『燃え上がる女性記者たち』を観た。
よかった! そして「この作品は絶対シネマ・チュプキ・タバタで観たい!」と思って我慢してとっといよかった。(そう思える劇場が身近にある幸せよ)
印象に残っていることはいろいろあるのだけれど、今パッと思い浮かぶのは、他紙の記者歴が長そうな男性からカバル・ラハリヤのメンバーに対して、「警察に取材するときの持って行き方がまずい、まずは美談から話して褒めてから」などとアドバイス、もといクソバイスをふっかけられるシーン。
「いや、もう美談はいいねん」と呆れ顔ではねのけるところ。
痛快!
そういうのやりたないから女性だけでメディア作ってん! わかるかなぁ〜 あんたにはわからんやろうなぁ〜、とニヤニヤしてしまった。
こないだ南米のどこかの国でジャーナリストが殺されているというドキュメンタリー(報道かな?)を見て、やはり事実を広く伝え責任を追及する人を消すことでどんどん独裁体制が強まっていくのだということを感じたばかりだったので、彼女たちがどれだけのリスクと重圧の元で戦っているのかは容易に想像できた。
ジャーナリストはジャーナリストだけではいられない。市民に求められることで成り立つ。だから市民の声を聞く。聞きに行く。情報を届けるだけではない。思考を促し、批判精神を持ち、議論を求める。求め続ける。
だから権力側に立ってただ情報を垂れ流すメディアをジャーナリズムとは言わないのだ。
我もかくありたし。
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公式サイト
観る前に。観たあとに。
CLP:政治学者の中島岳志さんによる映画に映っているインド社会のカースト制度のこと、政治的背景など、聞いてから映画を観ると理解がスムーズ。ジャーナリスト3名の日本のジャーナリズムについて思うことは観た後に聞くと、問題点がより理解できる。
TBSラジオ アシタノカレッジ:スタジオでの監督への生インタビューが聞ける。カバル・ラハリアの始まりなど、映画の背景が多数語られる。