ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

お知らせ

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募集中のイベント

▼3月のゆるっと話そう@シネマ・チュプキ・タバタ(準備中)

▼3月20日(金•祝) 2020春分のコラージュの会(準備中)

▼3月23日(月) 爽やかな集中感 競技かるた体験会
https://coubic.com/uminoie/174356(横浜)

 

鑑賞対話ファシリテーション(法人・団体向け)

・表現物の価値を広めたい、共有したい、遺したい業界団体や、
 教育や啓発を促したい、活動テーマをお持ちの法人や団体からのご依頼で、表現物の鑑賞対話の場を企画・設計・進行します。
・鑑賞会、上映会、読書会、勉強会などのイベントやワークショップにより、作品や題材を元に、鑑賞者同士が対話を通して学ぶ場をつくります。

https://seikofunanokawa.com/service-menu/kansho-taiwa-facilitation/

 

場づくりコンサルティング(個人向け)

・読書会、学ぶ会、上映会、シェア会、愛好会...などのイベントや講座。
・企画・設計・進行・宣伝のご相談のります。
・Zoom または 東京都内で対面
・30分¥5,500、60分 ¥11,000(税込)
・募集文の添削やフィードバック、ふりかえりの壁打ち相手にもどうぞ。

https://seikofunanokawa.com/service-menu/badukuri-consulting/

 

連載中
▼『場づくりを成功させるための5つの鍵』(寺子屋学)
https://terakoyagaku.net/group/bazukuri/

▼ noteでも書いたり話したりしています。

note.mu

  

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「ミイラ "永遠の命"を求めて展」鑑賞記録

息子と国立科学博物館の企画展「ミイラ "永遠の命"を求めて展」に行った。

www.tbs.co.jp

 

金曜日の夜間開館を利用して行って、最初はおもしろく観ていたのだけれども、だんだん怖くなってきて、駆け足で流し見て、最後の写真撮影のブースだけにっこり笑って出てきた。

あちらこちらからの声が反響して

そういえば前にも、古代アンデス文明展に夜間開館で行って、怖い怖いと言いながら見たんだっけ。

怖がりなくせに観に行くし、わざわざ夜に行くし。

なんだか学習しないうちらである。

 

小さい頃はミイラのことを、雑誌「ムー」に出てくるみたいな、世界の神秘やロマン、わくわくするものと捉えていて、特に怖いなども思っていなかった。

 

今になって怖くなってきたのは、

過酷な環境の中で、死んでても殺してでも、生命と対峙し、生きのびようとする人間という種族の根源的で強大なエネルギーを、物体からびしばしと感じてしまうからかもしれかい。

野蛮とか未開とか非人間とか、そういうことではなくて。

自然界や、共同体の内や外に恐ろしいものがあって、その正体がわかっていないとき、こうなる。

しかもそれは、人間はかつてこうしていました、と遠いものとして見られない。

未知のウイルスと対峙している我々としては。

 

 

 

 今回は、「ドイツ・ミイラ・プロジェクト」の研究結果を土台にしているということで、ドイツの博物館などからの出品が多い。

 

ライス・エンゲルホルン博物館

レーマー・ペリツェウス博物館

ミュンスター大学附属考古学博物館

ゲッティンゲン大学人類学コレクション

 

しかし、

どうしてドイツでミイラの研究が盛んなのだろう?

ということが今は知りたい。

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

www.isan-no-sekai.jp

 

 

この本を読んだら、もっと詳しいことがわかるのかも?

 

常設展、落ち着く…。
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七人の侍〈午前十時の映画祭〉 鑑賞記録

七人の侍(4Kデジタルリマスター版)を観てきた。 

asa10.eiga.com

 

午前十時の映画祭とは、

映画界を代表する映画人たちが選定した、時を経ても褪せない魅力を持つ名作を、映画業界のネットワークを生かして、全国の東宝系を中心とする映画館で、毎日十時から上映する企画。

2010年にはじまり、フィルムからデジタル上映になるなど、形を変えながら続いてきた。
10年目を迎える2020年にFINALとなる。http://asa10.eiga.com/2019/jissi.html

(...ということだと思いますが...違ってたらごめんなさい)

 

やっているのは、ずーーーっと知っていたのだけれど、一度も行けたことがなかった。


サウンド・オブ・ミュージックテルマ&ルイーズウエスト・サイド物語、アラビアのロレンス、七人の侍......。

思えばこれらのデジタルで蘇った映画たちを映画館のスクリーンで観られるなんて、ほんとうに贅沢なことだったのですよね。。

 

この上映に感想シェアの場(チュプキでやっている"ゆるっと話そう"のような場)をセットできたら、また違っていたかもしれないなぁと思います。

きっと、その時代にリアルタイムで観ていた人と、今はじめて観た若い人たちとの交流があり、さまざまな視点と感性が交差する、よい場になったろうなぁと思います。

自分が、映画文化の継承にまだまだ貢献できていないことを悔しく思います。



まぁでも!

きっとこれから先もある!

最後の最後になってしまいましたが、感謝の気持ちを込め、どうにか『七人の侍』を観ることができたから、よかった。
  

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いやー、よかったです!ほんと、このタイミングで観てよかった!

 

4Kデジタルリマスターを映画館で。

画も音もきれいになって、台詞も聞き取れるようになって(一部よくわからないとこもあるけど)、この映画の本来の魅力をどーんと受け取れました。

この名作を映画館の大スクリーンで観る、この僥倖よ。

 

モノクロがとにかく美しいのです。

家のPCやTVモニターでは、ここまで実感できない。

それにね、やっぱり没頭して鑑賞することが歓迎され、貴ばれている場所で体験するってやっぱりいいものだと思います。そのための専用の館で。

襟を正すというのか、こちらもきちんと準備をして、非日常に入っていく体験というのは、やはり専用の館で、お金を払って得られることかなと思います。

これは「日常にアートを」っていう話とはまた別のことです。

 

 

尺について

きょうは207分のオリジナル版です。3時間27分。

昔、高校生のときに観たのは、短縮版でした。それでも160分あったな。

音が割れていたり、台詞がよく聞こえなかったり、画面が暗かったりして、途中で寝てしまいましたね。

207分は、まぁ長いといえば長いのだけれど、映画の作り込みが凄まじいから、引き込まれて見入ってしまいました。

未見の方には、これはぜひオリジナルの長いほうを観ていただきたい。

それと日頃から、能、オペラ、バレエ、コンサート等の舞台鑑賞、美術館や博物館などでの鑑賞、競技かるた等で鍛えているので、3〜4時間ぐらいはわりと平気で、集中力が持続します。

前の晩もよく寝て、体調を整えて臨みましたよ!

 

 

1954年製作の映画。

黒澤明14本目の作品。

戦後まだ10年経っていない中で、これを打ち立てねばという気概に溢れている。

俳優さんたちがキラッキラしている。特に木村功。なぜか三船美佳に似ている。

若いエネルギーってやはり素晴らしいな!と思う一方で、数多くの伝説を残す黒澤明の現場、さぞかし過酷だったろうなぁと想像しながらも観ていました。

あれもこれも作ったのか?
これは演技じゃなくて素でやってるかも?
いやまさか?でもあり得る...とか、脳内でいろいろ考えてしまいます。

 

 

ハブとなるもの

以前、聖書を読む会という学びの場に参加していたときに、この世界を知ろうとするときに

・ハブになっているものにアクセスすること
・その原典を「読む」こと

の2点が大事と教わりました。

 

今回の「七人の侍」はまさにそれだったかなと思います。 

歴史を変えた映画、さまざまな映画に影響を与えた革命的映画を堪能できてよかったです。

ようやく積み残しの荷物を取りに来られたような気がします。

 

 

〈午前十時の映画祭〉

このあと残っているプログラムは、

七人の侍」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ3本です。

ぜひお運びくださいませ。

午前十時の映画祭10 デジタルで甦る永遠の名作

過去の映画祭のラインナップは、トップページ右下のプルダウンメニューから。

 

残っている印象、感想あれこれ

  • メタル感のある画面。まさに銀幕。
  • わたしが生まれたとき、当然まだ黒澤明は現役で映画を撮っていて、『乱』の人として認識していた。その後、『夢』『八月の狂騒曲』『まあだだよ』から亡くなるまで、同時代の人だった。それがもう古典の人になっているんだなぁ!時代の移り変わりが早い。
  • あり得ないことを起こす、身分・立場の境界線を持ったまま協働する。
  • 強風、砂埃、大雨、泥、空腹、板の間、むしろ、寒さ......常時快適さがゼロの環境!
  • 漫画『銀牙 -流れ星 銀-』を思い出す。みんな犬みたい。いや、どちらかというと、銀牙のほうが七人の影響を受けたのか。
  • どうして百姓の「金にも出世にもならん」話を受けたのか、というのが実はまだ謎。まずは実際に食えることが死活問題だったから?百姓を哀れに思って?単におもしろそうだから?お互いの人柄に惚れて、ただ一緒にプロジェクト回してみたい!と思ったから?はみ出してる人たちが、人との関わりあいを通して、生存意欲を確認した?このへんの豪気・豪胆さみたいなものがよくわからなかった。
  • 一人ひとりのキャラが立って、役割分担がされていく過程がなんとも絶妙。
  • 「可哀想で純真なだけじゃない百姓」というリアリズム!ここを描いたのがすごい。落ち武者狩りしちゃう。。
  • この映画における百姓って何を示そうとしているのか?今の社会背景からも近づけられそうな感じもある。
  • 戦いの最中に発生する勝四郎の性の目覚め、久蔵への思慕なども、効いている。若さがあふれてるんだ、勝四郎...。
  • 女の人が、戦争時にどういう立場になってしまうのか、もリアル。
  • 三船の何をしでかすかわからない、アイスブレイカーな役割や、単純さと、一人だけみんなと違うことの劣等感や人生における複雑さを抱えた、なんとも言えないキャラクターを三船が相当入り込んでいて、すごい。
  • 実際に野武士との戦いがはじまってからの、息もつかせぬ感じ。ずーっと何かが少しずつ展開していく。緊張と弛緩と、視点の置き方。すごい。そしてかなりエグい。野武士もエグいが、百姓もエグい、グロい。正義と悪とか、そういうことではない。
  • 野武士あと何騎、種子島(火縄銃)あと何挺と、頭の中でこっちもカウントしていく感じ、イイ巻き込み方。
  • 野武士の人たちがいったいなんなんだかよくわからない。野武士の顔や見た目も映るのだけれど、そこに寄らないので、人間一人ひとりの印象としてはない。だからなのか、野武士が襲われても、亡くなっても、こちらに痛みが走らない。逆に過剰な憎しみが芽生えるようにも描かれない。七人に魅力を感じながらも、戦の物語をこんなに引いた場所から観られるってちょっと不思議な感覚ではある。
  • 今だったらちょっと考えられない、できないような無理が、人にも動物にも環境にもかかっていたんだろう。名作だけど、なんというかあらためて凄まじいものが出来ちゃったんだなとちょっと呆然とする。命がけの映画。あとは莫大なお金と...。


というわけで、いろいろ知りたくて観た

復習にトークショーもよかった。 

こちらは2016年の4Kデジタルリマスター版上映記念のトークショー

製作、撮影、時代背景が語られております。鑑賞後にぜひ。3本とも必見です!


 

 

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映画『プリズン・サークル』 鑑賞記録

*個人の主観的な感想ですが、鑑賞行動に影響を与える可能性があります。観る・観ない・感じ方を左右されたくない方は、読まずに、またはいつでも途中で退出してくださいませ*

 

映画『プリズン・サークル』を観てきた。

prison-circle.com

 

サブタイトルは、「ぼくたちがここにいる本当の理由」。

あらためて眺めると、語りを聴かせてくれた一人ひとりの顔が浮かぶ。

受刑者たちの顔にはモザイクがかけられているのだけれど、ずっと観ているうちに、次第に判別がついていく。

一人ひとりであり、ぼく「たち」でもある。

 

 

この映画を観る前に

いじめがテーマの読書会をひらいて、
坂上香さんが監督した前作2本、
「Lifers ライファーズ 終身刑を超えて」を観て、
・「ライファーズ」の感想を友人とZoomで語り、
・「トークバック 沈黙を破る女たち」を観て(こちらは二度目)、
・シネマ・チュプキ・タバタで「トークバックでゆるっと話そう」という対話の場をひらいて、

・冤罪被害者5人の"青春"ドキュメンタリー「獄友」を観て、
・虐待予防を考えるシンポジウムの文字起こしの仕事をして、

......ということが、ここ最近の流れとしてあった。

並べてみると、濃いな、今月...。

おつかれさん、わたし。

 

ほとんどどれもレポートが書けていなかったけれど、今観ておくべきだと思い、『プリズン・サークル』の鑑賞を優先した。

 

また、この映画はできるだけたくさん受け取りたいと思い、自分の関心を明確にしておくことを心がけて、こんな記事も書いておいた。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

この映画を観た後に

当日はいつものようにメモをとりながら観て、終わってから友人を感想を語った。
友人は子どものお迎えが、わたしは息子の帰宅があるので、時間の制限がある中で濃く語った。

こういうとき、わたしたちってほんとうにいい時間の使い方ができて幸せだなと思う。
制限でもあるけれど、ありがたい枠やルールにもなる。

 

また、
あとで感想を語る前提で、友だちを誘って映画や舞台や展覧会を観に行く。
感想を語るときは、時間を決め、脱線せずにその感想を一生懸命話す。

という文化が、わたしの周りでは定着していることもうれしい。幸せ。


友人の感想を読んだり(1回目2回目)、一緒に感想を話したことも刺激になって、次々と言葉がわいてきた。

メモをとってとりあえず貯めておいたが、 こんな状態のまま、全然まとまらない。

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とにかく今はリリースを優先しようと思うので、感想はいつものようにだらだらと書く。

個人的な主観なので、これから映画を観る方で、ご自身の新鮮な感覚が影響されそうと感じる方は、読む読まないはご判断くださいませ。

 

感想いろいろ

  • ライファーズ」を観ているときも、わたしは決して他人事という構えだったわけではない。でも、国や言語が違う、ということの大きさを、「プリズン・サークル」を観て実感した。社会のリアルな実感の程度が全く違う。没頭して観た。それだけでもう、日本の刑務所が舞台となっていることの意味を感じた。

  • ナレーションはない。説明の字幕は最初のほうだけ。彼らとわたしたちとのあいだに関係ができてくると、だんだんと少なくなっていく。

  • わたしがはじめて対話、ワークショップ、ファシリテーションというものに出会ったのは2010年12月だった。その場のことをありありと思い出した。そのときのことはここで話した。
    わたしはそれまで「わたしはわたしについてのほんとうのことを話したことがなかったんだ!」と実感し、また「こんな話し方があるんだ」という衝撃を受けた。そのとき話した内容も覚えているが、誰にも話せないことを話した。心のやわらかい、傷つきの部分に触れて、またそこを優しく聴いてもらえたことで、涙があふれたことも思い出す。

  • だから、プリズン・サークルで行われているTC(Therapeutic Community)という場とアプローチに似たことは、その後も多く経験し、また自分自身も主催・進行しており、見知った光景だった。意味や意図や効果についても理解して観ている。
    そういうわたしとしてこの映画を観ていて、とても不思議な感じになったのは、音声だけ聴いてて、罪を犯した背景を知らなければ、まるで「いつもの場」のようだったからだ。ほんとうに境目がない、と思った。安全な場所から「わたしだってあっち側だったのかも」と言っているわけではなくて。この感覚は奇妙だった。受刑者の中からファシリテーターを務める人もいる。
    「いいことをしゃべろうとかじゃなくて、本音を話してほしい」まるで、まるでほんとうに「いつもの場」。
    エレクトリカルパレードを流しながら動く自動配膳機や、私語厳禁の食事時間や刑務作業の風景を知らなければ、刑務所か刑務所じゃないか、まったくわからない。つまり特殊な人たちではない。わかっていたけれども、あらためて衝撃と共に実感した。

  • わたしも感想を交わした友人も、ファシリテーターコンサルタント、セラピストやカウンセラーという仕事をしている。つまり、人の話を聴く仕事だ。
    そういうわたしたちは、人の話を聴くにあたっては、さまざまな自分自身がカウンセリングやセラピーを受け、回復し、今も常に回復し続けながら、自分を調律、調整、ケアをしながら、仕事をしている。
    そういうわたしたちから見て、この刑務所内で行われいているTCは、非常にタフな取り組みだと感じた。週に12時間、半年から2年かけて参加するプログラム。

  • 刑務所以外であれば、日常の中に逃げ込める先がたくさんある。家事をしたり仕事をしたり、自由に移動もできるし、気晴らしをしたり、あるいは別のものに依存することもできる。でも、刑務所の日常は、取り決めがあって制限されている。自分の気分で食べたいものを選ぶこともできないし、服はみんなと一緒だし、ヘアスタイルは丸刈りにしなくてはいけない、いつ何をするかが徹底して決められている。

  • そんな中で、プログラムを受講して、徹底的に自分と向き合うことが求められる。服役という同じ状況の同じ性別の人たちが、同じプログラムを受けているという特殊な環境。だからこそ回復が早いとも言えるのかも、という話をした。それから、TCを受けることは回復であると同時に、過酷な懲罰なのかもしれないとも思える。

  • 彼らは普段は番号で呼ばれるのだという。TCのときだけは名前で呼ばれる。刑務所ないで激しく罵られたりもする。TCのときは目を見て話を聴いてもらえる。「ライファーズ」の感想を話したときに、友人が「懲罰ってなんだろう?」「懲罰と回復って両立しないのではないか?」という問いを出してくれたことを思い出した。懲罰というのは、名前や服や会話を奪われること?罵倒して同じような怖い思いやさらなる恥辱を味わせること...?人間性を奪うことと、人間性の回復とが同時にある場所。ここはまだ混乱している。
  • 「人間を番号で呼ぶのをやめてほしい」と思った。たとえば、そういう要望って、誰にどう言えばいいんだろうか。あるいは、どうしてそうすることになっているか、誰か説明してくれるのかな。

  • 以前、男性による男性のための支援関係があってほしいということを何本か書いたけれど、プリズン・サークルで描かれていたのはまさにそれだったかなぁと思う。「怖かったし、嫌だったよね、悲しかったよね」という労わりあいや、「どうしたの?」「大丈夫だよ」「一歩一歩やろう」「一緒に考えよう」という共感や親愛の表現。「相談してね」「よく話してくれたね」という受容。

  • 競わされて、強くなれ、弱さは命取りだと脅されてきて、「一緒に戦える奴なら存在していてもいい」となってしまった結果がこうだとしたら、そうではない関係、Brotherhoodが、なにかここにはあるような気がしたよね、とも話した。

  • TCを経験した人たちは、「生まれ直す」という経験をしているようにみえた。
    聴いてもらえなかった、見てもらえなかった、大事にされなかった人たちが、自分の表現、言葉の力を奪われて、損なわれて、信じられなくなって、使えなくなっていった過程に目を向けて、一つひとつ、時間をかけて言葉を取り戻している。感情の名前を教えてもらいながら、誰とどんなつながりを持ちたかったのか、どんな切なる願いがあったのか、自分が歩んできた道のりを自分の言葉で語る試みをして、言葉を取り戻していっている。

  • 最初はぼんやりとしていて、何を考えているのかわからなかった人が、どんどん輪郭を際立たせて、生命力に満ち溢れていく様は、胸に迫るものがある。感情や言葉や人間性を取り戻すと、悩むし苦しくなる。映画「ハウルの動く城」のラストで、「ウッ、なんだ、身体が重い」「ハウル、そうなの、心って重いの!」というセリフを思い出す。
  • どんな人間にも日常と非日常が必要なのではないか、ということをここ数年いろいろな人といろいろな取り組みをしてきて、考えている。わたしも日常の中に鑑賞や競技かるたや旅行などの非日常の時間を組み込んでいる。そこでは日常にいては見えなかったことが映し絵になっている。そこで省みて発見し、得たものをもって再び日常に戻る。行ったり来たりすることで、どんな過酷な環境でも、人間は正気を保ちながら、生きていける。
    刑務所の受刑者たちにとっては普段の生活や刑務作業が日常で、名前を取り戻し、会話をしながら、過去を辿りこれからの人生を考えるTCが非日常になる。TCとTC以外の時間を行き来している。

  • 「犯罪傾向の進んでいない男子」を対象に行われているプログラムとのことだが、「Lifers ライファーズ 終身刑を超えて」を見ると、累犯受刑者たちの再犯率低下の有効性も証明されている。こちらも作品として記録として存在することが大きな希望だ。

  • 男の人が子どもを出産をすることは今のところないわけだけれど、でも男の人だって、自分で自分を「産む」ことができる、と常々思っている。プリズン・サークルで起こっていたのは、適切な表現なのかわからないけれど、鉗子をつかって引き出すというよりも、言葉が産み出されるのを、その人がその人を産むのを、男の人たちが助産していたようにも見えた。そこにあったのは「応援」「約束」。
    産み出す力は一人ひとりにある。分娩の過程も人それぞれ。

  • どうしてそのイメージがあるかというと、最後に出所していく一人の元受刑者の顔を見たときに、ほんとうに美しかったから。わたしが息子を出産したときのことを思い出した。そういえば生まれたばかりの人間ってあんなふうに、曇りのない眼で世界を見ていたっけな。

  • 人の話を聴く、自分が話す。そのことによって回復していく。
    え、聴くとか話すとか、そんなことなの?それだけなの?という感じだと思う。もちろん適切な環境や聴く作法、話す作法はあるし、 十分にトレーニングされた人が場を運営しているわけだけれど、それだってものすごく特殊なものではない。「だって誰だってこういうときは緊張しちゃうよね?」とか、「こっちのほうが話しやすいよね」とか、そういうhumanityに基づいて設えられている。ほんとうにすごく簡単なことなのだ。でもそれが難しいのは、なぜなんだろう。
  • ここは刑務所だ。そのことに何度も混乱するし、胸が痛くなる。聴いてもらえなかった、見てもらえなかった、言葉の力を信じられなくなった、自分や他人を損なうことでしか自分の存在が実感できない......その痛みをケアし、人間性の回復を目指す場が、刑務所の中だということに、言いようのない無念さを感じる。
    映画の中でも、「もっと早くやるべきだった、TCとかそういうことじゃなくて」と話していた受刑者がいた。思わず「それはあなたのせいではなく...」と言いたくなった。
    ほんとうにその場が、刑務所より前に、できるだけたくさんほしい。

  • 彼らが持っているファイルの厚みに目が留まった。犯罪の起こる仕組みや、人間関係の築き方、話し方聴き方、いろんなことを学んでいる。毎回配布された資料が綴じられているのか、あるいは資料の束が綴じられた状態で渡されるのかはわからないけれど、テキスト(教科書としての)だけではなくて、自分で記入したものもおそらくたくさん綴じられていて、その経験と学びの蓄積を感じた。

  • 虐待防止のシンポジウムの中で、「虐待という現象として表出しているだけ」という言葉があったけれど、まさにこの映画を見ていて感じた。どう表出するかは、ほんとうにぎりぎりのところの分かれ目というだけなのだと思う。それが、詐欺、窃盗、殺人、虐待、DVに向かう場合もあれば、病気、自死自傷に向かう場合もある。たまたま自分以外への犯罪に振れたときに、刑務所にいくことになるけれど、振れたほうによって病院になったりする。いずれにせよ、人間の苦しみの表れ方のひとつ、にすぎない。

  • どこで回復の場に出会えるか、ということだけで。犯罪に振れて刑務所に入るとき、この島根あさひ社会復帰促進センターに入ることも、TCを受ける確率もものすごく低い。(日本の受刑者4万人強のうちの、40人/クール)
  • 虐待にせよ、窃盗にせよ、表出した現象だとしたら、言葉をもっと的確なものに再定義していったほうがいいのではないかと思った。その言葉が含んでいるイメージを超えて、一つひとつ、背景や構造も含めて、再定義していく。単にカテゴリとイメージとして、「加害=悪、罰せられるべきこと、被害=可哀想なこと」のような、単純なものではなくて。

  • この映画を観ることで、救われる人がいるのではないかという気もした。
    間接的にTCのプログラムを受けることができる。
    実際わたしは、この映画を観ることで、癒えていく自分の傷があった。彼らと一緒に自分と向き合うような136分間だった。
    だから、いろんな人に観てほしいと思うのは、こういう理由もある。
    誰でも、何かしら、被害の体験、加害の体験をもっている。向き合って反省して...ということではなくて、ただ、それを抱えていることを赦してもらえる。そういう温かな時間でもあった。

  • 坂上監督の作品は暴力的なシーンはない。もちろん、人の語りの中には、過酷な環境で生き抜いたことが含まれているけれども、それは観る人を損ねようとか、社会の辛い現実を直視させようとか、そういう意図はない。わたしもその場にいて、じっと語りに耳を澄ませている、というような時間だ。その人が今目の前にいて、真摯に自分の実感とつながった言葉だけを話しているとき、内容が何であれ、思わず聞き入ってしまう。
    被写体といつもそのような信頼関係をつくっている人なのだろう。

  • 一つ自分の中でクリアになったのは、「誰かを罰したいのではなくて、その行動をしないでほしい」ということだ。すごくシンプルに。窃盗、詐欺、強盗殺人、傷害致死...という行動をしないでほしいと思っている。
    でも「なぜその行動として表れるのか」の背景や出元を人間を中心に聴いていかないと、止めることができない。
    そう思ったのは、加害のときに乖離が起きている受刑者の語りがあったから。
    だから、やっぱり予防というのは聴くことや、安心安全な場(環境や機会や関係)を社会にたくさんつくることしかない。それも、できるだけ年齢の低い時期から。

 

ふりかえり

感想を書きはじめたら、ずいぶんとたくさんになってしまった。 

これでもほんのさわり。肝心なことが書けていないんじゃないかという気がする。

そのぐらい、受け取ったものがたくさんで、ほんとうに幸福な鑑賞体験だった。
このタイミングで、この映画に出会えたことがうれしい。

 

 

わたしも暴力の連鎖を終わらせたいと願っている一人だ。
誰もが、生きているうちに、なんとか間に合ってほしい。

 

この映画を見た人たちは、きっとそれぞれのフィールドで、それぞれの切実さで、それぞれの専門性で、やっていくだろう。

観た人とのあいだに不思議な連帯を感じる。

実際に観て話した人は数人なんだけれど。

きっとみんなそうだ、という不思議な手応えがある。

  

 

わたしの職分からは、やはりこれを言いたい。

いまこそ、いろんな「サークル」で対話や議論をしよう。

わたしたちがないことにしてきたもの、

ずっとあったけれど、ほんとうはなんなのかよく見てこなかったもの、

怖くて、なかなか一人ではみることができなかったものの姿を見よう。

定義し直そう、新しい表現を与えよう。

 

人間のことを大事にした、安心安全で健やかなサークル(場)なら、怖くないし、そのことで傷ついたりしない。

むしろ育みあって、希望を分かち合って、生まれてきて、生きてきてよかったなと思える。

 

そういう仕事をこれからもやっていく。

 


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◆過去作品

『Lifers ライファーズ 終身刑を超えて』

 

トークバック 沈黙を破る女たち』

www.talkbackoutloud.com

 

『プリズン・サークル ぼくたちがここにいる本当の理由』

prison-circle.com

 

◆制作団体・out of frame

http://outofframe.org/index.html

 

坂上香さんの著書 

 

 

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今すぐプラドで実物を観たくなる、映画『プラド美術館 驚異のコレクション』鑑賞記録

*個人の感想ですが、鑑賞行動に影響を与えると思います。公開前ということもあるので、左右されたくない方は、読まずに、またはいつでも途中で退出してくださいませ*

 

試写状をいただいて観てきました、『プラド美術館 驚異のコレクション』

2020年4月10日公開の映画です。

www.prado-museum.com

 

bijutsutecho.com

 

 

観るにあたっては、まずこれが基礎知識ですね。

プラド美術館(Museo Nacional del Prado)とは

  • 公式HP(英語版)https://www.museodelprado.es/en
  • スペイン・マドリッドにある国立美術館
  • 2019年11月19日。開館200周年を迎えた。つまり開館は1819年。神聖ローマ帝国滅亡後、フランスに対する独立戦争が興り、ナポレオンのスペイン領制圧を経て、独立戦争が集結し、スペイン王が再興した頃。ゴヤはオープンのときまだ存命だった。
  • 所蔵作品は、15世紀から19世紀にかけての代々のスペイン王家のコレクションが中心。
  • 所蔵品は油彩画、素描、版画、彫刻など、2万点超。展示されているのは、このうちの1,000〜1,500程度。また3,000点が他の美術館(企画展等)や研究のために貸与されていて、残りは収蔵、修復の状態。
  • 所蔵作品自体の時代は、12世紀のロマネスク様式の壁画から、19世紀のフランシスコ・デ・ゴヤまで。特に16世紀、17世紀の西洋美術を代表する重要な作品を所蔵する。
  • エル・グレコティツィアーノ、ムリーリョ、ズルバラン、リベラ、ソローラ、ヒエロニムス・ボス、ゴヤ、ベラスケスなどの芸術家による重要な作品を所蔵。特にゴヤとベラスケスの作品群は世界一の規模。

 

実はわたしは、13年ぐらい前にスペインを旅行したことがあるのですが、マドリッドプラド美術館に行ったのかどうか、記憶がないのです。

マドリッドにいてプラドに行かない...ってそんなことあり得るのか、って感じですが...。行ったけど忘れたのかな。うーん。

ソフィア王妃芸術センターでピカソの『ゲルニカ』を観たのはありありと記憶があるのに。こちらは20世紀現代アートを所蔵展示している国立美術館です。

こちらも大変見応えあります。プラド美術館からは徒歩10分。https://www.museoreinasofia.es/en

 

 

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さて、映画の話。

 

 

どんな映画か。

うーん、これはもうほんとうに語り尽くせない要素がたくさんあります。

ほんとうに膨大な量のことが次元や時間や地理を超えて、ぎゅっと詰まっていて。

 

まずは印象としては。

 

とにかく非常に気合いの入った、プラド美術館のプロモーション映画。


スペイン(もしかしたら、マドリッドを中心としたスペイン、かもしれないけれど)の誇るプラド美術館を、この200周年と機に世界に再び発信するんじゃーい!!という気概を感じます。

 

プラド美術館が持っているのは、いわゆる古典と言われる時代の作品。

国の宝ではあるけれど、ただ所蔵して展示替えしていくだけでは、ただの昔の古いもの、観光資源としての消費の産物。

そうではなく、今の時代を生きるたちとして、ここまでの文脈・鉱脈を辿りながら、どのように新たに解釈して価値づけし、次代に遺していくか、その挑戦の一環としての映画製作なんだ......ということをわたしは受け取りました。

プラド美術館はなんのために興り、なんのために存在しているのか、そしてこれからどんな価値を提供していくのか。

 

どんなコレクションを持っているかのビジュアルの確認なら、ウェブサイトを見に行けばよいわけですが、(これはこれですごい贅沢なページ...>Collection - Museo Nacional del Prado

人間って「有名だから関心を持つ」わけではなくて、必ずそこに橋を架けてくれる存在がある。

 

この映画で言えば、

スペインにルーツを持つ人、プラド美術館に携わる人にとってなんなのか、という語りや物語の体験を得ることで(編集や脚色も含め)はじめて、どんな価値があるのか、どのように見たらいいのか、「わたし」にとっての価値は何か、を考えられるようになる。

とにかく、プラドは誇りなんだ、プラドはすごいんだよ、と思っている人たちの姿をみるだけで、何をか感じざるを得ない。

 

惜しむらくは、「これからの構想」をもう少し観たかったな。

映画でインタビュイーとしても出てくる建築家のノーマン・フォスター卿がプラド美術館200周年記念事業「諸国王の間」のリノベーションを担当しているそう。

それがどういう計画で、何を目指しているのか、というところまでもう少し観たかった。

まぁ、この映画を作っている段階で出せることがこの範囲だったのかもしれないけれど。

ちなみにノーマン・フォスター卿の「卿」という称号。LOAD。もともとの爵位なのか一代の称号なのか。

映画『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観たときも、へえ、イギリスってそういう一代だけの称号とかがあるんですね、と思ったんでした。

メモがわりにこの記事を貼っておきます。また調べる。

 

 

 

 

美術ドキュメンタリーというジャンル

映画の印象としては、昨年観たこちらを思い出しました。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

プラド美術館」もつくりがけっこう似ている。

圧倒的な情報量の多さと、かなり振り切ったストーリーの編集、脚色がある。
ナレーション、作品、インタビュー、関連風景がメインで、俳優を使った演技や再現シーンなどはないけれど、音楽も含めて、かなりドラマティックな仕立て。

 

単なるドキュメンタリーを超えて、実際にあるものを材にとりながら作られた、こういう一つの創作ジャンルという感じ。

なんと呼べばいいのかまだ名付けられないけど、今回は「美術ドキュメンタリー」と呼ばれていたので、わたしもそのように呼んでみることにします。

こういうジャンルを映画として展開する流れが、ここ3年ほどきているなぁという印象です。

「これこれこういう人、こういう物としてのイメージがあるけれど、実は今の時代としてあらためて見てみると」という切り口や編集で語り直されている、出会い直しに橋をかけてくれています。

画家、彫刻家、歌手、映画監督、、など、いろんなパターンもありますね。


知っていた人には新鮮な視点を。

知らなかった人には出会いのきっかけを。


映画がますます幅を広げ、進化していってるなぁという感じがします。

 

 

 

だれにとっておもしろいか。

これは完全にわたし個人の見解です。

とにかく情報量が多い。盛り盛りです。
固有名詞もたくさん出てくるので。
歴史的、文化的背景の基礎知識も要求されます。

なんらかの自分のバックグラウンドと引っかからないと、辛いかな、という感じもします。

...ああ、あの絵どっかで見たことある、名画って言われてるやつだよね。

...よく覚えてないけど世界史で暗記した中にある。

...スペイン、イタリア旅行で観光したなぁ(これから行ってみたいなぁ)。

など、

何しらヨーロッパの歴史の流れや、その土地に身体を運んでみた経験、あるいは根本的な関心などがあったほうが楽しめます。

ざっくりとでも。

それがないと、どうしても情報と映像の洪水、という感じになるかもしれないです。

 

基本は既にあって、そこに流れをつくって、新しく魅せている。

ある文化圏、ある関心層の人にとっては既知のことは、一から説明しない。

NHKスペシャルなら、日本の人にとっての文脈を添えてもらえますけどね。

もちろんその文化にいなくても、関心が薄くても、「これによって新たに知る」ということもあるかと思います。

それが映像の力だと思う。

 

美術、芸術、スペインの歴史のことをもっと知りたかった!
という人にとっては、わくわく楽しい美術館ツアーです。

乗り物で連れて行かれるアミューズメントパークのアトラクションみたいです。

いろんな知識欲が刺激されて、
あとでこれ絶対調べよう!
そういうことだったのか!
そういう面もあったのか!

など、Amazing!な体験が続くので、いっときも目が離せません。

 

なんというか、「速い」のですね。
視覚的、感覚的、思考的にとても速い。

どんどん話題やテーマが展開、転換していく。

処理の速度が要求されている感じがする。

これについていけるとすごく楽しい。

だけれど、「間(ま)」がなさすぎるのと、絵の中の物語と、当時の時代背景と、現在との時間軸が行ったり来たりするので、集中していないと振り落とされてしまう。

振り落とされるというのは、処理が停止して、映画と自分との間が断線してしまう状態です。

 

観るときはぜひとも前日によく寝て。

そして、鑑賞中は集中できる環境をつくるとよいと思います。

振り落とされちゃったと思われる方々が、わたしの周りでよくお休みになっていましたので...。

 

映画『クリムト エゴン・シーレと黄金時代』のときは吹き替え版でしたね。

字幕版でこの情報量だから余計にキツいんだろうなぁと思っていましたら、やっぱり吹き替え版もつくるんですね。よかった。

今井翼、プラド美術館の魅力映すドキュメンタリーで吹替を担当(コメントあり) - 映画ナタリー

 

 

 

余談ですが、

『みんなのアムステルダム国立美術館へ』は、カッコよさとか、ドラマティックとか、情報の処理などとは無縁で、のんびりとしていて、可笑しくて、こういうのもよかったです。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

感想いろいろ

参考になるのかわからないので、自分のメモ書きとして。

  • 「それってそういう絵だったのか!」「この人そういう人だったのか!」
    基本的に鑑賞者はどんな作品でも展示物でも自由に観て、自分なりの印象や感覚を持ったらよいのですが、古典絵画の読み解きに関しては、一定の学説に基づいた正解があるので、それを踏まえていないと十分に味わえない部分があります。それを映画の中ではたくさんの作品を挙げながらずーっと見せてくれます。王朝、戦争、同盟、宮廷内での私的な出来事など。
    あとは画家と宮廷との関係、画家の人生ももちろん。
  • 旅行でトレドのエル・グレコ美術館に行ったときに、たくさんの作品を観て、自分の中に一定のエル・グレコの解釈があったのですが、この映画でそこに新たな光が当たったというか、色彩が加わった感触があります。
  • スペインおよびヨーロッパの歴史を美術・芸術の面からおさらいしているけれど、あらためて膨大で細かいなぁと驚嘆です。当地の歴史の教科書ってほんと一体どうなっているのかしら...。とりあえずこういうものも調べながらプレスシートを読んでいる。もっともっと歴史をわかりたい。
  • もちろんその中でも、いろんな解析技術の発展や、修復の過程で発見される新しい事実があって、そこからまた解釈が広がって、ということがずっと行われている。その、美術館の裏側で起こっている壮大な営みを感じられます。
  • 冒頭で館長、副館長、修復担当者、建築家、俳優、舞踏家など、そのあとも映画全編を通して登場してくるインタビュイーが、自分の「推し作品」を挙げていくところが好きです。「気分や時間帯によって選ぶ絵が違う」...そう、やっぱりそうですよね!
  • それぞれの絵には経緯や記号や意図があるけれど、収集は「特別な戦略はなく、心の赴くままに」していったというところが、いい。
  • 修復担当の人の語りが詩的でよかった。「絵が語る声を聞いて」とか。偏愛に導かれて仕事をする裏方の人の話っていい。修復の部屋が天井が高くて、柔らかい光の明るい部屋なのが印象的。
  • その時代の人にとって絵画とはどういうものだったのか、を追っていける軸もあってよかった。「官能的な絵」の話題のところとか。
  • どうしてスペインにヒエロニムス・ボス(フランドル)やティツィアーノヴェネツィア)のコレクションがあるの?という疑問が、歴史の流れと共に説かれて、とてもわかりやすかった。
  • 現代もほぼ同じ製法で作られている芸術や工芸の工房が映るところも印象深かった。タペストリーの工場、金細工の工房。今も世界のどこかで、このような職人が技法や伝統を受け継いでいっているんだ、という驚きと喜びと感謝が湧く。
  • 女性の画家、静物画、裸体画、セクシャリティアイロニー...当時は理解や受容がされなかっただろうものが、今見ると最先端!

 

誰の言葉だったか忘れたけれど、慌ててメモに走り書きした。

人間は自分たちが想像するよりはるかに大きなそんんざいです。

美は魂が喜ぶこと。

美は私たちの心を動かし、窮地から救ってくれるのです。

芸術は日々の生活のほこりを魂から流してくれます。

ほんとうに、そう思う。

「暇で恵まれた人が余剰や余暇の範囲で楽しめばよい」というものではない。

なくてはならない、人間の普遍的な営み。

それを思い出させてくれる館の存在。

 

伝統と革新。

 

勇気づけられる映画でもありました。

 

 

 

おまけ。

ナビゲーターがジェレミー・アイアンズ

個人的に「おお...」と思ったのは、ジェレミー・アイアンズがナビゲーションしてくれるところ。

世界的に有名な俳優で、有名な作品いろいろありますが、

わたしにとってはもう、デヴィッド・クローネンバーグ監督『戦慄の絆』の人!

これしかないって感じです。

1988年の映画で、ジェレミー・アイアンズが一躍有名になったきっかけの作品です。

たしか中学生か高校生のときに観たんです。

今観ても絶対おもしろいと思うなぁ。

そういえば、ジェレミー・アイアンズはイギリス、ワイト島の出身。
先日観たMETオペラ『蝶々夫人』の演出を手がけたアンソニー・ミンゲラもワイト島の出身だったなぁ。ここでもつながってくる。

 

 

そうだ、そしてわたしは、プラド美術館に行ってなかった疑惑があるので、

生きているうちに行きたい!

短時間での回り方を親切に書いてくれてる人がいたりする。
まぁそうだよね。膨大なコレクションだから、時間がかかるだろうねぇ、と想像する。

 

行く前にまた予習して、映画「プラド美術館」で出てきたやつだ!と言いたいですね!

 

公開は、2020年4月10日です。お楽しみに。

http://www.prado-museum.com/ 

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________ 

 

鑑賞対話ファシリテーション、場づくりコンサルティング、感想パフォーマンス
お仕事依頼はこちらへ。

seikofunanokawa.com

 

『夢のユニバーサルシアター』とシネマ・チュプキ・タバタとわたし

映画のあとに観た人同士が対話する「ゆるっと話そう」という場をひらかせていただいている、シネマ・チュプキ・タバタ。

その代表をつとめる平塚千穂子さんのご著書、『夢のユニバーサルシアター』を先月ようやく読み終えました。

 

 

 

少し読んでは胸がいっぱいになり、「うーん、今日はここまで!」と本を閉じ。

またしばらくして別の日に開き、少し読んでは反芻し。

......と、なかなか読み進めるのに時間がかかりましたが、ようやく最後まで行き着きました。

 

とても読みやすい本なんですよ。

その気になればたぶん1時間ぐらいで読んでしまえる。

でも、どうしてもそうしたくない感じがわたしにはあったんです。

 


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2019年6月に、映画『沈没家族』の配給元・ノンデライコさんに紹介していただいて、はじめてチュプキを訪ね、「鑑賞対話の場をひらかせていただきたいんです」とお願いしました。

平塚さんは二つ返事でOKしてくださいました。

「わたしたちも、チュプキの前のスペースで、映画を観たあとに感想を話してたんですよ〜。でも今はなかなかそこまで手が回らなくて。ぜひやりましょう!」と。

 

そこでひらいたのが、「沈没家族でゆるっと話そう」。
「ゆるっと話そう」というタイトルも、平塚さんがつけてくださいました。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

 

それから毎月ひらかせていただき、2月の上旬にひらいた『トークバック』で9回目となりました。
スタッフの宮城さんとも一緒に場をつくることができて、ほんとうに毎回毎回喜びがあります。

 

その喜びには、いろんなものが詰まっているのだけれど、大きいものとしてあるのが、やはりこれ。

  • 観客同士で対話することの価値を共有している
  • 鑑賞対話ファシリテーターの専門性を理解してくださっている

この2つがあるから、ここで場をひらくお仕事が成立できています。

 

この価値の共有ができているのはなぜなんだろう。

平塚さんの、チュプキの、何に由来しているんだろう?

と常々思っていたのですが、本を読んだらなんとぜんぶ書いてありました。

「うちでも昔やっていた」と平塚さんがおっしゃっていたことの詳細がありました。

 

たくさんの人が、それぞれの人生を歩んでいるこの世界で、同じ時に同じ映画を、同じ場所で観ているというのは、偶然で片付けてしまうことはできない貴重な出会いだと思います。映画を観たら「さようなら」ではもったいないと、入場料にはドリンク代も含め、ゆっくりお茶を飲みながら作品の感想を語ってもらえる時間を毎回設けることにしました。ただ、いきなり知らない人の前で「感想を」と言っても話しづらいと思ったので、「どういう経緯でここに来てくれたのですか?」「どのシーンのどの言葉が印象的でしたか?」などと私たちから話しかけていって、皆さんの会話を促していきました。(p67 『夢のユニバーサルシアター』)

 

 

館の人で、やってる人が、いた!!!

いや、知ってはいたんですが、そういうことだったのかぁ......と文脈ごと、ほんとうに理解しました。

 

そして、本の他のページからも、

  • みんなに映画のよい体験をしてもらいたい。
  • やったことがないけれど、まだこの世にないけれど、でもきっとこれをやったらみんなにとっていいことがある。
  • こういうのがあったらいいなって思うなら、それはきっと必要なこと。
  • ずっとやってみたかったことを、やってみよう。
  • チャレンジしてみよう。つくってみよう。だめだったらまた考えよう。
  • 小さく確かな手応え、手触りを信じよう。

こんなこともたっぷりと受け取りました。

(実際にこの通りに書いてあったわけではなくて、わたしの受け取ったものとして)

 

ああそうか、だからわたしは、あんなにもするりと受け入れていただけたのだな、

チャレンジを応援していただけたのだな、

場を任せてもらえたのだな、

とあらためて深く感謝の気持ちがあふれました。

 

観客同士が対話する場があることは、価値である。

その劇場の特色になり、集客に貢献し、よき循環を生み出す。

そのことを劇場の人、館の人が知っていて、認めてくれている。

どう説明すればわかってもらえるんだろう、どうしたら信頼していただけるだろうと、自分の仕事の展開についていつも頭を悩ませてきました。

でも、あれこれ説明しなくても、
「ああ、あれのことね、あれをしたいのね、それはいいわね、あなたなら大丈夫ね
と、言ってくださる館の人が存在した!

現にここにいる!

ということは...他にもきっと平塚さんのような方がいるはずだ!!

 

ということなんだな!

映画館に限らず、館の人。

作り手の人、届け手の人、きっといる。


平塚さんの前向きなエネルギーが伝染します。ふくふく。

 


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この本は、映画館を作ってみたい人、聴覚障害視覚障害をもった人、
あるいはその支援をしている人の役に立つのはもちろんのこと、

すてきなアイディアを持っているけれど、本当に実現できるんだろうか?
と半信半疑だったり、まだ今少し勇気が出ない人の背中を強く押してくれます。

何をしたか、
何が起こったか、
そのときどんな気持ちだったか、
そのときどきで何を大切にしてきたか、
一貫して何を大切にしてきたか、

が詳細に綴られています。

 

平塚さんがラジオ番組で話されているのを聞いたり、イベントのトークを聞いたり、 お会いした時に断片的にうかがっていたお話が、こうして一冊の本として、一つの物語として綴られている、まとまっていることが、わたしにはとてもありがたいです。

 

ライブで聞く話には、それはそれで、すごく受け取るものがある。

でも、文字や文章や本という表現形式だからこそ受け取れるものもある。
自分の好きな場所で、好きなペースで、何度でも味わえるのは、やはりいいよね。

わたしが今仲間と書いている本も、誰かにとっての、そんな存在になるといいなぁ。

 

それから、わたしも、チャンスをあげられる立場になったときには、チャレンジする人をどんどん応援したいなぁ。

 

 

チュプキ設立時のクラウドファンディングにはタイミングが合わなくて関われなかったのですが、今見てもあたたかい思いが詰まっていて、このページは素敵です。

この頃、平塚さんや、支配人の和田さんがどんな道の途上で、どんなことを考えていたのか、本を読むと、そのドラマを時間差で体験させてもらえます。

motion-gallery.net


シネマ・チュプキ・タバタは、映画をめぐる新しい文化の発信地。

「お店」のような気軽さ、人とのほどよい距離感と、居心地の良さがあります。

 

「こんにちは、きょうなんか美味しい映画ある?」
「きょうはねー、あったかい気分になりたいなら、この映画がおすすめですよー」
そんな会話を交わすまちの定食屋さんみたいな、おみせみたいな映画館。

 

本を読まれた方は、ぜひほんもののチュプキを訪れてほしいです。

 

シネマ・チュプキ・タバタ

http://chupki.jpn.org/

 

バリアフリー映画鑑賞推進団体City Lights(チュプキの運営母体)

http://www.citylights01.org/

 

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鑑賞対話ファシリテーター・舟之川聖子

https://seikofunanokawa.com/

 

「弱法師」能楽師コメンタリー上映 鑑賞記録

お能のコメンタリー上映という、画期的なイベントに行ってきた。

https://www.sunny-move.jp/sunny/speventinfo/

 

能が上演されている映像を流しながら、能楽師の演者が一人、楽器奏者が一人、それぞれの立ち位置から、どこで何が起こっているのかを解説してくれるものだと思われる。
何の演目を観るのか、申し込み時点では不明でした。

 

でも、これは行ってみたいぞ!と思ったのは、リード文にグッときたからなのです。

能を観慣れない人からすると、そのパフォーマンスは一切隙のない完璧なひとつの構造体のように思われます。
しかし人の手によって築かれた芸術であるからには、そう易々と成り立っているわけではありません。
生の舞台を淀みなく遂行するための能楽師たちの暗躍がものすごく小さな単位で目の前にあふれていることに、
観客は気付く余地もありません。それはとてもスリリングではないでしょうか。
知る必要はないかもしれないけれど、知るとその凄味が迫力を増します。
能の静謐な舞台で密やかに巻き起こっているあらゆることを、目と耳を凝らして追いかけてみます。

 

特に、

知る必要はないかもしれないけれど、知るとその凄みが迫力を増します。

というところが好き。

 

 

コメンテーターは、

のお二人。

 

 
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「弱法師」の公演映像を一曲まるまる流しながら、シテ方と小鼓方の能楽師さんが掛け合いのコメントを入れていく。

 

おもしろかった!!

なんとなんと、聴いてみたかった話がどんどこ出てくる。たとえば、

 

・舞台のどんなシーンで、どんな感覚でいるか、何を考えているか、何が見えているか

・舞台に出るまでに何をしているか、どんな心境か

シテ方囃子方とのコラボレーションの感覚

・身体的なことも含め、どんな役作りをしているか

・何をどこまで決める権限があるか、どこまで自由か

・どんなふうにその作品や登場人物を解釈しているか(超個人的、超主観的に)

・何を大切にしているか

・あなたにとってお能とは

 

特にグッときた話は、

・舞台で恐怖心がある。朝起きて行きたくないぐらい嫌。でも幕から出るとだいじょうぶ。おそらく記憶することに対する恐怖心がある。

・各流儀による謡の違いがあり、一文字違うと鼓を打つタイミングがズレてしまって破綻する

・能は到達すべき点があるが、技術点を狙っていくのではなく、未知のことに挑戦していく気持ちを持ちたい。そして相反するようだが、実は破綻しているほうが、人間惹きつけられる

・ありとあらゆるトラブルを自分の中にストックしておく

・アクシデントが起こる可能性を徹底的に排除することと、人に訴えられるものをつくる、その狭間にある

・お稽古は、ぶち壊されること。こうやったらいいと教えてもらうことではない。(ある程度の水準になったら、ということかな?)

 

わぁ〜これを書きながら思い出しても、やっぱりいい時間だったなぁ。

 

 

教科書に書いてあるような、客観的で正しいことではなくて、ご自身の実感や感情や心境や体感の話が聞けたことが、すごく貴重だった。

それに加えて、ご自身の役や流派、経歴などの立ち位置が掛け合わされて、唯一無二の感覚としてシェアされた感じがした。

 

あくまでわたしの個人的な感覚だけれど、

パフォーマー、アーティストの方は、その芸や表現、作品やパフォーマンスを見てもらうことが最も重要なので、そこまでの制作過程、思考・思想、その人自身の人生と表現の関わりについて、出すことを好まれない方が多いように感じている。

特に伝統芸能に携わる方が、自分の実感を話す場というのは、なかなか珍しいし、貴重だと思う。

ワキ方能楽師の安田登さんは講座、講演、執筆など多数されていて、ざっくばらんな感じで表現されているけれど、お能の世界全体からいったらやっぱり特殊だろうなぁという気がする。

 

 

「弱法師」も観てみたかったので、こんな贅沢な解説で予習ができてうれしい。

この曲について聞けば聞くほど、今のわたしたちの社会で起こっていることの映し鏡という感じもする。600年も前の作品なのに、とても今必要なものを見せてくれている。

まだ記憶が新鮮なうちに観たいなぁ。

 

 

 自分なりのペースで少しずつお能のことを知っていけるのが、いつまでも、喜び。

 

 

 

★「能ってなんなん?」シリーズ。よかったら聴いてください。

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蝶々夫人@METライブビューイング 鑑賞記録

オペラ鑑賞でもいつもお世話になっているライブビューイング。

映画館のスクリーンで、迫真の映像でメトロポリタンオペラ(松竹系)やロイヤルオペラハウス(TOHO系)の舞台が観られてしまうというもの。

過去に観た作品の感想を書いたものはこちら
椿姫 
魔笛 
トスカ
アイーダ
サムソンとデリラ 
マーニ

 

さて。

今回観たのは、『蝶々夫人

https://www.shochiku.co.jp/met/program/2085/


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わかりやすい新国立劇場のダイジェスト動画。

 

わたくし初鑑賞。

しかも「日本が舞台で芸者が出てくる悲劇」ぐらいのざっくりとした認識。

今回はじめてあらすじをちゃんと知って、おののいた。 

 

観られるかなぁ...。

というのも、最近、子との離別や子の喪失の物語が、どんな表現形式のものでも、やたらと苦手になってしまっていること。能の「隅田川」も怖くて観られない。

また、蝶々さんからピンカートンへの感情を「不滅の愛」「一途な愛」と描かれるのは、納得いかない。

しかも「日本人女性」というステレオタイプが満載??

子を思いながら自分が亡くなる『蝶々夫人』。

それを感情にガンガン訴えてくるオペラで…。

プッチーニだから、より感情が動きそう…。

 

散々迷ったけれども、先に観た仲間から、「人形が出るらしい、文楽からインスピレーションを受けているらしい」と聞き、人形劇好き、文楽好きのわたしとしては行かねばなるまい、と腹をくくりました。

 

2017年の#MeTooから、芸術がこの問題にどう取り組んでいっているのか、立会い続けたいという気持ちがある。

 

それに今回の見所は、2008年に亡くなった映画監督のアンソニー・ミンゲラが演出をしていること。『リプリー』『愛しい人が眠るまで』『イングリッシュ・ペイシェント』の監督だ。

 

それはきっと美しい舞台に違いない!

 



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いろいろ感想メモ

いつものように雑多な感想を並べます。

 

・全体として日本の文化への深い敬意や愛を感じた。入念なリサーチの上に成り立っている。
パッとみるだけで、日本の伝統芸能...能、文楽、歌舞伎、日本舞踊などの要素が取り入れられていて、それが本質の深い理解と共にある。もともとのプッチーニの曲からしてもそうだし、ミンゲラの演出もだし、歌手たちもそう、他の舞台に関わる製作の人たち全員がそれを共有している感じ。

・逆にアメリカはこんな描き方されて大丈夫か?と心配になるくらい。NYでやっているわけだけど、お客さんはどういうふうに観ているんだろう。

 

蜷川実花の映像世界を彷彿とさせるコスチュームは、平安貴族やら武蔵坊弁慶やらで時代はいつ…烏帽子はそんな被り方じゃないし、そんな着物斬新すぎる...宗教…とかいろいろツッコミどころはあるけれど、「だいたいこんな感じでしょ?」と雑な感じやバカにしている感じが一切ない。意図を感じる。奇抜なのに不思議とこういうのもアリだな、と思えるのは、敬意と愛があるからかも。

・帯で下半身が安定するから、歌いやすかったとかあるのかな?

 

・ピンカートンは代役になったそうで、1幕は彼の緊張が伝わってきて、えらく疲れた。他の人はみんな役になっている、舞台の中にいるんだけど、肝心な人が素のままで、役になってないからすごく変な感じがした。
堂々とゲスな役をやってほしかったんだけど、視線うろうろ、表情筋固まり、棒立ちに...。蝶々さんや脇を固めるスズキや領事にかろうじて助けられている。やっぱりオペラってただ歌唱がうまいだけではだめで、演技が重要なのだと知る。2幕は出番なしで、3幕は少し緊張もほぐれたのか、演技も出てきてよかった。

代役の準備はしていたけれど、言い渡されたのが2日前で、彼にとっては初役で、しかもライブビューイングの収録日という、彼としては何重にもプレッシャーのかかる、大変な日だったことを幕間のインタビューで知る。おつかれさまでした。

 

・ホイ・へーの蝶々さんはイメージしてたのと違って北条政子っぽかった。線の細い人だったら痛々しさが倍増していたかもしれないから、北条政子でよかった。だんだん引き込まれた。ホイ・ヘーとしての解釈がちゃんとなされていて。しかし15歳で現地妻にって、今から考えると犯罪...。

 

・1幕冒頭から死の匂い。不穏さしかない。痛々しくて狂気をはらんでいるけれども、どこか惹かれる。この感じ、完全に文楽の「曽根崎心中」を観に行くときのやつだ!

 

・2幕。蝶々さんの衣装がかわいい。ピンクと黄緑。菱餅みたい。「ある晴れた日に」泣ける...。

 

・2幕、衝撃の人形の坊や登場。わかっているのに衝撃!!バーン!と登場する。ここの演出がすごい。今思い出しても鳥肌。

 

人形遣いの人たちは、人形と同じ表情になっているのがなんとも言えずよかった。よく漫画家が描いている人物と同じ表情になりながら描くと言うけど、そんな感じ。抱っこされているときの足の動きや、「お母さん、大丈夫?」と顔を覗き込む仕草など、細かくてリアル。すごい!能面を参考にしているのか、あごの角度や照明の当たり方で表情を変えて見せていて、演技している!

 

・人形が、止まった時間の象徴であったり、生身の人間では叶わなかったことを表現する存在として描かれている。

 

・2幕の最後はまさに「せぬひまがおもしろき」。色と音楽とかすかな動きで絶望を表していて、圧巻!「観客に様々なことを想像させてくれる演出」まさに!

 

文楽を展開、発展させて新しい表現を作り出していてすごかった。ミンゲラ、すごい!年末に行った演劇博物館の人形劇の展示でも言われていたけど、ほんとに人形劇って発展し続けているんだな!

 

・スズキ役のエリザベス・ドゥショングの演技が素晴らしかった。「スズキは黙っているときがもっとも雄弁」とインタビューでも答えていたけれども、ほんとうにそれを体現していた。蝶々さんの夢想を痛々しそうに見ているスズキや、蝶々さんと一緒に歌っているスズキ。二人にしかわからない愛や信頼や絆が感じられる。

 

アンソニー・ミンゲラが指導しているところが間で入る。次に何が起こるかわからないという感じで演技して、と。「何が起こるかわからない、だから伝わる」「ここは振り付けではないんだ、欲望からなんだ」

 

・今回はMET常任照明デザイン担当の方へのインタビューもあり。裏方の人にもスポットを当てていく、このMETLVのインタビューはいつも楽しみ。

 

・METの合唱の人は、48時間中に4役もこなす?!というのもすごかった。「ちょっといいかしら?きょう夫の誕生日なの。おめでとう!」とかも、すっごいアメリカっぽい。

 

・いろんな時代の日本の人たちが蝶々夫人を観て、そのときどきでいろんなことを考えてきたのかなぁ。今のわたしと同じ気持ちではないかもしれない。残念に思う演出や舞台も多々あったかも。

 

・3幕。「僕には耐えれらない、僕は逃げ出す、僕は卑怯者だ、僕は卑劣だ!」おそろしいほどの正直さ!!許すことはできないけれど、やっぱり何も考えてなかったのね、と確認ができて、思いっきり悪態がつける感じになる。

 

・観ているうちに、自分の中から蝶々さんに対するsisterhoodがあふれてきて、びっくりした。今の時代ならもっともっとできることがある。世が世なら!ああ、でも今の世でもこんなことはいくらもあるのかもしれない。いやいや、だからこそ。

 

・今の時代であれば、女性が身分の低い者と侮られ差別され、社会によって損なわれることも、名誉のために自分または他を殺めることも、もう起こってはならない。世界のどこであっても。ということを受け取る。「逃げんな、てめえ」と言ってもいいんだから。

 

・こんなに悲しい物語なのに、どうして普遍的なのか。わかっているけれどやってしまう。知っているけれど止められない。そういうことが人間には起こるよ、ということなのか。人間には芸術を通した悲劇の疑似体験が必要なのかもしれない。「王女メディア」「菅原伝授手習鑑」「源氏物語」「舞姫」など、古今東西の物語が浮かぶ。

 

・そういえば一番最初にMETライブビューイングに連れて行ってもらったときに、すごく文楽っぽいなって思った。「なんつー酷い話!」「な、なぜそうなる?」と思うような物語なのに、なぜか音楽や演技で没入してしまうし、しばらく経つとまた観たくなる、というようなことが起こる。オペラと文楽はもともと親和性が高い表現形式なのではないか?

 

・蝶々さんにとって生きのびるための選択だったのかもしれない。1幕から、ピンカートンとは、愛というよりも何か別の関係があり、その歪さが気になった。蝶について話すあたりや親戚との関係も気になる。

蝶々さんの生い立ちはどうだったんだろう。それが選択に影響してる可能性を考えてしまう。映画『トークバック 沈黙を破る女たち』を観てからだったから、叔父から性暴力受けてたんじゃないかとか、親戚たちもわかってて知らんふりしてたんじゃないかとか、邪推してしまう。

 

・最後カーテンコールで蝶々さんがホイ・へーとして出てきたときに、「よかった生きてて...」と本気で思った。

 

・ロイヤルオペラハウスのライブビューイングのタイトルバックと共に出てくるあの音楽が流れた。そうか、蝶々夫人だったんだね!!でも曲名がわからない。まだまだオペラ初心者のわたし。

 

  

ふりかえり

いろいろ思うところはあったけれども、ただの酷い話、可哀想な話ではなく、芸術の形で受け継がれている物語の普遍性と底力を感じた。

他の演出でも劇場でも、またバレエなど他の表現形式でも、観てみたい。

特に、文楽お能で観てみたい。

文楽はすごく昔に上演があったらしい。こんなページが

お能にするなら新作ということになりますね。

 

こちらの本もやっぱり買おう!

キーンさんのオペラ愛、METLV愛を感じつつ、鑑賞体験をふりかえりたい。

 



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次回楽しみにしているのは、「アクナーテン」

https://www.shochiku.co.jp/met/program/2086/ 

 

次から次へと観るたびに世界を広げてくれるライブビューイングに感謝!

そうだ。

感謝といえば、わたしは劇場の2階席や3階席がちょっと怖い(高所なので)ので、生で見るとなると1階席。

でもオペラの1階の席、めっちゃ高い!!!

...ということで、生で観るなら、「もうこれは絶対散財しても観る!!」というものに限られそうです。

そういう意味でもライブビューイングありがたいです。

 

ものいう仕口展@LIXILギャラリー銀座 鑑賞記録

京橋に行く用事があり、そういえばLIXILギャラリーで建築部材に関する展示をやってたっけ、と思い出して寄ってみた。

 

ものいう仕口

www.livingculture.lixil

 

「仕口」とは、柱と梁のような方向の異なる部材をつなぎあわせる工法とその部分のことで、日本の伝統木造建築において世界に誇る技術です。大工技術の粋として発展し、風土によって異なる民の住まいにも用いられてきました。 本展では、福井県山麓にあった築200年以上の古民家で使われた江戸時代の仕口16点を、個々の木組みの図解説と併せ紹介します。一軒の家を支えてきた木片の素朴な美しさに触れながら、先人の優れた大工仕事をひも解きます。(展覧会HPより)

 

 

昔の民家やお寺などで、木材に凹凸の部分をつくり、それをはめ込むだけで頑強な骨組みができる伝統的な工法があり、大工が備えるべき基本的且つ非常に重要な技術......と曖昧な知識はあった。

 

そうか、仕口とはあれのこと、これのことだったのか。

 

しぐち

しくち

呼び方が二通りあるらしい。

 

接合部の凸凹のことを「臍(ほぞ)」というらしい。

あー、臍を噬む(ほぞをかむ)の臍だ!

おへそ。

臍帯血の臍の字。

 

 

 

ここには民家を解体したときに出る古材のうち、再利用の過程で不要になった柱や梁の部分が展示されている。

建築や建設の世界の人にとっては不要なものだろうけれど、形態に魅了された人にとっては、もうお宝とも言うべきもの。

 

それがこうして陽の目を見る。

わたしの目の前にある。

 


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家の部材のはずだけれど、まるで彫刻作品か、太古の文明の忘れ形見のような、不思議な静けさと温かみをもって、まだ生きてそこにある。

 

木目が、波紋のような、さざ波のような美しさを見せてくれる。

しばし見とれた。

 

もちろん、構造物としての解説もついています。

 

 

 

やっぱりここのギャラリーはいいなぁ。

 

昨年『台所見聞録』という展示に来て、こんな感想を配信しました。

よかったら聴いてみてください。

note.com

 

毎回無料でいい展示を見せていただいています。

ありがとうございます。


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www.instagram.com

 

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こちらのギャラリールームは2Fにあり、出たところの休憩スペースでは椅子に腰掛けてLIXIL出版の本を閲覧することができる。

1Fでは書籍や企画商品を販売している。

 

書棚を見ながら思いついた!

 

たぶんこのシリーズが好きな人、いっぱいいると思うのよね。

マニアックなテーマばっかりだから、何かを偏愛していたり、人が見逃していることにわざわざ目を留めてじっと見ているような習慣の人が好きなんじゃないかなぁ。

みんながそれぞれ持っているLIXIL出版の本を持ち寄って、紹介しあう読書会をやったらぜったい楽しいと思う。

LIXIL出版さん、書店さん、図書館さん、読書会をひらいてみませんか?
鑑賞対話ファシリテーターへのオファー、お待ちしてます^^

https://seikofunanokawa.com/


▼うちの子たち。ほんとはぜんぶ集めたいぐらい好き!
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▼目録。眺めているだけでわくわくする。f:id:hitotobi:20200220070807j:image

10年の美術館とわたしの軌跡〜『画家が見たこども展』@三菱一号館美術館 鑑賞記録

三菱一号館美術館で開催中の『画家が見たこども展』に行ってきました。 

mimt.jp

 

三菱一号館美術館のサポーター鑑賞日を利用しました。

https://mimt.jp/mss/

サポーターというのは、いわゆる年間パスポート。何回鑑賞しても定額なのと、いろいろ特典があります。

今回のサポーター鑑賞日は、一展覧会につき一回、設けられている限定公開日。

展示内容や見られるものが変わるわけではなく、休館日にゆったり観られますよ、という感じのもの。うれしいのは、この日のみオーディオガイドが無料になる特典。

わたしは仕事柄、「へーこういう人が年パス買ってきてるんだね」と来ている人も気になってチラチラ見ていますが、年パスを買うぐらいなので、鑑賞態度もとても熱心で、じっくり観ている方が、普段よりも多い印象があります。

サポーター限定だからといって、会場が空いているわけではなく、むしろ、「意外と来てるんだな!」という感じ。

熱心な人がほどほどにいて、とても観やすい。

 

・一号館美術館の展示は3/4は行ってるという方、
・職場が近い、
・美術館初心者だから、一館に決めて馴染んでいきたい。
という方に、サポーター制度、おすすめしたいです。

 


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今回は、こどもをテーマにした展覧会。

しかしそれ以上に意味合いとして大きく感じられたのは、三菱一号館美術館の開館10周年記念という節目だということでした。

これまで同館が力を入れて収集し、「発見」し企画し紹介してきた美術のムーブメントや感性を、あらためてふりかえり、一号館の推し画家たちの作品をさらにボリュームをもたせて並べ、一号館らしい祝福の形にした!!

という感じがありました。

 

わたしも、三菱一号館美術館にはだいぶ育ててきてもらっているので、そのことを思い出していました。

 

その歩み。

 

▼2014年『冷たい炎の画家 ヴァロットン展』

初めてナビ派というグループについて知りました。また、このときはじめて「友だちと観に行く」のではなく、「展覧会で鑑賞対話の場をひらく」ことを試みました。わたしにとっては記念碑的で忘れがたい展覧会。

その予習のために行った荻窪の六次元の「ヴァロットンナイト」というイベントもよかった。青い日記帳・Takさんがゲストで。展覧会が好きで真剣に楽しく語れる人がこんなにもいるんだ!みんな感想をしゃべりたいんだ!と知って勇気が出ました。

seikof.blog.jp

 

▼2017年「オルセーのナビ派展」

観ることや展覧会が好きな人の、素朴で主観的な感想を不特定多数の人が聴くことを意識しながら表現してみたい、という衝動にかられ、音声配信にチャレンジしました。

doremium.seesaa.net

 

▼2018年『ピエール・ボナール展』

こちらは国立新美術館での開催。ナビ派の一員だけじゃないボナールの生涯の画業にぐーっと迫った展覧会。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

▼2019年『フィリップス・コレクション展』

こちらも三菱一号館美術館展。いい展覧会でした。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

▼2019年『印象派からその先へ展-吉野石膏コレクション』

三菱一号館美術館での展示。今度は感想を動画配信してみました。

一発撮りで無編集に挑戦しました。だいぶ話すことに慣れてきたし、間違っていたり未熟でも、自分だけの探究を大切にする姿勢みたいなものを持って、やってみました。

また、特に強い関心がなかったものから、発見する。何を見ても何らか感想を語れる自分の発見もありました。

note.com

 

あと、子どもというテーマで思い出すのは、2006年に上野の国際子ども図書館で開催された「もじゃもじゃペーター」の展覧会と、その講演会のこと。

この講演会ではじめて、「実は子どもというのは以前はいなかった。子どもは作られた、または発見されたのです」という話を聴いて、「へーーーー!」と思ったことを今でも覚えています。

もじゃもじゃペーターとドイツの子どもの本|過去の展示会|展示会情報|展示会・イベント|国立国会図書館国際子ども図書館

 

自分の関心にしたがって足を運んだことや創ったことは、どれも確かに糧になっているなぁとしみじみ思います。

また、鑑賞の筋力というのは積み重ねで、質、ある程度の量、頻度、熟成の時間が必要なことも思います。どの道に行くのもそうだと思いますが。

ただ、他の分野で、芸術に限らず、このルートを通って筋力をつけている人は、橋がかかりやすいことも事実です。端から見たら、どんな関連があるのかわからないという分野でも、感受性や解像度が高い方は、受け取れるものが多いです。

だから自分に関係ない領域と思わず、何も受け取れなかったらどうしようと思わず、わたしと一緒に橋を渡ってみてほしいなぁ、と常々思います。

 

......脱線したけれど、 

まぁそんないろいろな経緯をひっさげての、この日の鑑賞でした。

 

 

展覧会の感想メモ

・1. モーリス・ブーテ・ド・モンヴェルからはじまる!この方は庭園美術館フランス絵本の世界展で知った方。いきなりどん!っとほほえましく、美しい子どもの絵ではじまるの、すごくよかった。

・4. ウジェーヌ・カリエールという画家の、「画家の家族の肖像」がとても不思議な絵なので、注意して見てほしい。どの角度や距離から見ても、絵の中の人たち全員と目が合うのですよ!!!近くだと淡い感じがするけれど、少し離れて、場所を変えていちいち目を合わせながら観ると、すごい迫力があります。

これ、ほんとうにただの肖像画なのかな?

・7.8.ゴーガンの水彩によるモノタイプ。すごい、モダン。色きれい。モノタイプとは版画技法の一つ。ゴーガンの厚みをまた感じる。

・23. ヴュイヤールの「赤いスカーフの子ども」はまるで写真家ソール・ライターの作品!というより、ヴュイヤールが先で、ライターが影響を受けたんだけど、鑑賞者の立場で言えば、「まるでライター」という感覚になるのがおもしろい。(ソール・ライター展 https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter/

・42. モーリス・ドニの「雌鶏と少女」は国立西洋美術館の所蔵なので、常設で会える。友だちに別のイベントでまた会う、みたいな感覚。うれしい。

 

・ボナールやドニ、ヴュイヤールの知らない作品にもたくさん会える。多作の人たちだな!とあらためて。

・多幸感の流れの中に時々潜り込んでくるヴァロットンやミュラーの不穏さが、ちょっと笑ってしまうぐらいの展示。学芸員さんの狙いについて聴いてみたい。

・80. ヴァロットンの海水浴を楽しむ家族を描いた作品。珍しく平和なのかな?と思いきや、やっぱりちょっと不穏。さすがヴァロットン。当時、健康増進の目的で海水浴がブームになり、鉄道網の発達もあってヴルジョワの間で人気のレジャーだったらしい。郊外でのピクニックや、海外のリゾートに行くなどが流行ったのも、この頃。

・アリスティード・マイヨールなど、新しい画家との出会いもうれしい。一点とても好きな絵があったので、小さいキャンバスを買ってしまった。『山羊飼いの娘』。ほんものの色の鮮やかさはそれはもう例えようもないほど。いつも見ていたくなった。

画家を目指していたけれど、自分の方向性がつかめず悩んでいたときに、ゴーガンのやり方で描いてみたら道がひらけて、その後40代で彫刻家に転身したという転機の頃の作品もよかった。影響を与え、与え合い、悩み、同じ時代を生きた人たち。


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 ・58. ボナールの、そのへんにあった紙にサッと描きつけたようなラフさと勢い。やさしさ、慈しみ、親愛、子を含めた家族のいる風景。ボナール展のときは、彼の人生の困難さにも光が当てられていたので、こちらの多幸感いっぱいのほうをみるとちょっとホッとする。こういう時間もあったんだなぁというか。

・構図や写真や色、浮世絵など他文化からも新しいものを採り入れながらも、モチーフは盛り場のような刺激的なものではなく、自分の家族や自宅や庭の日常の風景というささやかさが、ちょっと不思議ではある。

ナビ派としての活動は1888年からの約2年だけ。そこからゆるやかに交流しながらも、それぞれの画業を重ねていく。こういうことって、あるよね。わたしもあったな。ぎゅっと集中して一緒に活動した期間があるからこその、それぞれの今を、たまに会う人と交換している。

・102. ボナールが撮ったヴュイヤールとボナールの甥の写真がほほえましい。家族ぐるみの付き合いだったのだな。

・103.ドニの子どもたちほんとかわいい。写真はモノクロだから、色をつけてもっと生き生き表現したい!と思ったかもしれない。(妄想)

・108. ボナールの大装飾画、圧巻。映画の予告編みたいな、さまざまなシーン、さまざまな角度のカットが繋がれて一枚の絵になっている。別の時間、別の場所、別の人たちが一堂に会するような。シャガールを思わせる。

・全体的にいつもより絵が下のほうにかけられている感じがして、背の低いわたしでもみやすかった。

・「18世紀以前、子どもは未熟な大人とされていた」

それに関連する資料が何点か、資料コーナーに展示されていて、どれも読んでみたいものばかり。

こどもの歴史
絵でよむ子どもの社会史

<子ども>の誕生
子どもとカップルの美術史
こども服の歴史

この資料コーナーは、地味だけど、過去に日本や海外でひらかれた展覧会の図録なども閲覧できて、すごく貴重です。椅子が置いてあるので座って、ゆっくり読むことができます。

 

ナビ派って何?という方にはこちらもおすすめ。

 

 


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いやー、いい展覧会でした。

いい気分になること間違いなしなので、どなたでも楽しめます。

3月30日は、月に一度のトークフリーデーなので、気の合うだれかと感想を話しながら観たら楽しいですよ。

 

ぜひ!


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noteでも話す、書く表現をしています。

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イベントのお知らせ

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お仕事のご依頼はこちらへ。

鑑賞対話ファシリテーション、場づくりコンサルティング、感想パフォーマンス

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水族館とミュージアム〜沼津港深海水族館 鑑賞記録

競技かるたの静岡大会に出場したついでに、水族館に寄ってきた。
遠征はあまりしないポリシーなのだけど、静岡の中でも沼津市は比較的東京に近く、日帰りが可能だったので、行ってみた。

あっという間に初戦で敗退して、午前中には沼津駅に戻ってきたので、見学時間はたっぷりとれた。

 

www.numazu-deepsea.com

 

 

 

ここは、深海魚、古代魚好きのわたしとしては、気になっていた水族館。

 

駿河湾に面した沼津港からすぐのところにあって、磯の香りがする。魚市場の建物も見える。

あたりは干物のお店や新鮮な魚を出す飲食店などが立ち並ぶ、活気のある区画。

このすぐ近くに2,500mの深さの湾が広がっているのかと思うと、わくわくした。

 

展示解説によれば、「世界には400-500の水族館があって、そのうちの1/4〜1/5が日本にある」そうだ。

そうなの?まずそれにびっくり。

しかも、深海生物に特化した水族館は世界でも珍しい存在という。

なぜなら、深海生物の飼育は難しいから。

生態がまだ解明されていないものが多いので、何を食べているのか、どんな環境が適切なのか、常に試行錯誤だそう。

 

また、継続的に展示するのが難しいという理由もある。死んでしまったら、ということですね。

希少な深海魚なので、たいていの水族館はすぐ補充できるような状況にない。

 

その点、この水族館は地の利がある。

深海で捕獲してから館まで運搬する時間があまりかからないので、デリケートな深海生物へのストレスが少なくて済む。

とはいえ、ラブカやミツクリザメなど、深海のサメを飼育するのは非常に難しいとのこと。

そりゃそうだよな...それに、そこまで生き物に無理させなくても、という気もする...。

 

どうやって深海魚を補充しているかというと、駿河湾で100年前から行われている底引き網漁の漁期(9月〜5月)に、水族館スタッフが一緒に乗船させてもらって、漁で獲れたものから展示用に持ち帰っているらしい。へえ〜

 

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目玉展示の-20℃で冷凍中のシーラカンスには、さぞ人が群がっているのだろうと思ったら、意外とガラガラ。

混んでたのは浅い海のカラフルな魚のコーナーだった。あれ??

 

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わたしはもう、3億5,000万年前からほぼ変わらないこの姿で命を継いできたものが目の前にいるー!!!と写真を撮りまくっていた。

思っていたよりもだいぶ大きい。166cm。大きいもので200cm、100kgぐらいになるらしい。

なぜか薄っぺらいものを想像していたけれど、ぶっとくてガッチリしていて強そう。

 

 

泳いでいるシーラカンス、カッコいい〜 

 

 

...と興奮しつつも、どうも物足りない。

なんだか展示もバラバラとしている。

順路に沿って見ているのに、流れが自分の中で立ちあがってこない。

 


もう少し学術的な要素はない??
アミューズメント性や趣味性が高い観光施設の方向性??
そういえばここって研究機関、ではない?
売店に関連書籍さえも売ってない??

 

...と思って、運営者を確認したら、地元の水産会社だった。

町おこしの目的で2011年に設立、とのこと。

 

なるほど。


なるほどー。

 

なるほどーー。

 

脱力感を覚えたのは、

わたしの中で、地元である滋賀県立琵琶湖博物館での学びのよい体験があって、「水辺のミュージアムならあのくらいの信頼のおける体系と濃度の中に行けるんだよね!」という期待が大きすぎた、

ということがあったと思う。

 

そうか、あそこは公設の博物館で、研究機関でもあったから。

だからだったのか。

 

 

存在の目的が全く異なるのか。

 

  

 

もちろん研究機関ではないから軽薄とかダメとか、決してそういうことを言いたいわけではない。

飼育員の方々もその分野の専門家としてお仕事されているだろうし、来館者の中にも大きな学びを得ている人もたくさんいるだろう。

 

ただ、アミューズメント施設では、

  • もっと知りたくなったときに、「その先」がない、意図されていない。
  • 質問したいときに聞ける人・体制が用意されていない。
  • 消費的で見世物的な展示になる

 

わたしの物足りなさの出元がわかった気がして、スッキリした。

 

ただ、これは単にわたしの好みの問題を言っているのではない。

じゃあアミューズメント系の水族館に行かなければいいではないか、
行きたい人だけ行けばいいじゃないか、という話ではなくて。

 

そもそも、 アーカイブ、学術研究、展開する知的体験のデザインのない施設にも「ミュージアム」と名がつくのは、どうなんだろうか?という疑問。

これは、日本だけの特殊状況なんだろうか。

だから日本の水族館の数が多いのだろうか。

水族館とはどのような使命をもったミュージアムなのか。

公設ミュージアム、私設ミュージアムそれぞれの役割とは何か。

 

そして、

ミュージアムとは。

icom.museum

 

日本語訳はこちらに。(真ん中より下の方にあります)

https://bijutsutecho.com/magazine/insight/21339

 

 

一旦、このあたりまで考えた。

 

冷凍のシーラカンスを見られたことよりも、こっちのほうがよっぽど大きな収穫だった。

考えるきっかけを与えてもらった。

引き続き追っていく。

 

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ちなみにシーラカンスの展示は、アクアマリンふくしまにもあるらしい。

シーラカンスの世界|展示ガイド|アクアマリンふくしま

 

そもそも、この貴重で珍しいシーラカンスを、捕獲して持って帰っていい...というのが。えっいいんだ?だれとどういう取り決めで?という気がするし。

日本国内だけで7体も標本があるって...。購入した?誰から?......もしかして、世界中で学術調査と言いつつ、けっこうな量が捕獲されていたのでは?

今はIUCNのレッドリストに載っているけれども。
今はワシントン条約でも規制されているけれども。

その前は?

 

うーん...。

書籍『サイト別ネット中傷・炎上対応マニュアル』

近所の公共図書館に行ったら、リサイクル本のコーナーにこれがあったので、貰い受けてきた。

 

 

リサイクル本とは
図書館の蔵書から外す「除籍」の対象になった本。所蔵になっていた本もあれば、献本されたが所蔵本に加えられなかったものも含まれている。

ほしい人はだれでも無料で持ち帰ることができる。
公共図書館では定期的に行われている。

思いがけない掘り出し物があるので、わたしは行くと必ずこのコーナーをチェックしている。

 

 

この本に目が留まったのは、いじめがテーマの読書会をひらいたときに、扱った小説にtwitterでの誹謗中傷のシーンが出てきたことを思い出したからだ。

闘う必要が生じたとき、自分がこういう被害にあったとき、子が巻き込まれたとき、どうしたらいいのだろう、という疑問もわいていた。

わたしがもらってきたのはこの本の第一版なので、情報がやや旧いところがあるかもしれないが、どのような権利が侵害されているか、何が問題か、どのような手続きで解決できるかは基本変わらないので、とても参考になる。

 

 

 

さらにtwitterでこんな投稿が流れてきたのも目にしたので、備忘として投稿しておく。

 

twitterSNSが悪なのではなく、使い方なのだ。 

このようにtwitterを叡智の共有の場にすることもできる。

 

 

先出の本の前書きにある、

当初はインターネットの情報は信頼性がない、所詮は仮想現実だなどとして、あまり気にする必要はないといった声もありましたが、インターネットがもはやインフラの1つとなっている以上、現実のものとして捉える必要があるのはいうまでもありません。

という一文は非常に重要だ。

根本の部分をアップデートさせること。

被害当事者、当事者の周りにいる人が抑えておきたい点。

 

また、手続きがある、教えてくれる、支援してくれる専門家がいると知ることは、社会の中で生きる上で、怖いものを減らしていくことにつながる。

 

現代現世で起こること〜能「西行桜」「善知鳥」鑑賞記録

喜多能楽堂で観能。

喜多流能楽堂だけど、きょうの能会は観世流


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http://kita-noh.com/schedule/9109/

先月末から通っている能楽講座があって、その講座の先生が出演されるので楽しみにしていた。

 

 

先生がシテを務めるのは、「善知鳥(うとう)」。

想像していた以上にとても痛々しかった。

こんなお話>>http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_063.html

 

その狩猟の残酷さをこれでもかと再現して見せてくれる

善知鳥の猟は、雛鳥を捕る。

猟師が「うとう、うとう」と呼ぶと、雛鳥が「やすかた、やすかた」と答えるので居場所がわかる。

 

親ではなく、親のふりをして子を誘い出す。

その狩猟の残酷さをこれでもかと再現して見せてくれる。

猟師の、「うとう、うとう…」と呼ぶ声。

善知鳥の親が雛を殺されて流す涙の血の雨、それを避けるための傘。

 

殺生の後悔を描いた「三卑賤」の他の曲、「鵜飼」と「阿漕」を以前観たときは、反省よりも、禁猟区とわかっていて猟をすることの興奮や欲望や熱狂をわたしは感じた。

 

でも「善知鳥」の猟師は、「わたしはこんな酷いことをやっていたんですよ、ほんとうにどうしようもないクズです」というふうに、自虐していた。

 

もうわかったから、もういいから。
あなたも傷ついてたんでしょう?
あなたは優しすぎてこの仕事には向いてなかったんだよ。

家族を食わしていくための仕事だとしても、他の仕事を選べなかったの?
善知鳥の雛を獲らないでもいい猟はできなかったの?

…そんな言葉がわいてくる。

 

ああ、でももし家が代々その仕事、親もその仕事だったら、それ以外の仕事を知る機会がなかったら、選ばないかもしれない。

 

猟師の死は、良心の呵責に耐えかねた自死だったのではないか、という気さえしてくる。
一周忌を前に(おそらく)家族に会いに来たけれど、善知鳥の子を獲っていた罰として、自分自身の子には会わせてもらえない。

そして、死後の世界では、鷹になった善知鳥から、雉になった猟師へさまざまな報復、責苦がある…。

 

この曲、作られた当時は、仏教における殺生の説話として観られていたのかな?

 

人があのようになる前に、なにかできないか。

地獄に行ってから祈祷してもらうのではなくて。
今、苦しんでいる人をもっと具体的に助けられないか。

舞台の上では猟師は幽霊なのだけど、わたしの住んでる現実世界では、精神があの猟師のような人たぷんいる。

もしかしたら、組織の中で、偽装や殺戮の一端を担ってしまった人の苦しみにも見えてくる。

 

このところ犯罪や更生、生き直しについて考えているからか。

 

やりきれない思いでいっぱいになったので、寄り道して帰宅した。


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今、本館14室で〈伝説の面打ちたち〉という展示をやっている。
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9室には能装束の展示。

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ちなみに法隆寺宝物館の1階3室には金・土曜日のみ公開の伎楽面も。

 

売店で買った図録。
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この本も。

https://www.amazon.co.jp/dp/4872591488/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_w3-rEb5YZNGJZ

 

ああ、知りたいこと、学びたいこと、究めたいことがたくさんあって、人生の時間が足りない…。

 

他の講座参加者の皆さんはどんなふうにご覧になったかな。

感想聞くのが楽しみ。


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国立能楽堂2月公演「蟹山伏」「井筒」鑑賞記録

国立能楽堂2月公演の定例公演に行ってきました。

2月定例公演 蟹山伏・井筒

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国立能楽堂の公演は自分でも毎月チェックしているけれども、今回は演者の方とご縁があって行くことになった特にうれしい機会。

ちょうど今、わたしは樋口一葉にまつわる作品を制作しているところなので、「たけくらべ」が題名あるいは内容を敷いたと言われる「井筒」はぜひとも観てみたかった。

そのあたりの解説(PDF)>https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/1/15793/20141016124022334935/kbs_26_1.pdf

 

いつものようにこちらの本と、演者さんが個人的に送ってくださった解説も読みながら、予習をして、いざ当日。

 

 

お能漫画『花よりも花の如く』

 


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狂言「蟹山伏」 

とにかく蟹に度肝抜かれる。蟹やけど!蟹やけどさ!!見た目もすごいし、動きが笑える。

見所(けんしょ/観客席)から何度も笑いが起こる。

山伏とお供の強力(ごうりき/歩荷や登山案内を生業とする日本古来の運送業者)の情けなさも楽しい。

近江の国の蟹ケ沢ってあるのかな?と調べてみたけれど、出てこない。

kyogen.co.jp

zenchiku.xyz

 

 

 

能「井筒」

www.the-noh.com

 

いつかはと思ってようやく観られた曲。

ゆっくりで静かで登場人物が少なくて、ドラマティックなことはそれほど起こらない。

心情と風景を味わう曲。

初心者向けじゃないことがわかるくらいにはお能初級者になれたかな。

序の舞の優美さに、透け感のある単の直衣によく合っていて、ふわふわとこの世の者ならぬ感じがよく出ている。

ひたすらに美しい世界か続いていく。

 

詞章も舞も美しいんだけど、「そうあってほしい女像」がなんかムカついて、勝手に性別を入れ替えて観ていた。

「熊野(ゆや)」も観てみたいけど、ストーリー的には「なぜ?!」って感じだよなぁ。

世阿弥先生のことはまだよくわからないわ…。

 

あ、でももしかしたら男女の恋や愛の物語に託して、違うことを言おうとしているかもしれないな。

性別や関係さまざまな、別離、未練、執着、老化、凋落、赦し、鎮魂、とか。

あるいはその時代の政治的な意図とか。

 

今回は、詞章を3回ぐらい音読していったらほんとよかった。

次に何言うかわかっているから、細かいところに観察がいく。

先月末から能楽講座に参加していて、

当日までに詞章を2、3回は声に出して読んでくる。始まったら謡本は見ない。正式な謡でなくてもよい。何を言っているかわからないと思われがちだけど、知っている言葉や音はちゃんと聴こえる。それだけで舞台の楽しみ方がぐんと変わってくる。

と、講師の先生からすすめられたのでやってみた次第。

それはきっと自分が想像した節、強弱、抑揚、聴こえ方でなかったとしても「知っている音」として拾ってくれる。何かしら内で呼応するものがあるということなんだろう。

舞台とのつながりを詞章を通してもっと太く豊かにできる。

自分もその舞台の一部に、より深く、なっていく。

 

井筒は和歌の鑑賞を楽しむ曲でもあって、きょうはそこを目一杯感受した。
こういう曲は特に予習大事。

 

久しぶりに頭空っぽにして、何も見立てようとせず、ただあるがままを観たら、すごーく気持ちよかった。

温泉に浸かった感。

風呂屋さんで洗面器のカコーンていう音が響くみたいな。

きょうは忙しくせず、昨夜もちゃんと寝たので、体調よく楽しめた。

お能に限らず、観劇ってコンディション大事。

 

あらためて思ったけれど、舞台の上にいる演者たち一人ひとりが、いろんな時空、次元を受け持っている感じがある。お互いにその領界にところどころ接触しながら、何かが起こっていく。

 

流派の違いなどはまだまだ到底わからず。

これは自分でお稽古に行くぐらいしないとわからなそう。

あるいはこの先お能を観る機会がもっといっぱいになってきたら、どこかが臨界点になって急にわかったりするのかな。

 

 

今週は明日も観能。

緑泉会 令和2年度 第1回例会 | 喜多能楽堂

能楽講座の先生が出演されるということで、楽しみです。

 

 

おまけ。

お能の公演スケジュールはここが詳しいです。

www.the-noh.com

 

あとは、行ったときに能楽堂でチラシをもらってくるのが、わたしはけっこう決め手になっています。

やっぱりいまだにチラシってありがたいです。

お能以外にも映画や展覧会やコンサートなども、チラシを見ることがある。

特に東京はたーくさんあるから、決め手に欠ける。

ある程度わかるようになってきても、ウェブ上のテキストだけじゃなくて、ビジュアルやデザインからもその会、その公演の雰囲気が感じ取りたいほうです、わたしは。

 

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note.com

 

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イベントのお知らせ

約束の25年〜『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』展 @東京都現代美術館 鑑賞記録

『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』展に行ってきた。

mina-tsuzuku.jp

 

行く前に、1月4日の朝日新聞の切り抜きを読み、

予習がてら友人が送ってくれたページをサッと読んだ。

www.asahi.com

 

わたしはミナ ペルホネンの服を持っていない。

持っていて、大好きで着ている、という友人もあまりいない(たぶん)。

ミナのお店でハギレのパックを買ったことはある。

www.instagram.com

そしてそれをブローチにしたことはある。

www.instagram.com


 

皆川明さんは、西村佳哲さんの本に出てくる人として知っていた。

自分の仕事をつくるにあたって影響を受けた本の一冊。


とはいえ、皆川さんのパートで何が書いてあったのか実は覚えていない。

そのときは、自分にすごく関係があるとは思わなかった。

「服をつくっている人なんだ、ものを作るってこういうことなんだなぁ」というぐらいで。

 

 

当日は鑑賞後に、友人たちと誘い合わせて2Fのサンドイッチカフェで感想を語った。

 

 

印象に残っていること

  • 継続、積み重ねること。
  • ひとつのクリエイションが次の可能性を示す。次へ繋がる要素を表す。
  • "ミナ ペルホネンのデザイナーたちのアイディアや思考は日々の暮らしの細かな事象や出会いから生まれている"
  • "日常のための特別な服"
  • ミナを着て、会いにくる人たち。
  • ミナの服がとても愛されてる
  • ベビーカーの人もいっぱいで、普段あまり現代美術館に来ない感じの人があふれていた
  • 新聞の挿画が印象的。皆川さんの中にこのような沼や森があって、表出しているのは着ることができるぐらいの状態になった上澄み、氷山の一角なのだ。
  • 自分から流れを作り出し、自分がその流れに乗る。
  • "擦り切れることが楽しみなコート"
  • 馬への執着
  • 計算されたセオリー、恐ろしいまでの几帳面さ
  • 村上春樹と似てる説

他にも、ミナ ペルホネンのファンではない同士からこそ話せたことなどがあった。

逆にミナのファンの人があそこで何をどんなふうに体験したのかも、聴いてみたい。

きっとその方の人生と切り離せない関係にあるのだと思うから。

 

 

ふりかえり

服の可愛さに歓喜しに行くだけではない、ということは行く前からわかっていたけれども、ふりかえってみるとなんだか課題付きの講義に出席したような感じがある。

きょうのわたしの課題は、「素人とプロの違い、思いつきと愛される商品との違いは、なんだろう?」という問い。

いろいろあると思うけれど、一つは計画性。

思いつきに文脈がある、流れや経緯がある。同じことをやって毎回同じようになる何かがある。それでいて発展がある。だから飽きない。

それは少しふれるだけでわかる。

ほんとうに些細なことでわかってしまう。

そしてわかる人だけが長く愛してくれる。

 

 

帰ってきてから「わたしのはたらき」の皆川さんへのインタビューパートを読み返して、あまりの変わらなさに驚いた。

この本が出版されたのが平成23年、2011年。

もちろんチャレンジはたくさんしてこられただろうけれども、スピリットやフィロソフィは変わっていない。人間や世界に対する態度も。

そして、やると決めていたことを、実際にやった。やっている。

その途中の様子を、一旦の区切りとして、この展覧会で披露されていた。

 

可愛いと感じる、愛着を持つ、これが着たいと熱望する。

そう思えること、そう思ってもらえるものを作ること。

実はとても根源的で命に関わるようなことなのかもしれない。服に限らず。

 

去年からヴィンテージの服が好きで、古着屋さんに出入りするようになった。(その話をnoteに書いた

店主さんが世界各地から買い付けてきた古着は、場所も時代も違うとサイズ表記がないものがほとんどだし、あってもなんの参考にもならない。

自分の身体や気分に合うかどうか、一緒に出かけたいか、愛着がもてるか。

そういう気持ちを大切にしたい。

 

 

そういえば、この本は「あとがきと謝辞」もすばらしくて、ここばかり何度も読んだ記憶がある。

 

アキツユコさんの音楽を聞きたくなった。

https://www.hora-audio.jp/aki-tsuyuko-ongakushitsu.html

 

 

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