『学びの本質を解きほぐす』池田賢市/著(新泉社, 2021年)
紹介文(新泉社ウェブサイト)
1周目は買ってすぐにざっと読んだ。
半年経っての2周目は精読。
長い時間をかけて生活の中で咀嚼しながら読んだ。ただ目で追うだけでは足らず、赤ペンで傍線を引き、書き込み、付箋に書き出しながら進めた。ここまで徹底的に「汚した」本もなかなかない。
ここ半年ほど、何を見ても読んでも誰と話しても、教育はこれでいいのか、社会がこれでいいのかをテーマに話したときに、なにか伝わらないものを感じてきた。相手の話も受け取ることができない。忸怩たる思いでいたところに、人間というものへの根本的な態度を問うているこの本が、「対話の相手」として現れた。
こういう話をしたかった!と思った。
しかし著者の言葉について行くと、すぐに葛藤や痛みが出てきた。自分の生い立ち、ここまでの子育て、今の自分との対話になった。読みながら、自分が何に疑問を持ち、何を変えたいと思っているかに必死に向き合った。
2周目の読書は「汗だく」だった。
学校教育。そこに凝縮されている社会の構造、歴史、国家の思惑。政治、経済、産業、社会保障、生活……。
あまりに問題提起が続くと、「じゃあ具体的にどうしたらいいのか?!」と著者に問い正したくもなる。 けれど、この本においての具体は中で十分に語られている。あとは自分の本質に根ざした具体と、どうつなげて言動するか反映するか、したいか、なのだろう。
「そうじゃなくて」という違和感を抱き続けたり、考え続けるには体力が必要だし、表現する言葉の試行錯誤も必要。またある時期には「俗世を離れて」内に籠って自分とじっくりと対話する時間も必要だとも学んだ。
帯をつけたままでは中身を見誤るので外して撮った。
いや、でもこの表紙イラストも違うんじゃないか。右の「男子」が左の「女子」に対して怒りをあらわにしているように見えしまう。男女が向き合うんじゃなくて、目線の先は学校とか、大人とか、社会とかなのでは。全面に描かれるべきは問われている大人なのでは。
本文中のイラストはよいものが多いのだけど、表紙はちょっと残念。
昨年、Readin' Writin' BOOKSTOREで刊行記念イベントがあり、3回とも参加した。
第1弾 その校則、本当に必要ですか? 不登校の原因は子どもにあるのですか?
https://readinwritin210606.peatix.com/view
第2弾 学力っていったい何? なぜ障害児には特別な教育が必要なのか?
https://readinwritin210821.peatix.com/view
第3弾 道徳教育は必要なのか? そもそも、個人の「心のもち方」を評価できるのか?
https://readinwritin211031.peatix.com/view
参加するだけでは足りず、同じく参加していた友人達とオンラインでアフタートークの場を持った。ありがたいことに、アフタートークがあると聞いてわざわざこのイベントに参加してくれた人もいた。
トークを聞いていて思ったこと、考えたこと、理解したこと、わからなかったこと、もやもやしたことなどを自分の日常や現場でのエピソードを交えながら共有していった。
大事なことだからじっくり考えたいのだけれど、問題提起を聴くだけで終わると苦しい。こうして開放して場に出して、行動する勇気やエネルギーを融通できると、ホッとするし、続きも考えていける。
様々な表現物とそこから起こる対話を足がかりに、1ミリでも自分が望む社会のために、動いていけたらと思う。
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鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。
2020年12月著書(共著)を出版しました。
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社)