ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

お知らせ

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  contact ▶︎▶︎f:id:hitotobi:20181205094108j:plain   


今後の予定
2020年12月30日 初の著書(共著)発売【きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ】

Amazon他、全国書店にて発売中(電子書籍もあります)

     
2021年2月11日、2月20日、2月22日、2月28日、3月6日、3月11日
【オンライン読書会】『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』
 
2021年3月6日(土) 12:00-18:00 【お座敷一箱古本市
Readin' Writin'さんのお座敷一箱古本市に出店します。東京メトロ銀座線田原町駅近く。
共著書の『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』も出します。
これを担当してくださったデザイナーさんと《トリとニワトリ》という屋号です。(トリばっかりだ!)
選りすぐりの本出します。マイバッグ持って遊びにきてね!RWさんもすごくすてきな本屋さんです。
http://readinwritin.net/access/

 

2021年3月20日(土) 13:00-16:00 【春分のコラージュの会】

ptix.at

 

 

  

鑑賞対話ファシリテーション(法人・団体向け)

・表現物の価値を広めたい、共有したい、遺したい業界団体や、
 教育や啓発を促したい、活動テーマをお持ちの法人や団体からのご依頼で、表現物の鑑賞対話の場を企画・設計・進行します。
・鑑賞会、上映会、読書会、勉強会などのイベントやワークショップにより、作品や題材を元に、鑑賞者同士が対話を通して学ぶ場をつくります。

https://seikofunanokawa.com/service-menu/kansho-taiwa-facilitation/

 

場づくりコンサルティング(個人向け)

・読書会、学ぶ会、上映会、シェア会、愛好会...などのイベントや講座。
・企画・設計・進行・宣伝のご相談のります。
・Zoom または 東京都内で対面
・30分¥5,500、60分 ¥11,000(税込)
・募集文の添削やフィードバック、ふりかえりの壁打ち相手にもどうぞ。

https://seikofunanokawa.com/service-menu/badukuri-consulting/

 

連載中
▼『場づくりを成功させるための5つの鍵』(寺子屋学)
https://terakoyagaku.net/group/bazukuri/

▼ noteでも書いたり話したりしています。

note.mu

  

contact ▶︎▶︎f:id:hitotobi:20181205094108j:plain   

 

展示『石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか』展 東京都現代美術館 鑑賞記録

2020年12月末、東京都現代美術館で開催の石岡瑛子展に行ってきた。

 

石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか』

www.mot-art-museum.jp

 

よかった……。

創ることの圧倒的なパワーと勇気をもらって帰ってきた。

もうそれしか言うことがない。

 

ちょっと目新しいぐらいじゃダメで、1976年のパルコの広告が、2020年の今、ようやく違和感なく見えるぐらい先進的じゃなくちゃ意味がない。

あの時代にそれをやっていた人がいたという驚愕。

コンピュータやインターネットがない、ということをいちいち思い出さなくちゃいけない。

 

個人的には、オペラ『ニーベルングの指輪』の衣装がグッときた。あの点数!

 

会場に降ってくる石岡さんの声が喝を入れ続けてくれた。

どの部屋にも流れ続けていたし、インパクトのある声と語りなので、いつでも脳内再生できる。
文字起こしはこちらに公開してくださっている。

https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/EIKO_interview_PC.pdf

 

 

展覧会を担当した学芸員さんのツイート。これが見所のすべてを物語っている。

 

学芸員さんへのインタビュー。これも必読。

www.fashionsnap.com

 

トークセッション。必見。

youtu.be

 

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一緒に観に行った友人としばし感想を交わす。大事なことはほとんどここで昇華&循環させてしまったので、思い出せない。でも語ったからこそ確実に血肉になっている。

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観に行く少し前に、石岡瑛子✖️ターセム・シンのタッグで制作した映画『落下の王国』の放映が地上波であった。これに使われた衣装の展示もあって、いい予習になった。日テレさんありがとう!

cinemore.jp

 

rakukatsu.jp

 

勢いで買ったが、まだ読めていない。
すごいボリュームなんです。576ページ。天才を語るには言葉が必要だ。

『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』河尻 亨一 /著(朝日新聞出版) 

 

石岡さんの言葉を探していて見つけた。 

www2.nhk.or.jp

 

昨年は三島由紀夫没後50年だったので、石岡展で三島が登場するのもタイムリーだった。

 

日本では公開されなかった"Mishima: A Life in Four Chapters" パッケージもカッコいい。

www.amazon.com

 

芸術新潮』2020年12月号(特集:没後50年21世紀のための三島由紀夫入門)


写真、年表、文学考察と一つの展覧会を訪ねたような充実。三島について、まだ理解には程遠いけれど、以前よりは少し取っ掛かりができた。

石岡展とベジャール のバレエ作品『M』をオンライン視聴したことが後押ししてくれた。

映画『三島VS全共闘』は見逃した。

 

いくつもの時代を経て再考、再評価される才能のオンパレード!

 

 

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すみだ北斎美術館 常設展 鑑賞記録

墨田区にある、すみだ北斎美術館に行ってきた。

https://hokusai-museum.jp/

両国の書店に本の営業に行くところで、そういえばまだ行ったことがなかったなと思い出して、立ち寄ってみた。

去年の太田記念美術館の展示や、川崎浮世絵ギャラリーの月岡芳年展東京都美術館の大浮世絵展などのおかげで、最近浮世絵にも親しんでおり、ようやく「北斎、行ってみようか!」という気持ちになったところでもあった。

 

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ちょうど企画展の端境期だったので、常設展をじっくり観るよい機会、とも思った。

常設展の部屋は思ったよりもコンパクトで、正直拍子抜けしたけれど、丁寧に観ていくと情報としてはかなり充実している。

 

北斎という人、あまりに有名すぎて実は知らないことばかりだった。

貸本屋で働き、版木彫りの仕事などを経て、人気イラストレーターとして挿絵、肉筆画などを手掛けていたが、35歳〜45歳の間に所属していた江戸琳派から抜け、独立。

45歳ごろに葛飾北斎の画号を名乗り出す。この頃が、最晩年につぐ制作点数であったそう。

53歳〜70歳の時期には、絵手本『北斎漫画』などの図案集を多く出す。

71〜73歳でかの有名な富嶽三十六景を発表。今一番知られている北斎の画業はこの辺りか。

75〜90歳で没するまでは、風俗画、宗教画、絵手本などに精を出したそう。

公式ウェブサイトにも詳しく載っている。

https://hokusai-museum.jp/modules/Page/pages/view/402

 

 

 

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北斎のような著名な作家の生涯を追っていくと、何度も画風の転換があり、ターニングポイントとなる出来事があり、代表作が生まれる経緯があり、後進の育成がある。

40歳や45歳ぐらいでようやくやりたいことができるようになってきた、という作家も多い。そういうところに、知らず自分自身の人生を重ねてしまう。

わたしだってここからだ!!と勝手に勇気をもらうような。

 

この再現人形よかった。北斎と応為。

屑だらけの部屋で黙々と描いていたらしい。布団をかぶって描いてたんか。布団の中で、スマホで小説書いてる作家の話を思い出した。

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たっぷり時間をつくって企画展と常設展をガッツリ観るのもいいけれど、フラッと入って常設だけ観るのもいいなぁと思った日であった。

 

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映画『燃ゆる女の肖像』鑑賞記録

2021年1月。映画『燃ゆる女の肖像』を観てきた。

gaga.ne.jp

 

先に観た友人の感想を聞いていたら、今観なあかんかも、という気持ちになって、「レディース・デイ」に鑑賞。

この「女性」が特別料金の日があるシステムもそろそろ変わっていくのかねぇ、とも話した。

 

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ここのところ、何を観ても素晴らしい作品ばかりで、常に更新される新しい表現に唸らされてばかりなのだけれど、こちらも例外ではなかった。


音が印象的だった。
まるで耳で観ているような錯覚を起こす。

キャンバスを走る木炭や筆、衣擦れ、砂浜、グラス、はぜる薪、波に叩きつける波、溜め息、笑顔や涙さえも耳から視える。

映像も美しい。絵画を見続けているような感覚。

詩とサンクチュアリ。炎と鏡。
旋律のあるものは最小限。

 

マリアンヌとエロイーズとソフィーが3人でいるところのシーンがとてもいい。
対等で、親密で、平和。心地良い。

自分の選択できること、自分の力が及ぶ範囲が極端に制限されている人生の中で、それでもささやかな自由と表現と開放の喜びが伝わってくる。

静かさと熱さ。

 

インタビューを読むと、この繊細な表現のために、美学の共有と多くの創意工夫があったことがわかる。

 

セリーヌ・シアマ監督へのインタビュー

www.moviecollection.jp

 

アリアンヌ役:ノエミ・メルランへのインタビュー

www.neol.jp

 

エロイーズ役:アデル・エネルへのインタビュー

fansvoice.jp

 

また、作中において衝撃を覚えた中絶の扱いについては、この評が参考になった。

 

オフィシャル・トレイラー

そういえばビスタサイズの映画って珍しい。そのあたりにも"古さ"のようなものが出ていたのだろうか。計算し尽くされていて、考証も丁寧なのだろうと推察。

youtu.be

 

日本版トレイラーのイメージだけで敬遠している人がいるとすれば、それは非常に勿体ない。今や「女性」や恋愛の表現はどんどん変わっている。宣伝のセンスが旧くて、中身の革新性とのギャップが目立つようになってきた。観てみればわかるのだけど。

少なくともこの映画に関して、ステレオタイプやどこかで見たような焼き直し感は一切ない。

過剰なドラマ性や背景説明を一切排して、会話と振る舞いだけで淡々と進行していく画面。

可哀想でもなく、逞しいでもなく、ただそこに生きる人たちがいる。
だから、移入できる。

登場人物が盛られていないし、決めつけられてもいない。

観客も見方を誘導されない。

削ぎ落とされて簡素だからこそ心が動く。
映画とわたしたちの関係もフラットで、敬意があり、信頼がある。共有しているものがある。

映画は進化し続けている。
「女性」の性と生、今はこのように描けるようになってきたのか、と感じる。

海外のソースにも当たりながら、信頼できる「鑑賞仲間」のレビューを聞かせてもらいながら、良作を見つけていきたいと思う。

時代の流れを読んで、作品を世に提示し続ける表現者たちに拍手喝采

 

パンフレットも素敵。題字が筆書き風なのもいい。

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ここからは、さらに個人的な覚書として。

映画から展開できることとして、女性の画家についての歴史的背景、「見る」ー「見られる」の関係ミューズというキーワードがある。

これらの点について知るには、『シモーヌ vol.2 メアリー・カサット』が非常に参考になる。

「19世紀後半から20世紀初頭にかけて印象派の画家として活躍したメアリー・カサットを取り上げながら、芸術分野での男女平等は実現されたのだろうか」という問いを投げかける特集となっている。

 

アメリカの美術史家リンダ・ノックリンが「なぜ女性の大芸術家は現れないのか?」という論文を発表してから来年で半世紀が経とうとしている。

カサットが没してからも90年以上の時が経った。この間、芸術分野での男女平等は実現されたのだろうか。女性の美術史家は、男性の美術史家と同じように評価され、同じような就職の機会をほんとうに得られているのだろうか。展覧会に出品するアーティストや美術館に所蔵される作品には男女の偏りがないだろうか。女性アーティストの作品が、「女性ならではの感性」などと短絡的に評価されることはもうなくなっただろうか。

メアリー・カサットについて考えることは、これらすべての今日でもアクチュアルな問題について考えることとつながっている。(p.25より引用)

この映画の舞台はメアリー・カサットよりもさらに前の時代なので、マリアンヌにとってどれだけ限定的な中での画業であったかや、当時の女性たちがどんな社会的立場に置かれていたかを想像する手がかりになる。

また、別の映画だが、『ストーリー・オブ・マイライフ』の中で四女のエイミーがパリに絵の勉強に来るが、画家としてのキャリアを断念するくだりがある。その背景を知るにもよいと思う。

 

この本に関連したイベントに参加して、非常に驚きだったことがいくつかあった。

ブルジョワ階級の女性たちは、一人で目的もなく出歩くことは許されなかった、常に誰かが付き添った。

・女性が「見る」=はしたないこと、女性が「見られる」=タブーまたは美徳、という社会通念があった。

・労働者階級の女性は、常に「見られる」対象となる。踊り子や娼婦など。

・女性が「見る」という主体的な行為はいずれの階級にも想定されていない。それでいて自らは男性から窃視的な眼差しを向けられる。

・扇は「見られる」から身を守るための重要な小道具だった。

・女性にとって劇場は「見る」行為が可能な、数少ない公的な空間だった。

・これらの点を踏まえると、カサットの『桟敷席にて』は、"オペラグラスで一心に舞台を見つめる女性。向こうの客席から身をのりだすようにこちらを見ている男性。そして、その場面を眺める私たちの視線。三つの視線が交錯するスリリングな画面構成のなかで、男性に見られる存在である女性が、見る主体として堂々と描かれており、カサットの革新的な女性像の表現への意欲を伺うことができる"SPICE "『メアリー・カサット展』何が見どころなの?鑑賞前におさえておきたい3つのポイント"より)  

・表象とは、それを見たいと考える者の欲望の投影である。意図がある。しかし、テキストを読むトレーニングは学校教育の中で膨大に行うが、イメージを読むことは教わらないことが多い。鑑賞教育が貧困なのは課題。

 

さて、どうでしょう。

一度ご覧になった方は、これを知ると、また『燃ゆる女の肖像』の見え方が変わってきそうではないですか? 


また、最近読み始めたこちらの本も、『燃ゆる女の肖像』のおかげで、よりリアリティをもって受け取れそうな予感がしている。

『才女の運命 男たちの名声の陰で』インゲ・シュテファン/著, 松永美穂 /翻訳(フィルムアート社)

 

こちらの本たちも、同じ線上にある気がしている。 

  

 

 

 

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展示「渦巻く智恵 未来の民具 しめかざり」展@生活工房 鑑賞記録

門松やしめ飾りが売り出される年の瀬に、しめ飾りの展示を観てきた。最終日ギリギリの駆け込み。

www.setagaya-ldc.net

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しめかざりを探して訪ね歩いている方がいるというのは、以前、この本で見て知っていた。

『しめかざり—新年の願いを結ぶかたち』森須磨子/著(工作舎) 

 

しめかざりの種類が地域によってこれほど違い、こんなにも美しいことに驚いた。

当たり前に視界に入っているけれど、そういえばこれって何なのか、あまり深く考えたことがなかった。さらに民俗学の研究者ではない立場で、コツコツ収集されているのがユニークだと思っていた。

 

こちらの広報誌を以前からいろんなところで見ていて、生活工房という場所があるのは知っていた。今回初めての訪問。

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今回の展示では、森さんが20年以上かけて収集された、しめかざりコレクションの中から、約100点のしめかざりの実物と、1000点以上の写真がお披露目とあって、楽しみにして行った。

 

いやはや、すごかった。すごくよかった。
とにかくしめかざりが美しい。

祈りや願いの象徴としてのしめかざり。独特の造形。
年末の忙しいときであっても、手を動かし、形にする作業には意味がある。

受け継がれるもの。魂。

いくつかの地域でのしめかざり作りについてのポスター展示やビデオ展示も興味深かった。上部の飾りが取っ払われた素の姿には、人が思いを込めた痕跡を感じる。

地域によって、田んぼの一区画に、しめかざりに使う専用のイネを育てているところもあると聞いた。

実家のあたりの地名を見つけたが、見たこともない造形をしていた。
自分のルーツだと思っている場所にも、まだまだ知らないことが多い。

 

豊かな時代も数十年はあったものの、今の時代はまた、五穀豊穣や家内安全、無病息災への願いが切実さを持ってきたように感じる。

帰り道はやはり自然と門松や玄関のしめ飾りが目につく。

わたしも今年はお飾りつくって、トシガミ様をお招きしようと自作してみた。いつもは買って済ませるのだけれど、自分で作ってみるとちょっと気分が違う。

 

 

会場に行けなかった方のために、森さんが丁寧な解説を書いてくださっている。

これは素晴らしい、必見です。 

note.com

 

 

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読書会のための読書(『サード・キッチン』読書会に向けて)

『サード・キッチン』という小説の読書会のために調べた本。
これも場づくり。準備の一環です。

レポートに本の紹介も含めると長くなってしまうので、別記事にしました。
読書会のレポートはこちら。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 白尾悠さん著書。
『サード・キッチン』(河出書房新社)『いまは、空しか見えない』(新潮社)

 

海外の高校&大学へ行こう!2020年度 アルク

アメリカの大学に留学するとき、どんなルートがあるのか、どのぐらいお金がかかるのか、そもそもアメリカの教育制度ってどうなっているのか、物語の背景を知りたくて。

アメリカ教育制度」という点では、"Most Likely To Succeed"を語る会でも役に立った。日本の教育を他国と比較して考えたいときにも役に立つ。英語圏アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドだけでも助かる。実は知らないことが多い。インターネットで探すこともできるけど情報が断片的。同じフォーマットの構成で、情報として網羅的に一冊にまとまっているムック本は、ありがたい。

 

 『ハーバード大学は「音楽」で人を育てるーーー21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』菅野恵理子/著(アルテスパブリッシング)

尚美の通う大学がリベラル・アーツ教育を行う大学という設定だったので、参考に読んだ。

音楽を学ぶことは、音楽家を目指す人だけが必要なのではなく、教養として音楽を学ぶことの意味、意義が展開される。「音楽を学ぶとは何か」「芸術に触れるとは何か」「芸術をとおして何を学べるのか」。

ここで注目したいのは、どのように「知識」を「知力」に変えていくかである。静から動への展開、といってもよいだろうか。時代を経て淘汰されてきた芸術作品からそのエッセンスを読み取り、生かしてこそ、はじめて知識が知力となる。(p.38)

わたしが拙著(共著)『きみがつくる きみがみつける  社会のトリセツ』で書ききれなかった部分を詳細なリサーチと考察に基づいて補強していただいているようでもある。

また、「学び」について考えるにあたっても、大学の音楽を取り入れるカリキュラムは興味深い。

たとえばいま自分の目の前で起こっていること、身のまわりで起こっていることに対して、自分がどう向き合うのか。そのヒントを授けてくれるのが知識であり、それを生かして対象とかかわっていくことが知力だとすれば、その展開のプロセスには「体験」が有意義である。(p.38)

 

 

 『大統領でたどるアメリカの歴史』明石和康/著(岩波書店/岩波ジュニア新書)

サードキッチンには、1997年〜1998年当時のアメリカで、学生や教員が政治に関する言論の場をひらくシーンもある。わたしは日本の歴史は元号で辿ると特徴を掴みやすいと考えているが、アメリカの場合は、年代もしくは大統領で語られやすいように感じていたので、こんな本も借りてみた。初代ジョージ・ワシントンから、第44代バラク・オバマまで、名前だけは知っているけれど詳しくは知らない大統領が並ぶ。

どういう流れの中で就任し、どのような政策がどのようにアメリカ社会に影響を与え、それがその後の歴史や現代にどのように影響を与えているかを考えながら読むと興味深い。たとえば「Black Lives Matter」や「黒人差別」をテーマに辿っていくのもおもしろい。

文学や映画作品などを観る時に参照すると、年代と大統領で引くと、当時の時代背景が理解できて、よい。

 

『ある晴れた夏の朝』小手鞠るい/著(偕成社

戦争、原爆、国籍、討論などのキーワードが出てきてすぐに思い出したのがこの本。

感想はこちらの記事に詳しく書いた。

 

 

『国籍の?(ハテナ)がわかる本─日本人ってだれのこと? 外国人ってだれのこと?』 木下理仁/著(太郎次郎社エディタス)

『サード・キッチン』 の中では、国籍や民族やルーツとアイデンティティにまつわるエピソードはかなり頻繁に出てくる。本書は、国籍とそれが含む実に多くのトピックを網羅しながらも、わかりやすく、驚くほどコンパクトにまとめられている。国籍と○○人、外国人にとっての日本国籍、日本人と国際結婚、在日韓国人在日朝鮮人と国籍、外国人の参政権難民認定など、「知らなかった......」が満載。

 

 

『デモいこ!---声をあげれば世界が変わる 街を歩けば社会が見える』TwitNoNukes/編(河出書房新社

デモの話は、『サード・キッチン』 ではたぶんほんの少ししか出てきていなかったと思うが(確かベトナム戦争のくだり)、「若者の政治参加が盛ん」という背景がある日本以外の国を理解したかったのと、『きみトリ』で、「デモに参加する方法もある」と書いておいて、デモのやり方を伝えていなかったなと出版してから気づいたので、ここで紹介しておきたい。

p.7〜p.12の松沢呉一さんによる「デモはたのしい」に非常に大事なことが書かれている。何度も読み返したい。絶版になっているが、中古や図書館でなんとか入手して読んでほしい。

 

〈超・多国籍学校〉は今日もにぎやか!――多文化共生って何だろう 菊池聡/著(岩波書店/岩波ジュニア新書)

このあたりになってくるとかなり『サード・キッチン』からは外れてしまうが、同じタイミングで図書館で借りたので紹介しておきたい。

わたしは以前から、外国籍や外国にルーツのある子どもが、日本社会で生きていく上での困難や共生の制度や知恵などについて関心を寄せてきた。以前、こちらの記事で紹介した本もそういった一冊。

社会から居場所を追われ、孤立した若い人が凄惨な事件に陥ったことが、悲しい記憶として忘れられない。我が子の学校にも外国籍や外国にルーツのある子はいるので、周りにいる大人として理解しておきたいということもあるし、場をつくるファシリテーターとしても持っておきたい知識や知恵がある。

本書で紹介されている、横浜市の飯田北いちょう小学校は、団地好きな人なら知っている、県営いちょう団地のある学区で、外国籍や外国にルーツを持つ子どもたちが多い。他の自治体の例は不勉強で知らないのだが、生じている事態に一つずつ対応し、制度をつくり、試行錯誤を重ねているうちに、日本でも先進的な取り組みになっていったのでは、というふうにわたしは読んだ。特に「異国で学ぶ子どもたちがどのように母語を保つのか、という課題への取り組み」が同校で重視されている点からそう感じる。

本書には、その他の視点として、日本人が多く渡っているブラジルやアメリカで、日本国籍、日本ルーツの子どもへの教育がどのようになっているのかの紹介もある。比較するとまだまだ発展途上な部分ばかりが目に付く。それでもまずは好事例を持つ現場の取り組みのシェアによって、自分の現場を照らされることから、一つずつ考えていくしかない。引き続き関心を持っていきたい分野。

 

あと2冊は、時間がなくて読みきれなかったもの。とても良さそうだったので、またいつかの機会に読みたい。

『他者を感じる社会学〜差別から考える』好井裕明/著(ちくまプリマー新書

『娘に語る人種差別』タハール・ベン・ジェルーン /著(青土社) 

 

 

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〈レポート〉2021/1/23『サード・キッチン』オンライン読書会

小説『サード・キッチン』の読書会をひらきました。

 

『サード・キッチン』白尾悠/著(河出書房新社

 

こんなお知らせを出しました。

thirdkitchenbooktalk.peatix.com

 

そう、なんと著者さんをお招きしてのスペシャルな読書会だったのです。

著者さんのお話だけを聴くトークイベントではなく、参加したみなさんも話すし、白尾さんもお話される、読書会です。(こんな読書会もつくれますよ〜)

自然な流れの中で、白尾さんへの質問はしていただいてよいのですが、なるべく感想のほうを多めに話しましょう、と冒頭のガイダンスでお伝えしました。

また、この本のテーマの一つでもある、Diversity & Inclusionについても共有しました。

・誰でも、見た目ではわからないこと、知らない面、人生の経験があることに配慮する
・舞台が違う国だと、どうしても主語が大きくなりがち(日本人は〜、アメリカ人は〜、若い人は〜)。とはいえ場合によっては類型化も必要。いつもより少し意識的に使ってみては。
・わたしを主語に。日本語では主語を言わなくても通じることもあるけれど、誤解も生みやすい。あえて主語を明確にしてみるのもいいかも。

......といった形でこの場ではやってみたいです、と。



今回集ってくださったのは、読書会への参加をきっかけに本を読んでくださった方ばかり。

・まとまって本を読む時間がないので、読み切れるか心配だったけれど、一気に読んでしまった!

・電車で読み始めたら、すぐにこれは細切れではダメだ、じっくり読まないといけない本だ!とすぐわかった

・なかなか人と出会ったりじっくり話をする機会がないので、こういう場はうれしい

など、読書を楽しんだこと、読書会で話すのを楽しみにしながら過ごしてこられたことがわかりました。ありがたい!

 

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さて、ここまで話せば、あとはもう2時間弱、ひらすらに楽しいトークの時間です。

 

まずは主人公・尚美が、いる場所や出会う人が変わっていくにつれて、世界の見え方が変わっていき、感情もめまぐるしく動いていく様に、ドキドキしながら読み進めた、というご感想から。

そう、まさにこの主人公の心情や、周りの人との関係性の繊細な描写が、白尾作品の魅力の一つだとわたしは思います。さらに読者を物語に連れていく推進力は、根底にある骨太の思想から生まれていると感じます。

 

登場人物の中では特に、尚美と深いつながりにある「久子さん」に光が当たりました。白尾さんにとっては、「感想をもらう中では、あまり久子さんについては聞いたことがなかった」とのこと。これは感想を交わし合いながら発展していく、読書会ならではの現象かもしれないですね。

たまたま久子さんと同じ静岡出身だったり、静岡で働いていた経験のある方がいたのも、リアリティを与えてくれました。どんな思いで生きてきた人なのか、このような行動ができる芯の強さ、時代や世代の影響などについて感想が出ました。


白尾さんご自身のアメリカでの留学経験も反映されている小説ですが、その経験のシェアからも驚くことは多かったです。この経験をいつか形にしたかったと温めてこられたという話もうかがいました。

アメリカの大学の雰囲気、学生が自治を認められている感じ、市民の一人として認められていて、自立しているところに、日本との違いを感じた」という方もいました。

「差別」「偏見」についての話題もじっくりと話すことができました。これらはやはりこの本を読み進める上で外せないテーマです。
知らないだけで、気づいていないだけで、別の立場からみれば差別になっていることも多いのでは、外から日本または自分を俯瞰してみる経験が大切なのでは、それをどこで経験するのか?などの話が出ました。

その一方で、「同じ属性で一緒にいる安心さもあるよね」という実感の話もありました。どこからが差別や偏見になり、どこまではOKなのか。考え続けたいテーマです

小説の中では、「セーフスペース(安心安全な場)」をめぐる学生同士のやり取りが描かれますが、「白黒はっきりさせない、答えを出さない物語の運び方に唸った」という感想もありました。ここを始めとして、物語を通じた全体として、良い悪いを断じない姿勢があるからこそ、読み手が深くテーマを考えることができているように思います。

参加された方からも、ご自身の海外在住の経験や、日本での留学生と接する中での違いや多様さ、歴史認識等についてのシェアがありました。他の方にとっても、「ああいうふうに発言したのはよかったのか」「あのとき相手はどんなふうに感じていたのだろうか」などの語りを聞くことで、様々な立場に仮に身を置いてみる経験ができました。

 

「この登場人物の中で誰が好き?」という質問があり、お一人ずつ答えていただきました。この質問はとてもありがたかった!

「ニコルやアンドレアとわたしも友だちになりたい!」「ジョシュはキツいこと言っているように見えるけれど、実は尚美のような留学生が初めてのケースだったので、接するのに戸惑っていたのでは」など、人物それぞれの魅力や存在が立ち上がります。
良い人悪い人、敵味方はない。こちらの立場が変われば見え方もまた変わることを、この話題でも感じることができました。

本を読んだことで、既に皆さんの中で、一人ひとりの登場人物が生きて、まるで身近にいて、よく知っている人のように感じられています。そこにさらに、「この人はこんな魅力がある」と話してもらえたことで、好き嫌いを超えて、ますます生き生きと存在するようになっていくのがわかりました。

 

「表紙・裏表紙がとても良い」という声多数。暖かそうで、美味しそうで、明るい気持ちになる、思わず手に取りたくなる、など。カバーを取ってもかわいいのです。凝っている!

装画:原倫子さん、装幀:アルビレオさん @albireoinc 

 

他にも友達関係、言語、ごはん、文体や表現など、様々な話題が、あとからあとから湧いてきて、いくらでも話せそうでした。

作中に登場するSheryl Crowの"Everyday Is A Winding Road"のリリースは1996年。

youtu.be

 

Spice Girlsの"Wannabe"も1996年リリース。1998年当時大学生だったわたしとしては、とにかく懐かしい!

youtu.be

 

わたしの『サード・キッチン』はこんな状態に......。
これだけ付箋立てていると、どこがなんだかさっぱりわからないですが、語りたいところがいっぱいでした。とにかく語りたくなる小説なのです。

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当日をふりかえってみて。

やはり『サード・キッチン』は素晴らしい物語だということを皆さんと確認できたことがうれしかったです。そして著者と読者がフラットに、温かく交流できる場がつくれたということもうれしかったです。

感想を著者に直接伝える、それを受け取る、という交流。

 

小説はいい。本はいい。感想を交わし合う場はいい。

同じ物語を旅している、でも見ている景色は少しずつ違う。
そのどちらも感じられるから、語れば語るほど、物語が厚みを増す。
自分にとって特別な物語になっていく。

個々の読書体験が場に持ち込まれて、より豊かに膨らんで広がって深まって、登場人物たちやコミュニティや舞台になった大学が、自分の中でほんとうに存在するようになる。

「学ぶことも、働くことも、移動することも、大きく変化している今、この希望の物語を語り合うことで、生きるエネルギーを融通し合えることを願っています」と告知文に書きましたが、それ以上の体験でした。

変化は人との関係の中で起こる。
どんなに世界が変わっても、きっとそう。
分断を恐れず、人と関わり続けていこう、と思いました。

 

後日いただいたご感想、『やさしくて、気持ちを込めてお話ができる、素敵な場でした。 まるで、サードキッチンのような』。
これ以上ないという言葉!光栄です。

 

ご参加くださった皆様、白尾悠さん、
「参加できないけれど買って読んだよ」とご連絡くださった皆様、
ありがとうございました!

 

参加された方へは、白尾さんからのカードのプレゼントをお送りしました。
物語のモデルになった白尾さんの母校の校内にある施設が描かれています。お手元にあるのが残り数枚とのことだったので、ほんとうに貴重です!(写真は白尾さんよりご提供)

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このブログで興味を持ってくださった方のために、ツイッターで見つけたご感想と、関連記事も貼っておきます。(ダメ押し気味に!)10代の人たちにも読んでもらいたいなぁ。

 

 

 

 

▼白尾さんへのインタビュー

cococolor.jp

 

▼書評

bunshun.jp

lee.hpplus.jp

 

この読書会をひらくにあたって、いろんな準備をしましたが、背景や扱うテーマについて、本を何冊か読みました。こちらの記事に紹介していますので、併せてご覧ください。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

 

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初の著書(共著)発売中! 

展示『田中一村』展 @千葉市美術館 鑑賞記録

千葉市美術館にて『田村一村展』鑑賞してきた。

www.ccma-net.jp

 

展覧会自体はノーチェックだったが、田村一村のことも知らなかったが、SNSのタイムラインに流れてきた、「アダンの海辺」を使ったポスタービジュアルに目が留まった。

千葉市美術館では、この地にゆかりのある画家として、2010年に大規模な回顧展が開かれたそう。

それから2021年までの10年間で新しく所蔵した100点超を一挙に展示ということで、かなり気合いが入った展覧会だった。

 

青い日記帳さんの今回のブログ記事と、2010年の記事を両方読んで出かけた。

 

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・田村一村は1908生まれ、1977年に69歳で没。
わたしが生まれたのとちょうど入れ違いの時期に、奄美でひっそりと亡くなった。
その前は千葉で20年暮らし、地域とのつながりの深い人だったらしい。


川端龍子主宰の第19回青龍社展に入選したのが、中央画壇で名を残した最後とのこと。おお!ここで昨年末に訪ねた龍子記念館や青龍社が出てくる!(この記事

青龍社は門下の画家たちの展示だけでなく、公募展もやっていたということなんですね。仕組みがよくわからずだけれど。

・その後も、仕事はしていたものの、知る人ぞ知る作家として生き、50代で奄美に移住してからも、細々と制作を続けた。

 

・一村の存在が"発見"されたのは、没後。1983年のNHKの番組「日曜美術館」での放映がきっかけという。当初は「50歳代から晩年にかけての、孤高の南洋画家」として、ロマンを感じる取り上げ方が多かったよう。

印象派も流行ってたから、ゴーギャンを彷彿とさせたのだね。
それがうかがえる展覧会のポスターやチラシなどの展示も最後にあり、この切り口がユニークでいいと思った。

少し脱線。80年代の展覧会のポスターに、"生涯妻を娶(めと)ることなく"というリードがついていた。時代の価値観が広告宣伝には全部出るのだよな。当時なら何も思わなかっただろうけれど、今はそこに自然と目がいく。

 

・好きな作品はたくさんあったけれど、わたしはやっぱり軍鶏(しゃも)がよかったな。最初は色紙に描いたユーモラスなスケッチが、どんどん写実的になり、軍・鶏という漢字がぴったりの、あの目つき、立ち姿、胸を張って、コートのポケットに手を突っ込んでこちらを睨んでいる。人間みたい。

 

・20代の頃に描いた「椿図屏風」。意欲と情熱と切実さ。盛り上がってくるような椿、トリミングや余白の使い方の斬新さ。

 

・母の遠縁にあたる川村家からの寄贈が多く、その中でも色紙が多かったのがおもしろい。パッと色紙に描きつけちゃう感じは何かに似ていると思ったら、インスタグラム!

1:1の画面も、気軽さも、人にシェアしやすい感じも。
パッと反射でも作れるし、作り込もう、凝ろうとするのにも使える。

 

・比較的最近発見された画家のため、作品によっては、「制作時期をはじめ、契機や意図など、検討すべき点が多くのこされています」とのこと。まだまだこんなふうに知られていない作家がいて、まだまだ研究を進めていけることがある。ミュージアムは古いものをしまっておくところではない、ということ。

 

・「名が売れず、芸術が理解されず苦しむ」ということについて考えるきっかけがたまたま重なった時期でもあった。一村の作品や生き様にそのことを重ねながら観た。

「金の心配をせず、絵だけを描いていたい」という心情の吐露。生涯探究し続けた絵画、美の完成への執念。共感しかない。

 

図録は今回の展示の記録としてはとてもよかったけれど、人生と画業を一望できるほうがよいなと思い、東京美術の"もっと知りたい"シリーズを購入した。このシリーズは印刷がとてもよい。

「理解者のおかげで大きな仕事もしていた」あたりの時期は、展示では少し薄めだったが、こちらでしっかり補完される。おすすめ。

 

 

同時開催の「ブラティスラヴァの絵本展」もよかった。やはり絵本の絵って特別。
そろそろ「いいよね〜」の先をもう少し専門的に学びたいなと思い、購入した本。まだじっくり読めていないけれど、良さそうですよ。

 

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展示『ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代』@Bunkamuraミュージアム 鑑賞記録

Bunkamura ザ・ミュージアムで『ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代』を観てきた。

www.bunkamura.co.jp



身が切れるように寒く、陰鬱な冬の日。今にも雨が降り出しそう。

ビュフェ作品を鑑賞するのに、これ以上ないくらいぴったりの日。

 

電車が混む時間をずらし、最寄り駅をずらして、渋谷駅ではなく代々木公園駅で下車。
そこから徒歩でBunkamuraへ。歩く人もまばらでホッとする。
このルートは、美術ブロガー・青い日記帳さんのこちらの記事を見て知った。感謝。

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静岡のベルナール・ビュフェ美術館の所蔵する油彩を中心とした80点の作品で構成。

第二次世界大戦直後の不安と虚無感を表現する作家として評価されている。1928年生〜1999年没。

疫病や自然災害、国家の機能不全に見舞われる今のわたしたちにとって、響くものがある。

 

・人間の気配のないパリのコンコルド広場やニューヨークのブロードウェイは自然と疫病に見舞われた都市を連想する。館内にもほとんど人はおらず。監視の方のほうが多かった。

・閉塞、歪み、褪せ。不審、不条理。偏向、執拗、繊細な感性。人間の負の感情への真摯な眼差し。

・どの作品も2〜3mぐらい離れて観るとちょうどいい。人間嫌いのビュフェが接近を警戒している。

フランソワーズ・サガンの小説(文庫)の表紙がビュフェ!実家にもこの『悲しみよ、こんにちは』があった。今も入手できるのは『ブラームスはお好き』のみとか。

・縦に伸びる何かに魅了されている?

アナベルの両性具有的な雰囲気。

・人体、ありえないほどシャープなのに違和感がない。

・サインも作品の一部

・最後の部屋、晩年の作品群はさすがに苦しい。冥途の強い予感。

 

父との関係、母との関係、現家族、戦争の記憶、ピエール・ベルジェとの関係、アナベルとの関係、養子の二人との関係、アルコール依存症や精神の苦しみ......。

本人は作品を観る時に人生と絡めてはほしくはないだろうけれど、人生がドラマティックだから、ついいろいろ知りたくなってしまう。

 

多作というから、全作品観てみたい。一部だけでもと思い、画集を購入した。
ビュフェを見たい気分になるとき、「その心理」「その感情」に黙って寄り添ってもらえる。喩えようのない虚しさと、孤独。自分の中の牢獄との向き合い、世界とのつながりや自由への渇望......。

 

クレマチスの丘には行ったことがあるけれど、ヴァンジ彫刻庭園美術館とIzu Photo Museumまでしか観られなかった。

次行くときは、ベルナール・ビュフェ美術館を中心に。楽しみができた。
ビュフェ作品約2,000点を所蔵、内常時100点以上を展示とのこと。

1973年に日本にこれだけの規模の美術館がオープンした経緯も知りたい。除幕式には妻のアナベルが代理で来たと(本人が人間嫌いすぎて)。

www.clematis-no-oka.co.jp

 

2019年で、ベルナール・ビュフェが亡くなってから20年。
自分の人生の半分は、まだビュフェが生きていたのか。

海外から作品を搬送しての大掛かりな展覧会が行えない今の時期に、国内にある名品でこれだけの展覧会がひらけるというのも、すごいことだ。

これまでの先人たちの蓄積、遺産の豊かさを思い、感謝する。

 

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1Fのラウンジで注文したコラボメニューのホットチョコレート
赤いのは食用バラ。ゴージャス!アナベルを彷彿とさせる。

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コラボメニューを注文するともらえる特製クリアファイル。これ欲しさに注文しちゃった。カッコいい!

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【おすすめ書籍紹介】『お客様が集まる!士業のための文章術』

2年ぶりのおすすめ書籍の紹介です。

他の記事で紹介している本も基本はおすすめばかりですが、わたしの仕事に関連した実用的で役に立つ本は、【おすすめ書籍紹介】とタイトルにつけて、たまに思いついたときにご紹介していこうと思います。

 

さて、前回は会議のファシリテーションについてのおすすめ本でした。詳しくはこちらこちらの、一対一の対話型ファシリテーションについての本もおすすめです。

 

今回はこちらです。

『お客様が集まる!士業のための文章術』小田順子/編著(翔泳社

 

この本は、昨年、自分の本を書いているときに「文章の書き方」や「言葉の使い方」のテーマで探している中で見つけました。わたしが、「書き手の無意識の差別や偏見、思い込みや押しつけに注意を払いながら書いていかねば」と覚悟した頃です。

 

非常に先進的で普遍的な内容です。
帯文にある、

・専門用語は先回りして説明する

・使っちゃいけない士業独特の言い回し

・好印象を与えるメールの書き方

・ウェブ文章は「Youメッセージ」で

など、士業でなくても、誰にでも関係あることばかりではありますが、「士業」と限定されることで、他の仕事の方にとっても具体性が出て参照しやすくなります。士業の方にとっては「あるある」のオンパレードではないかと想像します。

 

あるコミュニティでは当たり前に使っている言葉や言い回しが、外のコミュニティや業界では通じないことは往々にしてあります。擦れ合って「通じない」「誤解が生じた」などの事態が発生しないと気づけないことも多いです。

直接指摘されるのが一番ですが、そういう良いお節介をしてくれる人がいないと難しい。自分からオープンになって学んでいくしかない。この本で、「もしかして運営がうまく行っていないのは、自分のウェブサイトのこういう部分がわかりにくいのかも?」などと、思い当たれるといいですね。

わたしはもちろんたくさん思い当たりました。うぐぐ。。「やさしい文章で」「漢字を少なく」「専門用語は解説」は、頭ではわかっているし、何度も指摘もされてきたのだけれど、ついやってしまう。

複数人で運営しているチームや組織で発信するときは、リリースするときにチェック機能を置くことでトラブルや誤解を防げますね。ガイドラインの設置とダブルチェック、トリプルチェックの大切さも感じます。

 

この本で一番わたしが素晴らしいと思っているのが、巻末付録の「士業として使わないほうがよい言葉の言い換え集」

すごいです。ここだけのためでもいいから買ってほしい。
そのくらいの価値があります。
士業だけでなく、大人だけでなく、10代の人たちも知っておくといい。

 

特に「差別語・不快語」を言い換える項がすごいのです。

「入籍する」「帰国子女」「キャリアウーマン」「女流」はそれぞれ、
「婚姻届を提出する・結婚する」「帰国児童・帰国生徒・帰国学生」「ビジネスパーソン」「"女流"はつけない」と言い換える。

具体的な言い換え例を示してくれている上、その理由も冒頭に簡潔に書いてあります。

 

発刊された2013年当時はまだ、「なぜその言葉を使ってはいけないの?」と言われそうな言葉も多くあったと思われますが、本という形でハッキリと示してくださったことはありがたいです。

今となっては当たり前にNGな言葉も多くなっています。社会はよりよくなっている!

 

人権、倫理に関わる言葉だけでなく、漢字/ひらがな、常用外、固い/柔らかい接続詞や副詞など、表記上のアドバイスもたくさんあります。

それでいて、読み手や受け手を見下げるような表現にはならない、パブリック、オフィシャル、ビジネスライクに「きちんと」「正確な」伝え方も伝授してくださっています。

どの項も具体的で事例が多くて、素晴らしいです。おすすめ。

 

 

報道ガイドラインもいくつか挙げました。
これらも広い世界に向かって書く、話す、発信するときの参考になります。

LGBT報道ガイドライン

fairs-fair.org

www.pref.saitama.lg.jp

 


自死報道ガイドライン

メディア関係者の方へ|自殺対策|厚生労働省

 


薬物報道ガイドライン

www.ask.or.jp

 

 

いじめ報道ガイドライン

いじめ報道に関するガイドライン | ストップいじめ!ナビ

 

 

おまけ:場づくりに関してわたしが以前に書いた記事もご参考に。

terakoyagaku.net

 

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舞踏『不確かなロマンス〜もう一人のオーランドー』@彩の国さいたま芸術劇場 鑑賞記録

2020年12月19日。

彩の国さいたま芸術劇場で、『不確かなロマンス〜もう一人のオーランドー』という舞踏を観てきた。

スペイン音楽・舞踊の伝統をジェンダーを超えた
独舞、独唱でたどる旅

rohmtheatrekyoto.jp

この特設サイトが美しいので、できるだけ長く置いておいてほしい......お願いします。

 

 

12月に入って、何かのきっかけで予告編を観て、「あれ、これはなんだかすごそうだぞ」とピンときて、友人とその話をしたら、やっぱりすごく行きたくなってしまって、すぐにチケットを取った。

 

 

その後こんな記事も見つけて、やっぱりこれ凄そう......わたしの好きな世界が詰め込まれていそう......と感じた。

ontomo-mag.com

 

 "ときに激しく体を動かしながら歌うから、呼吸がどうしても乱れる。 ハアハアいう呼気の乱れが、会場にこだまする" " 17世紀に起源をもつ竹馬の踊り" 
予告でこれだけすごいのであれば、本物はもっとすごいに違いない。

 

わたしは一体何を見るんだろう?!

 

そして当日。

 

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直後の感想。


物凄い体験にわたしはまだ言葉にならない。
もう我慢できないという感じで皆さんスタンディングオベーションで、カーテンコールは熱かった。
このような時期に日本に来てくださったことに、感謝が尽きない。涙が出た。
とってもチャーミングな方々!

 

www.instagram.com

 

人間はほんとうはもっと何にでもなれるのではないか。もっと可能性があるのではないか。世界にあんな挑戦をしている人たちがいて、あんなに研ぎ澄まされた美意識を如何なく発揮して完璧な舞台を作り上げている。芸術のジャンルなんか軽々と超えている。すごい。一体わたしは何を観たんだろう。 

いろんなことが漠然と過ぎていく中にあって、目の前で確かに動いている筋肉、骨、身体。神経に細胞に入り込んでくる音。

転生を繰り返すオーランドーにヴァージニア・ウルフが降臨していた!と感じる瞬間がいくつかあって鳥肌。でも解釈できない。何も考えられない。

あの舞台、あの人。瞬間的に性を変えているように見える。でも、超えているのは観ているわたしのほうで、演っている人は超えようなどとしていないのかも。自然で。全部をはじめから持っている生き物、存在。でもああいうものが自分の中にもあると知っているだけで、もっと自由になれるのでは。

舞台としても、一つひとつの芸術の垣根を超えようとしたわけではなくて、「元からこうなっているものをそのまま出しているだけ」という感じがあって、こちらとしては新しいけれど、これまた演っているほうは超えてなんかない。むしろ「なぜわざわざ物事を定義づけ、区切る必要があるのか?」と問うてくるような。(これは美化なのだろうか)

この世のすべてを70分に閉じ込めた奇跡の舞台。


一緒に観た友人が、ギリギリまで今観るべきかどうかを悩んでいた。最終的には、30枚しか出ない当日券を目指して劇場まで来て、席が確保できて、良い鑑賞ができたようだった。よかった。
お金だけじゃなくて、何に時間やエネルギーを注ぐかということに真摯。美学があって尊敬する。作ること観ることの価値を知っているからこそ。美意識の結晶を観たあとだからこそ、彼女の選択や行動が心に深く響いた。

東京と京都と北九州。日本で3日、3箇所だけの公演。
なんと貴重な機会だったか。忘れない。一生忘れない。

 

www.alexandremagazine.com

 

Twitterに投稿してくださった、あの時間を共にした方々の熱を再び。

 

 

 

 

 

 

特製のプログラムと小冊子。宝物。

www.instagram.com

www.instagram.com

 

 

圧倒的な体験をありがとうございました。

 

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〈お知らせ〉2021 春分のコラージュの会、オンラインでひらきます

年に4回、暦の節目につくるコラージュの会をひらいています

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

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雑誌やチラシや写真を切って、台紙に貼り付けていく、
だれでも気軽に楽しめるコラージュです。


今回は春分の日にひらきます
太陽が真東から上がって真西へ沈み、昼と夜の時間がほぼ同じくらいになる日。
最近夕方になると「日が長くなったな」と感じることが多くなりました。
長かった冬が終わり、春へと向かいはじめる日です。
占星術では、春分が一年のはじまり。

別れと出会いの春、新しいことをはじめたくなる春、憂鬱な花粉症の春、いろいろな思いを持ちながら、
さて、ここからどんな未来を描きましょうか。


コラージュで形にしていきましょう
頭の中でもわもわしている好きなこと、したいこと、ほしいもの、行きたい場所。
あらゆる制限をとっぱらい、直感を頼りに写真や絵や文字を切り貼りしているうちに、
今の自分の状態とこれから生きたい世界の様が、おぼろげながら形をとってきます。

無心で集中する心地よい時間です。

制作のあとは鑑賞会
他の参加者さんからの感想や質問があることで、理由もわからず貼っていたパーツにも、自分が大切な願いを込めていたことに気づきます。


前回・冬至の会の様子
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/01/31/123747

会が終わる頃には、作品にあふれる自分らしさを愛おしく感じることでしょう。
「今のわたしに必要かもしれない!」という気がしたら、どうぞご自身の直感を信じておいでください。
わたしは心を込めて皆さんをガイドします。

ご参加お待ちしております。


▼日時
2021/3/20(土) 13:00-16:00(開場 12:50)
▼会場
オンライン会議システムZOOM(お申し込みの方にお知らせします)

続きはPeatixのサイトへ。

ptix.at

 

お申し込みお待ちしております。

 

info_____________________

雑誌やチラシや写真を切って、台紙に貼り付けていく、
だれでも気軽に楽しめるコラージュです。
オンラインでの"出張"ファシリテーション承ります。

お問い合わせはこちらへ。

 

2020年12月 著書(共著)を出版しました。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社

 

 

展示『奇想の国の麗人たち~絵で見る日本のあやしい話~』@弥生美術館 鑑賞記録

2020年の暮れ、文京区根津にある弥生美術館で、「奇想の国の麗人たち ~絵で見る日本のあやしい話~」展を観てきました。

bijutsutecho.com

 

youtu.be

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スルーしていた展覧会だったのだけれど(ごめんなさい)、加藤美紀さんが出品されていると聞き、これは行かなくてはと駆けつけました。この頃は、「感染症の影響でまたいつ美術館が閉じられるかわからない、観られるうちに観ないと!」という気持ちが強かったです。
 

加藤美紀さん。友人の紹介で、11月に銀座の個展にうかがったところだった。

加藤さんの世界は、「美麗」のひと言。ため息しかない。

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展覧会もとても興味深かった。

日本の昔話や伝説などの主題を絵画、挿画、着物、屏風などさまざまな形式で表現された展示。

古代から現代まで、いろんな時代の作品や物語が詰まっていて、ひととき、異次元に飛んだような不思議な時間を過ごした。

そうだった、そうだった、こういう日本独自の妖しの世界。異界。精霊、亡霊、生き霊、幽霊、魂、神、妖、妖怪......、ちょっと怖いけど見ちゃう、惹かれちゃう。

以下わたしの備忘として。

・「狐の嫁入り」「鳥や狐が人間に化けて嫁になる」という日本の昔話によくあるモチーフやパターンは、学問的には「異類婚姻譚」とカテゴライズされる。西洋の異類婚姻譚は、「人間が魔法で動物にされるが、その後魔法が解けて人間になり、結婚して幸せになる」というパターンが多いそう。この違いが気になる。

河合隼雄さんの『昔話と日本人の心』を読むと詳しいことがわかりそう。 


・昔話と伝説の違い。「昔々あるところに」で始まることが多く、年代、地域、固有名詞が不明なのが「物語」。それらがある程度特定できているのが「伝説」。

 

・「男性同性愛にまつわる話が古典文学の一角を占めているといっても過言ではない」「特に中世から近代初期にかけて」 へええ。確かに宗教で禁じられている地域では発展しない文化だ。井原西鶴の『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』(これ、国語の副教材『国語便覧』には出て来なそう......)。

この記事おもしろかった ボーイズラブが地味な古典を救った? 井原西鶴の奇書「男色大鑑」をBLとして読む|好書好日


八百万の神への信仰で価値観が多様化?ゆえに同性愛蔑視せず?とわたしのメモに書いてあるのは、展示のキャプションにそう書いてあったのか、わたしが妄想したのか。でもいずれにしても性に関して、明治維新以前はかなり「おおらか」だった、ということか。(それゆえの侵害もあり、おそらく両面)

・「異性装で神がかり的な力を持つ」「男女の両性具有で常人を超えるパワーを発揮する」と捉えていたのも興味深い。文学、演劇、舞踏などに出てくる。年末に観たフランソワ・シェニョー&ニノ・レノの舞踏『不確かなロマンス〜もう一人のオーランドー』などまさにそれを感じた。(「本当に力がある」かどうかは別として、そう特別に感じさせる、そう見せる舞台)

・人魚が↓こういうイメージなのは、江戸後期かららしい。それまでは人面魚、異形の物だった。

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・小袖に物語を描くのはトーハクのkimono展でも見た気がするけれど、ユニーク。衣服に物語。人間っておもしろいことをする。

・現代の作家として、最先端に加藤さんの作品がフィーチャーされていて、この流れで観るとめちゃくちゃよい。

www.instagram.com

 

道成寺をモチーフにした作品は、生で見ると迫力です。他にも道成寺安珍清姫)をモチーフにした作品は数多くあって、展開もする。(上田秋成の『雨月物語』から溝口健二の映画『雨月物語』への発展など)古典からのインスピレーションはやはり無限。人の数だけ生まれる。

 ・画家で気になったのは、橘小夢という方。はじめて知ったけど、鳥肌が立つような感覚。エロティックで、性と死にギリギリ近接するような。ジョルジュ・バルビエも彷彿とさせる。(もしやバルビエ〜橘小夢→魔夜峰央?!)乱歩の挿絵なども描いていたとか。やはりね。

弥生美術館との関係も深いらしい。https://www.museum.or.jp/report/624
こちらの記事もよかった。幻の画家「橘小夢」の原画が恵比寿にあった

 

 

怪奇幻想とは荒唐無稽な妄想ではなく、混迷を深める時期、表層的には理解し難いもの、深層に触れようとすることから生まれる表現なのだと思う。

今のような時代にこそ必要。しかも展覧会や読書は、安全に近づける方法として良い。

陽の当たらないところで脈々と息づいているもの、わたしの中でとぐろを巻いている奴に「肉を喰わしたった!」というような充実を覚えた展示だった。行けてよかった。

 

弥生美術館では展示に関連して、インスタグラムでこんな番組も配信してくださっていた。アーカイブで観られます。

大人のためのちょっとあぶない日本昔話 

1. 魚女房 
https://www.instagram.com/tv/CIKqFFFgpbh/?utm_source=ig_web_copy_link

2. 鬼が笑う
https://www.instagram.com/tv/CIurc3yj9Pd/?utm_source=ig_web_copy_link

3. 魂が入れ替わる話
https://www.instagram.com/tv/CJ2yEEhjJV_/?utm_source=ig_web_copy_link

4. ギャラリートーク
https://www.instagram.com/tv/CKa26SIjwEl/?utm_source=ig_web_copy_link

 

 

図録は美術館の他、ネットでも購入できる。

ものすごく脱線するけれど、たまたま今読んでいるコミック『ふしぎの国のバード』の世界とも通じるものがある。(明治11年頃の、西洋化しはじめたのは都市の一部だけで、日本のほとんどの場所は、日本政府でさえ把握していない土地。医療もまだ行き渡っておらず、迷信や呪いが力を持っていた時代。)

イザベラ・バード日本紀行』のコミカライズ。

20年ぐらい前に宮本常一の『イザベラ・バードの日本奥地紀行を読む』を読んでおもしろかったので、コミックになって感激している。

 

 

併設の竹久夢二美術館では、「夢二が愛した日本 ― 桜さく国のボヘミアン ―」を開催していた。時間がなくて駆け足だったけれど、次回来るときはもっとじっくり観てみたい。洋行時のスケッチや、風景画にハッとするものがあったので。

これまでは、「華奢な女の人が好きで、恋多き人で、洒脱でちょっと駄目なところがモテるタイプの人で、可愛い図案も描いていた人」ぐらいのざっくりとしたイメージだった。人として、作品として、あまり向き合ってきたことがなかったかも。

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予習すべく、こちらを購入。

次回(今まさにやっているところか)の展覧会もとても良さそう。

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久しぶりの弥生美術館は、2018年の一条ゆかり展以来。東大の裏の閑静な住宅街にある。湯島で降りて、不忍池旧岩崎邸庭園横山大観記念館→弥生美術館と巡ってきてもすてきですよ。

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もうすぐこちらも始まります。

東京国立近代美術館 あやしい絵展

ayashiie2021.jp

 

 

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映画『もち』鑑賞記録 

『もち』という不思議な映画を観た。

mochi-movie.com

 

実在する人々が自分自身を演じ、実在の関係性があり、その人たちが実際に体験したエピソードが盛り込まれている。

かといって再現映像ではない。新たな登場人物や新たな設定が加わり、かれらに経験のないエピソードの脚本がある。だから、ドラマ作品ではある。

61分と、これまた劇場上映作品としては、あまり見かけない尺。


前情報を得ていたこともあったからか、観ている間、この「どちらでもなさ」に揺さぶられ続けた。

変な感覚。戸惑う。どう観たらいいのかわからない。「これは演技なのか素なのか?」「演じ手はどんな心境なのか」などにいちいち気が取られていた。

今ふりかえると、自分が頭でっかちでつまらない人間のように思えるし、逆にそれも仕方がないことのような気もする。

(この辺りの「一体どうやって撮っているのか?」という疑問は、後日こちらのレクチャーで解かれることになる)

 

 

また、この物語に没入するよりも、目の前で展開される物語が刺激になって、自分の過去の記憶と紐づいていく感覚が、終始わたしを占めていた。

わたしが子どもの頃、父方の祖父母の家では、正月に必ず餅をついた。

丸餅、角餅、餡入りよもぎ餅の3種類は必ずつくる。丸餅に丸めたり、餡をつめて丸めるのは子どもたちの仕事。 

餅をつくのは父や祖父で、母や祖母が返す役割。

それを見ながら、自分も大人になったら、餅を返す役になるのだと思っていた。

タイミングを誤ると杵で手を打たれそうで怖いけれど、大人になる頃にはそんなことも難なくこなすようになるに違いないと。

でもそのような日は来なかった。わたしはあの頃の両親よりも歳を重ねたけれど、餅をつくことはなかった。祖父母はわたしが20歳になる前に亡くなり、人の住まなくなった家には、杵と臼が取り残された。

祖父母の看取りや葬儀のことなどが思い出された。

そんな記憶と共に感情がドバーッとあふれてきた。

 

大好きな人の声や手、ずっとここにあると思っていたこと。

大切なのに、いつか思い出せなくなる日が来るのだろうかーーー

この言葉が交わされるシーンはよかった。

何事もずっとは続かない。丁寧に守ってきた土地の文化も、暮らしも、人のつながりも、記憶も、いつか無くなる。

 

肉親との何気ない会話が、そのときの情景が、一生忘れられない記憶に変わることがある。

でも逆に復興されるものもある。その象徴が、本寺地区に伝わる「鶏舞」。
あの人たちに感じるのは、ひたすらに希望。

忘れる、覚えている、留める。
それらを抱えながら生きているわたしたちが映される。

 

▼脚本・監督の小松真弓さんのインタビュー

brutus.jp

 

▼舞台挨拶

岩手県・一関シネプラザ 公開記念舞台挨拶レポート

7月4日 初日舞台挨拶 小松真弓監督×及川卓也プロデューサー レポート  

 

 

実は、2021年1月の〈ゆるっと話そう〉は、この『もち』か『ムヒカ 』かで迷っていた。

1月だし、正月だし、もちはいいんじゃないか。

今年はわたしもコロナ禍ゆえに実家に帰省できないから、郷里を思い起こす『もち』で話したい気持ちもあった。そういう人は多いのでは、という見立てをした。

自分の故郷や家族、喪ったものの話、自分のルーツの話を聴きあい、思いを分かち合う、温かくよい場になるだろう。どの土地にルーツを持つ人にとっても何か語れることはある。

懐かしい思いを語るうちに、「自分にとっての地域や遺していきたい文化」の話にも展開しそう。

たくさんの喪失を経験した2020年だったから、それを丁寧に悼む時間にもなりそう。
映画が撮り方が実験的なので、そこもたくさん語れそう......などなど、いろいろと魅力は尽きなかった。
 

しかし、この作品は「言葉にしたい」「誰かと分かち合いたい」という欲求が湧くよりは、自分の中で温かく持ち帰りたいタイプの映画に感じた。

また、社会や世界が揺れている今は、『ムヒカ』を見て語ることのほうが人々から求められているようにも感じた。根拠はないが、感覚として。

 

苦渋の決断で、『ムヒカ』に決めた。

でも『もち』でも語ってみたかったという気持ちもある。
またそんな機会があれば。

 

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※蛇足、次の展開。

たまたま視聴していた講義の中で、こんな話題が出てきた。
『もち』とつながる話のように感じた。

山本博之准教授「メディアとコミュニティ―東南アジアから考える」第1回

京都大学人社未来形発信ユニット

オンライン公開講義シリーズ「立ち止まって、考える」

災害では人々の記憶の拠所も失われる。災害で馴染んだ風景がすっかり変わってしまったことで、自分が一体誰でどこにいるのかわからなくなったという感覚に襲われた人もいた。風景には、個人の印象や価値観が折り込まれている。個人が社会が風景に意味を紐付けしたものを"文化空間"と呼ぶことができる。災害では人命や財産だけではなく、個人が文化空間も被害を受ける。

文化空間は目に見えるように表現するのが難しい。どのように表現して、どのように共有するのかが難しい。しかし試みはある。被災地で意味の紐付けがされているものを観て、その意味を感じてみるという方法。何か見えているものをその場に置くことで、なんらかのメッセージを伝えようとする。花を置く、石を重ねておいてみる、手書きで張り紙をしたり、有り合わせのものを使う。場合によっては、自分が身体を動かして、自分が何かを行動し、それを人に観てもらう、表現することでも伝えられる。目に見えない文化空間を可視化する。

もしかしたら本人たちはあまり深い意味はなくやっていないとしても、ただその場にあるものを動かしただけなのかもしれない。でもそうであったとしても、それをきっかけとして、文化空間を読み解く糸口になるのではないか。紐付けられているものを見つけ、そこにどんなメッセージが込められているのか考え、その解釈をもとに、できればその地域の人たちと意見を交換していくことで、文化空間を可視化することにつながるのでは。

(※筆者が音声から粗く起こした状態。逐次文字起こしではない)

youtu.be

 

 

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レクチャー『村上浩康の「ドキュメンタリーは創意工夫に満ちている」』参加記録

昨年末、ポレポレ坐でひらかれた、ドキュメンタリー映画監督の村上浩康さんのレクチャーに参加した。

pole2za.com

 

このツイートを見て、すぐに申し込んだ。これ、まさにわたしが知りたかったこと!

 

ドキュメンタリー映画を観ていて、「こんな奇跡的なシーンやカットは一体どうやって撮っているんだろう?」と思うことがよくある。どんな編集をしているのか。

劇映画の作り方はだいたい知っている(と思う)が、ドキュメンタリーについての知識が乏しい。ドキュメンタリーにも演出があると聞いたが、それは具体的にはどういうものなのか、ずっと知りたかった。

そこに特化してレクチャーしてもらえる、しかも現役監督から直接聴ける機会は貴重だ。

「作りを知る」ということは、「鑑賞の視点を養う」ということでもあるから、今回聴くことは、わたしの仕事上、とても重要な学びになることは間違いない、と確信していた。

 

 

わたしは、村上監督作品を2020年公開の『東京干潟』『蟹の惑星』で知った。

higata.tokyo

 

そのときの感想。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

村上監督は映像の作法や体系を誰かから習ったわけではない。映画をひたすら観て、独自の実践力で表現し、創意工夫を繰り返すことを続けてこられたのだそうだ。

 

当日のレクチャーで印象に残ったこと。

※わたしの学びや考察は▶︎で記した。

 

Robert Flahertyロバート・フラハティドキュメンタリー映画の父と呼ばれた映画監督。『極北のナヌーク』(1922年)を投影しながらの解説。

・この画を撮るためには、そこで何が起こりそうか、ある程度予測する必要がある。その予測のために、取材が重要になる。それがどの程度の頻度で起こるのか、パターンがあるのか、変化するとしたらいつ、特徴的なことを確認しておく。(▶︎撮りたい映像が予め自分でわかっている。頭に描ける。そこから逆算して何をすればいいか考える。)

・対象が再度その動作、行為、言動を起こすように、誘導することもある。では「演出」とは「ヤラセ」なのか?その違いは?

・やっているのは、自分の感じた驚きを観客に伝えるための創意工夫。自分の見た現実を自分のフィルターを通して表現する、作品にする。(▶︎ただ現実を写しても、背景や前提が共有できなければ、観客を飽きさせずに最後まで連れていくのは難しい。特に商業映画を撮っているなら余計に大切になる、ということか。そのままをただ見せることも、できなくはないが、そうすると「観られる人」「読み解ける人」が限られてしまう。)

 

▼村上監督作品『東京干潟』を投影しながらの解説。対象とのコミュニケーションについて。

・環境、登場人物、話、生活、人生......などの要素を工夫しながら順に見せていく。人は一気には受け取れない。(▶︎人間の脳の処理能力、知覚能力、心理などを踏まえて、何をどの順で観せていくか、聞かせていくかを考える。像を結びやすくするということか。人に教える、講座を設計するなどにも活かせる話)

・人間が意識しているものは、シーンが重なると次第に忘れる。ただし潜在意識は引きずっているので、事前に少し入れておいて、あとで再度別の形で登場させると印象がつきやすい。

・問い方が大事。その話が出るように"誘導"する。同じ話を何度も聴く。基本人の話というのは再現性がないが、長く撮っていると同じことが起こりやすくなる。どう現実に働きかけるか。「もう一回話してくれませんか」と言って聴き始めるが、帰結点は決める。また、聴きたい質問の2つ手前から聴き始める。(▶︎インタビューにも通じる。敬意は忘れず。伝えたいからこそだが、やりすぎない。コントロールにならない。)

・長い期間撮って関係ができていると、対象が演技をしてくれることがある。期待に沿おうと振舞うようになる、撮られていることを意識するようになる。逆に、人はカメラを意識しないようにする振る舞いも起こる。あたかも撮られてなどいないように。撮る側と撮られる側の心理がある(e.g. 『ニューヨーク公共図書館』by F.ワイズマン監督)

・「いつもと違う」という設えをすると、現実が動くことがある。(▶︎逆に言えば、現実を動かしたいときは「いつもと違う」設えをする。これは他のことにも生かせそう)

 

▼村上監督作品『蟹の惑星』を投影して、ドキュメンタリーの音についての解説。

・その場の音でないものをつけることもある。実際にはそのタイミングでは聞こえないが、効果を高めるために、映画の説明として意図的に。短い時間でぎゅっと体験してもらうために。(▶︎これも"嘘"ではない。ひとえに"自分の感じた驚きを観客に伝えるための創意工夫"と理解できる)

・自分にしかわからないこだわりや秘密を作品に仕掛けておく。誰からも理解されなくてもよく、ただ自己満足のためにやっておくと、「ご批判」があったときにも耐えられる。(▶︎これすごく分かる......。書くこと、作ることの中で、今まで無意識にやっていたけれど、今後は意図的に入れてみようと思った)

・何かに使いたい素材は置いておく。いつか使えるかもしれないから、あきらめない。同時に制作している他の作品と融通しあうこともできる。

・映像と音は独立した表現物として、拮抗させながら一つのものにするのがおもしろい。

 

▼その他。

・環境に負荷をかけないように撮る。

・実は何十匹もの蟹の映像を編集して、一匹のように見せている。同じ条件下で撮る必要があったので、3年を要した。

・現実が浅薄な意図を軽々と超える瞬間があり、そこに圧倒される。

 

わたしが個人的に質問したいこと。(まだ聞けてません)

・村上監督の聴き方が非常に印象的。寄り添う、補う、反復、温かい関心。こんなふうに聴いてもらえるなら、誰でも話してしまうのではないか。これもドキュメンタリーの技術?この聴き方はどこで学ばれたり、鍛錬されたのか?

・話を聴く時に、帰結点は決めるとのこと。帰結点はズラすこともある?手放すこともある?どこに到達するかわからないけれどひたすらついていくときもある?

・どのように関係をつくっていっているのか(ラポールの形成)。撮っていないところでは、ご自分の話もするのか?

・カメラが入ることで、その場にいる人たちの関係性が変わる可能性は高い。人の人生に介入するのは怖くないですか?そういうこともハラを括ってやってらっしゃるんですか?

 

参加しての感想。

村上監督のレクチャーがおもしろすぎて、メモを取りまくっていたらインクが切れた。やはりペンは予備で2、3本入れておいたほうがいい(これも学び)。

ポレポレ東中野の小原さんが冒頭の挨拶で、「参加した人が自分の仕事や活動の創意工夫へのインスピレーションになったらうれしい」というようなことをおっしゃっていた。

聴きながらわたしが思い浮かべていたのは、やはり自分の仕事のことだった。

インタビューやコンサルテーションやファシリテーション

これらはどれも事前に準備して想定する。
身体を運んで、関連事項を調べて、資料に当たって、コミュニケーションして、タイムラインを引いて......どれだけ準備したかで当日の場が決まるから、準備が本当に大切。

実際の場で、用意していた素材やアイディアを使うこともあれば、使わないこともある。その場で思いついて採り入れることもある。

そのときの取捨選択の判断が、関わる相手をできるだけ損ねないような訓練を別途していて(たとえば競技かるたや家事や書き物)、種々準備はするのだけれど、一番の手応えは、現実が想定を遥かに超えてきたとき。これはちょっと言葉にはできない喜び。

Amazing!な瞬間。うわ、キタコレ!と驚いて、わくわくして、圧倒されている。
コントロールが利かないことが怖くて嬉しい。でもこれが起こるには「想定」が大事。

それを村上監督は「創意工夫」と呼んでおられたのではないか。
意図して置く。置き続ける。
真剣に、真摯に取り組み続ける先に起こるご褒美みたいなとき、現象、運命の反転。

能「小鍛冶」にも通じる。やるだけやって、葛藤もしつくして、あとは神様(大いなるもの)に委ねる。意図や想定(三条宗近で言えば、相槌がいて、それが人間である)を超える覚悟ができていれば、準備ができていれば、神様は願いを叶え、相槌を務めてくれる。それは想定を遥かに超えた出来事だし、出来上がった刀剣も想定を超えている。自分が作ったけれど、それだけではないものができる。

映画の持つ深遠さや重厚さ、懐の深さに「ドキュメンタリー映画の創意工夫」という切り口で、束の間、触れさせてもらえたという満足感がある。

この世界の秘密や奥深さを他の人間を通じて教えてもらう、橋を架けてもらうのは、やはりこの上ない喜びである。

また、ドキュメンタリーと劇映画の違いや境界はあるにはあるが、厳密ではないのかもしれないという感触も得た。ワンカットでカメラ回しっぱなしで、俳優に特に演出もつけずに撮る劇映画だってあるわけだ。

いずれにしても、表現を作品としたいなら、鑑賞者がいて完成するものだから、「伝えたいこと」と「受け取ること」の出会うところについて考えるのがやはり大切で、演出も(編集と言ってもいい)当然必要になる。

「素材から演出をかける」のか、「素材自体に意図はなく、集めてから演出をかけていくのか」の違いということなのだろうか。

近頃、脱稿した著書(共著)のことも思い出す。

語り手は「わたしは(一人称)」なのだけど、「わたし」を時系列に、ままに記録したものではないし、伝わるように手直した部分も多い。

だからこれも創作。とはいえ嘘ではない。

でも生(raw)だと誰も食べられないし、調理がたまたま今回はこうだっただけで、また設えや顔ぶれが変われば違う表現になる。

 

先日『もち』という映画を観て、ドキュメンタリーのような劇映画を観て、どうしてこんな映画が撮れるのか不思議だったのだが、今回のレクチャーを聴いて合点がいった。

 

今後、他のドキュメンタリー作品を鑑賞するときに、今回得た学びを使いたい。
具体的に想像力を働かせることができ、これまでよりもさらに奥行きと深みを持って、作品のメッセージを受け取れるはずだ。

 

村上監督、ポレポレ東中野さん、すばらしい機会をありがとうございました!

 

 

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