時、どういう人たちに好まれ、引き立てられたのだろう。当時から「ゆるかわ」という位置づけで好まれていたのか、傍流で無視されていたけれど誰かが「いいやん」と言ったので愛好の対象になっていったのか、そのあたりの流れをもうちょっと知りたかった。

こういう本を読めばわかるのかな。

 

 

それとは別に、やっぱりいつの時代も、基本は名のある人の元で(あるいはアカデミー機関で)美術教育を受けたものが美術として評価、承認されて美術館に収まるということなのだろうか。美術と美術でないものの線引きは、結局恣意的なもので、権威主義と切り離せないものなのだろうか。

そんなことを考えながら、肥後細川庭園を歩いた。


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前回、永青文庫で観た展示。

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年