ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

お知らせ

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  contact ▶︎▶︎f:id:hitotobi:20181205094108j:plain   


今後の予定

 

2021年6月29日(火)オンラインでゆるっと話そう『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』

coubic.com

 

 

2021年6月21日(月)夏至のコラージュの会

collage2021midsummer.peatix.com

今後は、秋分:9月23日(木・祝) 冬至:12月22日(水)
いずれも二十四節気で当日にひらきます。ぜひご予定ください。
日程が近づきましたら当ブログで告知、Peatixで募集します。

 

 

 

2021年7月3日(土)お座敷の一箱古本市 Readin' Writin' BOOKSTORE

http://readinwritin.net/

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2021年7月4日(日)午前【学びのシェア会のつくり方講座】

 

 

2020年12月30日 初の著書(共著)発売
【きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ】
Amazon他、全国書店にて発売中(電子書籍もあります)


きみトリプロジェクト展開中です。

kimitori.mystrikingly.com

  

鑑賞対話ファシリテーション(法人・団体向け)

・表現物の価値を広めたい、共有したい、遺したい業界団体や、
 教育や啓発を促したい、活動テーマをお持ちの法人や団体からのご依頼で、表現物の鑑賞対話の場を企画・設計・進行します。
・鑑賞会、上映会、読書会、勉強会などのイベントやワークショップにより、作品や題材を元に、鑑賞者同士が対話を通して学ぶ場をつくります。

https://seikofunanokawa.com/service-menu/kansho-taiwa-facilitation/

 

場づくりコンサルティング(個人向け)

・読書会、学ぶ会、上映会、シェア会、愛好会...などのイベントや講座。
・企画・設計・進行・宣伝のご相談のります。
・Zoom または 東京都内で対面
・30分¥5,500、60分 ¥11,000(税込)
・募集文の添削やフィードバック、ふりかえりの壁打ち相手にもどうぞ。

https://seikofunanokawa.com/service-menu/badukuri-consulting/

 

連載中
▼『場づくりを成功させるための5つの鍵』(寺子屋学)
https://terakoyagaku.net/group/bazukuri/

▼ noteでも書いたり話したりしています。

note.mu

  

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映画『黒衣の刺客』(台湾巨匠傑作選) 鑑賞記録

台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追ってきて、たぶんこれが最後の作品。

18本目。(『スーパーシチズン 超級大国民』も含めると19本目)

 

※内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

侯孝賢監督『黒衣の刺客』2015年制作
原題:刺客 聶隱娘 英語題:The Assassin

youtu.be

 

とにかくトレイラーからしてカッコいい。

本編では、この美麗な映像がひたすら続く。うっとり。

ただし、こんなに矢継ぎ早なアクションや、ドラマティックな展開は起こらず、ほとんどの時間はとても静かで、人もあまり話さない。「あまり」といっても、侯孝賢映画にしては「いつもよりちょっと少ない」ぐらい。むしろ「セリフが少なすぎる」というレビューを読んでいったので、「なんだけっこうしゃべってるじゃん」と、ここ1ヶ月で作品を一気に見てきたわたしとしては思ってしまった。

・・・


『黒衣の刺客』は、この年のカンヌで監督賞を受賞し、台湾の映画アワード・金馬奨も最優秀作品賞、監督賞などを総ナメにしているが、「話の筋がようわからん」という批判もあったらしい。

それはまぁ確かにそうだと思う。

妻夫木聡演じる青年を「難破した遣唐使船に乗ってきた日本人」と前知識なしで読める人は、そう多くはいないのでは。

妻夫木聡は日本人。
装束は唐の人のものではない、おそらく日本の奈良時代の頃のもの。
回想シーンで写っている室内空間や装飾が日本のもの。鳴っているのはおそらく雅楽で使われる楽器の笙。

という非常にハイコンテクストな設定になっている。

新羅へ向かっている、ということが本編の最後のほうでわかるが、新羅がどのあたりのことを指すのかは、東アジアの民か、研究者や歴史好きな人でないと、それ以外の地域の人にはなかなかピンとこないのではないか。

けれどもそこは、たぶん重要ではないのかもしれない。

・・・

 

今回は武侠映画というジャンルへの挑戦だったそう。武侠映画とは、中華圏の伝統的なアクション時代劇。主人公は超人的な能力を駆使して戦っている。2年前の記事だが、こちらも概要が掴める。

同じ台湾出身の、アン・リー(李安)の『グリーン・デスティニー』に影響を受けて、侯孝賢が「いつか自分も武侠映画を撮りたいと思っていた」という話が、ドキュメンタリー映画『あの頃、この時』の中でも語られていた。

だとすればもっとワイヤーアクションやCG、VFXなどを駆使して作り込むのか?と普通ならいきそうだけれど、そこは侯孝賢らしく、どこまでも真逆。ビスタサイズであるところからして、驚く。通常、横に長いシネマスコープサイズが、こういったアクション映画で迫力を出すには向いていそうなのに。そこを蹴るのか。

『フラワーズ・オブ・シャンハイ』で新たに到達した美学と、時代考証のノウハウを持って、さらに時代を遡り、エンタメとは違う方向の芸術的な武侠映画に仕立てた。

・・・

 

 

人間の立ち居振る舞いや、ヘアメイク、装束、装飾品、宮中の建築やインテリアなども美しいが、夕暮れ、朝靄、山や森、湖や川などの風景も心に染み入る。この大自然のスケール感よ!古い表現かもしれないが、「α波が出る」というのか。ひたすら心地良い。悠久の山々が包む、人間の営み。あくせくと画策しても、所詮は儚い命。

効果音以外の音楽は、エンドロール以外にほとんどなかったように記憶している。耳に残っているのは、セミの声、カラスの声、鳥の声、虫の声、箏の音、太鼓の音。音と光。

......と思いきや、突然激しいアクションシーンも生まれる。そして、それも一瞬でまた静けさに戻る。この静と動の差、メリハリもまた心地良い。

そう、どこかで知っているこの感じ......と思ったら、やはり能なのだ。

 

あらすじはあり、設定はあるが、映像や言葉での説明が最小限で、観客は自分の好きなものを見ることができる。見立てられる。

あらすじを読んで、ラブロマンス武侠映画だと思った方には、かなりの肩透かしだろう。しかし、ある意味でものすごいラブロマンス武侠映画なのだ。観客が妄想力を発揮して協力してできる映画だから。

この能で体験することを、台湾の映画監督を通しても体験できるというのは、人間に普遍の何かなのか、あるいは近い文化圏だから通じあえるのか、どちらなのだろうか。

 

・・・

 

忘れがたいのは、宮中で催される宴のシーン。

見慣れない楽器を奏でる楽士たちと華やかな衣装をまとった踊り子たち。

チャン・チェン演じる田李安(ティエン・ジィアン)も太鼓を叩き、君主自ら宴を盛り上げる。

流れているのは西方の音楽のようだ。

そうか、シルクロードの時代。トルコ、イランのほうから伝わってきた様々な文化がここにたどり着いて、元々の文化と混ざり合っているのか。そうして、遣唐使によってこの西方の文化は日本にももたらされていた......。

このシーンは、トレイラーにも一部出ているので、ぜひ観ていただきたい。

夢のような映画の中でも、さらに夢のような時間だ。


この映画を観た前に、たまたまアマゾンプライムで、『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』を観ていたので、共鳴するものがあった。

こちらもいろんな地域、いろんな楽器、いろんな音楽家が登場する見応えのある映画。このシーンが好きな人には、おすすめしたい!

youtu.be

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▼この方のブログがとてもわかりやすく、観た後に読んでも発見があるので、ありがたい。言葉がわかると受け取れるものが多いのだろうなぁ、とまた思わされる。

http:// https://tomta.hatenablog.com/entry/2016/05/13/215113

 

武侠映画の歴史や、それが他文化圏の映画界に与えた影響なども書かれているようで、この本も気になる。(やっぱり一つひとつに専門家や研究者がいるんだな!) 

 

 

そういえば、装束からだけではわかりにくいけれど、セミの声がするということは、やはり季節は夏なのか。侯孝賢映画は必ず夏だなぁ。

 

・・・

 

侯孝賢の作品としてはこちらが最新。旅はここで一旦終わり。

この1ヶ月、侯孝賢の映画を中心として台湾映画を追ってこられて幸せだった。

まだまだ観ていない作品は多いし、一度観た作品もタイミングを変えて観ればまた違うことを受け取ることだろう。わたしにとっては、とにかく一人の監督の作品を追いかけ続けた、貴重な日々だった。

次回作で、彼(ら)がどのような挑戦をするのか、引き続き期待しながら、待ちたい。

 


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映画『スーパーシチズン 超級大国民』鑑賞記録

2021年台湾巨匠傑作選の特集上映期間中に知った作品。

2018年台湾巨匠傑作選で上映されていたそうだが、そのときは知らず。今回、ネット配信で初めて観た。

『坊やの人形』収録の3作品のうちの最後の「りんごの味」で痛烈な印象を残したワン・レン監督の代表作。(『坊やの人形』の鑑賞記録

 

※ 映画の内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

監督:ワン・レン (萬仁)

原題:超級大国民 英語題:Super Citizen KO

あらすじ・概要:スーパーシチズン 超級大国民 : 作品情報 - 映画.com

youtu.be

 

以下、個人的な記録、メモ書き。

 

侯孝賢が二.二八事件とそこに至るまでと直後の市民の姿を、台北から少しずらした基隆という街に定めて描いたとしたら、これは、戒厳令直後の社会とその時点からふりかえった白色テロの犠牲になった市民を描いている。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

 映画作品の中には、映画のテーマや、作られた当時の社会背景を知識として入れておかないと大きく読み誤るものがあるが、台湾ニューシネマはまさにそのような作品群だと思う。特に、二・二八事件および白色テロ戒厳令は抑えておきたい歴史的事項だ。

***

 

この映画は、無数の許さんや陳さん、呉さん、林さん、その家族の人たちへの鎮魂の歌。灯さねばならない無数の蝋燭。「社会から見捨てられた人たち、忘れられてきた人たち」に対し、「わたし(たち)は見捨てていない!」と伝える映画。

画面いっぱいに大写しになる顔。
この人の顔を見よ!この人を見よ!と言うかのように。

「なかったことにするな!」という叫び。社会への批判。

今、この人たちへの謝罪と名誉回復は行われているのだろうか。

 

***

 

たまたまその時にその地に居合わせ、当時の国内政治や外交の情勢に巻き込まれた人々。あの屋台の主人(かつての将校)が言っていたように、でっちあげもあり、個人にはまったくどうにもできないようなことで生死が分かれてしまったんだろう。あの笑み、あのシーンで交わされる言葉の残酷さ。自分が加担したという意識のなさ。深刻さの受け止めの度合いのあまりに異なる現実。いたたまれない。

 

社会は言いたいことを言えるようになっている。デモもできる。
誰も止められない、逮捕もされないし、死刑にもならない。
まるで初めからこのような社会であったかのように。

呆然と立ち尽くす許さん。
どういう心境なのか、わたしには想像もつかない。

 

生きのびた人たちにとっても、地獄の日々だった。「当人」だけでなく家族も。

許さんの娘は自分の家族を作ったが、関係は温かいものとは言えない。夫からの理解は感じられない。戒厳令は明けたが、あの苦しい日々を誰とも分かち合うことができない。

その辛さや恨みを父にぶつけるしかない。
父に?男性という存在に?

父は何も言えない。言わないというより言えない。「心を失った」が、言葉も失っている。唯一、彼には書く言葉が残されている。彼の知性、彼の尊厳はギリギリ死んでいない。病をおして、死を覚悟で、旅に出る。

 


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内容に目が行きがちだが、それを引き立たせている映画の技法がある。注目したいのは、四つの世界で構成されている点。

一、1990年代の世界。娘さんが話しかけてくるが許さんは無言。かつての「同志」に会いに行ったりする。

二、1990年代の世界の中の、閉じられた自分の世界。モノローグ。離人感。

三、過去の回想。若い許さん。妻と娘。陳さん。おそらく忘れようとしても何度もフラッシュバックするシーンなのだろう。見る側にも強く印象づけられる。

四、過去の回想を裏付ける、当時の史実、記録フィル厶。

これらを行き来することで、浮かび上がってくる壮絶な人生がある。

色、光、音、質感。ディテールの作り込みが、この映画に本物さを与えている。

 

また、言語の使い方にも非常に敏感だ。重要な鍵だから。

台湾語、北京語、日本語。特に、日本人としてのわたしは、許さんが知識層であり、日本語で彼の知性を磨き発展させたという点に、強く惹かれる。日本語の話者は、大なり小なり、この映画における日本語の意味を感じることだろう。ラスト近くのシーンはとりわけ重要だ。

もちろん言語だけではない。日本の志願兵として祝われながら出征し、骨となって帰ってきた若者たちについても触れられている。書かれている言葉「昭和19年之烈士 為國献身」......。言葉を失くす。

 

***

 

最近、映画とは関係のない別の文脈から、"Lost Corner" という表現、 "Unsung Hero" という言葉に出会った。

Lost Corner、忘れられた、見捨てられた土地、領域。

Unsung Hero、歌われていない、賞賛されていない、日の当たらない英雄。

わたしたちの社会にもいる歴史の犠牲者のこと、現社会の犠牲者のこと。

自分自身が犠牲者となっている側面のこと。

この映画から発展して、さらに目を向けることを後押しされているように感じた。

 

*** 

 

この映画のことは、今回の台湾巨匠傑作選で上映されたドキュメンタリー映画『中国新電影(ニューシネマ)時代』の中での、日本の映画批評家佐藤忠男氏へのインタビューで知った。同じ内容がこちらの論考にある。

日本財団図書館(電子図書館) 台湾映画祭 資料集?台湾映画の昨日・今日・明日?

 

わたしは1995年の公開時はもちろん、2017年の東京国際映画祭も観ておらず、2018年の台湾巨匠傑作選も視界に入らず、今回2021年の台湾巨匠傑作選でようやく間接的に出会った。今、なんとかネット配信でたどり着くことができた。

わたしには今のタイミングでよかったと思っている。人それぞれに出会いの時期や出会い方は異なる。「然るべき時」がある。

一つの作品を時期や場を変えて繰り返し上映し、映像や本や記事の形で記録を残してきてくれた数多の方々に、心から感謝したい。然るべき時にアクセスできることのありがたさ。

 

 

▼2017年東京国際映画祭Q&A 

youtu.be

  

▼上記トークのレポート

2017.tiff-jp.net

 

一青妙さんのブログ

ameblo.jp

 

 ▼劇中に登場する、原付に乗った被り物の集団。『台湾 街かどの人形劇』にも出てきて気になっていた。哪吒三太子という子どもの神様らしい。哪吒三太子を推している人も世の中にはいるという発見もうれしい。

www.k-3taizi.xyz

 

この映画を観たあと、また調べ物を進めた。

映画にも出てくる「馬場町」の処刑場について。(2020年)

www.excite.co.jp

2018年にオープンした国家人権博物館のバーチャルツアー。

jp.taiwan.culture.tw

 

教科書図書館では、台湾統治時代や満洲当地時代の国語(日本語)の教科書、台湾の高校生が使っている歴史の教科書などを見つけた。

 

どれも遠い昔のことではない。つい最近のことだ。

国家権力によって行われた人権侵害。権威主義で統治された時代。

 

台湾の歴史と日本の歴史について調べてきた一連の流れや、そこからの学びはなんだったのか。まだまとまった言葉にすることができない。

ただ、知れてよかったと思う。

今まで気になってはいたけれどハッキリとは見えていなかったことが見えた視界の広がり。歴史を学ぶことや記録し記憶すること。様々な表現で世に問い続け、それに反応し続けること。

 

わたしが生まれ、10代を生きていた1970年〜1990年代の話でもある。自分のルーツをたどるような思いもある。わたしは、ただわたしの身の回り、すぐ近くにあった環境だけで作られていたわけではない。同時代に世界で起こった出来事でもできていたことを痛感する。この自分事の感覚はどこから来ているのだろうか。今回のことをきっかけに、引き続き個人的に探究していきたい。

いつか、まとまって綴れる日が来ることを願う。

 

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〈お知らせ〉6/29(火) オンラインでゆるっと話そう『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』w/ シネマ・チュプキ・タバタ

シネマ・チュプキ・タバタさんとコラボでひらく鑑賞対話の場〈ゆるっと話そう〉。

今月もオンラインでの開催です。
全国、全世界、インターネットのあるところなら、どこからでもご参加OK。
お申し込みはこちらからどうぞ。
 

6月はこちらの作品! 

『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記 』(2020年/日本)

youtu.be

 

公式サイト

chimugurisa.net

 

とどいてほしい ひとりの少女が紡いだ言葉。
あなたが知らない 沖縄の明るさの向こう側。
沖縄の言葉、ウチナーグチには「悲しい」という言葉はない。それに近い言葉は、誰かの心の痛みを自分の悲しみとして一緒に胸を痛めること「肝(ちむ)ぐりさ」。

北国から沖縄のフリースクールにやってきた15歳の少女・坂本菜の花さんと彼女の日記から、沖縄の素顔に近づくドキュメンタリー。シネマ・チュプキ・タバタHPより)

 

 

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日 時:2021年6月29日(火)20 : 00〜21 : 00(開場 19 : 45)
参加費:1,000円
対 象:映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』を観た方。     
    オンライン会議システムZOOMで通話が可能な方。     
参加方法:予約制(定員9名) 締め切り:6月28日(月)
 
詳細・申込はこちらから。
*「ゆるっと話そう」は、どこの劇場でご覧になった方も参加できますが、これから観る方はぜひ当館でご覧ください。日本で唯一のユニバーサルシアターであるシネマ・チュプキ・タバタを応援いただけたらうれしいです。
 
*シネマ・チュプキ・タバタの音響設備の効果により、軍用機の爆撃音や飛来音が、轟音や振動になって伝わることがあります。苦手な方は、音量調節ができる親子室での鑑賞も可能です。(親子室は大人2人程度の小さなスペースです。ご予約はお電話かメールでご連絡ください)
 
◉映画の上映期間◉
6月19日(土)~29日(火) 12:45~14:31
6月23日(水) 慰霊の日特別上映 12:30〜14:16
映画観賞のご予約はこちら https://coubic.com/chupki/726377
 

 
<これまでの開催>
※ブログで各回のレポートを読むことができます。
あこがれの空の下 〜教科書のない小学校の一年〜/ウルフウォーカー/ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ/アリ地獄天国/彼の見つめる先に/なぜ君は総理大臣になれないのか/タゴール・ソングス/この世界の(さらにいくつもの)片隅に/プリズン・サークル/インディペンデントリビング/37セカンズ/トークバック 沈黙を破る女たち/人生をしまう時間(とき)/ディリリとパリの時間旅行/おいしい家族/教誨師バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版/人生フルーツ/勝手にふるえてろ/沈没家族
 
進行:舟之川聖子(鑑賞対話ファシリテーター
 
 
<主催・問い合わせ>
シネマ・チュプキ・タバタ
TEL・FAX 03-6240-8480(水曜休)
cinema.chupki@gmail.com
 
 

 

★ 開催に向けて

シネマ・チュプキ・タバタさんでは毎月上映テーマを設定して、それに沿った作品を選んで上映されています。今回は沖縄特集です。

6月19日より【知りたい、伝えたい「沖縄」】 6月23日(水)も上映します | CINEMA Chupki TABATACINEMA Chupki TABATA


映画『ちむぐりさ』を観てわたしが感じたのは、「外の人」がガイドしてくれるからこそ、観客が受け取れるものがある、ということでした。

「外の人」が、個人的な動機から沖縄に関心を持ち、土地の人を自分の足で訪ね、痛みや願いに触れ、共にあろうとする姿を見せてくれる。

次々に起こる事件も、事件が積み重ねられてきた歴史も、「外の人」が一旦受け止め、自分の言葉で伝えてくれることで、観客が見ること、知ることができる。

知りたかった、知っておかなくてはと思っていたけれど、時期としてもテーマとして、きっかけが掴めなかった沖縄のこと。映画や映画館が、「ここから渡ってみてはどうですか?」という橋をかけてくれている。

 
『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』は、石川県から沖縄にやってきた坂本菜の花さんの視点から、沖縄市民の今を。

『沖縄うりずんの雨 改訂版』は、アメリカ出身で日本をテーマにドキュメンタリーを撮ってきたジャン・ユンカーマン監督の視点から沖縄の歴史と言葉を。

『カタブイ 沖縄に生きる』は、スペイン系スイス人の映像作家で写真家のダニエル・ロペス監督の視点から、沖縄のアイデンティティを。

 今回の特集上映は、いろんな出会いのきっかけをくれています。

 

4月の〈ゆるっと話そう〉で選んだ『あこがれの空の下』というドキュメンタリー映画もきっかけの一つでした。小学6年生の子どもたちが一年かけて沖縄について学び、現地を訪ねる様子は、『ちむぐりさ』の主人公である10代の菜の花さんとも重なります。(前回のレポートはこちら

 

チュプキさんと開催に向けてのやり取りを経て、わたしは募集ページにこのような文章を書きました。

どの言語にも、翻訳できない言葉、その言語でしか言い表すことのできない言葉がありますが、ウチナーグチの「ちむぐりさ」もその一つでしょう。
「あなたが悲しいと、私も悲しい」。
なんという深い共感の言葉でしょうか。
 
もしかしたら、
「知らないで生きてきたことの申し訳なさ」
「今まで断片的に見聞きしていたことが、一本の線でつながった喜び」
「言えなかった気持ちを、他の人が代弁してくれたときのありがたさ」
そんな感情を表す言葉も、世界のどこかにあるのかもしれません。
 
主人公の菜の花さんが出会う沖縄の風景や人々の姿に、わたしの中の10代の感受性も、激しく共鳴します。不条理なこの世界を生きるために、一人の人間に何ができるのか、考えずにはいられません。
 
とはいえ、どんな大切なことであっても、知るタイミングや学びの機会は、人それぞれ異なると思っています。その上で、わたしが今、機会を提供できる側にいるなら、それを生かしたい。どなたかに貢献したい。そんな気持ちで、当日は進行します。
 
知らないから、知りたい。
わからないから、わかりたい。
伝わらないから、伝えたい。
60分の感想シェアの場は、まずはそんな言葉を出すところから 今がタイミングかもしれないという方、お待ちしています。
 

 

〈ゆるっと話そう〉当日に向けた準備の一環で、わたしなりに沖縄について調べはじめたのですが、すでに問題の大きさや複雑さにめげそうになっています。

そんなときにわたしが思い出すようにしているのは、
一度に全部理解しきることを目指すのではなく、
「わたしとして、ここまで考えた」をやる
、ということ。

一旦、「そのこと」についての自分の当事者性を確認できたら◎。
何の問題にしてもそう。「全部理解していないとものが言えない」という自分の中の規制をほぐしていきたい。

鑑賞対話の場では、知らないことを責めることはありません。どこが気になったかとか、何を思い出したかとか、どういう物語だと感じたかということを大事にしています。「あくまでも自分にとってどうか」ということ。感覚や気持ち。まずはそれを小さく口にすることからはじめたい。

評価やジャッジされない、安心安全な場で感想を口にすることを「楽しい」と思ってもらえたらうれしいです。

 

なにより、映画の中で10代の人たちが、今の自分ぜんぶを使って学んでいる姿を見ると、「大人のわたしが逃げてたらあかんやろ」という強さも生まれてくるのです。

そういう「感じ」を観た人と分かち合えたらと願っています。

もちろん、大人だけでなく、子どもと大人の間にいる10代の人たちとも!

 

 

チュプキさんでの上映は19日からです。
詳しくは、チュプキさんのHPへ。

chupki.jpn.org

 

映画は観られないけれど、という方はぜひこちらを。『ちむぐりさ』の主人公、菜の花さんが北陸中日新聞に寄稿されていた記事が元になっている本です。

 

 

▼ゆるっと話そうは、どんな場?

hitotobi.hatenadiary.jp

 

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映画『珈琲時光』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

※内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

14本目は、侯孝賢監督『珈琲時光』2004年制作
英(仏?)語題:Café Lumière

あらすじ・概要:リンクを貼ろうと思ったけれど、映画本編から読み取りきれない設定情報が載っているので、控える。

この作品は、小津安二郎の生誕百年記念事業の一つとして制作された。

 

youtu.be

 

これまた、当初は観る予定ではなかったのだが、『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』を読んだり、特集上映に足繁く通っているうちに、観たくなってきた一本。

 

不思議な映画だ。

わたしが暮らす東京の、よく行くまちや、よく乗る電車が映っている。都電荒川線(まだ“さくらトラム”という名前のつく前)、開発される前の大塚駅や日暮里駅。神田古書店街、喫茶店御茶ノ水付近で交差する総武線と中央線と丸ノ内線。市街地の雑踏……。

日本の監督が、日本のチームで撮った、生まれも育ちも日本の映画とは全然違う。

侯孝賢の目で東京を見るとこうなるのか。

もしわたしが東京で暮らしていなくて、何の思い入れもなかったら、どんなものを見るんだろうか。きっと、今感じているような特別さは薄いのだろうな。

 

大きく2つの人間関係がある。

1、古書店を営む肇と主人公の陽子。ポスタービジュアルにもなっている。

2、陽子とその父。

 

1、この映画はおそらく娘と父(父と娘?)を描いている。

侯の作品で父と娘が正面から描かれるのはおそらくはじめて。しゃべっているのは母とがほとんどだが、寡黙な父とのほうに、より特別な何かを感じる。そのうち、肇との会話の中で、母は産みの母ではないことがわかる。

父との関係。とても言いたげなのに何もしゃべらない父。その父との関係は、陽子と、というよりもそれを演じている一青窈自身のものにえてくる。

わたしは、一青窈が台湾にもルーツを持つ人であり、彼女の父親が台湾人で、若い頃、日本で学んでいたことや、4歳のときに亡くなっていることなどを知っている。知ってしまっているので、その背景を重ねながら観るのだが、これがしっくりとはまるのだ。邪魔にならない。劇映画なのだが、ドキュメンタリーのようなほんものさが出てくる。

陽子が仕事のためにリサーチしているのが、台湾出身の洪文也という音楽家。日本にいた時代の痕跡を探しているところも、一青窈自身に重なる。

彼女が探しているのは、一緒にいるのに語らない人、ここにいたのに会えない人。

この頃、彼女がすでに台湾にルーツがあることを公言していたかどうか確認していないが、この映画に出演したことが、彼女の核と輪郭をハッキリさせていったのではないか。そう思わせるような仕掛けが随所に置かれている。撮影と共に深堀されていく、一青窈自身のルーツ、生い立ちが、物語にリアリティを与えていくような。陽子の人物設定が、一青窈でないと成立しないようにできている、というべきか。この一連の水面下で同時進行している物語もまた映画っぽい。

 

2、もう一つの人間関係、肇と陽子の関係。

映画の宣伝としては、一青窈浅野忠信の2大スターとして見せるほうが確かに目を引く。詳しいあらすじを読んでも、「肇が陽子に思いを寄せている」ということになっている。しかしわたしが観た感じでは、そのようなわかりやすい恋愛感情はあまり伝わってこなかった。それは、「女と男が近い距離にいたらぜんぶ恋愛に持っていく」という物語に、わたしがいい加減辟易しているからかもしれない。異性間で、お互いに異性が性的対象の場合でも、名前のつかない親密で深い信頼の関係はあると思うし、それが今は観たい。

陽子が何かあるごとに肇に電話をするのも、肇が陽子の疑問を仕事の範囲を超えて手伝うのも、肇が陽子の家に来てごはんをつくるのも、自分の作品を見せるのも、「とても仲が良く、深く信頼しあう友達」だからなのだなと思って観ていた。だから、陽子が一人で産むと言っても、肇がいるから安心しているんだろうなと思った。肇に育児を担ってもらうとか、そのために結婚するとか、そういうことではなく、精神的な支えであり、実質的に手を貸す存在があるという点で。

頼れる人手の話で言えば、陽子の住む家の大家さんとの関係も良好で、彼女はいろんな人に支えられながら、子どもを育てていくんだろうなと思える。この、これまでの世代とは違う価値観で人生を作っていく感じや、ほんとうに自分は大丈夫と思っている感じは、親世代にはないものだ。陽子の親も、もどかしさは覚えつつも、なじったり咎めたりはしない人たちで、こういう親子のやり取りを見ていると、「ああ、時代が変わってきているんだな」という感じがする。

(このあたりの感覚も、「東京的」と言ってもいいかもしれない。彼女が住んでいるのが雑司が谷というところもいい。繁華街やビル街だけではない東京。いかにも下町のせせこましい家並みは、東京の多彩さを示してくれる。)

 

とはいえ、これはあくまでもわたしの妄想である。肇と陽子の間を「恋人未満」で、「今後発展する予感がある」と観たい人にはそう映ると思う。

陽子の決断を無謀で危なっかしいというふうにも見られるだろう。あまり自炊しなさそうな人だけど、妊娠中の栄養状態は大丈夫かな、いやとりあえずコーヒーをやめて牛乳を飲んでいるから気を遣っているのだな、など

 

これは見立ての映画。

オープンでミニマムかつ作り込まれた雄弁な表現により、なにも言っていないようで、すべてがある。

観客が観たいものを観られる装置。お能に近い。

 

説明しない、見えるもの聞こえるものから自分が掴み取る。

たとえば、陽子はあまり自炊しなさそうな人だけど、妊娠中の栄養状態は大丈夫かな、いや、とりあえずコーヒーをやめて牛乳を飲んでいるから、気を遣っているのだな、などと読み取ることもできる。

 

ドラマ性の強い、観客を特定の方向へ連れて行こうとする映画を見慣れている人からすると、画面に映っているものから想像するしかないストーリーとも言える。うっかり聞き逃しそうな、なんでもない会話に含まれる重要な設定。音楽家の痕跡を探すといってもスリリングな展開は何もないし(それどころか)、妊娠したといっても、特に何も起こらない。なんだこれは!不親切だ!と怒り出す人がいてもおかしくない。

 

けれど、だれかの日常を映したら、きっとこうなんじゃないかと思う。表面的には地味で何も起こっていない。でも内面はすごく動いていたり、見えていないところで人とつながっている。

ではなぜ映画として楽しめるかというと、カメラが捉えているのが、その人がいる空間や風景や時間だ。そちらから見ると、すべてがダイナミックでドラマに満ちている。寄りすぎると見えない、引きすぎても見えない。絶妙な距離から写し取られる、今。

この感じは、小津安二郎というよりは、吉本ばななの小説に近い。

 

好みの問題だと思うが、わたしは圧倒的に「こちら」が好きだ。単に二分できるわけではないが、やはりそこにはなんらかの違いや区切りはあると思う。


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↑ 姫カットと片耳ピアスがポイント。

 

その他、印象に残ったこと。

・『珈琲時光』の「時光」は、中国語で「時間」を意味するそうだが、時の光とはなんと詩的な言葉なのだろう。

・台湾ではいつも夏を撮っている。出てくる人みんな半袖だなぁと思っていたら、『珈琲時光』でもやはり季節は夏だった。画面越しには爽やかな暑さに見えるが、本当に真夏ならものすごく暑いだろう。

・アジアの人には白い襟付きの前ボタンのシャツがよく似合うのでは、と台湾映画を観てきて思った。その人種、民族に似合う色や形は確かにありそう。

・電車内のシーンでは、本を読んだり、寝たり、何もしていない人が映っているが、2021年の今ならもっとスマホを触っている人が多そう。

・肇が、山手線に乗り込んできて、座って寝ている陽子を発見するシーン。昔、わたしが映画の学校に通っていたときに出た脚本の課題のことを思い出す。山手線内で偶然友達に会うというシーンを書いてきた人に、講師が「山手線の一日の乗降客数を知ってるのか。そういう非現実的なことは書かないほうがいい」とアドバイスしていた。しかしその後、わたしは実際に山手線車内で友達に会ったし、なんといっても世界の侯孝賢だってやっている!!

・今はない山手線や都電荒川線の車両、写真を23分でプリントする富士フィルムの店舗なども映り込んでいる。映画によってその時代が記録され、記憶されていく。劇中に登場する洪文也の遺族の方が見せてくれるアルバムのように。なんでもない風景や人の営みが一枚一枚、大切なものとしてアルバムに貼り付けられていくように。

・エンドクレジットで流れてくる一青窈の歌『一息案』。井上陽水の作曲とわかる。そこで、あ!一青窈の役名って、……!と気づいて思わずニヤリとする。

 


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帰り道、新宿から乗る山手線がいつもと違って見えた。

しかもこの日はたまたま、山手線田端駅のホームで待ち合わせて、友達から物品の受け取りをすることになっていた。会ってすぐ受け取って、そのままわたしは上野方面へ、友達は新宿方面へ、3分おきにやってくる山手線に逆方向に乗って別れた。

いやはや、まさか都心の電車や電車同士がすれ違うことがキーになる物語とは知らず。偶然とはいえ、おもしろい体験をした。

 

映画が現実に食い込んでくる。

映画の力、映画の不思議。

 

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映画『あの頃、この時』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

※内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

16本目は、楊力州監督『あの頃、この時』2014年制作。
原題:那時.此刻、英語題:THE MOMENT

あらすじ・概要:金馬奨50周年記念作品として制作されたドキュメンタリー。往年の映画監督やスターの姿を通して、台湾映画の歴史が明らかにされる。(傑作選公式HPより)

金馬奨は、台湾の1962年に創設された、中華圏を代表する映画賞。

 

▼台湾向けトレイラー。日本の観客が見るときの受け止め方とは全然違うので、映画の良さが伝わるような予告を自分で編集したくなってしまう(!)

youtu.be

 

▼見てすぐツイートした感想。

 

昨今流行のドキュメンタリーの手法がとられていて、とても情報量の多いドキュメンタリーで、誰が何を言ったのか控えきれてない。漢字も難しい。

しかしもう少しだけ、ツイートしきれなかったことを以下にメモしたいと思う。(内容に深く触れているので、未見の方はご注意ください、あらためて)

 

金馬奨の名前は、金の馬(Golden Horse)がアイコンになっているが、もともとは動物の馬ではなく、台湾海峡にある金門島馬祖島における、対中戦線で勝利を収め、台湾の実効支配下に置いたことにあやかって、台湾(中華民国)における映画産業の隆盛を願ってつけられたものだった。そのことが冒頭で示される。とはいえ、中国本土(中華人民共和国)から目と鼻の先。金門島は、対岸の廈門(アモイ)までフェリーで35分という近さ。台湾は台湾島だけではなく、こういう微妙なところも領域になっていると、初めて知った。

・10月31日に開催するのは、蒋介石の誕生日だから。誕生日祝いとしての式典。とても政治的な生い立ちだった。

・そのときの社会背景によって、台湾映画が目指してきたものが移り変わっていく。

・たとえば、1960年代は、香港映画の後追いをやめ、台湾の人々に希望を与えるような「選択的な」リアリズムを追求。『海辺の女たち』や『あひるを飼う家』(『恋恋風塵』の野外映画のシーンにも登場する)は台湾映画史で必ず出てくる二本。健康的リアリズムと女性の美貌と孝行ぶりを強調。

・たとえば、1970〜80年代。資源に乏しい小さな島として、加工貿易を強みに急激に工業化。若者が台北や高雄など大都市に出稼ぎに出た。「家計負担は長女にのしかかった」という時代。そんな女性の観客が熱狂したのは、スター演じる富裕層とのロマンスを描くメロドラマや恋愛映画。男性は武侠映画(時代劇)に英雄を見る。

・たとえば1970年代、国際連合を脱退した台湾は急激に愛国主義へ。抗日愛国プロパガンダ映画。日本人への憎悪をかき立て、軍入隊への憧れを高める映画を制作。内容は善悪二項対立。金馬奨には「民族精神発揚特別賞」なるものまで設置された。(まさかこんなところで日本が憎まれていたとは、知らなかった)女性はそこでは繊細さ、ケア、「力強く、勇敢で偉大な」男性に尊敬と愛、「男の子」を送る役割。(ひいい、と今なら思えるが、そういう時代に生きていたら、きっと洗脳されるだろう)

・「映画はかくも人生に影響を与える」「人生や仕事、映画のセリフに励まされた」
勇気も与えるし、人生の選択を変えるものにもなりうる。観客が映画の犠牲になったというか、映画が体制に加担したというか。

・1980年代近くになると、検閲制度も緩和され、社会は少し自由になる。その反動で、暴力的で過激な要素が噴出する。20年間押さえ込まれてきたものが出てきた。台湾ニューウェーブが、台湾をも席巻。広東語が飛び交っている会場。当時はまだ香港の俳優は北京語が話せず、たどたどしい北京語で挨拶している様子が映っている。考えてみれば香港の中国への返還は1997年。それまでは北京語は日常では使われない言葉だったのだ。PDF資料『福岡銀行 アジア四季報』「駐在員こぼれ話 香港返還後10年の変化」がわかりやすい。実際、1997年の返還後の金馬奨での香港映画人のスピーチはペラペラになっている。

・映画を通して、言語の違いや時期ごとの中華圏の微妙な事情も見えてくるのがありがたい。「世界史」の流れは全体的な概略であり、一つのテーマを据えて、その歴史を追うことで初めて理解できる。そのテーマをいくつも持っていると、学びが進みやすい。たとえば映画、文学、美術、飛行機、車、ファッションなんでもよいけれど、自分が関心があるもので串刺してみる。

・台湾ニューシネマの作品やそこで経験を積んだ監督たちは、社会に対して批判的な目を向け、「台湾人のアイデンティティ」とは何かという問いを投げかけた。表現技法とテーマと言語も含め。「映画は政治とは無関係ではない」という言葉は、当然日本の(日本で生まれた?)映画にも当てはまる。とはいえ、ニューシネマは、商業映画がメインの映画産業の中で常に周縁的な存在だった。メディア、観客、評論家が救って生き延びてきた。俳優の個性を主張せず、生活のリアルを写すと言えば聞こえがいいが、「金がないからだよ」というインタビューには思わず笑い。抑圧される国民、人々の悲しみに具体的に寄り添う映画も生まれた。

・1987年に戒厳令の解除。台湾の人たちは、「人権は天与のものではないと知っている。自由と権利は戦わないと得られないことを知っている。」この38年の戒厳令の日々があり、それを映画人が表現し続け、問い直してきたことも、台湾ならではの民主主義の努力を重ねられている原動力の一つになっていると感じる。

・台湾ニューシネマは「世界に誇れる一大芸術活動」「我々は国内では孤立していたが、取り合わないようにしていた」と侯孝賢。「芸術志向の映画はマイナーになりやすい」これはどこの国でも同じ。

・1990年に金馬奨は政府の管轄から民間へと移行。すべての「中国語」映画が参加する仕組みになっていく。好みを超えた客観性を持ち、共有財産としての賞を目指すようになる。外国からの出資を得て制作される対話映画も増え、映画の国籍は一つではなくなった。(ただ、収益が台湾に落ちるかというとまた別。台湾映画としての発展も目指す必要があるのか)

・現代に時が近くなる、つまりラストに向かうにつれて、ドキュメンタリーにスピード感が増してくる。


 「映画を撮る理由は、現実社会との対話」

 「不平等で不正に立ち向かうことは、どの時代の人も理解できる」

 「映画は人間や社会と結びついている」


これらの映画人の言葉に加え、『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンのような演出。これにはやられた!思わず涙が。

台湾映画や金馬奨の歴史を中心に据えつつも、それらは当然、周辺国や他の文化圏や人々、人々の作り出した作品に大きく影響を受けて育まれてきたものだ。

中華圏、華人圏の国同士の政治的な関係が取りざたされたとしても、映画を愛するオープンな文化芸術の場では、人は共感しあえるし、お互いを称え合うことができる。そう信じたい。

金馬奨のプロモーション、アーカイブではあるが、公正で対等で健やかな賞であろうとする宣言とも言え、ぜひそのようであってほしいと、一映画ファンとして心から願う。

 

台湾映画を何本かは観ていないとわからないことが多いかもしれないが、もしまったく観たことがないとしても、観る人の持っているもの(たとえば、どこの国と限らず映画が好きとか、香港に住んだことがあるとか、語学に興味があるとか、歴史が好きとか)によっては、何かしらの接点から興味が持てるドキュメンタリーだと思う。

わたしはここまで15本の台湾映画を見てきたところで、このドキュメンタリーに出会えたことが、とてもうれしい。ほとんどわたしへのプレゼントではないかと思うほどだ。

今回の特集上映にラインナップしてもらえてほんとうによかった!

ありがとうございました。

 

 

台湾巨匠傑作選の過去のパンフレットも購入。

とにかく調べまくっている。


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▼台湾の本と本屋さんを日本につなぐユニット・太台本屋の方のブログ。監督トークのまとめ、ありがたい!

xuxu.blog.jp

 

金馬奨公式ウェブサイト

台北金馬影展 Taipei Golden Horse Film Festival

 

▼楊力州監督のインタビュー

mjapan.cna.com.tw

 

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展示「艶めくアール・デコの色彩」@東京都庭園美術館 鑑賞記録

 東京都庭園美術館で開催中の、展示「艶めくアール・デコの色彩」に行ってきた。

www.teien-art-museum.ne.jp

 

今回は、「鑑賞するぞ!」というよりも、ストレスフルな日々の隙間時間に、とにかくリフレッシュしたいという目的で行った。


前回は20世紀のポスター展だった。まだ椿が咲いていた頃。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

その頃に比べると、緑の勢いが全然違う。日差しも夏!

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パッと出の感想は、インスタグラムに載せた。

建物や内装の写真をこんなにパシャパシャ撮っていいのも、この年に一度の建物公開のタイミングだけ。

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「鑑賞するぞ!」とは思っていなかったが、「これを撮りたい!」をいつもよりかなり明確に意図して撮った。そうすると、後からでも見たときの感じが、自分に伝わってくる。

 

「美を補給した!」とわたしが満足して帰れるのは、館が変わらずここにあってくれるから。
そして、「変わらないで」存在するには、場所を守ってくれる人たちがいるから。展示公開だけではなく、研究、連携、保守、整備、点検、修復も含め。

少しずつ変わりながら、進化しながら、遺されていく。

建物公開も、ただ開けて見せているだけではなく、そこに企画があり、準備があり、デザインがあるから。そのことも同時に受け取っている。

 

 

庭園美術館関連では、以前、ポッドキャストを二本配信したことがある。

doremium.seesaa.net

hitotobi.hatenadiary.jp

 

今読み返す、聞き返すと、言いたいことがいっぱいありすぎて、カオスだな......。

まぁでも、こういう表現欲求は大事にしたい。そのときにしかない衝動が、未来への希望をつなぐ。(はず)

 

ここに来ると、日本の皇室のこと、宮家という仕組みについて毎回考える。それは深めているというよりは、複雑なのですぐに忘れてしまうので、毎回調べ直しているというだけ。

今回は、建物の歴史やゆかりの品々の展示もあり、それはやはり、「朝香宮」と切っても切り離せないもの。

www.teien-art-museum.ne.jp

 

明治に生まれたたくさんの宮家も、今は四家のみ。

 

そういえば、昨年秋に港区歴史郷土歴史館に行ったときに、皇室に関する企画展示をやっていた。あのときにもう少し詳しく見ればよかったなぁ。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

天皇制や皇位継承問題など、知りたくてもなかなか手が回らないけれど、またいつか調べるときがくるかも。日本に生まれ育った自分のルーツを知るときに、天皇制は避けて通れないと思うから。自分のアイデンティティのいくらかは、ここに根ざしているんじゃないかという仮説。

それも、何かに賛成や反対の立場をとったり、考えを口にするまでは全然行っていない。単に知らない。それがなんなのか。生まれたときからすでにあって、あまり深く考えたことがない種類のもの。まだ何もわかっていない。

 

御用邸や御用地、皇室関係、皇室ルーツの施設が多いのも、東京という感じだなぁ。

「恩賜」もどう読むか知らなかった。

関西にいたときはそこまで意識しなかったが、そういう土地に刻まれているものが東京にはある。今は皇居が近い。距離感は大きい。

20年以上暮らしていても、まだまだ知らないことが多くて楽しい。

 

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映画『風櫃(フンクイ)の少年』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

5月〜6月、台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っていたときの記録。

 

※内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

15本目は、侯孝賢監督『風櫃(フンクイ)の少年』1983年制作。
原題:風櫃來的人、英語題:The Boys from Fengkuei

日本では1985年のぴあフィルムフェスティバルで『風櫃から来た人』の邦題で上映された後、1990年に『風櫃の少年』の邦題で劇場公開された。

あらすじ・概要:風櫃〈フンクイ〉の少年|映画情報のぴあ映画生活

 

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パラパラと感想と記録。

 

▶︎侯孝賢にとっての記念碑的な作品と言われているのが、よくわかる。

制作当時、36歳ごろか。思春期から青年期へ移行するときの人間の、荒々しさと瑞々しさが溢れている。勢い。若者をテーマに撮るには、やっぱり若い時が一番いいのかもしれない。

 

▶︎古い映画だが、デジタル化してあるので、観るときの負担が少ない。

 

▶1980年代の台湾。初めて見る離島。成長著しい台南の街並み。目に映るものが、なんでも楽しい。映画として残っていなければ、誰もわざわざ記録しないようなものが映っている。その時代に、たまたまあったものたち。変化は少しずつ起こっているが、渦中で生きて暮らしているとわからない。ある程度時間が経ってから変化として捉えられるようになる。

 

▶︎『風櫃の少年』は、わたしの中では、「男友達映画」。侯孝賢の作品で、真正面から男友達について描いているのは、意外とこの作品しかないかもしれない。

『恋恋風塵』は「少年期の終わり」、『憂鬱な楽園』は「チンピラの兄貴と子分愛」。どちらもテーマは近いようだけれど、ちょっと違う。


▶︎地元ではバカばっかりやってる少年たち。たぶん同い年で幼なじみ。毎日のバイク、ビリヤード(ビリヤード台が小さい!?)、イジリ、ケンカ、冷やかし、ジャンケン飲み......。やれやれだ。

少年たちの世界には基本男しかいない。その他、「口うるさい」母親と、「陰の薄く社会的に弱い立場の」父親と、時々女(「おい、女だぜ」)が出てくる。そうそう、初期の侯映画の感じ。

つるんでいるようで、実はそれぞれに家庭の事情は違い、性格も違うので、人生の道は分かれていく。地元に残れる奴は残って、うまく馴染んでいくし、居場所のなかった奴らは、半ば家出のように出ていく。ある日、港でまずは一人目の男友達との別れがある。

初めて降り立つ大都会、高雄にまごまごしながら、友達の姉を頼って、なんとか住まいを確保する。姉にバカにされつつも、工場での仕事を見つけ、彼らなりに自立しようとしていく。都会は波の代わりに車の音が始終している。

借りた家の向かいには、夜間部の学生ジンフーと、その恋人シャオシンが暮らしている。(「同棲、いいなぁー」と言うあたりにも若さが)

この頃の映画には「夜間部に通う学生」がよく出てくる。どういう教育制度や社会背景だったのか、気になる。恋人である女性と一緒に買い物に出るシーンがあり、そこではじめて、同年代の女性との体格差を比較して、彼らが身体の成長著しい男性であることに気づく。しかしみんな細いな。

 

向かいの男は、イライラすると椅子を蹴ったりするし、会社の品物を盗んで売り捌いたりする。そういう男をちょっとどうかと思いながら、彼女に惹かれているために言えないアチン。

一緒に出てきた友達は、最近悪い奴らと付き合っているようで、そのことにキレたりもする。「東亜日本語180の時間です。あ い う え お」と、突如流れ出す日本語講座。日本語の勉強をはじめるアチン。(ということは、この頃に日本語ができると仕事上有利などがあったんだろうか?) なんとか現状打破しようとしているのが見えて、このあたりからもう彼がただのチンピラには見えなくなる。

 

一方で、ジンフーは、「進学しない。稼ぐのが遅れるだけだ」と言い、船に乗る仕事を選ぶ。

これは、この時代の、ある地方の、ある社会階層の人たちのリアルなのだろうか。学ぶこと、稼ぐこと、そして近い将来やってくる兵役。貴重な若い時間を何に使うかは、彼ら自身には、ほとんど選べないように見える。

一方、少女であるシャオシンは働いていないようだし、学校にも行っていないようで、かなり謎な存在だ。彼女がどのように社会とつながっているかはわからない。このことは、ジェンダー格差と関係しているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

 

そうこうしているうちに、都会に出てきた3人のうち1人には彼女が出来そうになり(失礼な扱いをしたために振られるが)、1人は仕事を辞めて、違法コピーのカセットテープか何かを露店で売るようになる。

「いつまでも一緒にはいられない」が、どんどん現実化していく。

 

追いうちをかけるように、アチンの父が亡くなる。父はアチンが幼いときにスポーツ中の事故で障害を負い、意思疎通もできなくなっていたが、亡くなるという決定的な出来事は、アチンにとって故郷とのつながりや心の拠り所を失い、一つの時代が終わったことを意味した。

父が亡くなっても誰も悲しまないし、悼む気配もない。やりきれないアチン。やはりここには居場所はないのだと悟る。

高雄に戻ったアチンはシャオシンの存在も失う。台北行きの高速バスを見つめ、呆然とする。

帰り道に2人の友達の露店に寄る。まだ完全に一人ではない。しかし、その片方の友達にも兵役の招集がかかっていた。「兵役記念セールだよ!」と声を張り上げて呼び込みをするアチン......。

 

▶︎こうして振り返ってみると、少年たちの日々は実に危うく、社会の波に飲まれそうになる小舟のように頼りなげだ。努力でもない、運でもない。特別不幸でもないが、安泰でもなく。何かが完全に詰んでいるわけではないが、未来は見通しにくい。

その一瞬の時期を閉じ込めている。のちの作品に影響を与える記念碑的な作品。それがわかるのは、30年後、40年後の今なのだが、撮られた当時はそんなことはわかるわけがない。ただただ、現状打破していこうとする一人の映画監督、台湾映画の新しい波を起こす人たちの気概がそこにある。

ああ、そうか。やっぱり、その時その時で自分がやりたいことを、ただただ夢中でやるに限るんだな。そして、どんなに先を見通せない時代に生きていたとしても、どうにかみんな大人になってほしい。

侯孝賢作品にいつも共通している、「そして人生は続く」も、この映画がはじまりだったのかもしれない。

 

▶︎一つ、ものすごくカッコいいシーンがあった。
まだ阿清たちが島にいる頃。

夕暮れ。画面右から、道なりにカーブを描きながらバイクがやってくる。

画面奥には空、海、島。門の前で飛び降りた阿清。バイクはそのまま画面手前を右に消えていく。カメラは門を入り、シャツを捲り上げて脱ぎ捨て、灯の眩しい家の中に入っていく阿清を追う。ポーチには、椅子に座った父親、食事をする家族たちの姿が、家の中から漏れ出る明かりに対して半身が暗く映っている。

何が起こるわけでもない、この一続きのカット、カメラワークがむちゃくちゃカッコよくてしびれた!

『風櫃(フンクイ)の少年』と聞いたら、まずこのシーンを思い出しそう。

たぶん4人が海岸で踊っているところや、廃墟ビルの上から観る、「カラーでワイド」なまちの風景のほうが有名なシーンだと思うのだけれど、それと同じぐらい強い印象。

 

▶︎後日ふと、「風櫃って今もあんな感じなのかな?」と疑問が湧いて、Googleストリートビューで検索してみた。すると、映画に出てきた、屋根の形状が独特な古い民家の街並みも少し残っていた。外階段から屋上へ上がる、中東か北アフリカに似た家もあったし、石積みの塀も見られる。

楽しくなって、夢中で島中を走り回ってしまった。ああ、飛行機も使わずに瞬時に現地に飛んでいけるなんて、なんて良い時代だ。

 

▶︎そういえば、映画の中で、台所が外にあるのもおもしろかった。以前、こんなポッドキャストを配信したが、いろんな文化圏の台所を見るのが好きだから、ついつい目がいってしまった。

 

▶︎澎湖(ポンフー)諸島はおもしろい形をしていて、筆で珍獣の絵を書いたように見える。風櫃はその最後の「はね」のような部分。

大小併せて90の島々から成るが、人が住んでいる島はそのうちの19島である。また、かつて「澎湖」の名を冠した日本海軍の艦艇があった。Wikipediaより

そうだったのか。「馬公」という地名が何度か出てくるが、馬公は島の行政の中心。澎湖県馬公市。

 

 

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本『焼き肉を食べる前に。絵本作家がお肉の職人たちを訪ねた』読書記録

図書館のヤングアダルトの本コーナーが、近頃たいへん充実している。

先日も良い本を見つけた。

 

『焼き肉を食べる前に。絵本作家がお肉の職人がたちを訪ねた』(解放出版社, 2016年)

 

 

食肉業で働いている人たちを、絵本作家の中川洋典さんが訪ねて、話を聞いていくインタビュー集。

食肉市場で働く8人と、代々の家業の精肉店で働く1人の計9名。

どの人も屠畜(とちく)に携わっている。

「屠畜というのは、牛や豚、馬などの家畜を絶命させ、解体し、食肉や皮などに加工をすること。」(本文 p.6)

 

読み始めてまず思うのは、生きている牛の姿(のイメージ)と、スーパーでのパック詰めの間に何が起こっているのか、知ろうとしなければなかなか出会うことがないということだ。わたしはお肉屋さんで買うことが多いので、途中の小分けにしていく作業はかろうじて見ることもある。とはいえ、その程度だ。

生き物を食べ物(「お肉」)にする過程。

食べられるようにする作業。

現実に存在する誰か、人を通じて届けられている。

 

これは、「世の中にたくさんある普通の仕事の一つ。生計を立てるための労働」ではあるが、「どちらかというとイレギュラーでオープンにされていない仕事」でもある。それは、生き物を殺すという仕事の性質から、誤解されたイメージや差別や偏見を持たれることがあるから。このインタビューでも名前を出さない人もいるし、普段から仕事の内容を人に語ることがほとんどなかった(身内にさえも)という人も出てくる。

「必要以上にほめられる」や「殺す」「いただく」「誇り」という言葉の使い方など、とてもひと言では説明できない背景や実際は、たとえ知識としては持っていても、限界がある。

当事者に話を(しかも複数人から)やりとりを通して聞くことで、はじめてわたし自身と繋がって得られるものだ。わたしの代わりに語りを聞いてもらえることや、本の形にして流通してくれているから、目に入る。

南港市場で働くキャリア17年のTさんと、横浜市場のキャリア30年の大ベテラン、鈴木正敏さんのお話は、とても一度読んだだけでは咀嚼できず、何度もページを繰り直した。

 

仕事への思い、魅力、人と仕事するときの姿勢、技術を磨くことなどは、他の仕事でも当てはまることが多い。

「自分が100%以上の仕事をして次へ渡す」
「自分の分まで仕事をしてもらったら、何度も感謝の言葉を伝える」
「技術を身につけることを絶えず意識して仕事をする」
「仕事を完璧にするには、人と人とのつながりが欠かせない。そのつながりを支えているのは、仲間意識や助け合い」(筆者注※少しのズレが商品の価値や価格に影響してしまうから、その作業の前後にいる人たちのことを考え、完璧を目指しているということなのだと思う)

「自分が教わった方法は厳しくてしんどかったから、教える立場になったときは、自分なりのいい伝え方をしようと思った」

「新人さんや若い人の成長を助けることも大きな役割だけど、その人のやる気が一番大事」

などなどの言葉が、インタビュアーの中川さんとのやり取りの中で、自然に出てくる。

いつも大切にしていることが、問われてスッと出てくるところに、誰もが本物さを感じるだろう。鍛えられた肉体から発せられる言葉だ。わたしも自分の仕事を考えて、背筋が伸びる。(もちろん書籍にする上で、言葉の「加工」もされているだろうけれど!)

逆に言えば、だからこそ、「どこにでもある一般的な職業」なのか。わたしにとっては身近ではないから、正直そのフレーズはすぐにはピンと来なかった。けれども、この本を読み終えた今は、何人もの人が口にしているこのことを、忘れないように、覚えておこうと思う。

 

最初に話を聞くのは、大阪市貝塚市にある北出精肉店というお肉屋さんで、2013年公開の『ある精肉店のはなし』というドキュメンタリー映画の舞台になっているお店だ。今はもう屠畜作業はしていないというので、この映画はとても貴重な記録になっている。

公式サイト ある精肉店のはなし

www.huffingtonpost.jp

 

 

人に話を聴きに行くことの面白さも伝わってくる。

大きな括りで言えば同じ職業についている人たちでも、地域も、仕事に就いた経緯も、仕事での立場も、キャリアも、大事にしているものも、話し方も全然違う。

中川さんがどうしてこの人たちに話を聞くことにしたのか、話を聴きながら、頭の中でどんなことを考えていたのか、心がどんなふうに動いていたのかも、合間に書いておいてくれるから、自分もその場にいるような感覚で読める。

これは、中川さんが絵を描く人で観察眼に優れていることと、「中川さんその人」として話を聞いているから、信頼が行き交って、出てくる言葉があるからだと、わたしは思う。

 

どの順番でインタビューされたかはわからないが、なんとなく後半にいくに従って、これまでのインタビューでの蓄積出てきて、質問の質感が変わってきていて、より突っ込んだ話が交わされているように感じられる。そして次第に、この本の核心へと迫っていく、その躍動、迫力。

わたしはいろんな人の話を聞く仕事をしているので、インタビューの教科書としても読んでもいた。わたしもこんなふうに聴けたら、書けたら、仕事ができたら.......と思う。

127ページの小さな本の中に、想定以上に発見が多いことに驚く。

 

 

食糧危機や地球温暖化抑止、動物愛護などの理由で、肉を食べないようにしている人の話も、身近でちらほら聞くようになってきた。わたし自身も、若い時ほど積極的に肉を食べていない気がする。(これは加齢によるものか......。)

食肉をめぐる事情はこれからも変わってきそうではあるけれど、今回本を通じてお話しを聴かせてもらったことで、この仕事をしている人たちのことを時々思い出すだろうと思う。

 

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映画『憂鬱な楽園』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

※内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

17本目は、侯孝賢監督『憂鬱な楽園』1996年制作。
原題:南國再見,南國、英語題:Goodbye South, Goodbye

あらすじ・概要:憂鬱な楽園|映画情報のぴあ映画生活

 

実はこちらは劇場では観ていない。事情があって劇場まで行けなかったので、同じ時刻にネット配信で観た。観るはずだった時刻に合わせて再生したら、集中できた。

 

▼予告編(日本での上映時の予告編は見あたらなかった)

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たぶんこの予告編を観て、「観てみようかな!」と思う人はそれほど多くはないだろう。(いや、いるかな?)

 

いろいろレビューを読んでから観たけれど、なんのことかさっぱりわからなくて、自分で観てはじめて、「ああ〜なるほどそういうことか〜」とわかる。そういう類の映画。

まず起承転結のあるドラマ性のあるものを観たい方は、きれいに裏切られるだろう。

雰囲気で見る映画。そう言うと中身がないみたいだな。うーん、あらすじがあるわけではない。しかし、ないわけでもない。事前に抑えておくとすごくよく映画が理解できるかというと、たぶんそうでもない。

今どこのまちにいるのか、この人は誰なのかさっぱりわからない。名前もわからないし、引きで暗い中撮ってるから、判別がつかない。かといって、置いてきぼりにされているわけでもない。ぬるま湯に浸かって気持ちよく観ていられる。

一見わかりにくいもの、ふつうでないものから、自分だけのおもしろさを見出したい人に向いているかも。何かに偏愛のある人は、世界を見るメガネや物差しがあるので、それを使って焦点を合わせて観てみると、これほど痛快な映画もない。

 

 

まず、オープニングでガッとつかまれる。

電車の最後尾車両から線路が後ろに流れていく。一瞬、『世界の車窓から』っぽいし、『恋恋風塵』を思い起こさせるのどかな田舎の風景なのだが、鉄錆のような赤色のフィルターのかかった画面に、流れているのはメタル系の音楽だ。地獄で流れているダウナーなお経みたい。最高。

現れたチンピラ同士の会話もいい。

「車じゃないのか」
「電車だよ」
「ロマンチックだな」
「久しぶりに乗ってみたら意外といける」

ちょっとかわいい。

とにかくこれでもかというほどチンピラが出てくる。

『ナイルの娘』では少し品のいいチンピラ役だった高捷(ガオ・ジエ)に、ほんとに"絶壁頭"の林強(リン・チャン)、伊能静の3人組が、ほんとーにガラの悪いチンピラを演じていてすごい。

観客の印象としてもチンピラだが、劇中でも実際に「チンピラになんかなりやがって!」というセリフが出てくる。

チンピラのくせに(すいません!)、「このお茶は香りがいい」「甘い」などと評しているのは、さすがお茶の国の人! というギャップの可笑しさがある。

 

侯孝賢映画を見慣れていると、「ほんとうにこの人はチンピラの世界が大好きだな!」とつくづく思うが、オリヴィエ・アサイヤス監督の『HHH:侯孝賢』を観ると、また理解が深まる。

南部の鳳山に暮らしていた10代の頃の侯孝賢は、まさにチンピラだったらしい。インタビューでは「台湾の雄的なところが大好きで。雄の勝った負けた、誰が一番か争うみたいな世界が俺はやっぱり好きだ」と言っている。そして、そのあとカラオケでマイク離さず長渕剛の『乾杯』を熱唱......。ぜひ観てほしい。

 

かといって、おっさんの戯言に付き合って、我慢して観てあげている感じも一切ない。楽しい。ただただ楽しい。ずっと観ていられる。コッポラが夢中になったのもわかる。

 

乗り物好きも炸裂していて、電車、バイク、車が繰り返し出てくる。

山道をバイクで走るのを長回しで撮るシーンは、やはりスクリーンで観るべきであった。

なぜかいろんなウェブサイトで、「ラストの」と紹介されているが、違う。ちょうど中ほどの時間帯に出てくる。このシーンがラストに出てくるのは、『台湾新電影(ニューシネマ)時代』だと思う。

侯孝賢にはたぶんあまりなかった、手持ちカメラで揺れ揺れのシーンなどもあり、フィルターの多用も珍しい。

 

侯孝賢らしさといえば、やはり生活の表現。食って寝ては大事。

中でも食事のシーンは繰り返し出てくる。ご飯に肉をのせたどんぶり、オープンテラスに出したテーブルに山盛りのおかず、レストランで作った炒めもの。

クローズアップされているわけではない。食卓も口元もろくに映らない、わかりやすく美味しそうではないのに、「あ、あれぜったいおいしいやつ!」とわかる。

 

 

ロケ地的に『恋恋風塵』や『風櫃の少年』をなぞっているようで、写っているのは明るい(それぞれに過酷さはあれど)、未来にひらけた10代の少年少女ではなく、入れ墨をガッツリ入れた冴えない中年のおっさんだ。腐れ縁の女にはいい加減去られようかというところ。甘酸っぱくもなく素敵でもない。どん詰まりの青春。思秋期もまだいかない、実に中途半端なところに、ぽっかりと落ちてしまっている。

人に迷惑もかけるし、短絡で浅はかだし、夢見がち。野望はあるけれど、目先のことに飛びついては行き詰まる。決定的に酷いことは起こらないけれど、大していいこともない。

ガオの「恋人はレストランをやれというけれど、占いで前途多難だからできない」と言って泣く姿はかなり情けないが、中華鍋をふる姿は実際なかなかキマっていて、これ本業にできるんじゃない?とわたしも思った。繰り返すが、ごはんがとにかく美味しそう。

 

音楽の使い方がこれまでにない感じ。ジャンルも、メタル、タンゴ、ポップス、フォーク、演歌などいろいろ。映っている画面とのミスマッチ加減が、逆にいい。侯作品を観ていてはじめて、「サントラ」という言葉が浮かんだ。サントラが出てたらほしいな。

 

歌詞に上海が出てくる「ナイトライフがなんとか〜」という挿入歌は、『風が踊る』や『ナイルの娘』のリベンジ的な意味合いも感じる。あれらの2作は唐突すぎるし、曲もダサいし、意図が見え見えで笑ってしまったが、『憂鬱な楽園』での入れ方は、めちゃめちゃカッコいい。「こういうのがやりたかってん!」という侯の声が聞こえてきそう。

 

そう、全体的に自由にのびのびと撮っている感じがすごくいい。乗り物、チンピラ、歌(カラオケ)、音楽、酒、タバコ、ハッパ、博打......。侯の好きなものをいっぱい詰め込んだ感じ。

だから見ているこちらも、何も特別なことは起こらないシーンでも、ああこの音、このシーンのつなぎ、雨、乗り物!!などニヤニヤするところが多い。

「俺を神格化するんじゃねえ!」「俺の映画を芸術とかいって持ち上げんな!」「わかったように批評してんじゃねぇ!」という声が聴こえてきそう。

 

どうしようもない奴らの、どん詰まりの日々を観ていると、だんだんと自分のイタかった時代を思い出す。

1996年ごろの時代の空気、あんなふうだったかもしれない。日本の東京を舞台にした映画(パッと出てこないけど......)も、あんな感じで気怠い感じがあった。すごく覚えがある感じ。あの中にわたしもいた。

 

「雄の世界」の話だけれど、情婦のアインとマーホアが存在感を出していて、好き。スレてる感じがファッション、喋り方や、仕草の隅々まで現れていて良い。野生の勘で動いているような人たち。

アインの「台湾で子育てしたら受験戦争が酷すぎる。考えたことある?」というセリフ。それに対して、ガオの子どもとか教育とか絶対なんも考えてなかったやろ!というような表情が最高によかった。このやりとりはよかった!あるとないとで全然違う、このシーン。アインのほうが人生を先に進んでいる感じ。残酷だけど、よくある、わかる。

 

物語としては、けっこう救いがないとも言えるし、「鬱映画」と書いていたレビュアーさんもいたぐらいだけれど、このダウナー感がなぜかクセになる。

 

ラストがまたすっごくよくて。また地獄のお経へとループしていくのですよ。ああ、どこまでもどん詰まりよ......。なのに、これが南国の湿度と暑さ、山岳地帯っぽい植生に包まれている中にあると、なぜかそれほど深刻にならない。むしろ野性を刺激されるところがあって、元気になる。ディープな台湾を感じられる。不思議な映画だ。

それで言うと、日本語題が『憂鬱な楽園』なの、ほんとうにぴったり!つけた人すごい!

 

観終わってからさらにじわじわくる。

いやー、どうやってこんな世界をつくりあげられるのか。

全然期待していなかったのに、うわー、かなり好きかもしれない!

 

『HHH:侯孝賢』と共に、おすすめします!

 

 

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映画『雨月物語』鑑賞記録

4月の終わりごろからずっと10代〜20代前半で観ていた映画のデジタルリマスター・リバイバル上映が続いている。時代がひとめぐりしているような、20年や30年ぶりに出会う作品たちを懐かしく思うと共に、その背景になっている社会の変化や、わたし自身の人生のターンとも絶妙に絡まりあっている。その上で、時間というものが示してくれる、不思議な体験......時間を激しく行き来しているうちに、SF的な感触を映画を通じて得ているようだ。大変言葉にしづらいのだが、なんだかそんな中にいる。

 

そのうちの一本がこちら、溝口健二の『雨月物語』だ。

たしか中学か高校のときにBS放送で観て、「なにこれ、すごいな」と思った記憶がある。大学に入って、映画のことをいろいろ調べたり、詳しい人の話を聞いているうちに、それが小津安二郎黒澤明と並ぶ「世界の溝口健二」の作品だったと知る。

そして数十年して今、森雅之が主演俳優だったと知ったところだ。(『羅生門』の!)

 

あの頃観て、「すごい」と思ったのはなんだったのか、今の自分として観たらどうなのか知りたいと思い、観に行った。

なんといっても、この古典を美しく蘇った映像で、劇場のスクリーンで観られるのはうれしい。

劇場は、小学館が運営している「神保町シアター」。はじめて行く劇場だ。よしもと漫才劇場の東京拠点「神保町よしもと漫才劇場」が併設されている、ちょっと不思議なコンプレックス施設になっている。

 

 

観た。

デジタル処理してあるので、映像も音もとてもきれい。

フィルム映像もそれはそれで味わいがあるが、きれいな映像を見慣れている身からすると不鮮明で不明瞭というのは、鑑賞時の集中力に影響が出てくる。この感じ何かに似ているなと思ったら、古民家だ。日本家屋、古い民家は雰囲気はとてもよいけれど、現代人にとって住むにはなかなか厳しい面がある。そんな感じ。

当時、モノクロ映画もガツガツ観ていたが、ものによっては耐えられなくて途中で寝てしまったものも多い。あれはもしかすると不鮮明だったから(よく見えない、聞こえない)からだったのでは?(いや、言い訳かもしれないが)

 

思いがけず、近江の国、湖北(琵琶湖の北部)が舞台で驚いた。わたしはそのあたりにもルーツを持っているのだ。一気に親近感が湧く。

 

貨幣経済社会に絡めとられていく男、侍になりたい、と取り憑かれていく。「わたしはあなたさえいてくだされば」と引き止める女を振り払って行ってしまう。「世の中は万事金」と言い切る男。戦は人まで変えてしまう。

食うにも困り、余裕がなく、傷が癒えぬまま奪い合い、生き抜こうとする時代、決まって犠牲にな、おんなこどもだ。

制作は1953年。敗戦から間もない頃。時代に対する批判的な鋭い眼差しを感じる。

 

とはいえ、今の自分としては、もう平常心で見ていられないところがある。

それは物語の設定として、女の身体や精神が犠牲になることを、あまりにも気軽に扱いがちであるところに憤りを覚える。この創作行為が、決して昔の話ではないという絶望もあるので、余計にそう感じる。

結局最後は、「女は男を赦す」という描き方も納得がいかない。もちろん「男」の「アホらしさ」も目一杯描いてはいるのだけれど(「俺が立身したら褒めてくれると思った」とか)、どこか「仕方ががない」「許してネ」という感じがあるのだ。女の苦労は全然報われない。酷い。

時代には批判精神はあるが、社会における女性の扱われ方への批判の態度はない、というか。

 

「世界の溝口」の表現の凄さよりも、そちらが目についてしまった。「女性映画の監督」と言われてもなぁ......という。その評価をつけていたのは女性ではないでしょう、おそらく。制作現場での逸話もいろいろある人のようだ。

評価すべき点と、再考すべき点は大いにあるだろう。

巨匠と手放しで称賛できる時代は終わった。

 

「若狭様」とのシーンは、明らかに作り物とわかっているのに、やっぱりむちゃくちゃ怖い。若狭様も怖いが、お付きの老婆も怖い。怖くて、ほんとうに鳥肌が立っていた。

 

わたしは、「森雅之トニー・レオンは似てる」説を唱えているが、主人公・源十郎のキャラクターは、1990年代のトニー・レオンが演ってもけっこう良い味が出そうだ。

 

想定と異なる、後味の悪さが残ったまま、劇場をあとにした。

 

 

▼親切な方の解説動画。わかりやすい。

youtu.be

 

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映画『アニメーションの神様、その美しき世界 Vol. 2&3 川本喜八郎、岡本忠成監督特集上映(4K修復版)』

渋谷のシアター・イメージフオーラムで、『アニメーションの神様、その美しき世界 Vol. 2&3 川本喜八郎岡本忠成監督特集上映(4K修復版)』を観てきた。


公式サイト:https://www.wowowplus.jp/anime_kamisama2-3/

 

youtu.be

 

国立映画アーカイブでの展示を観て、映画を楽しみにしていた。(会期は2021年3月末で終了)

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

まずは、子どもの頃から『人形劇三国志』で大好きな川本作品が!ムック本の写真でしか観たことなかった作品が!動いている!ということで、もう大興奮である。生きてるうちに映画館で観られることがうれしい。

 

本編はすべてが想像以上だった。こんな色なのか、こんな音、こんな動き。

いつもならメモをとりながら観ているのだが、途中からもうのめり込んでしまって、ペンも紙も片付けた。

一昨年の早稲田大学演劇博物館での『人形劇ヤバい』展や、1979年のサンリオの人形アニメ映画『くるみ割り人形』を思い出す「ヤバさ」、怖さ、妖しさに、ぐいぐいと引き込まれた。わたしの大好きな人形劇の魅力が溢れまくっている。

 

「鬼」や「道成寺」は、文楽お能に親しんでいてよかったと思った。もともと文楽は川本作品の影響で好きになったのだったが、文楽が川本作品に与えた影響を自分自身の実際の鑑賞経験とともに理解できたことがうれしい。この抑制の効いた、隅々まで一定の緊張を行き渡らせる表現よ。

風の表現は、扇風機を回しているのではなく、髪の毛一本一本を動かしていると知り、アニメーターのその忍耐強さには、言葉を失う。

今回は選ばれなかった『犬儒戯画』『蓮如とその母』『いばら姫またはねむり姫』も観たい。『死者の書』ももう一度観たい。公開時に観たが、今観たらまた違う体験になりそうだ。

 

もちろん岡本作品もすばらしかった。国立映画アーカイブの展示をじっくり見てきてから観ている『注文の多い料理店』だったので、「こういう感じだったのか!」とずっと心の中で叫びながらだった。とにかく怖い。本気で怖かった。子どもの頃に見ていたら泣き出したと思う。セリフはしゃべらないのに、音が緻密でリアルで、本気で鳥肌が立った。

家帰って子に『おこんじょうるり』の話したら、ぼろぼろ泣いちゃった。「泣いた赤おに」級の切ない話。劇場で、同じ列に座ってた男の人も嗚咽してた。。

川本人形よりずっと素朴な感じのつくりなのに、表情や仕草が、ドキッとするほど、ギョッとするほど命を宿していた。岡本さんは監督、演出をするが、「描く」「創る」は別に作画担当の方がいるので、人形師でもある川本さんとは違い、一見して「岡本さんの作品」と判別するのが難しい。しかも毎回素材、題材、作法、時代、地域などを変えているので、一体どれだけ好奇心や探究心旺盛なのだろうと思う。

川本さんも毎回挑戦はされているだろうが、どちらかというと、「一つの道に分け入り、突き詰める求道者」のような感じ。二人は全く違うタイプ。だからこそ、パペットアニメーショウのようなコラボレーションもできたのだろう。

ちょうど今、侯孝賢特集の台湾映画を見まくっているところなので、台湾ニューシネマの一時代を築いた、侯孝賢楊徳昌エドワード・ヤン)の関係を思い浮かべてしまう。

 

二人の作品を合わせた全体を通して流れていたのは、不条理、ままならなさ、不運。川本喜八郎の「不条理三部作」だけではなく、岡本忠成作品にも共通している。明確に制裁を受けたようなものもあって、「それは果たして悪なのか?」と言いたくなるものもあった。苦い。心にジリっと棲みつくものがある。これは時代の空気なのだろうか。

ややホッとする作品もあるものの、深く根付いている「勤勉さ」「自己犠牲(身を投げうって尽くす)」のようなものも強く感じられて、こういう指向、精神性のようなものの出元が知りたくなる。

 

別冊太陽『川本喜八郎 人形ーこの形あるもの』に寄稿されている、能楽師観世銕之丞さんの文章が、今回の鑑賞でわたし受け取ったものと近いと感じるので引用する。

人間は原則的にはいきいきと明るく生きたいのだが、結果的には色々な挫折や、別れ等の悲しみに出会うことになる。それが悲劇の基本的な原形で、いきいきと生きていた人間なればこそ、死や別離に出会うことが、最も普遍的な「人の悲しみ」になってゆく。しかし演技としてのその「人の悲しみ」をいきなり悲劇の表現として説明的に行うと舞台が浅薄なものとなってしまう。その時点でリアリティを失い、格調がなくなる。その説明的演技を防ぐのが「型」なのだ。「型」を守ることによって演技者に客観的な眼を与えられる。(p.64)

今回の演技者というのは、人形師でありアニメーターになるだろうか。人形がいかに命を得ているか。わかりやすくすることではなく、いかに観客が感じ取れるか。

そういえば、先日観た、『台湾、街かどの人形劇』の伝統布袋戯にも通じる話だ。「揺らしすぎる。人間はそんなふうに動かない」という言葉が印象に残っている。

 

こうした素晴らしい作家の作品を見ていると、創作の追求と商業の関係についても考える。商業にのって作品を発表すると、制作には自ずと制限がかかることになり、作家性を十分に発揮できない場合もあるだろうが、商業にのったことによって、保管、保全、継承の可能性が高まるということもまた事実だろう。そのせめぎ合いの中で表現者たちは制作を重ねているのだろうと想像する。

 

今回修復に関わったみなさま、上映してくださったみなさま、ありがとうございました。おかげで後世に作品が遺ります。誰かの「遺さなきゃ!」という切実な思いが実ることがうれしい。

 

www.instagram.com

 

 

▼パンフレットを買ったらおまけでついてきたポストカード。
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▼3分ミニ動画。国立映画アーカイブの展示も見られます。映画の公開と同時に開催できたらよかったですね。感染症のためにスケジュールが変わってしまったようです。わたしももう一度観たいよ。残念。

youtu.be

  

▼ラジオアーカイブ(ゲスト:WOWOWプラス 山下さん)

www.tbsradio.jp

 

▼note

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映画『ノマドランド』鑑賞記録

4月9日、『ノマドランド』の鑑賞記録。

 

▼公式HP。あらすじ、見所など。

searchlightpictures.jp


 

youtu.be

 

大変よかった。

主演のフランシス・マクドーマンドは好きな俳優だ。『ブラッド・シンプル』1987年日本公開時にはおそらく観ていなくて、1996年の『ファーゴ』のときのリバイバル上映で観たのだと記憶している。とにかく好き。『スリー・ビルボード』もよかった。(当時の感想

フランシスであることを忘れて観ようと思って、前情報なしで行ったが、無理だった。フランシスだから良いのだ、この役は。

実際に、並々ならぬ思い入れがあっての出演で、フィクションとノンフィクションが交錯するのも当たり前の作品だったとわかった。

 

トレイラーを観ていて、これは大きな喪失と悼みの物語だと感じたので、何か良いタイミングで観られるとよいなと思っていた。鑑賞当日は特別に記念日というわけではなかったが、春ならではの出会いと別れ、隠から陽へ切り替わる時期特有の喪失感いっぱいの気分だったので、この日この映画に会えてよかった。

前情報といえば、「酷い目に遭ったりしなくてよかった」というツイートは見かけて、それが鑑賞の大きな決め手になった。「『ブラッド・シンプル』が好き」と言っておいてなんだが、女の人が一人で旅をしていて酷い目に遭う(多くは性暴力の)映画を散々観せられてきて、ウンザリしていたから。実際、過酷な環境のときもあったけれど、誰かから暴力をふるわれたシーンはなかったので、ホッとした。

 

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ただただ、鎮魂、祈りに満ちた、優しい映画だった。観終わってずっと優しい気持ちが残っている。経済や政治や時代など大きな力の前に、一人の人間の無力さを思い知りつつ、必死に生きる、今ここを生きる人間への柔らかい眼差し。

かれらへの期待や、過剰な称賛も、もちろん非難もない。ただ人を見つめている。

 

人の営みの、その外側にある何重もの時間の層と、壮大な山や海。

数百年の時を生きる木。

明日も昇る朝日と、明日も沈む夕日に、それぞれの現実が浮かび上がり、季節がめぐる。

言えなかった気持ちを話せることもあるし、言えないまま別れることもある。それでもいつも「じゃあまたね」と言って別れたい。

 

止まっている時間が少しずつ動き出す。長年の確執が解ける。「あのこと」があってからはじめて涙が出る......。模索、葛藤、グリーフの物語。

迫りくる老いを感じながら、終末までを自分の納得のいくように生きたい。
そんな主人公ファーンの思いが伝わってくる。共感する。

 

自分の老いについてもとくと考えた。
この先、もし一人で老いを生きるとしたら、どうなるか。
最愛の人に先立たれたらどうなるか。
仕事や収入が尽きたら何をして生きるか。
社会の周縁に生きるとはどういうことか。

わたしだったら、一時期一緒に過ごした人と別れることはできるだろうか。「いかないで」「一緒にいて」と言ってしまいそう。

10年後に観たら、どんなことを思うだろう、受け取るだろう。

 

資本主義とグローバル経済の勝者と敗者。埋めようのない階層間、地域間の格差。

リーマン・ショックの影響の一つを知る。人生を狂わされた人(そこから生き直した人)、むしろチャンスを得た人との対比も残酷。そしてどちらも現実。

わたしの知らないアメリカの現実がまたここにも広がっている。

 

今この瞬間もきっといろんな朝があるんだろう。息を呑む美しいシーンが、そこかしこに。大きな自然であったり、雪融けの音であったり、人と人との小さな交歓であったり。

 

ああ、それにしても、この社会の構造よ。
やりきれない気持ちも強い。重さがある。

 

見終わって、なんとなく思い立って親に電話をかけた。

もしもし元気?またね。といういつもの言葉のやり取りが、いつもよりも温かかった。

 

▼パンフレット。鑑賞日にはなかった。4月30日に発売。映画のパンフレットも公開に間に合わないってことあるのね。

www.kadokawashop.com

  

▼すぐの感想。

www.instagram.com

 

▼配給サーチライト・ピクチャーズが配信している『ノマドランド』の特別映像。撮影、サウンドスケープ、演出など。

www.youtube.com

 

ヤマザキマリさんへのインタビュー

nwp.nikkei.com

 

 ▼このような素晴らしいレビューを読んでしまうと、自分が書き散らしたフワフワした感想など、一体何の価値があるのだろうかと思ってしまう......。

note.com

 

▼原作

ノマド: 漂流する高齢労働者たち 単行本』ジェシカ・ブルーダー/著、鈴木 素子/訳(春秋社、2018年)

 

読めていないのだけれど、これもずっと気になっている本。関係あるだろうか。

 

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映画『ナイルの娘』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

※内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

13本目は、侯孝賢監督『ナイルの娘』1987年制作。
原題:尼羅河女兒、英語題:Daughter of the Nile

あらすじ・概要:ナイルの娘|MOVIE WALKER PRESS

 

▼4Kリストア インターナショナル版トレイラー

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▼台湾リバイバル上映『ナイルの娘』トレイラー(こちらのほうが好き)

youtu.be

 

もともと観るつもりはなかったのだが、理由がいくつかあり、急遽観ることにした。

・『恋恋風塵』(1987年)と『悲情城市』 (1989年)の間の時期に制作された作品ということで、2作品を観たあとでは、ここをどんな作品がつなぐのか俄然興味がわいてきた。

・侯が中央電影公司という国民党系の半官半民の映画会社を出た後の第一作。台湾ニューシネマは、中央電影があったからこそ成立し、軌道に乗ったが、トップの交代により情勢が変わったことが要因、と公式プログラムにある。ここからスターを起用する路線に舵を切っていったこともあり、レコード会社の出資を受けて制作し、楊林(ヤン・リン)というアイドル歌手を起用したという、節目にあたるこの作品には興味がわく。

・『風が踊る』(1981年)以来、6年ぶりのアイドル映画。『風が踊る』と比較してどのような違いや変化があるか観たい。この6年の間に、『坊やの人形』(1983年)、『風櫃の少年』(1983年)、『冬冬の夏休み』(1984年)、『恋恋風塵』(1987年)と勢力的に制作を続け、侯とそのチームの美学が確立された後での、新たな一歩ということもある。

・先日のライブトークで、「台北の夕暮れから夜にかけての印象が強い」という話が出ていたので、観たくなった。

 

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侯作品の中では、新しいというよりもそれまでを感じさせ、その後の作品を予感される、まさに「はざま」の作品となっている。そのため、後の世に観ている今のわたしとしては、どうしても切り貼りされたものに見えてしまう。また、観ている最中に映画の構造が組み立てるのが難しい。

 

暁陽(シャオヤン)が『ナイルの娘』を読み耽り、一つひとつを現実の世界に重ねて見立てていくという大筋はおそらくあるのだろうが、読んでいるシーンは1度しか登場しないのと、『ナイルの娘』の物語設定のようなものがナレーションと共に冒頭と終焉に出るのだが、あまり詳しくは語ってくれない。

『ナイルの娘』は、日本の漫画家、細川智栄子の『王家の紋章』という作品のようだ。ただし、劇中で登場するのは細川の絵柄ではなく、台湾の漫画家が描いたものに差し替えられている。いろいろと混乱する。あらすじを読んでようやく構成を理解した。

また、これがレコード会社の出資を受けた企画ということで、楊林のものと思われるナイルという歌詞の出てくる挿入歌が3度ほど流れる。そこで、「あ、そうかそういう趣旨の映画だっけ」と思い出すのだが、前後は完全に「台湾ニューシネマ的な侯孝賢作品」になっているので、唐突さを感じてしまう。挿入歌以外にももう一曲、インストゥルメンタルの音楽も数回出てくる。

 

あれこれ書いてしまったが、これらのツッコミどころは置いておいても、アイドル映画と言いつつも、楊林の存在感はとてもいい。侯孝賢世界の住人として、役を生きながら彼女らしさが引き出されている演技や佇まいが随所にある。

また、一人ひとりのキャラクターが生き生きとしている。兄、父、祖父、叔母、同級生、シャオヤンの想い人であるサン、ほとんどセリフのない兄の舎弟、まったくセリフのないヤクザの情婦や、サンの車を襲撃しに来て一瞬映るだけのチンピラですら、存在感がある。

特に祖父役の李天祿(リー・ティエンルー)はとても良い。『恋恋風塵』よりいいんじゃないか?兄の暁方(シャオファン)役の高捷(ガオ・ジェ)も良い。(約10年後、1996年にも『憂鬱な楽園』に主役で出る)

 

一人の女性を物語の中心に置き、彼女にとっての「重要な他者」であるきょうだい、親、親戚、友人や、彼女の居場所(夜学、バイト先のケンタッキー、兄のレストラン"ピンクハウス")、それらがある台北の街。

侯らしい固定カメラやロングショット、少ない切り返し、バイク、車、幹線道路、ケンカ、ごはんもたっぷりと盛り込まれている。

夏の暑さ、吹き抜ける風、夜の雰囲気。どれも心地よい。

主人公のモノローグは、その後の『悲情城市』へのつながりを予感させる。

 

1987年の台湾はどのような社会だったのだろう。映画の中では、日本やアメリカは身近な国のようだ。英語、ファストフード、音楽、ファッション......アメリカ文化がどんどん入ってきている。それでもまだ兵役はあり、男の子たちにとっては「青春の終わり」を意味している。親の世代とも、祖父母の世代とも全く違う時代に青春を過ごしているかれら。青春が終わったら次に自分はどうなっていくのだろうか。行く先はあるのだろうか。変わらないでいると思っていた夜学の教員も、学校の経営難で解雇され、明日から無職だと聞かされる。

 

観賞後に滲んでいる感覚としては、「行き場もなく呆然と立ち尽くしている」が近い。

圧倒的な存在である親(あるいは親世代)からの自立をどう果たせばよいか、揺れている若者たちの姿。外遊びは楽しいが、帰るところは家しかない。先を生きているはずの兄世代も、真っ当な道ではない。このように生きるしかないのか。

社会はスピードを上げて変わってきている。でもどのように変わっていくのか。置いていかれはしないか、若者たちの存在は、その流れから疎外されてはいまいか。

若者たちの姿は、台湾の立場の複雑さを表しているようでもある。

 

祖父と妹、生き物(金魚、仔犬、ウサギ)の存在や、バイクでの疾走の気持ちよさ、焚き火の熱さや、花火の興奮が、完全に絶望には落ちないように辛うじて支えてくれてはいるが、身近な人を亡くしていくばかりのシャオヤンを見ていると、状況としてはなかなかにキツイ。父も老いていて、今回の傷は癒えるだろうが、いずれ介護が待っているだろう。

なんとなく、バブル崩壊後(1991年〜)の日本の空気にも似ているような。ディスコのシーンはバブルっぽいが、皆それほど羽振りがいいわけでもないところが、バブル後のような。

 

それまで田舎との対比による都会を描いてきた作品があったが、正面から都会だけを描いてみているようにも見える。先に『台北ストーリー』や『恐怖分子』を制作していたエドワード・ヤンの影響があったのだろうか。

時間が経てばまた、いろいろ発見が出てきそうな映画だ。

 

ああ、もう一つ。

とにかくタバコ、タバコ、タバコ......タバコを吸いまくりだが、初めてぐらいに、「タバコの吸いすぎはよくない」というセリフが出てくる。ようやくタバコの健康被害も社会的に言われるようになってきたのだろうか。

 

 

わたしが一人の監督の作品をここまで追いかけるのは常にないことだ。

数作品なら追ってみることはあるが、かかるものはほとんど全て観て、自分だけの鑑賞体系の構築に挑戦しているのは今回が初めて。

上映期間中に観たいのは、『珈琲時光』『風櫃の少年』『あの頃、この時』『憂鬱な楽園』『黒衣の刺客』の5本。

楽しみだ!

 

展示『観潮楼の逸品 〜鷗外に愛されたものたち』@文京区立森鷗外記念館 鑑賞記録

 

4月某日、鷗外記念館で、『観潮楼の逸品 〜鷗外に愛されたものたち』展を観てきた。

moriogai-kinenkan.jp

 

鷗外記念館は、2012年に森鷗外生誕150年記念を節目に、元鷗外邸宅、通称「観潮楼」の跡地に開館した個人の文学館だ。

観潮楼は、鷗外がひらいていた文化サロンの名称でもある。名の由来は、かつては文京区千駄木のこの高台から東京湾まで見晴るかせたということから。不忍通りから短く急な坂を登る。千駄木駅からは2、3分なのだけれど、高低差がきつい。昔ここは海だったか、川だったかと、地形を身体で感じる。

 

鷗外が大切に使ったり、愛でていたりした逸品たちが展示されている。

購入したものも、贈られたものも、美術品や書画、文房具など、一つひとつに思い入れがありながら、どこか統一感があって、お互いに馴染んでいる。

一つひとつの物に由来や作り手との縁がある。その解説と共に鑑賞するのがまた良い。観潮楼にお招きいただいて、主から「これはね、かくかくしかじかの経緯で……ここのこれが良くてね……」など案内を受けているような気分になる。

元々が名家の後継ぎで、さらにドイツ留学中に文化芸術の知識を蓄え、自分でも執筆以外の創作活動も行っていた鷗外は、美術界で批評や審査などにも携わっていた。審美眼は相当なものだが、金銭的に価値の高いものというよりも、師、友人、仲間、後進の作家など、作者や送り主との関係や、手元にきた経緯や状況に価値をおいていたようだ、と解説にある。

 

長男の森於菟によれば、鷗外は、

真物は高いから、富豪が蔵していて、我々は見たい時に見られればそれでよい。

と言っていたらしい。

森家の子どもたちは日記を遺している人が多いが、その中には、座敷、応接間など、子どもたちの日常の中、暮らしの一部として、観潮楼の逸品があったそうだ。

常設スペースの模型(今回はなかったかも?)と見比べながら、あそこに飾られていたのか、ここに置かれていたのかと想像を巡らすのも楽しい。

一点一点、静けさと穏やかさ、鷗外の精神の奥行きを感じる。

 

印象に残ったもの

大正11年(1922年)当時の物価がわかる一覧

 キャラメル 10粒1箱 5銭
 コーヒー1杯 10銭
 帝国博物館入場料 大人10銭 子ども5銭
 外国郵便 書状20銭 葉書8銭
 天丼 40銭
 レコード 1円

(天丼、レコードが高い!)

・煙草入箱、葉巻切りなどは、たばこと塩の博物館の体験があると、つい見てしまう。一つの博物館をじっくりと訪ねると、その後にテーマに出会ったときの印象が変わる。

・蔵書印、落款印、篆刻などの展示も。人生の節目に印章を作ったようだ。願いや覚悟などを込めたのか。

・様々な場所に書棚が作られ、妻の志げが「宅では本がたんすを飛び出てます」とこぼしたとか。本はやはりそうなりますよね!没後、形見分けしたあとは、東京大学総合図書館へ寄贈されたとか。

漱石『彼岸過迄』大正元年、春陽堂。装丁は橋口五葉。 漱石『門』明治44年春陽堂漱石春陽堂のこと、もう少し知りたいと思い、春陽堂のページを訪ねる。

・書家・中村不折の書もある。こちらも比較的最近、書道博物館を訪ねたばかり。

山種美術館で去年出会った竹内栖鳳の画もある。

 

そして今回ブログに記録を残そうと重い腰を上げて書き始めて、あっと思ったのがこの事実。

長男・於菟は、当時日本統治下にあった台湾の、台北帝国大学(現・台湾大学)の医学部教授を務めた。赴任した際、鷗外の遺品を戦局厳しい東京から避難させていた。

戦後も同大学で働いていたが1947年に帰国。その際、教え子に遺品を託している。日本帰国後はすぐに受け取れず(おそらくは国交の問題か)、最終的には朝日新聞社を通じて台湾省政府に返還願いを出し、1953年に6年越しで受け取ることができた。

観潮楼は、1945年1月の空襲で、鷗外の胸像、門の敷石、庭の石、銀杏の木を残して全焼してしまうが、於菟の働きのおかげでこれらの逸品たちは難を逃れた。

わたしは5月に入ってから、台湾映画を通じて台湾と日本との関係について学んできた。もしや於菟の1947年の帰国というのは、『悲情城市』で描かれていたような二・二八事件の影響だったのでは......?今ここで台湾との関連を見るとは。

作品と史実、自分なりに調べてきたこととの交錯が起こり、鳥肌が立った。

 

 

今回も大変よかった。

一人の作家を毎回の企画展で少しずつ知っていける。それが個人美術館・個人文学館などのミュージアムの醍醐味。

年間パスポートがあるらしい。ここ3回続けて来ているし、これからもきっと来るから、購入しようかな。

......と思った矢先、緊急事態宣言が発出されて、4月25日から臨時休館となった。現在もまだ休館中。

 

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記念館の中にある「モリキネカフェ」。

カフェだけの利用も可。
単に「カフェが併設されている」というだけでなく、鷗外の写真が飾られていたり、メニューにプレッツェルがあったりして、さりげなく鑑賞後の味わいが続くような雰囲気になっている。

天井が高くて広々している。

窓の外には空襲を免れたイチョウの木。

何をいただいても美味しい。この日はかなりガツンとした甘味をいただいた。冬のマサラチャイもよかった。

 

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