ひととび〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

お知らせ

f:id:hitotobi:20180605135654j:plain
今後の予定

パブコメの書き方講座 〜「緊急避妊薬のOTC化(薬局販売)」のパブリック・コメントを出してみよう
https://publiccommentotc.peatix.com/

 

作品集『観ること』

https://hitotobilab.thebase.in/items/67676756

[編集]
 舟之川聖子・布留川真紀(ぐるり舎)
[デザイン]
 布留川真紀(ぐるり舎)
[表紙・目次装画]
 中尾久美 
  B6, 158 page, 2022.9.25 release

 

共著『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』

稲葉麻由美, 高橋ライチ, 舟之川聖子/著(三恵社, 2020年)
Amazon他、全国書店にて発売中(電子書籍もあります)

視覚障害者のためのデイジー版がサピエ図書館に登録されています。
▷きみトリプロジェクト展開中

kimitori.mystrikingly.com

note.com


WEB SHOP 営業中

hitotobilab.thebase.in


鑑賞対話ファシリテーション(法人・団体向け)

・表現物の価値を広めたい、共有したい、遺したい業界団体や、
 教育や啓発を促したい、活動テーマをお持ちの法人や団体からのご依頼で、表現物の鑑賞対話の場を企画・設計・進行します。
・鑑賞会、上映会、読書会、勉強会などのイベントやワークショップにより、作品や題材を元に、鑑賞者同士が対話を通して学ぶ場をつくります。

https://seikofunanokawa.com/service-menu/kansho-taiwa-facilitation/

 

場づくりコンサルティング(個人向け)

・読書会、学ぶ会、上映会、シェア会、愛好会...などのイベントや講座。
・企画・設計・進行・宣伝のご相談のります。
・Zoom または 東京都内で対面
・30分¥5,500、60分 ¥11,000(税込)
・募集文の添削やフィードバック、ふりかえりの壁打ち相手にもどうぞ。

https://seikofunanokawa.com/service-menu/badukuri-consulting/

 

コラム
▼『場づくりを成功させるための5つの鍵』(寺子屋学)
https://terakoyagaku.net/group/bazukuri/

  

 

contact ▶︎▶︎f:id:hitotobi:20181205094108j:plain   

〈出店情報〉2023/1/15(日) 文学フリマ京都

[出店情報]

文学フリマ京都

https://bunfree.net/event/kyoto07/


日 時:2023年1月15日(日) 11:00〜16:00
会 場:京都市勧業館みやこめっせ(岡崎エリア)
アクセス:京都市営地下鉄東西線東山駅」徒歩約8分
     JR京都駅から市バス 5系統「岡崎公園 美術館・平安神宮前」ほか
入場料:無料

ブース:ひととび書籍部(こー31)

 

 

昨年9月の文学フリマ大阪、11月の文学フリマ東京に続き、3度目の出店です。
『きみトリ』『観ること』『積読本をひらく読書会のレシピ』などを持参します。
いろんな方とお話するのを楽しみにしております。

〈お知らせ〉2023/1/13(金) パブコメの書き方講座 〜「緊急避妊薬のOTC化(薬局販売)」のパブリック・コメントを出してみよう

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

すっかり告知を出すだけのブログになってしまいましたが、今後の運用もいろいろと考えているところです。これまでのような鑑賞記録をつけるブログからは変更していく予定ですが、そうこうしているうちにあっという間に一年が経ってしまいそうな気がします……。

さて、本日は新年一つめのイベントのお知らせです。

パブコメの書き方講座 〜「緊急避妊薬のOTC化(薬局販売)」のパブリック・コメントを出してみよう

👉詳細・申込 https://publiccommentotc.peatix.com/

 

これから私がさらに取り組んでいきたいこととして、「声をつくる、声を届ける、そのために学ぶ」があります。本質は「自分の思いや考えを自分の言葉で表現する」で、これまでと変わりありません。パブコメはその一つの手段です。表現です。課題はあるかもしれないけれども、広く開かれた手段です。

そして緊急避妊薬のOTC化は人権に関わるテーマです。私個人としては一日も早く実現してほしいと思います。でもこのイベントはそのような推進の主張を書いてほしいと求める場ではありません。なぜならパブコメ自体が賛成か反対かの二択を迫るものではないからです。

求められているのは、「あなたの考えを書いてください」です。あなたの立場から、経験から、あなたの言葉で書く。そのときに現状を知り、現状の課題を知る。自分の経験を振り返ることになる。 エネルギーの要る作業です。どんな分量であっても自分で書くのはエネルギーが要る。だから意味がある。

講師、ゲストの産婦人科医、厚労省職員の方々は、どなたも「推進か反対かの前に、まずは知ることが大切」というイベントの趣旨に賛同して登壇してくださいます。推進の主張を明確にした言論は既に多くあります。オンライン署名などもあります。それとはまた異なる温度、異なる立ち位置からの場です。

パブリック・コメント自体があまり知られていないと思います。
きょう話した方はご存知なかった。でもいい質問をもらいました。
「無記名だと訳わからないものもあるはず。どれを意見として取り上げるのか、どういう基準か」
「新聞でよくアンケートしているものと同じなのか」

まさにそこのところ、当日講師と厚労省職員の方からお話が聞けます。

この社会ってそうなってたんだ!とまた一つ知る機会になると思います。

ご参加お待ちしております。

 

講師の阿真京子さんが綴ってくださった、この取り組みへの思いです。

ameblo.jp

 

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鑑賞対話の場づくり相談、ファシリテーション、ワークショップ企画等のお仕事を承っております。


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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年

〈お知らせ〉12/21(木)2022 冬至のコラージュの会(オンライン)

2022年のふりかえりにコラージュ制作と鑑賞対話の時間を過ごしませんか。
年に4回ひらくコラージュの会。今回は冬至の日にひらきます。
今回を最後に、しばらく舟之川自主開催のコラージュは休止します。
コラージュを使ったイベント設計のご相談、ファシリテーションのお仕事のご依頼はいつでもお待ちしております。

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コミュニティへの出張開催も承ります

雑誌やチラシや写真を切って、台紙に貼り付けていく、だれでも気軽に楽しめるコラージュです。オンラインも可。お問い合わせはこちらへ。

hitotobi.hatenadiary.jp

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〈お知らせ〉2022/11/20(日) 文学フリマ東京35

9月の大阪に続き、11月の文学フリマ東京に出店します。
_____________________________
11月20日(日) 12:00〜17:00
入場無料
ブース:第二展示場1階Eホール【 い-69 】
屋 号:ひととび書籍部
_____________________________
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』『観ること』『積読本をひらく読書会のレシピ』などを販売します。
ぜひお立ち寄りください🙂

新作《観ること》をリリースしました

《観ること》

f:id:hitotobi:20221010152841j:image
_____
“もっと世界と受け取り合い、もっと世界と親密になっていいんだよ”
手の中でめくるたびに声がする。呼びかけに応えたくなる。
鑑賞対話ファシリテーターの舟之川聖子が、自らのライフワークを「観ること」と名づけ、本のかたちにまとめた図録作品。
私的な経験を綴ったエッセイのように見える文章は、自己を質的に社会調査して記述するオートエスノグラフィー的な装置。
読者が自らの世界との結びつきをrecall(呼び起こす)できるよう、さまざまな仕掛けが施されている。
_____
[目次]
 身体を知る
 出会いなおす
 仕事をつくる
 ルーツを辿る
 人間と生きる
[編集]
 舟之川聖子・布留川真紀(ぐるり舎)
[デザイン]
 布留川真紀(ぐるり舎)
[表紙・目次装画]
 中尾久美 
 http://nakaokumi.com/
  B6, 158 page
 

_____
 
お求めはネットストア hitotobi lab. にて

〈お知らせ〉9/25(日)第十回文学フリマ大阪に出店します

9/25(日)第十回文学フリマ大阪に出店します。

店 名:ひととび書籍部
ブース:I-52
会 場:OMMビル2階
アクセス:谷町線・京阪 天満橋駅すぐ

はじめての文フリ参加です。
この日初売りの新作あります。
ぜひお立ち寄りください。

公式ウェブサイト:
第十回文学フリマ大阪(2022/09/25) | 文学フリマ
Webカタログ:

第十回文学フリマ大阪 出店者リスト - 文学フリマWebカタログ+エントリー


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〈お知らせ〉2022/9/26(月) 2022 秋分のコラージュの会(オンライン)

恒例のコラージュの会、今回は秋分に合わせて開催します。
当日から少しあとになりますが、新月ですのでスタート感があります。
 
今年もあと3ヶ月。
今振り返りたいこと。展望したいこの先。
自分の感覚を頼りにつくっていくと何かが見つかるかもしれません。
 
今回もオンラインでの開催です。
12歳からご参加いただけます。

詳細、お申し込みはこちらからどうぞ。

https://shubuncollage2022.peatix.com/

 

前回、夏至の会のレポート

〈レポート〉2022 夏至のコラージュの会 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

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コミュニティへの出張開催も承ります

雑誌やチラシや写真を切って、台紙に貼り付けていく、だれでも気軽に楽しめるコラージュです。オンラインも可。お問い合わせはこちらへ。

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年

展示『日本の映画館』@国立映画アーカイブ 鑑賞記録

国立映画アーカイブで企画展《日本の映画館》を観た記録。

f:id:hitotobi:20220627213240j:image

こちらのレポートがとてもよくまとまっているので、実物を観る前に読むとひと通りの流れと見どころがつかめます。もちろん行けない方にも内容がわかるのでおすすめ。

www.museum.or.jp

 

日本に常設映画館ができて今年で119年。およそ120年。

まだたったの120年。

そしてこの120年を映画という軸で見てくると、なんと大きな社会の変化があったことかと思う。

社会情勢の影響を受けながら人々の暮らし(生きる、働く)も変化し、人々が見たいもの、映画館に求めるものが変化し、あるいは映画館の提案に人々が反応し、世界の映画の潮流にも乗りながら、発展してきて今がある。

初期の映画館。人々が新しいものを一目見ようと詰めかけた姿。一本の通りに何軒も映画館が並ぶ様は模型や写真でしか確認できないが、その熱狂ぶりが伝わってくる。

戦中の検閲や国策映画の時期も経て、戦後に再び人々が映画に娯楽を求めた様子は、『ニュー・シネマ・パラダイス』にも描かれていた通り。さらにそこから日本独自ともいえる映画館文化も作られていった。

そして、「各地の映画館の歴史は、その土地の映画受容の歴史である」とキャプションで表現されていたけれど、まさにそういう形で発展していったことが展示から読み取れる。川崎と北九州の事例は貴重だ。

 

Instagramで紹介したものを含め見どころはいろいろあるが、上越市にある日本で一番古い映画館、高田世界館を映したドキュメンタリーのビデオ『まわる映写機 めぐる人生』(2018年、森田惠子監督)が15分ぶん観られる。

これはとてもよいので、ぜひ時間に余裕を持ってお訪ねいただきたい。

 

データ「1946年以降の映画入場者数、興行収入、映画館数、公開作品数グラフ」を見ると、2019年の数字が突出しているのは何があったんだろう。これだけ見ると最低迷期に比べると映画の状況は今けっこう良いと言えるのだろうか。

スクリーン数であって劇場数ではないが。評論等で確かめてみたいところ。

 

栄枯盛衰、映画館のいろんな時代があっての今。

インターネット配信による鑑賞がますます根づき、また新型コロナウイルス感染症のあおりで映画館運営が厳しさを増す現在、本企画は、映画館に人々が集うことの意義を再び確認するとともに、映画の持つパワーを映画館という場所から捉え直す好機となるでしょう。(国立映画アーカイブのウェブサイトより)

最近とみに思うのは、映画館は上映する映画によって変化してきたということ。あるいは映画館の生き残りをかけた技術が、映画の表現の幅を広げたとも言える。

全部に当てはまるわけではないが、ハリウッドで制作されたり、大手チェーンにのって大ヒットする映画は、映像や音響など体全体で揺さぶられるものが本当に多くなってきたと個人的には感じている。IMAXシアターを最初から想定されて作られているなど、映像による視覚や聴覚の興奮に訴える、体への刺激が強い作品も多い。もちろんそれだけでなく、物語としても優れていて、芸術的要素を含む作品も多い。

ただ私はどちらかというと、刺激の強い映像表現が最近負担になってきたので、あまり観ない。どうしても観たい場合は、インターネット配信されるのを待って、ノートPCの小さなモニターで観ることにしている。

配信では音量や見たくないシーンをスキップする自由があるのがよい。映画館で見るということは、基本は席に座って連続して見続けるという、ちょっと極端に言えば、半強制の環境下に置かれることに同意することだ。観客の状態、性質によってはそれが難しいとき、環境が観客側でコントロールできるのはよいことだと思う。邪道と言われるかもしれないが仕方がない。もちろん、映画館で観るのに一番ふさわしいように映画が撮られているという基本は尊重した上で、だ。

インターネットの配信は旧作にも気軽に出会える、再会できる良さがある。アーカイブという意味合いもある。人それぞれ作品と出会うタイミングがあるし、後の世になってその作品が再評価されることもあるので、旧作が観られる環境はありがたい。

映画館にアクセスしづらい地域に住んでいる人にとっては、配信は重要な存在だろうと想像する。

また、最近では当初からインターネット配信向けに作られる番組も多い。逆に配信向けに作られた作品が映画館で上映されることもある。製作と興行の関係もさまざまに変わってきていそうだ。

そういえば映画館の労働問題もあった。これも「日本の映画館」を語る上で無視できないテーマ。

 

bunshun.jp

【特集2 映画界のハラスメントを考える】(映画業界意識調査アンケート)

www.gendaishokan.co.jp

 

2022年には日本の映画業界にとって大きな出来事がある。

7月29日には東京の岩波ホールが閉館となり、一つの時代が終わるのだ。私もお世話になってきた劇場なのでとても寂しい。

 

一方で、地域に根ざしたミニシアターあるいは、ミニシアターよりもっと席数の少ないマイクロシアターの開業も続いている。

sst-online.jp

www.akita-abs.co.jp

6年目に設備を拡充するシネマ・チュプキ・タバタの存在もある。

motion-gallery.net

 

2020年のコロナ下で、映画館が休館を余儀なくされたとき、あの人々が同じ空間に集って暗い中で同じ映画を見て、笑ったり、泣いたり、息を飲んだりした時間がどれだけ貴重なものだったかを痛感した。

時間が経って、映画館で観ることがまた日常に組み込まれてくる中で、あの感覚はだんだん薄れつつある。それでも、「映画館で映画をみるという体験は、人間にとって欠くべからざる営みだ」と強く感じたことは、たぶん一生忘れないと思う。

映画館が日本にできて約120年。今後どう変化していくのか。

もしかして加齢と共に、古き良き時代を懐かしんで感傷的な思いをすることのほうが私には増えるのかもしれないが、引き続き見ていきたいと思う。

 

英語のサマリーをいつももらうことにしている。なぜか日本語版がない。

f:id:hitotobi:20220701122623j:image

 

全ての展示の撮影がOKだった。うれしくていっぱい撮った。

 

 
 
 
 
 
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公式アカウントの見どころツイート。最近こんなふうにちょい見せしてくれるミュージアム増えた。リマインドにもなっていい。(行こう行こうと思ってたけどうっかり忘れてた、とか)

 

こういう映像が保存されているのが、国立映画アーカイブのありがたいところ。

 

次回の黒澤明展も楽しみ。

www.nfaj.go.jp

 

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年

〈レポート〉5/28 『ピアノ -ウクライナの尊厳を守る闘い-』でゆるっと話そう w/ シネマ・チュプキ・タバタ

2022年5月28日、シネマ・チュプキ・タバタさんと、映画感想シェアの会〈ゆるっと話そう〉を開催しました。(ゆるっと話そうとは:こちら

 

第30回 ゆるっと話そう: 『ピアノ -ウクライナの尊厳を守る闘い-』

2014年2月、親ロシア派の政権に抗議する市民や学生が機動隊と対峙した「ユーロ・マイダン革命」を、ピアノ・音楽・人を中心に編んだドキュメンタリー映画
ウクライナで起きている戦争に対して、映画館主として今、何をすべきだろう? 何ができるだろう?」とのチュプキ代表の平塚さんの思いから生まれた5月の特別企画「ウクライナ難民支援上映」にて上映されました。
 
▼ オフィシャルサイト

ukraine-piano.com

 

▼ イベント告知ページ

chupki.jpn.org

 

2020年11月以来、久しぶりの劇場での開催、対面での実施でした。

参加者は、上映のあとそのまま残ってくださった方や、音声ガイドの有無で2回も観てこられた方、少し前に観て、この日のために再度足を運んでくださった方など、10名。

聴覚障害の方もおられたので、UDトークを使って対話を進めました。

UDトークとは、スマホタブレットにアプリとしてインストールできる、音声認識&表示ツールです。スマホ一台あれば、通常の会話を画面上に表示することで、聴覚障害の方と会話ができます。聴覚障害の方のほうは、発話、筆談、タイプ入力など、応答の仕方は様々です。

〈ゆるっと話そう〉では、UDトークのアプリがインストールされているタブレット聴覚障害の方にお渡しして、会場で出る発言が自動で表示されたものを見ていただきます。音声認識は完璧ではなく、誤認識、誤変換()が発生します。そのためチュプキのスタッフさんがPCからログインして、その都度テキスト修正を行う対応をしています。

※誤認識、誤変換について補足
地名や人名などの固有名詞、日本語にない単語(カタカナで表されるようなもの)は、予め単語登録することによってUDトークが認識しやすくなります。しかし、同音異語、日常であまり使わない単語、話し方の癖、周りの音の影響など、様々な条件により、どうしても誤認識、誤変換が発生します。

▼UDトークについて詳しく知りたい方は、ウェブサイトをご覧ください。

udtalk.jp

 

対話をはじめる前に、いつものように「全体の流れ」「話し方のルール」「映画の概要」を共有しました。

60分という限られた時間ですので、一人ずつ2, 3分ぐらいの感想を2周できればという目標をお示し、できるだけ全員に感想の機会を作れるよう、ご協力をお願いしました。

また、今回の映画は、人によって知識の量や、関心の度合いもかなり異なる作品です。歴史や政治情勢を詳しく学んでいる方もいらっしゃれば、今回初めて過去にこういう出来事があったと知る方もおられます。

〈ゆるっと話そう〉は、あくまで感想を語る場ということで、教える・教えてもらう勉強会のようなものではなく、お互いの感想を聴き合う中での発見を楽しんだり、「わからない」や「知らない」を安心して口にできる場を目指すことも共有しました。


観賞後の余韻が残る場内で、歌や音楽の力、連帯の土台、精神の強さ、英雄という言葉、戦う意味、撮影方法、映画を通して考える日本、今起こっている出来事との関連など、さまざまな話題が展開していきました。

 

ご感想紹介(一部)

・日本とウクライナの国家の違いを感じた。ピアノを囲んで国歌を歌う人たちの表情が印象的。自分たちの国を自分たちで作っていくんだという、力強さとたくましさ、人々の国を心から思う気持ちが歌詞に現れていた。方や日本は天皇を賛美する内容。作り直したい気持ち。

・音楽の下地がある人たちだと感じた。音楽が流れるとすぐにハモってコーラスになったり、楽器を奏でる人たちもいる。ピアノを奏でて気持ちを一つにするって素敵。

・音楽の力を感じた。映画『戦場のピアニスト』を思い出した。趣味でピアノを弾いていて、たまたま2月の終わりに、友人とコンサートをひらいた。音楽が状況を変える力になったらいい。ウクライナで苦しんでいる人たちはもちろん、ロシアで自由に発言できない人たちのことも思う。観られてよかった。一日も早く戦争が終わってほしい。

・日本でもギターでの反戦フォークがあった。ピアノを弾くことが無言の抵抗になる。

・映像の力はすごい。ユーロ・マイダン革命のことは、アンドレイ・クルコフ『ウクライナ日記 国民的作家が綴った祖国激動の155日』で背景を知っていたが、映像の迫力に驚いた。逆に映画では背景や写っている人の立場などがよくわからなかった。

・ロシアのロックが流れるシーン。文化と文化の闘い。利害やイデオロギーだけじゃないものがありそう。

・紛争のど真ん中でピアノを弾くとは、なんて強い人たちなんだろう。安全なところで後ろから応援するのではなく。パンケーキを味方だけじゃなくて敵にも配りましょうかと言う、優しさの強さ。/その利他の気持ちは民族性なのか、その人の個性なのか。

ウクライナの多くの家では地下にシェルターがあるらしい。攻撃されるかもしれない前提で、何かあったときのための備えが日本と全然違う。一見すると「うわっ」と思うが。何百キロもロシアと国境を接しているという現実があるからか。

・エンディングが気になる。闘いが続くということなのか、ピアノはどうなるのか、観客に委ねられている。/続きがあってほしい。/40分じゃ短い。続きやその後の革命後の状況を知りたくなる。あえて作品として作った監督の意図があるのかも。

・ユーロ・マイダンとは何だったのかを知りたくて観にきた。戦争や紛争の地域はたくさんあるけれど、自分たちの国や生活と直結する感覚を持ったのは今回が初めて。比較的民主主義の理念を共有している人たちが突然侵攻されるということ。そして2014年にこんなことがあったとは全然知らなかった。二重のショック。

・ピアノを引き取りたいと言った女性に「あなたのことを知らない」と兵士に言われるシーンに驚いた。チラシには「ピアノ過激派と呼んで、革命の象徴となった」とあったので、てっきりみんなが知っているのかと思った。このズレが気になっている。

・音楽で平和に人がつながるということに関心がある。バスの上でピアノを弾くシーンでの兵士の表情と、身内のナショナリズム的な団結が強まる様子。クラシックに対してロシアンポップスでのバトル、音楽のいろんな側面を考えさせられた。

・対立が自己目的化することがあるのでは。何のために争っているのかわからないけれど、相手を攻撃しなくてはいけなくされている人たちが、音楽の力によって相対化される。「心にヘルメットかぶってるよね」と言われた兵士の虚ろな感じに現れていた。

・革命の最中に、一体どうやって撮られたのかが気になった。/よく記録映画として残ったな。/カメラマンが撃たれても不思議ではない現場。機動隊の人をアップで写せているのは、寛容なのか。

・ピアノを弾いている中で、ケータイの明かりを点滅させて、恍惚とした表情でいる。暗闇の中に一人ひとりの、生きている、ここに人がいるということを訴えるような光を点滅させている。ドラマチックすぎて、もしかしてドキュメンタリーじゃないのかと思うほど。個人的にはあそこがクライマックス。

・お葬式のシーンで「英雄たちに栄光あれ」と声が上がっていて、英雄ってどういう人たちのことなんだろうと考えた。あの場面では亡くなった人たちへの哀悼だとわかるが、「英雄」という言葉を使って上から押し付けられる愛国心ナショナリズムもある。別の場で、「難民はかわいそうな人たちではなく、戦禍を生き抜いた英雄」という言葉も聞き、考えている。

・ユーロ・マイダンの新ロシア派の人たちは、今の戦況の中でどの立場にいるのか。

 

皆さんのご協力もあり、お一人ずつ発言していただいてぴったり2周することができました。

お一人の感想の中にたくさんのものが詰まっていて、短い作品だけれど、いろんなことを感じられていたことが伝わってきました。

チェルノブイリ原発を見にウクライナに行ったときの現地の方の歌う姿、ご自身もピアノを弾くという方にとっての音楽への願い、1960年代後半の日本の大学闘争の時代を知る方のお話なども、うかがうことができました。

 

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ファシリテーターのふりかえり

映画本編は41分という短さで、ナレーション等での背景説明が少ない作品でしたが、逆に様々な視点から自由に観て語ることができていたようです。

私が個人的に興味深かったのは、「説明がないのでわからないことが多い」と「国と国との戦争でも、戦闘は地域で起こる。紛争が激しい地域と変わらない日常を送る地域があるのが現実」の二点。

前者については、わからないからこそ、自分で調べてみようときっかけになる点。観客までもイデオロギーや対立構造に巻き込むのではなく、想像力が必要になるので、人と感想を交わしやすい作品だと思います。

後者については、戦争だけでなく、災害もそうですが、私も報道を見ていると、ついつい全部がどこも同じような状況のように粗く捉えがちです。一歩引いた目線を持ち、個別に見ていくことの大切さに気づきました。

また、写っている人たちも、観ている私たちも、一人ひとりの人間であることを皆さんと話しながらあらためて感じました。

 

今回は再び対面の場で行いましたが、やはり生の声を聞けて、すぐに反応が感じられるのがよかったです。終わってから言葉を交わしながら、徐々に散会していくあの心地よさを思い出しました。

ご参加くださった皆様、ご関心をお寄せくださった皆様、チュプキさん、ありがとうございました。

 

一日も早くウクライナでの戦闘が終わり、損なわれたものの修復を始められるよう、心から願います。

 

 

▼『ピアノ -ウクライナの尊厳を守る闘い-』は配信でもご覧になれます。

asiandocs.co.jp


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チュプキのスタッフさん手作りのピアノの募金箱。

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▼配給のアジアンドキュメンタリーズの代表、伴野さんのアフタートーク

 

▼特別企画に関する記事

ウクライナ難民を支援する映画会を5月に開催 原爆投下された広島が舞台の「黒い雨」など上映(2022.4.25 東京新聞

www.tokyo-np.co.jp

 

▼参考資料

wararchive.yahoo.co.jp

 

随時更新されているウクライナ情勢

www.jiji.com

 

2022.2.25

www.cnn.co.jp

 

おすすめ書籍

 

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年

本『非常階段』読書記録

コーネル・ウールリッチの『非常階段』を読んだ記録。


f:id:hitotobi:20220630000449j:image

 

忘れもしないあれは小学校4年生の頃、学校の図書館で借りて夢中になったミステリー&サスペンス小説。出版社があかね書房「非常階段」というタイトルであったこと、そして函の青い色をとてもよく覚えている。

非常階段・シンデレラとギャング (あかね書房): 1965|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

今は絶版になっており、ヤフオクでも高値で落札されている。商品写真で見ると、ああこれこれ!この挿画!挿絵!懐かしい。

page.auctions.yahoo.co.jp

 

小学生だったあの頃から30年以上、折に触れて思い出す本ではあったが、読んでみようというところまで至らなかった。今回どうして突然思い立ったのか、自分でもよくわからない。なんか見たのかな?

 

こんなブログも見つけた。

vellum-anp.seesaa.net

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ああー、わかる!わかります!

私も『恐怖の黒いカーテン』も大好きだった! こちらはウィリアム・アイリッシュ名義。二人は同じ人物だったのだな。今回再読するまで知らなかった。

 

児童書や古書のことには詳しくないが、あかね書房の「少年少女世界推理文学全集」といえば、もしかしたら界隈ではとても有名なのかもしれない。私もこのシリーズは大好きで、全集を読破した。ああ、このラインナップ!どれも大好きだった。

www.green.dti.ne.jp

 

そしてようやく『非常階段』の感想。

いやー、ほんとうにすごい話だった!

子どもの頃に読んだときも怖くて、夜なかなか眠つけなかったことを思い出した。大人向けの本気のミステリーだったんだなぁ。そりゃ怖いわ。

ウールリッチに共通して出てくる、「たまたま殺人の現場に居合わせてしまう」「追われる者の心理」「差し迫るリミット」「自分の切迫感が全く伝わらない相手」などの要素が満載だった。

子どもが主人公で、両親がかれに対して心身の虐待をしてくるところなども、リアリティがあって当時は余計に怖かったのだろう。大人にかなわないちっぽけな存在の自分が、もしこんなふうに殺人現場を目撃してしまったら? とあれこれ妄想をたくましくさせていた。ああ、そうだった、そうだった。

ちなみに原題は、"The Boy Cried Murder"。

今読んでも手に汗握る心理描写がほんとうに上手い。上手いのはウールリッチのもともとの力もあるだろうし、翻訳の稲葉明雄さんの影響も大きいだろう。今では日常で使わないような「拳銃(はじき)」なんて言葉も、クラシカルに響いてきゅんとする。

追い詰められた人間の脳内を瞬時に思考が駆け抜け、動物的勘と共に判断して、事態を切り抜けていく様子はスリリングだ。

流れる血のねっとりとした感触や、錆びた鉄のざらつき、酒のにおい、けたたましい笑い声や、荒い呼吸を感じる。

とても映像的な小説だ。実際に映画化された作品も多い。

ヒッチコックの『裏窓』や、トリュフォーの『黒衣の花嫁』などは有名だ。にも関わらず、ここでもまたあの「非常階段」の人が原作とは気づいていない私。ああ、そうだったのかーー! 別々に記憶していたものが、突然一気につながる……。

 

今の時代ならいろいろと問題のある表現も多いが、ウールリッチが生きたのは、1903年〜1968年なので、仕方がない。特にこの白亜書房のコーネル・ウールリッチ傑作短編集の「別巻」は、稲葉明雄さんの原訳をそのまま紹介しようという趣向なので、あえて差別的な表現をそのままにして掲載しているとのこと。

この稲葉さんの訳のおかげで、小説を通じて見えてくる当時の人々の姿は、私には新鮮に映る。街並みや建築物、店や地下鉄の駅構内の様子、生活習慣、一般的な職業、ファッション、人間関係、話し方、関心など、小説自体はフィクションだが、当時の読者にとっては自然にイメージできる身近なものだからこそ、人気を博していたのだろう。

そのとき選ばれた訳語は、それぞれの短編が雑誌に掲載された1936年〜1947年当時の日本人が自然に使っていた言葉なのだろう。それを感じるのもまたおもしろかった。

 

「非常階段」はちょうど今頃の季節の蒸し暑い夜にぴったりの作品だ。

期待を遥かに超えた読書体験の興奮で、さらに暑さが増した。

 

・・・

Wikipediaをさっと見た限りだが、ウールリッチはかなり変わった人で、厭人的な人生を送っていたようだ。

評伝が上下巻で出ていた。

 

新刊で入手できるものも減ってきているようす。早めにレスキューしないとこちらは絶版になってしまうかも……。

電子書籍で出ているものもある。

 

今回図書館で借りて読んだのは白亜書房のシリーズ。装幀がよいのだけれども……。

 

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オペラ《トゥーランドット》@METLV 鑑賞記録

METライブビューイングでオペラ《トゥーランドット》を観た記録。

www.shochiku.co.jp

 

トゥーランドットをMETLVで観るのは2回目。2019-2020シーズンのフランコ・ゼフィレッリ版。

こちらはそのときの鑑賞記録。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

前回、「1秒もよそ見できないほど大好き」と書いた演目、演出なのだけども、今回はだいぶ違う印象を持った。

 

もやもや3つ

その1。

タイトルロールのアンナ・ネトレプコが降板になった。(理由はこちら

代役のウクライナ出身のリュドミラ・モナスティルスカは迫力もあってよかったんだけれども、やっぱりネトレプコトゥーランドットを観たかったと思ってしまった。この先ネトレプコを観られることってあるんだろうか……。

「ロシアによるウクライナへの侵攻に対抗して、民主主義国の結束を示す顔ぶれだ」とゲルプ総裁のインタビュー。

客席にはウクライナの旗がかかり、ウクライナ、ドイツや日本の駐米大使も鑑賞する日で。モナスティルスカもカーテンコールで国旗を羽織って出てきて。おそらく1幕ごとのカーテンコールもこの日のためで……。

「私たち」を主語にして政治的立場を表明することは、アメリカの公共機関では全然珍しくないことだから、単に日本生まれ日本育ちの私が見慣れていないというだけのことかもしれない。

皆さんが芸術に何ができるかを懸命に考えた結果だと思うから、それに異を唱えるわけではないけれど、そうだそうだ、素晴らしい決断だ、こういう場所でアピールするのは大事だ、と熱狂する感情も湧かないし、むしろ当惑して、どう受け止めたらいいのかわからなくなってしまった。

芸術に政治を持ち込むな、ということではなく。音楽家の人たち、市民の人たちにもちろん気持ちは寄せている。なんだろう、このもやもやは。

こういう気持ちを味わったことを含め、間違いなく歴史に残る公演に立ち会ったと思う。

 

その2。

キャスティング一人ひとりはよかったけれど、それぞれに関心がバラバラで、全体的に浮ついた、まとまりない舞台に感じられて、残念だった。人物と人物との間に応答性が感じられない。

カラフ王子役のヨンフン・リーは声質は好きだけど、華奢すぎて声量がやや足らない感じ。中央アジアの王子様は馬乗り回してもっとがっしりタイプがよいのでは。いや、『乙嫁語り』の彼も小柄だからそうとは決まっていないか。家父長的じゃないほうがよいのか。

トゥーランドットはオーケストラも合唱も舞台美術もフルに壮麗壮大なので、かなり強烈な個性がないと埋没してしまうのかもしれない。ただ、すんごい誠実で良い人な王子様で、見た目も雰囲気もマッチョではないのはよかった。

ピンポンパンも前回観た時はもっとはっちゃけていて、道化役としてすごくよい個性と存在感を出していたのだけれど、なんとなく遠慮があるというか、チグハグな感じ。2幕冒頭の故郷を思って歌うくだりが好きなんだけど、うーん。。

 

その3。

エキゾチズム(異国趣味)、シノワズリ(中国趣味)が満載であることへのもやもやと、あからさまに「野蛮」を表現する描き方。たとえば宮廷官僚の付け爪がすごく長いなど、演出上のこと。無理難題を申し付けて解けなかったら首を刎ねるというあたりなど。

もともとの昔話から引き継がれているものと、演出上の操作と両方が絡み合っている。

どこか遠くの架空の国の話ならまだいいのだけれど、中国の北京と限定されているからなんだろう。これ中国の人が見たらどう思うのだろうか。たまたまアメリカ史の授業で、中国人差別が強かった時代があると知ったので、この日は余計にハラハラしながら観ていた。

最近見たROHのバレエ《くるみ割り人形》では各国の踊りはできるだけステレオタイプを減じるように演出されていた。

それでも幕間で衣装の人が、古い肖像画などを見て、文様の意味を取り入れたり、官吏の地位に応じた刺繍を施していたりすると話していて、ただの異国趣味で作っているわけではないことがわかって(失礼しました)、それはホッとしたのだけれど。

オペラのアンソニー・ミンゲラ版《蝶々夫人》も最初はウーンと思ったけれど、あれは下手に正確に日本文化を写そうとせず、結構違う解釈を愛で突っ走ったようなところがあり、好感が持てた。だが嫌悪感を覚える人もいるだろうと思う。そもそものストーリーにやはり一旦はムムムとなる。

演じられてきた歴史がある。音楽的価値も高い。だからこそ、上演の際はやはりなぜ今演るのかの議論が必要になりそう。

 

幕間のインタビュー

・舞台装置担当「METの舞台装置は、外国貨物輸送に使われるコンテナに入れて保管されている。ニュージャージーの空港の近くの専用の倉庫を借りている。コンテナは現在1,500個。最大規模の装置では27個のコンテナを使用。トゥーランドットは25個使用」……なのだそう。ぎょえーー。27個使ってるのってなんだろう、アイーダかなぁ。

・あの魔法のような場面転換もすごい。大掛かりすぎて、現地時間では幕間が45分あるらしい。

・ステージの奥まで見えるように床が手前に向かって下がっているのだが、あんなに急勾配の舞台で立って歩いて歌っている人たち、本当にすごいと思う。

・マネジャーみたいな人だけでなく、幕間にペンキ塗りの補正作業してる人とか(今やんのか!)にもインタビューしてみてほしい。時間との戦いの中でどういう工夫があるのか、毎回違うステージの作りにどう対応してるのか、子どもの頃から作る仕事が好きなのかとか、聞きたい。コロナ期間中、大変だったのではと想像しているので。METのバックステージツアー、全お仕事編。それだけの回があったら絶対行く。

トゥーランドットの衣装は、鎧を着ているときは硬い素材、心が溶けてきたときは柔らかい素材を使っていると。なるほど。衣装担当の方のファッションもいつも見てしまう。今回の方は60代ぐらいで(完全に憶測)グレイヘア、黒のセットアップ、膝丈のスカートにパンプスを履いて似合うのはいいなぁ。シックで上品な装いだった。

 

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物語に関して、前回からの発展

・前回観たときに、これは女と男の和解の話ではないかと勝手に妄想したが、やはり今回もそう思った。国を追われ、父王も年老いて、しかし残された自分は王族として何かしらの形で国を再興する必要がある、その使命を負っているというのに、なぜかトゥーランドット固執する。それは彼が一国の統治を超えた別の使命、全人類を救うような使命になぜか任じられているからで、極秘使命なので近い人たちにも打ち明けずにいるから……だととしたら納得できる。

「誰も解いたことのない謎に挑戦して、栄光を手に入れたい!一番最初に勝利する男になる!」みたいなしょうもない理由であってほしくないが故に私が作り出した妄想かもしれないが。

トゥーランドットも「今まで挑戦してきた男たちみんな軽蔑している」と言っていた。トゥーランドットについ共感が生まれるのは私だけだろうか。

・父娘の関係がよくわからない。父は皇帝なのに、「不吉な掟に悩まされていて、自分ではどうすることもできない。わしを心安らかに死なせてくれ」などと言う。

娘がやっていることなのだから、皇帝の権限で禁止すれば良いのに、それができないのはなぜか。皇帝の妻が描かれないのはなぜか。娘に引け目を感じるような何かがあるのだろうか。と、これまた勝手に妄想が走る。

・今回の一番の発見は群衆の存在だった。群衆はトゥーランドットを恐れながら、実際に挑戦者たちが処刑される段になると色めきたち、見物にやってくる。

処刑直前に撒かれた宝飾品に飛びつく。そのくせ処刑が実行されるとまた恐れ、悲しむふりをする。

新たな王子に挑戦をやめておけと言いながら、また処刑が見られるとどこかで興奮している。謎に答えられると大喜び。しかし情勢が変わって、自分達が殺されるかもしれないとなると途端に王子に逃げろと言ったり、金品で懐柔しようとする……。

かれらは常に一時の感情に動かされて熱狂し、囃し立てているたけの存在、風見鶏のように形勢によって言うことを変える群衆に見える。

一人の小さな呟きが集まって束になると、それは群衆としての叫びになり、大人数の合唱によって増幅される。ものすごい迫力だ。しかも音楽は壮麗で心地よい。行われていることは凄惨なのに、こちらまでその熱狂に飲み込まれる。

 

フランスの心理学者ギュスターヴ・ル・ボン(1841 - 1931)の『群衆心理』の内容を思い出す。

人は、群衆の中にいるとき「暗示を受けやすく物事を軽々しく信じる性質」を与えられます。論理ではなく「イメージ」によってのみ物事を考える群衆は、「イメージ」を喚起する力強い「標語」や「スローガン」によって「暗示」を受け、その「暗示」が群衆の中で「感染」し、その結果、群衆は「衝動」の奴隷になっていきます。これが「群衆心理のメカニズム」です。(100分de名著ウェブサイトより)

www.nhk.or.jp

 

もしかするとトゥーランドットも、最初はそこまで残酷な仕打ちをしていなかったかもしれない。些細な振る舞いに対して群衆が喜んだり怒ったり悲しんだりする反応を見て、それに影響されて自分の言動を変化させていった可能性はある。

そして段々自分のやっていることがわからなくなり、歯止めが効かなくなったところをカラフ王子が救出にやってきて、この世界を正常化させていく。

群衆はいなくなることはない。けれども為政者が複数人で対話を通して正しい判断をしていけば、群衆を安定させ、コントロールすることができるかもしれない。

そういう難しい取り組みに、カラフ王子は自分の人生を賭けることにした……とか、もしかして。

あれ、そうするとやっぱり民主主義の話になるのか?

アメリカでやるのが相応しい作品になるのか?

今世界で起こっていることなのか?

あるいはこの劇場で?

 

『群衆心理』の初版発行は1895年。《トゥーランドット》の初演は1926年。

関係あるのか、ないのか。

勝手な符合を感じてしまう。

 

好き勝手に書いたが、あくまで私の妄想である。

やはり古典はさまざまな議論をもたらし、インスピレーションを与えてくれるものだ。

 

2021-2022シーズンのMETライブビューイング、残るはドニゼッティの《ランメルモールのルチア》ブレット・ディーンの《ハムレット》。どちらも観たい。

 

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〈レポート〉2022 夏至のコラージュの会

2022年夏至のコラージュの会をひらきました。

年に4回、春分夏至秋分冬至にひらいている製作と鑑賞のワークショップです。
https://collage2022midsummer.peatix.com/

 

リピート参加してくださる方ばかりだったので、はじまる前の雑談で、この会の良さについてあらためてうかがいました。

・人の話を聴くこと、自分の話を聴いてもらう、集中して手を動かして作る、出来上がった作品を鑑賞しあう、この時間がとにかく楽しい。見返すことはあまりしない。

・楽しい時間が作品として一枚に残ることがよい。

・ときどき見返すことができる。何回も参加していると、その時間が積み重なってくることもうれしい。


ありがとうございます♪

 

皆さんが今回楽しみにしていることは、

・集中したい
・何か見えかかっているものをつかみたい。キーワードは「蝶よ花よ」でいきたい。

・大波が来ている。今どんな状態なのか、ここからどうなっていくのか、確認したい。

ドライフラワーのように、綺麗なままでずっと楽しめる何かを作りたい。

とのことでした。

 

制作前の「荷卸し」の聴く話すの時間。

一人5分話し、ただ聴いてもらい、終了後にフィードバックをもらう。

これを話し手を変えて行うだけですが、この時間はやはりとてもよいです。

たかが5分、されど5分。

発見、インスピレーション、整理、エンパワメント。いろんなものが行き交う時間。

ぜひ日常でも作ってみるといいですよね。

あなたにだけ意識を向けて聴く5分。私だけに意識を向けて聴いてもらう5分。

あれこれアドバイスするより、よっぽど人のためになるかもしれない。

 

しかも今回気づいたのですが、コラージュをつくる前段として入れている気軽なワークなのもいいのかもしれません。聴き合うことが目的の場だと出てこないような、軽さがあるところがよいのかも。

 

肩の荷がすっきりおろせたところで、制作に入ります。60分ほど。この時間は話をせず、お互いの存在を画面の向こうに感じながら、各自もくもくと作ります。

今回は全体的に進みがスムーズで、時間通りに作り終えました。

お互いの作品を見て、感想を述べ合います。

すごいエネルギーの爆発を表現した人も、精神世界の深さを表現した人も、今まで作った中で一番のお気に入りができた人も、どうして自分でもこんなふうになったのかわかんないようなものが出来ちゃった人も、それぞれに満足のいく作品になりました。

 

個人的には、皆さんのお話を聴けたことや、皆さんの制作物を見せていただけたことが、いつもにましてありがたく感じました。正直、「他の人は今どんなふうに生きているんだろう?」と、今あまりつながりを感じにくいところがあったのです。

表面的なおしゃべりとも、深いセラピーとも違う、気軽で、温かくて、今の躍動が感じられる場だったなと思います。もちろん私のための場ではないのですが、皆さんに喜んでいただけて、私も楽しく開催できて、今回もとてもよかったです。


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ご参加いただき、ありがとうございました。

次回は秋分の日。9月23日(金・祝)13:00〜です。

募集は1ヶ月ほど前からPeatixで行います。


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出張開催承ります

雑誌やチラシや写真を切って、台紙に貼り付けていく、だれでも気軽に楽しめるコラージュです。オンラインも可。お問い合わせはこちらへ。

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本『サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年』読書記録

サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年 ー「みられる私」より「みる私」』を読んだ記録。

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2019年の同名の企画展の図録であり、一般書としても販売されている。これを読むと、展示を観に行きたかった、実物を目で観たかったな。

older.minpaku.ac.jp

 

まず表紙を見てあっと思った。この展示を思い出した。また仮面文化に会えた!

hitotobi.hatenadiary.jp

 

また、片倉もとこ氏に関しては、文化学園服飾博物館の展示でコレクションの一部を観たことがある。サウジアラビアでフィールドワークをしていた人として認識していた。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年』展は、文化人類学者で国立民族学博物館の名誉教授だった故・片倉もとこが、サウジアラビア西部のワーディ・ファーティマ地域で行ったフィールドワークでの資料を元に、最新の追跡調査と比較しながら、この50年の同地での変遷を辿るという趣旨で構成されている。

日本社会におけるサウジ女性に対する偏ったイメージとしては、「黒いベールで顔まで覆い隠されることにより社会のなかで不自由に暮らしている女性」というものがある。それに対して片倉もとこは、ベールに覆われた女性たちとの出会いを通じて、女性たちは「見られる女」/「みられる私」ではなく、「見る女」/「みる私」としての私に関心があると気づいたという。その考察をよりどころに、サウジアラビアひいては広くイスラーム社会に対して抱きがちな固定的・一面的な理解を超えて、「ベールの内からみる」主体的に生きる女性の視点へと読者を誘いたい、と考えている。(「はじめに」編者・縄田浩志)

なんだろう、ここだけでもうグッときてしまうのは私だけだろうか。

まさに私は「中東のムスリムの女性のイメージ」を抱いていた。それがいとも軽やかに覆されていくのだ。女性たちがつける仮面は、ここでは「飾面」(地域の言葉では「ブルグア」)と言うようだ。(ここのブルグアは、真ん中部分に、縦方向にコインが10枚つけられているのが特徴)

飾面をつけて、黒いヴェール(アバーヤ)をかぶることで、容姿で判断されがちな女性が、中身で勝負するようになる。容姿が商品化されるのを防ぐことができる。もちろん実用性もあって、砂や強い日差しから顔面を守る効果もある。こちらからは相手(主に男性)をよく見ることができるが、相手から自分は匿名性が強い存在になる。そうすることで力の勾配のある社会構造の中で、対等性を持てる場面もある。

容姿で判断されることを、違いや差を「あること」として受け入れ、それを逆手にとって、やらされてるんじゃない、むしろこちらにとって有利な場面もあるのだという捉え方。

より容姿で価値判断されがちなジェンダー、女性として日本で暮らす私としては、なるほどと思うところもある。見方が変わった。

とはいえ、どうして女性の側だけが隠さなければならないのだとも思うし、そうやって一方的に「見る」という仕掛けをしてようやく対等になるというのも、やっぱりそれはそれでしんどいような気がする。宗教的にも性別は男女二元論なのだろうかというところも気になる。

ちなみに黒いヴェール(アバーヤ)の下は皆さんとても鮮やかな衣服を着ているらしく、女性同士の場ではその華やかさを楽しんでいるらしい。なんだか日本の平安時代にも通じるような、男女による空間の分割と、見せる/見せないの塩梅はおもしろい。

ここでまた「はじめに」の文を思い出すと、自由/不自由の感覚というのもあくまで異文化の立場からの感覚であり、現地の人たちにとってどうかというのはまた別の問題として考えなくてはいけない。

 

衣服の工夫でいえば、おもしろかったのは、

女性は男性よりも汗をかきにくく、かいた汗がながれおちる割合が男性よりも少ない。(中略)暑くなると女性は太ももの皮下の血液を増やして、汗をかかなくても、伝導や輻射で熱をすてることができる。そうなると、女性にとっては太ももの部分の衣服がゆったりしていて、太腿から出てくる熱を逃しやすいほうがつごうがよい。(p.052)

これは自分の身体のことを思い出してみてもよくわかる。暑い時、太もものあたりはとても熱を持ちやすいし、椅子に座っていたりすると、太ももの裏の汗の量は大変なことになっている。そうか、だからやはり夏場はスカートや、太ももの部分がゆったりしている衣服がよいのだな。そこに熱をこもらせないほうがよい。

特にここ20年ほど、温暖化の影響で夏場の暑さが驚異的になってきたので、衣食住は熱帯の人々に学ぶことが多い。ここでまた一つ知恵を得た。

もしかすると、頭や顔も布で覆ってしまって、肌の露出を少なくして、強い日差しから守ったほうがよいのかもしれない。日本でも仮面のようなものをつけたほうがいいのかな? 

ジョギング用のマスクで、目元から首まですっぽりと覆うようなタイプは、かなりこの中近東の人々の衣服に近いような気がする。

 

ベドウィン・ジュエリーと呼ばれる装身具は、古代から護符やステイタスの象徴として身に付けられ、珍しい石やガラスと彫りの技術などが組み合わさった職人技で作られていたが、今は天然物が入手しづらくなったものは、プラスチックで代替されている。

 

こういう民族衣装ばかり見ていると、現代生活とは程遠い砂漠のベドウィン族の暮らしを想像してしまうが、今現在の姿もうつされる。(p.148 ワーディ・ファーティマ社会開発センターの影響と役割)

片倉もとこがかつてフィールドワークに携わっていたワーディ・ファーティア地区でも、水道が整備されてからは、人々はわざわざ遠くまで水を汲みにいくこともなくなり、定住している。行政が整備され、学校(初等教育中等教育)、大学、職業訓練センターもある。病院もある。サッカー場、体育館、プールなどもある。

女性の手作りの品を売るコーナーも設け、女性たちの社会進出をサポートする場としても機能しているとのこと。

 

そういえば、サウジアラビアは、2018年に初めて女性の自動車運転が許可されたという国。

www.bbc.com

こういうのもあった。男性「保護者」。

www.bbc.com

 

東京外大の仮面展でもそうだったし、本書でもページを割いて説明されていたが、女性が写真に出ることは相当難しいことのようだ。

仮面展のときは、展覧会ポスターのみ撮影可で、それ以外の展示物を写真にとってインターネットなどに載ってしまうと彼女たちに大きなリスクがかかるので絶対に撮らないようにと表示があった。それは彼女たち自身が決められるというよりも、家父長や社会を主にコントロールしている男性によって決められているのだろうか。

当地の「女性が顔を見せること/見せないこと」の意味について、あるいは女性の生き方についてもっと知りたいと思った。

本書に書かれていた片倉もとこのエピソードとして印象深かったのは、最初はカメラやメモも持たず、まずは関係性をつくることを大事にしたという。また、女性だけの場にいるときに、どれだけ記録したいという衝動がわいても、あえてそうしなかったこともあったと。

女性だけの集まりの中で観察者としていきなりカメラを向けることは、信頼を得ている片倉さんならやろうと思えばできなくなかっただろうけれど、女性たちが自分を開放し、楽しんでいるその場を大事にしたかったそうだ。深い愛が感じられる。

 

この本を開いたとき、私は文化人類学的な好奇心をいっぱいにしていたのだが、次第に、現実にそこで生きている人たちの姿を、私もできるだけ偏見なく、そのままに受け止めたいと思うようになった。また地域ごと、世代ごとの細かな違いにも目を配りたい。大雑把にはつかみつつ、決めきらない、留保しておく。今は違うかもしれない、個別には違うかもしれない。

そして、それこそがまさに今回の企画の趣旨だし、国立民族学博物館の目指しているところではないかとも思う。

また、50年の変化は大きい。失われていく文化も多くある。先日、同じく国立民族学博物館で観たモンゴルの100年を比較する展示でも、100年の、特にここ50年の変化の大きさを感じた。地球規模で今何が起こっているのか。大きな流れの中で、一個人はどう生きるか。他の人間とどう関わって生きるのか。

観ることが考えを進めてくれる。

 

▼参考資料

・『月刊みんぱく』紙面がPDFで読める。(なんて太っ腹な!)

https://older.minpaku.ac.jp/museum/showcase/bookbite/gekkan/201906

 

・片倉もとこ記念沙漠文化財団。学校での講演活動なども行っている模様。

moko-f.com

 

・仮面展のときも、若い世代は「ファッションとして楽しんでいる」とか、「伝統を大事にしたい」という動機でつけているという説明もあった。

www.tokyo-np.co.jp

 

今後もサウジアラビアの女性に関するニュースや資料にアンテナが立っていきそう。

過去のフィールドワークや先行研究をしている人がいたからこそ、今との比較が可能になるし、変化の度合いもわかる。やはり片倉さんの偉業は大きい。

 

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年

本『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』読書記録

『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』を読んだ記録。

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日記のような、エッセイのような、文芸のような、ガイドブックのような、インタビューのような、何とカテゴリ分けできない、不思議な感触のある本だ。

 

軽いタッチの文章ながら、読むのにえらく時間がかかった。

その理由は三つある。

一つには、その「カテゴリ分けのできなさ」に由来している。先に挙げたようなさまざまな表現スタイルと内容が次々にスイッチしていく。一定ではない。

各章はだいたい美術館ごとになっているので、訪問した美術館での鑑賞体験が核にはなっているのだが、そこに至るまでにあちこちにスイッチしていくので、「ええっと、今なんの話だっけ」と混乱し、読み返したりしているので時間がかかる。

時間がかかった理由の二つ目は、この本は、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』というタイトルだが、「目の見えない人とアートを見るってどういうことなのか?」をただ説明しようとしている本ではないということを飲み込むのに時間がかかる。

本書では、「目の見えない人とアートを見るってどういうことなのか?」に対する答えに直接踏み込んでいったりはせず、白鳥さんと見に行くことになった顛末や、自分自身とアートとの関わり、誰と行くか、何を観るか、どこで観るか、観たあと何があったか(つまりその日の出来事の流れの中での鑑賞)……を紹介しながら、その中に自然に「白鳥さんと観る」ということを含めている。

つまり、ある日のある人とのある鑑賞という体験が、どのように人生や生活の営みの延長として位置づけられているかを読者に共有するために、すごーく遠くから、広く範囲を取って、だんだんとアプローチしていっている。

全盲の白鳥さんがどうやって美術館に通うようになったのかも、たぶんこんなに回りくどい書き方をしなくても、インタビュー記事なら2,000字ぐらいで済んでしまう。でもそうじゃないことを伝えたい。そうではない営みをきっと伝えたいのだろう。

説明ではないというところが、この本の持ち味なのだろう。

ともにアートを観るということを通して、人と、世界との「かかわり方」とでも言うべきものを、読み手もかかわって見に行く本と言ったらよいのか。

そして、理由の三つめ。

川内さんがご自身の友人関係をひらいて、大切な人を丁寧に紹介して、一緒に鑑賞ツアーに連れて行ってくれるのはとても楽しい。ただ、その登場人物や、登場人物との関係に関心を持ったり、微笑ましく感じられないと、なかなか読み進めるのがしんどいところも実はある。

もともとの川内さんファンや、かれらのうちの誰かを知っている人にはもしかしたらとても楽しいのかもしれないが、この本で初めて著書を読む人には少し戸惑いを与えるかもしれない。そして時間がかかったということは、私もどこか馴染めなさがあったのだろうと思う。

私は本のタイトルや概要を読んで興味を持って、全盲の人と作品を観ることの体験そのものを知りたい人、そこで筆者が気づいたことを端的に知りたいと思っていたので(つまり読書で得たい体験が明確すぎる)、「前後」の経緯や会話の部分は冗長に感じてしまった。この入れなさってなんだろう、とちょっと考えている。

ただ、観ることの楽しさや意味、発見の喜びなどを共有しようとすると、こういう全体性に及ぶよな、ということも思う。

ある見方をすれば冗長なのだけど、説明になるとこぼれ落ちてしまうたくさんのことがある。

誰と観るか、どんな経緯やシチュエーションの中でそれを観るか、自分という個人にとってのその作品を観る意味とは何か、観て話すことで思い出したこと。それらすべて「鑑賞」にとって重要なことだ。

それを他人にひらこうとすると説明ではなくなるし、少し遠くから共有していくことになる。そして個人的な関係や、主観的な語りが含まれていく。そのことがやや他人を居心地悪くさせるところもある。逆に親近感を芽生えさせることもある。

羨ましいという気持ちもあるのかな。不遜にも。「私もこういうのを書いてみたかったなー」という。私がいつもやっている営みもまさにこういうものだよ。なんとか表現しようともがいているけれど、これというものが形になっていない。うぐぐ。

 

いやまてよ、とも思う。

ここまではもしかすると友達と美術館に行って話しながら観ることに慣れている人間にとっての感想かもしれない。

そうではなく、本はよく読むけれど、美術館にはあまり行かないという人は、ここまで書いてきたようなごちゃごちゃしたことは考えないのかもしれない。

普段美術館に行かない人、あるいは一人で行くのが常で、誰かと観るとどうなるのか、あまり想像できないという人が、こうやってツアーのように連れて行ってもらえたら、とても楽しいだろうと思う。

美術館で作品を観るってどうやってするんだろう、
なんのために観るんだろう、
誰かと話しながら観るのも想像つかないのに、見えない人と観るってできるのかな、

そんなことを考えている人にはピンとくるのかもしれない。

 

本編中、実際に鑑賞しているときのやり取りはとてもおもしろかった。人と観ることによって大事なことを思い出したり、分野を超えた知識や経験が急に収斂される感じや、学んでいく過程は、人の体験として読んでいてもやっぱりわくわくする。

それぞれの美術館の成り立ちや取り組み、作品や作者、制作背景などの解説も詳しい。(表現がスイッチして、突然詳しく説明されるのでやや驚く)こういう解説ができる方は、「アートは素人なので」とか絶対言ったらあかんーー!ずるいー!

 

 

目が見えるとは・見えないとはどういうことかに気づくところも、とても新鮮に読んだ。障害のある人とのかかわりは、私もおそるおそるだから。

たとえば白杖をついている人に駅で見かけたときに声をかけていいのかどうかとか。困ってそうだったら声をかけることにしているけれど、声のかけ方はそれでいいのかとかわからなかったので、この本で白鳥さんが教えてくれてありがたかった。

でもこれも白鳥さんが目の見えない人代表というわけではないので、個々人で経験しながら学んでいくことではあると思う。川内さんの中でちょっとずつ気づきが生まれて発展していく感じがよかった。そうか、誰でも最初からいっぺんに全部はわからない。お互いに知っていくんだ。

 

その作品を観ている自分がどういう人間なのか。それが観ているうちにわかってくるところ、人の知らなかった面を少し垣間見られる。ときには怖れを抱くところかもしれないけれど、作品を通して語るから、表面的に終わらない。ずっと自分の中に残って問いかけ続けてくれる。それこそが鑑賞の醍醐味。

それを川内さんのお引き合わせで、白鳥さんやマイティさんの話を聞けたのはよかった。暴力のこと、優生思想のこと、差別のこと……黙って聴いている自分の中でも考えがめぐる。

 

実際に白鳥さんと鑑賞している様子は、こちらの特設サイトにある動画で見られます。

www.shueisha-int.co.jp

 

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年