ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

お知らせ

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1/21(月)-1/23(水)自分の本質とつながる場を掘る耕すオンライン個別セッション1枠60分¥10,800(税込)

場づくり相談
募集文の添削、フィードバック
読書会のつくり方講座
勉強会のつくり方講座
シェア会のつくり方講座
上映感想会のつくり方講座
鑑賞対話会のつくり方講座
講座のつくり方講座
トークライブのつくり方講座
百人一首/競技かるた講座

hitotobi.hatenadiary.jp

 

   

 

 

 

爽やかな集中感 競技かるた体験会 @umiのいえ  2/20(水)

coubic.com

 

 

春分のコラージュの会 3月下旬に開催予定

 

 

連載中 「場づくりの技術を身につけよう」 

terakoyagaku.net


 

 

 note  ロングインタビューの音声・テキスト、ひととびラジオ

note.mu

 

 

 

ポッドキャスト「ことほぎラジオ」

http://doremium.seesaa.net/

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お仕事について

note.mu

 

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1/21(月)-1/23(水)自分の本質とつながる場を掘る耕す個別セッション

追記:1/22(火)のセッションは体調不良のためやすみます。

 

 

寺子屋学での連載がUPされました。

 

【自分の身を削られるような場づくりをしていませんか?】
「お寺の場づくり」の技術を伝える連載『場づくりを成功させるための5つの鍵』。二つ目の鍵へと進む前に、一つめの鍵「なぜわたしは場をつくるのか」について、もう少し掘り下げた #1.5 となる記事をお届けします。
 
場づくりを行なっていく上で、自分の思いや原体験となるストーリーをおろそかにしてしまうと、継続性に欠ける場となってしまいます。
主催者と参加者の間に「良き循環」を生み出すためには?
 

場づくりを成功させるための5つの鍵 #1.5
自分の「本質」から、場はスタートする

terakoyagaku.net

 

 

 

「何をするか」と「なぜするか」は両輪で、行ったり来たりしながら場が組まれていきます。どちらが先に立つかはその人による。でも明確に言えることは、どこかの地点で「もう片方」を考えるときがくる、ということ。

 

わたしのお仕事とつなげると、ここの胆力が必要なところでお力になれます。

 

自分で考えた範囲で行き詰まるとき、「なぜするか」のもう一段深い層に到達して、思いや本質にふれる必要があるのかもしれません。

あるいは、これまでやってきたことのふりかえり「何をするか」がまだまだつくりこみができるということなのかもしれない。「なぜするか」とつながることで、もっともっとあなただけの本質的な場をつくっていくことができる。

 

ひらく人が自分とつながった本質的な場は、自然と人の集まりを生み出し、有機体として細く長く命をつなぎます。しかしそれには一般解はない。事実の積み重ねと自己との対話。

 

これはお寺の場づくりの話なんですが、自分のことだ!とピンとくる方はいらっしゃると思う。そういう人生の時期、季節にいて必要とされている方が。これを読んで感じたことからでもよいので、ご相談にいらっしゃいませんか。

 

 

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1/21(月)-1/23(水)の3日間をセッション集中期間します。1枠60分。どしどし使ってください!

 

●場づくり相談
-今、場をひらいていて、これでいいのか、こんなときどうしたらいいのか、もっとよくするには、などヒントがほしい。
-これから場をひらいていきたいが不安。どうやって人を集めたらいいのかなど、何から手をつければいいか知りたい
-場(関係)の仕舞い方を一緒に探ってほしい。
-企画をここまで考えたので聴いてフィードバックほしい。
-プログラムのつくり込みをしているので相談したい。

 

●募集文の添削、フィードバック

 

●マンツーマン講座開催
-読書会のつくり方講座
-勉強会のつくり方講座
-シェア会のつくり方講座
-上映感想会のつくり方講座
-鑑賞対話会のつくり方講座
-講座のつくり方講座
-トークライブのつくり方講座
-百人一首/競技かるた講座 

●その他リクエストください
ご参考までに。過去のお仕事一覧あります。

 

 

オンライン会議システムZoomにて。60分¥10,800(税込)です。

1/21(月)
①13:30-14:30
②15:00-16:00
③16:30-17:30
④18:00-19:00

1/22(火)
①10:00-11:00
②11:30-12:30
③13:00-14:00
④14:30-15:30
⑤16:00-17:00
⑥17:30-18:30
⑦20:00-21:00

体調不良のため休みます。

 

1/23(水)
①11:00-12:00
②12:30-13:30
③14:00-15:00
④15:30-16:30
⑤17:00-18:00
⑥20:00-21:00

 

※こちらの個別セッションはひととびの通常メニューです。上記日程が合わない方は希望日をお知らせください^^

 

★お申し込みはこちらから★

ひととびお問い合わせフォーム
・せいこにお願いしたいこと
・わたしの望み(わたしは〜したい)
・希望の日時枠
を明記の上、ご連絡ください。

 

取り切った時間をオンライン上にご用意して、あなたの宣言に立ち会います。

ご連絡お待ちしております。

 

舟之川聖子

METオペラ「マーニー」がよかった話

f:id:hitotobi:20190119195531j:plain                           METライブビューイングHPより

 

METライブビューイング2018-2019シーズン、

「アイーダ」がよかった話 

「サムソンとデリラ」がよかった話

に続いて、「マーニー」を観てきました。

 

ヒッチコックも映画化した心理サスペンスが、若き鬼才作曲家の手でオペラに!美貌と美声のI・レナード演じる謎めいた美女マーニーの秘められた過去とは?シックでオシャレなM・メイヤーの演出や魅惑的な衣裳も見逃せない話題作!

 

ということで、

新作ってはじめて!へー、オペラってこんなモダンなのもあるんだ!

いつも幕間でナビゲートしてくれてるレナードさんてオペラ歌手だったんだ!

わー、15回も着替え?素敵な衣装!!

...などなど、予告やインタビューなどでかなり期待が高まっておりましたが、

 

 

いやー、もうほんとすばらしかった!観に行ってほんとよかったです。

 

 

その魅力をわたし目線で4つご紹介したいと思います。

鑑賞行動に影響を与える可能性がありますので、未見の方はご了承の上、読み進めてくださいね。

 

 

①スタイリッシュな衣装、メイク・ヘアスタイリング

やはり期待していたのも一番印象に残っているのもこれ!

一点一点のファッションが彼女(レナードでありマーニーであり)のためだけに一分の隙もなくぴったりに採寸され縫製されていて、それを着こなしていたイザベル・レナードがめちゃくちゃクールで!!

わたしの短いオペラ鑑賞キャリアの中で、オペラ歌手のイメージを一番壊してくれたのは彼女かもしれません。

ツイッターをやってるとインタビューで話していたので、探してフォローしてしまいました。I s a b e l (@IsabelLeonardNY) | Twitter  

 

50年代のイギリスという時代の雰囲気や、マーニーの複雑で人物像や感情の動き、緊張と不安に満ちたストーリーをファッションやスタイリングはとてもよく表現していました。

衣装のアリアンヌ・フィリップスの他のお仕事ってどんなだろう?とこの記事を読んでいたら、この映画も見たくなってしまった→

映画監督トム・フォードを支える衣装デザイナー、アリアンヌ・フィリップスが語る『ノクターナル・アニマルズ』の見どころ。|ファッションインタビュー(流行・モード)|VOGUE JAPAN

 

纏うものによって人間が影響を受けるという記事、なんだか関係がありそう→

軍服だけで権力を手にした男の驚くべき実話。映画『ちいさな独裁者』監督インタビュー | ハフポスト

 

 

ヒッチコックの映画との相違と相乗効果

ウインストン・グレアムというイギリスのミステリー作家が1961年に書いた「マーニィ」という原作があり、それを1964年にヒッチコックが映画化しています。

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やっぱり予習大事よね!!ということで、前日にアマゾンプライムで観ていたのですが、どうも観終わってから気分が落ち込みました。苦悩する女性を描いてはいるけれども、マーニーへの共感や救済のようなものはあまり感じ取れなくて、設定をプログラムした人物を操るような、人間の性をじっと観察しているだけのような、ヒッチコックの眼差しの冷たさや意地の悪さを感じるような体験でした。あと、これは当時は問題なかったかもしれない、トラウマなど精神的に困難を抱える人への接し方や、女性への接し方、女性の描き方として、それはアウトだろう...というようなシーンがあったりもしました。

なんとなく耳に残っていた"decent"という単語がやはり物語の鍵だったようです。

「まともな」だけじゃない「decent」の意味とネイティブの使い方 | 英語部

 

 

いろいろと書いていますが、しかしこの映画を観ておいたのはとてもよかったのです。

 

オペラ版は、映画版と物語の流れ方はほぼ同じなのですが、設定の部分がだいぶ変わっているし、やはり表現形式が全く違うので、別の物語と考えよう!と臨みました。

さらにオペラのほうでは、演出や作曲や美術や演技や歌唱によって、マーニーやマークの複雑な内面や揺れ動く感情が丁寧に表現されていて、映画では悶々としてしまった部分が、だいぶ解消されました。…という以上に、最終盤では思わず涙があふれるほど心動かされました。

 

「オペラというのはストーリーはシンプルに、複雑な感情を表現するものなのだ」と幕間のインタビューで話されていて納得でした。

逆に映画のほうではスルスルと理解できていた母親の人物像や、マーニーとの関係性が、オペラのほうではもう少し必然性がほしかったなという設定や表現になっていました。

この、似て非なるもう一つの物語も起動させながら、今目の前で展開している物語に集中して、二つを同時に補完しながら自分の中に落としていくという鑑賞体験は、これまであまり体験したことがなく、興味深かったです。

漫画の実写化などで体験していそうなことですが、それとはちょっと違うような体験。一体何が違ったんだろう。

 

 

 

 

③新作オペラならではのチームワーク

合間のインタビューで語られていて、「作曲家が生きているから」というくだり。新作オペラでは作曲家と一緒につくれるから、「質問したりディスカッションしながら、一から一緒に作れるのがうれしい」とか「失敗して恥をかかせなようにしなきゃって思った」ということが起こる。

他の表現形式で実験された作品を、同時代の第一線で活躍するアーティストたちがチームを編成して、喧々諤々の議論を重ねながら、オペラという形式ではじめて作っていく...。同時代ならではのエネルギー。これが楽しくないわけがないだろう!と想像してわくわくします。

 

古典のオペラも好きだけれど、その芸術がその時代の人たちに必要とされながら継がれていくためには、このように新しい風も入れながら、刺激を与え合い、ストレッチしながら変わり続けていくことが大切なのだろうと思います。

 

私事だが、NYでこのオペラ(マーニー)のチケットを持っていながらコンサートのリハーサルで行けなかった僕にとって、このライブビューイングはほんとうにありがたい、感謝である。

との久石譲さんのコメントを読んで、そうか、そういうニーズにも(ニッチすぎるけど)マッチしてしまうMETライブビューイングは、やっぱり素晴らしいイノベーションだったなぁと思ったのでした。

 

 

 

④今、これをオペラ化する意味

 映画との対比ではより強く思ったし、METLVだけ観ていても感じられることだけれど、今の時代にこれを上演することの意味が大きい。根底にあるテーマは、「性(セクシャリティジェンダー・セックス)と暴力」だと感じました。これまでもこれからも、時代も国も超えた人類のテーマであったこれが、これからどう変わっていくのか、わたしたちはこのように解釈し、今、このように表現しました。あなた方はこれをどのように観ますか?と問われたようです。新作オペラを創る意義は、残していくということもあるけれども、社会の価値観の再考を促すという面もあるのでしょうね。

 

ふと、この2冊の本が思い浮かびました。

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それぞれのシーンの観察や発見やら、ニコ・ミューリービョークの音楽世界とのリンクやら、友人とはひとしきり語ったんですが、まだここには書けないですねぇ。書くところに落ちていくまでってやっぱり時間がかかるのかな。

ご興味ある方はぜひぜひ観ていただきたいです。

 METLVは1作品の上映期間が短くて、今回は2019/1/24までなので、急いで、足を運んでみていただけたらうれしいです。

 

METライブビューイング「マーニー」ウェブサイト

www.shochiku.co.jp

 

関連記事

precious.jp

 

関連記事

現代音楽の若き鬼才 ニコ・ミューリー《マーニー》NY現地インタビュー!
“私にとってオペラは あらゆることが起こる可能性があるマジカルなスペース”

https://www.shochiku.co.jp/met/news/1696/

 

 

今回も観終わってから友人らと感想の場を1時間、劇場近くのバーでクイックにつくって語りました。新宿ピカデリー出てすぐ、伝説のJAZZ BAR"DUG"にて。

一緒に観た友人Aさんと、その日の夜に観る予定の友人Bさんと三人で話していたのですが、これもなかなか楽しかったです。

Bさんは気持ちを高める&予習として、強い関心をもちつつフラットに聴いてくださり、Aさんとわたしは、「ここは事前情報なしにはじめて出会うほうがいいぞ」という部分には注意深くなりながらも、生まれたての感想を聴いてもらえ分かち合え、とてもいい時間でした。

つまり、「体験の分かち合い」と「その世界に入る橋を架ける」は同時に行えるということなんですね。


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自家製ミートパイ。
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・何を観たのか、聴いたのか、そこから何を感じ、考えたのか。
・自分の知っていること、これまでの体験と関連づけられることは何か。

感想を語り合える人がいること、その場があることが、鑑賞体験を深く濃く自分に関係あるものにしてくれます。

 

場が自給できると、人生が豊かになります。

相互的で深い鑑賞体験を通して、作品やその分野への関心を高めることができます。

 

 

 

★企業や団体の方

・映画、演劇、オペラ、展覧会、読書会など、販売促進や教育普及などを目的とした鑑賞イベントの企画運営をお手伝いします。

・鑑賞の場のつくり方やファシリテーション講座を実施します。

 

★個人の方

仲間を集めて鑑賞を楽しむ場をこれからつくりたい方や、すでに運営していてアドバイスがほしい方に、対面またはZoomにてコンサルティングします。


お気軽にお問い合わせください。

 

 


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絵を鑑賞することと言葉の処理の話

美術展に行って、キャプションや解説を読んでいるときに、なんだか頭に入ってこないのだけれど、併記してある英語を読むとスッと入ってくるということが、わたしはよくあります。
 
これは和訳がいまいちという可能性もあるだろうけど、別の可能性として、絵を観るときと英語を読んだり話したりするときは、脳の同じ部位を使っているからなのかもしれません。もしかしたら。(あ、日本語より英語が得意とかでは全くないです!)
 
 
わたしは展覧会に行くときはだいたいオーディオガイドを聞いていますが、観ることと聴くことを同時にやるのは、習慣にしていても、実はけっこう難しなぁと最近ようやく気づきました。ガイドの内容自体はすごく楽しいし好きなんだけれど、観るか聴くかのどちらかにしか、わたしは集中できないようです。これはもしかすると、ガイドから聴こえてくるものを、音楽を聴くときにつかっている脳の部位でとらえているからなのかもしれません。
 
結局、集中しきれていなくて聴きなおしたり、ちゃんと観れていなかったような気がして、最初からガイドなしでもう一度観て歩いたりしています。だからすごく時間がかかるわけですが...。さらにスケッチなどもしているので、体験はもっと深まり、一つの展覧会から受け取るものが多くなってきて、まぁなんというか、うれしいかぎりです。うれしい悲鳴です、とも言えるかな。何周も遊べるから。
 
 
そういえば、以前ポッドキャストでも話したことがありますが、「外国語の音声を聴きながら日本語の字幕を読む」って当たり前にやっているけれど、よく考えてみたらおもしろいことしてるんですよね。ほんと器用だなぁと思う。
そう考えると、観ながら聴く力(?)というのは習慣や訓練でアップしたりするものなんだろうか。「読む」を「観る」に近づけているあの絶妙なバランス感覚で、「観る」と「聴く」を近づけるというような?
 
...とここまで書いていて気づきましたが、人と話しながら絵を見てまわっているときって、よく観ることもできるし、聴くこともできるんですよね。これは人がいてくれて、「双方向性」があるおかげで、両方が実現しているんだと思う。
 

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最近、英語の自主学習を励まし合うオンライングループに入って、他の人の学習に刺激を受けたり参考にしたりしながら、毎日なんらか英語の音声や文章に触れてみています。そんな流れもあって、先日フィリップス・コレクション展に行ったときに読んだダンカン・フィリップスの言葉を原文で味わいたくて、メモしてきたのを見たり、読み上げたりしています。
  
Art offers two great gifts of emotion -the emotion of recognition and the emotion of escape. Both emotions take us out of the boundaries of self...
At my period of crisis I was prompted to create something which express my awareness to life's returning joy and my potential escape into the land of artists' dreams. I would created a collection of pictures -laying every block in its place with a vision of the whole exactly as the artist builds his monument or his decoration.

Pictures send us back to life and to other arts with the ability to see beauty all about us as we go on our accustomed ways. Such quickening of perception is surely worth cultivating. 
 
I have devoted myself to the lifelong task of interpreting the painters to the public and gradually doing my bit to train the public to see beautifully with a sublimated observation detached from self-interest and sufficient unto itself. 
 
-Duncan Philips, the founder of The Philips Collection
 
展覧会ってほんと今あるものだけで十分に楽しめるし、鑑賞の幅を広げたり深めたりする方法はたくさんある。そのひとつを世の中に提示してみつつ、他の人の楽しみ方も交換したり味わう場ができたなら、催す人にとっても受け取る人にとっても幸せな、副産物がぽこぽこと生じることだろうなぁ、というようなことを考えています。
 

学びのシェア会《別腹編》に参加して

友人たちと学びのシェア会という場を営んでいる。

 

発起人がいて、コアメンバーの運営だと自覚して担う人がいて、いつも参加する前のめりなメンバーがいて、気が向いたときに参加する人がいて、その活動を見ながらいつか参加してみたいと思う人がいる。そういう一人ひとりの温度や座標の違いが、とてもいい。場が温かく運動が生まれ続ける有機体として機能している。そういう場にいると、わたしはとてものびのびとして、幸福を感じる。

 

わたしは、多くの人と学び、仮説・検証を繰り返して伝えてきたコミュニティの立ち上げ方や営み方のセオリーを持っているが、客観的で分析的な視点からもやはり、よい場だなと常に感じる。各々、現場をもち場づくりをしてきたメンバーたちの智慧が持ち寄られていることも、相互の学びの刺激やつながりが感じられる。

 

今わたしがいられてうれしいと思うコミュニティのひとつだ。

 

 

会は隔月開催。1回につき3名が発表する。

参加すればするほど、発表すればするほど、シェアしてみたいことは増える。

「今シェアしたいことがあるのに!」「発表枠からもれてしまった!」というときに、この場を待たずとも自分でひらいちゃえばいいですよ〜ということも推奨している。

 

 

そんな会のスピリットに則って、今回、メンバーのまゆみさんが別腹開催を企画してくれた。内容は、文章表現インストラクターの山田ズーニーさんの「伝わる・響く!表現力講座」に参加した体験のシェア。ズーニーさんは、わたしもツイッターをフォローし、ほぼ日の記事や著書を読み、近くに感じてきた方だ。

 

 

ここ数ヶ月、わたしは自分の仕事をどんな手段でどう伝えていくか、誰に働きかけるか、どう計画を立てるかということばかりを考えて、やってもやっても何にも結びついていないように思ったり、どうずれているのかわからず、何も進められていない、形にならない現状が辛くて、胃を痛くする日々を過ごしていた。そんな中で、あのあたたかなつながりを感じながら、どうにか突破口を見出したい、という思いで参加した。

 


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わたしはこの本を2、3年前に買ったのだが、なかなかページをめくれずにいた。

このようないわゆる「積ん読」状態には様々な理由があるが、その中のひとつに、「自分に非常に関係が深いが今は直視できない」ということがある。わたしとこの本との関係はまさにそれだった。

 

これはズーニーさんのお仕事を表す中核的な存在だと思う、とまゆみさんが教えてくれた。

講座でズーニーさんが話したこと、ワークの内容、実際にまゆみさんが書いた文章の紹介、そのときどきのまゆみさんの内面での葛藤や歓喜が、まるで今起こっているかのような鮮やかさで差し出され続け、わたしは自分から手を伸ばして受け取り続けた。

 

受け取ったものを「食べ」ながら、ああ、わたしには何か極度に怖れているものがあり、それを全力で避けようとたくさんの努力を重ねていたのだな...、あるのにないと否定することで自分をどうにか立たせていたのだな...というようなことをつらつらと考えていた。

 

そう、わたしには、評価されること、批判されること、理解されないこと、認めてもらえないこと、受け容れてもらえないことへの大きな怖れがある。ようやくそれを見ることができた。

 

 

 


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今朝、目を覚ましてきのうのことを反芻していて、ありありと思い浮かんだのは、まゆみさんがズーニーさんから受け取ったもののことを話しているときに、「ズーニーさんもそこにいた」という濃い気配だ。

言葉や音声や存在を通して人間が伝えているのは、この感触なんだろうと思う。

 

だから話すにせよ書くにせよ、量はたくさんでなくてよくて、内容は多岐に渡っていなくてよくて、むしろ「削りたくない!」と苦渋の決断で削っていく過程、残された部分にこそ、思いは宿るのかもしれない。

 

そうでない「全部出し」の表現もまだまだ取り組むつもりだが、一方でずっと避けてきた、「たった一つの思いを制限のある中で書き抜く」という道をわたしは今ゆかねばならない。そこにほんとうにわたしがいる、読んでいる人のところに来ている、と感じてもらえる文章を書くことに挑む。

 

 

同じ場にいた友人たちが、さっそくきのうの体験をブログに書いてくれている。

 

主催のまゆみさん

mayuminaba.hatenablog.com

 

学びのシェア会言い出しっぺのライチさん

ameblo.jp

 

勇気を出して書くということ - 甘夏edu甘夏さん

 

 

 

同じ場にいて、違う体験を共有できるのはありがたいことだ。

それもこうして表現を惜しまない人がいてくれるから。

 

ああ、そうだ、言葉だからこそ、文章だからこそ受け取れるもののことを、わたしは幼い頃からずっとずっと信じてきたじゃないか。

 

 

ちょうど最近目にした記事も背中を押してくれる。

www.monosus.co.jp

 

 

そうだそうだ、わたしはこの山をまだまだ登りはじめたばかり。

ここまでいくつもの嶺は超えてきたから、体力と智慧とつながりを元手に登っていけるのだ。

 

 

まゆみさんが伝えてくれたズーニーさんの思いと、まゆみさん自身の思い。
あの2人が重なってみえたときの画を思い出すと、勇気が湧く。
伝えたいことがある。響かせたい思いがある。
それを持っていていいし、表現していい。

 

その感触をつながりを感じる場で得られたことがうれしい。

まゆみさん、一緒に参加してくださった皆さん、ありがとう。

これを読んでくださった方、ありがとうございます。

フィリップス・コレクション展がよかった話

三菱一号館美術館で開催中のフィリップス・コレクション展に行ってきました。

 

 

「全員巨匠!」というキャッチコピーにこのポスタービジュアル。

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すばらしく言いたいことがシンプル(笑)。

 

 

美術評論家」のダンカン・フィリップスさんが、自分の目利きで、注目するアーティストを集めたレーベルの、さらに日本向けに編集されたコンピレーションアルバムのような展覧会でした。

 

フィリップスさんの画家を評した言葉がところどころに掲示されているのですが、これが「惚れ込んだらべた褒め!」な感じがよかったです。

 

 

コンピレーションCDを聴いて、よかった曲があったら、それが収録されているアルバムをたどったり、同じアーティストの他のアルバムもさらに聴きにいって、どんどん広げていく、ということを中学生、高校生ぐらいによくやっていたのを思い出したので、最近、美術館展やコレクション展を楽しく鑑賞しています。

 

その楽しさを教えてもらったのは、プーシキン美術館展もそうだし、もう少しさかのぼると、やっぱりポンピドゥーセンター展だったかな。

 

 

今回は、ジョルジュ・ブラック、ジョルジョ・モランディ、フランツ・マルクは、他の作品をもっとみてみたいです。

 

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フィリップさんはボナールとも親交があり、コレクションの中でも重要なものとして位置付けていたようです。

 

秋にボナール展があり、ブログでよかった話を書きましたが、一時的に詳しくなっていたこの短期間に、またボナールの作品に4点も会えるのはうれしいことです。三菱一号館美術館は最近のナビ派ブームをもたらした美術館という文脈もあるので、ボナールとヴュイヤールも入れてあるのかなぁと勝手に憶測してみたり。

 

2.5mぐらい離れてみてみると、色がじわじわと動き出す感じ。

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わたしが今回一番うれしかったのはこれ。

全く似てなくて残念ですが、モディリアーニの「エレナ・パヴォロスキー」。

モディリアーニの作品の中でも子どもの頃からずっと気になっていました。まさかここで対面できるとは!と胸が震えました。

友人エレナの透明さ、凛々しさ、知的さ、繊細が伝わってきます。

実物を見ると、顔はほんとうに丁寧に描いてある。

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好きな絵が多くて、毎度のことながら観るのに時間がかかりました。

 

最初のご挨拶のところで読んだのだったか、「近代美術(Modern Art)だけれど、ダンカン・フィリップスにとっては同時代だった」というような文章を目にして、それを念頭に入れながら観ていけたのはよかったです。

 

生まれたのが1886年

初めて絵を購入したのが1912年。

フィリップス・コレクションの前進のギャラリーがオープンしたのが1921年

MoMAがオープンするのが1929年。フィリップスも運営に尽力。

 

だからフィリップスにとっては、ゴッホ、モネは「ちょっと前」、マティスピカソユトリロ、ボナール、モディリアーニ、ブラック、カンディンスキー、クレー、ランディ...みーんなみんな、Contemporaryだったんだなぁ。

 

 

コレクションなので、獲得年や寄贈年が記されていて、蒐集のキャリアもうかがうことができます。

 

第二次世界大戦の影響でヨーロッパの画家たちがアメリカに渡ってきて、芸術の発信地がパリからニューヨークに移って、という大きな流れにフィリップスも乗って、そして戦時中も蒐集活動を熱心に進めた、と。

 

...というところで、「はて、大戦中のアメリカ国内の状況ってどのようだったんだろう?」という疑問がわきました。

手元にある山川の世界史資料集についている、各国の出来事が比較できる年表を見てみて、だいたいの時期や出来事についてはわかったのですが、もう少しリアルな人々の生活も見てみたいなぁという気持ちが出てきました。

フィリップスがどうしてそんなにも芸術を人々と共有しなくてはと切実な思いを抱くことになったのか、ももう少し知りたかったなぁ。

これは図書館に行くかな〜

 

 

 

 

これは写真撮影スポットに飾られているパネル。


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現地のフィリップス・コレクションでは写真取り放題みたいですけどね。

いろんな方のブログを観ていると、へーこんな作品もあるんだ!と別のツアーに出たみたいで楽しいです。

 

《DCのおすすめ美術館》フィリップスコレクション | | Global Familia

 

フィリップスコレクションの見どころ ワシントンDCの素晴らしいモダンアートコレクションを誇るミュージアム The Phillips Collection - Petite New York

 

 

「絵画は、周囲のものに美を見出す力を与えてくれる」米国紳士が残した言葉 | 文春オンライン

 

 

《公式HP》https://www.phillipscollection.org/about/history

《PDF》https://www.phillipscollection.org/sites/default/files/attachments/building-history-july-2015.pdf

 

"Phillips Collection"でGoogle検索するのも、同じ作品が現地ではどういうふうに展示されているのかわかっておもしろいです。

 

 

そういえばこれが今年の初展覧会でした。

今年も個人的に観るものは、厳選してじっくり味わっていこうと思います。

 

 

 

 

そして、今年こそは美術館とパートナーシップを組んで、鑑賞感想会を催すお仕事をしたいです。

一方向のレクチャー形式の知識の吸収でもなく、特定の絵の中の話だけをする対話型鑑賞だけでもない。

 

展覧会を観た感想を他の鑑賞者とわいわい話す場。

 

絵を観察することはもちろん、美術史や技法ももちろん扱い、それに加え、自分の背景も、経験も、思い出も、すべてを感想として話し、聴き、お互いに新しい発見をしあい、人と人とが作品を通じて出会い、出会うことで作品を深く理解する「場」。

 

場にしたい。

場をつくりたい。

 

一人ひとりにとって、鑑賞の体験が自分と真に関係があるものとしてとらえられる場。鑑賞が生きる上で真に必要な力となるために、対象を通じて「人と出会うこと」を組み込みたい。

 

展覧会で絵を鑑賞することを「体験」としてデザインしていく。

一人ひとりの人生に位置づけられていく可能性のあるものとしてとらえる。

 

それが可能な安心安全な環境設計から行います。

どなたかそれを一緒にやってみたい美術館の方はいらっしゃらないでしょうか。


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*追記(備忘として)*

・フランツ・マルク Franz Marc  
Wikipedia

フランツ・マルク 画像と解説

【美術解説】フランツ・マルク「動物をモチーフにした絵で人気の前衛芸術家」 - Artpedia / わかる、近代美術と現代美術

36歳で戦死。本格的に画業に携わっていたのはたった10年。
ミュンヘン市立美術館とNYのグッゲンハイム美術館が多く所蔵している模様。


青騎士 Wikipedia

Punk, Icon, Activist

*鑑賞行動に影響を与える内容を含みます。未見の方はご注意ください*

 

 

年末にタータン展に行ったときにチラシを見て、ぜったい観に行くぞーと決めていた「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」 、観てきた。

 


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原題は、"Westwood: Punk, Icon, Activist" 

 

なんか、うん、そういうそういう感じだったネ。

 

 

正直には、あまり心が動いた映画ではなかったんだけれども。

 

でも、ヴィヴィアンが動いて自分のことを話しているのを観れてよかった。

というのも、年末にひらいた当時のコラージュで、たまたまヴィヴィアンの記事を見つけて( ↓ )感銘を受けたので 。

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5歳で靴を作ったヴィヴィアンは、騎士を目指していたそうだ。

画面にはジャンヌ・ダルクらしい騎士の鎧をまとい、馬にのった女性が映る。

その言葉どおりに、人生で"Dame(デイム)"の称号を得ている。

 

 

ものづくりと事業と。デザイナーで創業者。

帝国(会社)が大きくなりすぎて、女王の把握できる範囲を遥かに超えてしまったことへの、やり場のない感情の吐露するシーンは、なにやら切なかった。

 

もっとファッションに敏感な人なら、ヴィヴィアンとアンドレアスのつくる服をよく「聴ける」んだろうな。わたしはファッション(特にショウにおける)については、どう「鑑賞」したらよいのか、まだよくわからない。関心はあるけれども。

 

 

メモした言葉

・私の知的好奇心が満たされなかった

・人通りのない道から大通りに出てからは

・これが体の求めていた本物の服だ!

・一番うれしいのは自分が認められたことです

・性のアイデンティティを主張しない

・彼を追い越した。知的な魅力がなくなった

・人生を楽しむ服です

 

 

ヴィヴィアンの「作品」も所蔵されているVictoria & Arbert Museumのウェブサイト楽しい。

https://www.vam.ac.uk/

The V&A is the world’s leading museum of art and design, housing a permanent collection of over 2.3 million objects that span over 5,000 years of human creativity. The Museum holds many of the UK's national collections and houses some of the greatest resources for the study of architecture, furniture, fashion, textiles, photography, sculpture, painting, jewellery, glass, ceramics, book arts, Asian art and design, theatre and performance.

 

 

アンドレアスのメッセージが出てる。

Andreas Kronthaler for Vivienne Westwood AUTUMN WINTER 2018-19 COLLECTION | 【公式通販】ヴィヴィアン・ウエストウッド

 

 

しかし、何よりもかによりも、ファッションモデルというお仕事の苛酷さなぁ...。

 

あれ、そういえば観てみようというきっかけになったタータンの服はあまり出てこなかったな......。

 

 

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或るかるたーの年末年始日記

競技かるたを本格的にはじめたのが2016年6月ごろ。

競技かるたをする人のことを業界では「かるたー」と呼んでいるので、「かるたー歴2年半」ということになる。

 

年末年始はかるたー的に過ごして満足だった。

 

 

 

三重のかるたーさんと練習会。

ひょんなことからtwitterで盛り上がったのがはじまり。6本も取れて満足。ご自宅に泊めてもらって三重のかるた事情などをうかがう。

翌日伊勢神宮に行った。友人知人に情報をたっぷりもらい、冬至のコラージュの会の最中にも「伊勢の記事ありますよ!」と切り抜きをいただいたりしていたのだけれども、年末の参道はさすがに人が多くて、あまり名物も食せなかった。なんとか入れた五十鈴川カフェのコーヒーとチーズケーキは美味しかった。

猿田彦神社内の佐瑠女神社で芸能のお守りをいただく。(かるたは武道で芸能といっていいのかわからんが。。)。

そして伊勢神宮で圧倒されまくる。パワースポットというものがよくわかっていなかったけれども、そういうことか、と身体でわかった。これまでに訪れ、詣った人間のあしあと。行ってよかった。メッカとか、サンティアゴ・デ・コンポステーラに行ってもこんな感じがするんだろうか。

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宇治の平等院

小学3、4年生以来なので、ずいぶんイメージは変わっていた。記憶の中よりずっと小さかった(自分が小さかったんだな)。建てられた当時の再現とか、ここ数十年でテクノロジーと共に研究も深まったんだなぁと時の流れを感じた。長いこと生きているとこういういいことがある。

世界遺産になっていたけれども、周辺は宇治茶のおかげか、昔ながらの店も多くて、いかにも観光地的な派手派手しい店があってもあまり気にならない。ほどよいバランスが保たれていて、人も多すぎなくてよかった。

鳳凰堂の不自然なシンメトリーに西方極楽浄土感があった。楽器を奏でる雲中供養菩薩像を展示したコーナーがすばらしくて、死んだらああやってたくさんの菩薩が、現世では聞いたこともないような、えも言われぬ美しい音楽を奏でながら、阿弥陀如来を筆頭に金色の雲に乗ってお迎えに来てくれるのかと思うと、たいへん楽しみになった。(極楽浄土に行く前提...) 

宇治川のほとりでは、去年「あさきゆめみし」宇治十帖編の読書会をしたことなどが思い出された。堰で水量調整している今でもこれだけ流れが急なので、かの時代の宇治川はさぞかし。

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兵庫のかるた会に出稽古。

かるた会に所属していても、日程が合わないなどで大会に向けての練習が足りないことがある。自分で積極的に出稽古に行ったり、有志の練習会に参加させてもらったり、自分でも練習会を催して機会をつくっていかないと、大人が強くなり、強さを上げていくのは難しい。

出稽古はアウェイで取るということなのでやはり緊張するが、それもわたしにとってはよい挑戦であり鍛錬。スタイルの違う方たちと取れて、ご指導までいただけて、とてもよい練習日になった。ありがたい。

人間、実現したいことがあれば、与えられるのを待つのではなく、いつもの快適な領域から出て、自然と飛び込んでしまっている。それはいつも成してみてからあらためて不思議な気持ちになるし、我ながらすごいなとも思う。そして動きだせば、人が助けてくれる、力を分けてくれるということも、絵空事ではなく実際に起きる。

 

西宮が最寄り駅だったのだが、会場までに見かける看板で、「人形劇のまち」と盛んにいうてるのはなんで?と思ったら、後に文楽になる傀儡子(くぐつ)の源流がここにあったとわかって、興奮した。

卒論が大雑把に言うとこのへん(傀儡子、山窩瞽女とか)のことを扱っていて、大阪にも住んでいたから、何かと近かったのに、ぜんぜん知らなかった。もっと知りたくなる。

ちょうど行きにドナルド・キーンの「古典を楽しむ -私の日本文学」を読んでいて、文楽のことも出てきたのでタイムリーであった。

関心と関心、いろんな線がこのタイミングで!という点で交わるのは、楽しい。歳を重ねるのがますます楽しい。

小さい頃から人形劇が好きで、文楽も好きだし、チェコ人形アニメも好き。アウトサイダー、芸能集団、旅をしながら芸を売る/芸を売りながら旅をする、というようなものになぜか惹かれる。

 

西宮市観光協会のホームページより

[人形操り発祥の地 西宮]
室町時代西宮神社の近辺には傀儡子(くぐつし)と言われる人々が住んでいました。彼らはえびす様が鯛を釣るという素朴で信仰的な内容の人形まわしで国々を回り、えびす様の札を売り福を祈りました。傀儡子たちのこの芸能は「えびすかき」と呼ばれ、庶民文化が発展した時代に、えびす信仰とともに民衆に広く受け入れられました。芸に秀でたものは能を人形に舞わせて人気を博し、西宮の傀儡子が宮中に招かれたという記録が残っています。
江戸時代には、当時流行していた浄瑠璃と人形操りが結びつき、技芸がさらに磨かれて舞台芸術としての人形浄瑠璃が生まれ、後に文楽にも発展しました。
傀儡子たちが厚く信仰した人形操りの祖、百太夫をおまつりする神社が西宮神社の境内にあります。人形浄瑠璃文楽にいたるルーツを持つ西宮は、人形操り発祥の地と言われています。


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名人・クイーン戦を観た

競技かるたを本格的にはじめてから今年で三回目、近江神宮の勧学館で生で観覧する機会を得ている。ありがたいことだ。

2回戦をのぞいてすべての回の観覧席を友だちが当ててくれていたのだけれども、4回戦が終わったあとに、独特の緊張感の中で、トレースを必死にしながら、根を詰めて見ていたので、頭痛と吐き気が出てしまい、5回戦は解説会場に切り替えた。…というぐらいものすごいエネルギーが、会場には渦巻いている。

クイーンは防衛に成功。
名人は4度目の防衛ならず、新名人誕生。

4名とも、あそこに立つためにどれほどの努力をされてきたのだろうと、ただただ、そのことばかりを考えていた。

わたしも同じ道のだいぶ端っこのほうで、わたしなりの動機から同じ競技に取り組んでいるのだよなぁ。

 

一昨年のメモ。

生で見る試合は本当にもう「お願い、誰も息をしないで」の世界。すごく近いのに、そこだけ別世界のような時空が生まれてました。神事のような。美しかった、なんか。それでも自分がやっていることの延長上に(はるか遠くだけど)、この場が存在しているんだなぁってことも強く感じていました。わたしも競技者のはしくれとして、そこでなにが起こってるのか、なんとなくわかるから。その感じはとても幸せでした。全身が、脳みそまで筋肉痛だ。

 

今年は会場で「あら、こんにちは〜」と声かけ合う人が何人もいてうれしかった。同会の高校生に浦安の間で会ったのはびっくり!

 

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こうして振り返ってみると、なにやら時間の重なりを感じる場所や、時空を超えて長大で超越したものに寄ってみていた年末年始だった。

 

 

それにしても。

年末・年始の「あわい」はほんとうに不思議な体感があって、日本に(あるいは日本の中でも特定の地域?)生まれていなかったら、ここまでくっきりと意識することもなかったのだろうと思うととても興味深い。

新月のリストと片付け


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新月に願い事のリストを書き、満月に見直すというワークを一昨年の年末から毎月やっている。最初の3ヵ月はここで「先生」に教わり、それ以降は卒業した仲間たちと新月、満月当日または近い日程に予定を合わせてZoomでやっている。

 

毎回わたしのリストに出てくるのは、「片付け」。

このワークをしている仲間にもこのテーマを挙げてくる人が多い。

 

以前は「片付けられないダメなわたし」がみっともなくて恥ずかしくて、どうにかしたい、という気持ちで書いていた。しかし昨年あれやこれやと片付けに取り組んできて、衣食住や仕事が今の自分にぴったりのものになってきたら、最近は片付けというのは実におもしろいテーマだよなぁと思うようになってきた。

 

そんな話をきょうのリスト書きの時間に仲間に話したら、「それはニーズにもあるからねぇ」という応答。

 

そうだー、住処を整えておくというのは、人間の根源的なニーズから起こっていることなのだ。だから女性特有の何かでもないし、まして役割の範囲でくくるようなものでもないのだ。

 

 

以前このブログでも書いたNVCのニーズのリストの中にあるものでパッと浮かぶのは、

・秩序(Order)

・空間/場/余裕(Space)

・効率(Effectiveness)

 

 

実際に作業をしていくと感じるのは、

・調和(Harmony)

・ニーズを満たす力(Power)

・帰属すること(Belonging)

・つながり(Connection)

・信頼(Trust)

・現実の共有(Shared Reality)

・心身の健やかさ(Well-Being)

・自主性(Autonomy)

・悼む・嘆く(Mourning)

・成長(Growth

・意思疎通(Communication)

...などなど、その他まだまだある。たくさんのニーズが満たせるのだ。

 

 

 

毎月一緒にワークをしている仲間の一人に整理収納アドバイザーがいて、彼女がきょう言っていたことがとってもよかった。

「片付けというのは、見た目に整っているということではなくて、自分が快適で暮らしやすく、何がどこにあるかわかっていること」

「片付けられる人と片付けられない人という人間がいたり上下関係があるのではなく、『物がこのように置かれている』という事象がある」

 

いやはや、ほんとーにそう!

救われる話。

 

 

年末年始に片付け上手な妹の家に泊めてもらって、どういうポリシーやルールで整理収納・掃除されているのか観察したり聞いたり、便利グッズの情報を仕入れ、やる気をむくむくさせて帰ってきた。

 

きのうはさっそく息子に付き合ってもらって、ダイソーニトリ無印良品とはしごして収納用品などを買い、家に帰ってあれこれ作業をしたら、すばらしくぴったりきた。

足りないものは段ボールで自作して、うまくいって気分がいい。

 

 

「気になっているところをそのままにしない!」ということを決めて、実践してみて、ぴったりはまると気持ちがいい。

 

 

所用時間10秒ぐらいのことも多いのに手が出ない、身体が動かないこともある。

でも、「せいこちゃん、やれば気持ちいいよ!」と自分を応援する。

  

 

わたしはわたしが気に入るように、環境や状況を変えていける。

わたしにはその力がある。

物事に片を付けることができる。

頼もしいわたし。

変わっていくわたしが喜ばしい。

 

 

こうなってくると片付けというのはもはや「(めんどうくさい)家事」ではなくて、セルフセラピーになる。

 

そうなるとしめたものよね。

 

うん、忘れないように書いておこう。

あけましておめでとうございます

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実家で迎えるお正月に、恒例のトレッキング。

今年は姪1と義兄も加わり、総勢6名でぞろぞろと。

車で10分〜20分も走ればいい感じに歩ける山があるという環境は、やはりいい。

 

今回は身近だったけど登ったことのない山。

山の上に小さなお寺がある。

隣接の社務所では、旧式の薪ストーブが焚かれ、おせちや甘酒をふるまっていただいた。これがめっぽう美味しかった。

 

標高600mで山としては高くはないのだけれど、手水が凍る程度には寒い。

登ってきた道のりを考えると一体どうやって食材を運んだんだろうか。

そう考えるともう「有り難い」しか出てない。

 

お寺の由緒を調べていたら、なかなかおもしろかった。

平安の時代からよくこんな山深いところのお寺を守ってこられたものだ。

継ぎ繋いできてくださった方々に、ありがとうございます。

 

元旦なので、行き交う人たちと「おめでとうございます」と挨拶を交わし合い、とても清々しい気持ちで歩いた。

 

やっぱり山はいいなぁ。

 

 

今年はあと3回ぐらい山に登りたい。

盤石な自然に胸をかりて、自分を整えたい。

かるたで強くなるためにも、足腰鍛えたい。

 

装備の整え方もだんだんとわかるようになってきた。

 

やってみたかったことを、自分に制限をかけずのびのびと、今年もやっていきたいです。

 

こちらのブログも引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 


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9 years after

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今年の春にこんなことがあった。

 

近所のお店で、たまたま隣同士になった人といろいろしゃべっていたら、その人が、

「ねー、あたし幸せになりたいんだけど、どうしたらいいと思う?」

といきなり息子に聞いてきた。

 

それに答えて息子、

「自分の好きなもの、たとえばかるたとかなんでもいいけど、それで会をつくって、人を集めて自分の好きなことをすればなるよ〜」

と。

 

横で見ていて…なんか…涙が出た…。

 

この9年間、わたしの生き様を一番近くで見て、確かに何かを受け取ってくれてる。

 

ありがとう息子。

 

 

 

ブログを読んでくださる方々、今年一年、ありがとうございました。

わたしたち、よく生きた。

迷ったときは愛のあるほうへ。

 

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

それが当たり前の世界の住人と擦れ合うこと(第九その後)

きょうは12月27日。

今ぐらいの時期は実家に帰省することもあり、いつも何かと落ち着かない。

仕舞われていく。

こちらとあちらのあいだにいて、歩みを進めながら、道をふりかえって見ている。

 

 

2018年は何かと出会い直すことの多い年だった。

 

自転車を修理して4年ぶりに乗ったり、

止まっていた時計をオーバーホールに出して、また相棒として活躍してもらったり、

9年ぶりに再会した人と友だちになったり、

ほんとうにあれこれとめまぐるしかった。

 

この記事でも書いたけれど、そんな日々を過ごしているあいだに、時間の感覚がすっかり変わってしまった。有限の身体を持ちながら、この先一体どんな景色が見えてくるんだろうか。

選ばされること、人生がわたしにさせてくること。

 

 

第九にも出会い直した。

予習会をひらいて、本番を聴きに行って、その感想をみんなでまたオンライン上の場で共有して。その後も年末という時期的なものもあって、第九周りの話題が尽きず。

たいへん!たいへん!満足である!!

 

 

日々音楽に携わっている友人たちにとっても、今回の場はとても新鮮だったと聞いた。「あちら側」からの景色を見せてもらえたことがうれしかった。

 

例えば音楽が空気のように有ることは、音楽を「お役目」としていない人にとっては、当たり前ではない。

お役目をなんと表現してよいかわからないけれど、好きというかなんというか、考える前にやっているし、ずっとやって生きているし、もうお役目としか言いようがない。

たとえばわたしにとって、鑑賞の場をつくったり、場の守人を務めることはもはや好きかどうかという軸ではなく、お役目だ。選ばれてしまった。

 

お役目に携わるのは日常であり、それが優先されている。

それを中心に暮らしも構成されている。

 

 

あちら側の人は、当たり前のことを少しひらいているだけでも、それがお役目でない人にとっては、新鮮な驚きや感動を与えることができる。

 

わたしたちは一人ひとり、同じ時間の中に生きながら、全く違う世界、違う景色を見ている。違うお役目を生きている。

それをときどきこうして、感覚・感想と知識・経験が集まる場をつくり、場に集うことによって、見せ合い、擦れ合うことができる。

優劣や正誤の判定ではなく、ただ、対象への愛と関心から行う。

 

そこでは、自分が携わっているお役目を確認できる。

自分がよい影響を与えている人の姿を直に見ることができる。

その唯一さや意味や価値について考えることは、これからのお役目を歩む人生をさらに豊かにすることだろう。

 

こちら側・あちら側にいながら、行き来しながら、「鑑賞」をひらき、深めていく場。

この世に無限にある分野、ジャンルが待っている。

 

おもしろい。もっともっとつくっていきたい。

 

《追記》

そういえば以前、山の上で星空観望会に参加したとき、星の先生が、「 一番好きな星座はなんですか?」と聞かれて、びっくりしたように、「考えたことないし、 今考えてみてもわからない」って答えてたのが印象的だった。

星を読む、聴くんだから、星座のことも好きで好きでたまらないんだろうと思っていた。

星空になにを見てるんだろう?

 

2年前のわたしは「そういう感じはわからないなぁ」と思っていたけれど、今はその感覚が理解できる。お役目になるとか、それを生きるというのは、たとえばこういうことなのか。

 

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読書会の体験会を提供しました

先日、とある団体よりご依頼いただき、読書会の体験会をひらきました。

 

ご依頼の内容が、

事業で扱うプログラムの中で読書会のエッセンスの一部(または全部)を取り入れてみたい。

しかし読書会とはどのようなものなのか、参加したことがない。

体験してみたい。

とのことでしたので、こんなプログラムをつくり、ご提供しました。

 

 

読書会体験会とつくり方


●参加人数

5名

 

●内容
①持ち寄り型読書会「テーマ:今年読んだ本」(55分)
[ 紹介3分+コメント5分 ] × 6名=50分
ふりかえり5分

②課題本型読書会・その場で読む編(40分)
読書10分+感想シェア20分=30分
ふりかえり5分

③質疑応答 25分

 

所要時間:合計120分 

 

●用意していただくもの

ミーティングルーム、机、椅子、紹介する本(各自1冊)、筆記用具、付箋

 

 

 

①持ち寄り型の読書会では、年末ということもあり、一年をふりかえる意味で、当初「今年のわたしの一冊」としていましたが、「普段あまり本を読まないので、ハードルが高いと感じている人がいる」というお声があり、「今年読んだ本」としました。

 

テーマの選び方は、集う目的やメンバーの本への嗜好なども踏まえて、このように臨機応変に変えていきます。集う人がなるべく負担なくと考えるのであれば、誰にでも当てはまるような「大きな広いテーマ」に上げていくのがいいでしょうし、普段から読書習慣があったり、特定の分野の本をよく読んでいるメンバーが多いのであれば、「小さく細いテーマ」に絞り込んで階層を下げていくのがいいでしょう。

それにより雰囲気もずいぶんと変わります。

 

 

集まったのはこちらの本!それを気に入っている人から紹介してもらうと、どれもこれも魅力的な本ばかりで、ぜんぶ読みたい......!!となる幸せ。


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本の形をしていれば、ジャンルは問わず、写真集でも漫画でもOKとしました。

電子書籍でもよいですか?」とのご質問があり、今の時代ならではの多様な読書に触れてみたかったので、もちろんOK。しかしもしこれが本という紙でできた物の手触りを味わいたいのであれば、紙の本限定とするのでしょうし、このあたりもひらく人がメンバーと何を共有したいかによって考えていくといいでしょう。

 

紹介してもらうときにはいろいろとコツがありますが、今回は本を通じて人を知ったり、読書の楽しさを再発見したり、またそこから協働プログラムの手がかりを見つけることが目的だったので、あらすじや本の内容を詳細に説明するというよりは、

・なぜそれがその人の手元にあるのか、経緯

・なぜきょうそれを持ってきたのか(その本を読んで感じたこと、どんな影響を受けたか、些細な感想)

を話していただきました。

 

 

 

 

 

②の課題本型読書会は、その場で読める長さの短編を使って感想を共有しました。

同じテキストを読んだ、感じ方の違い、一人ひとりの違いを味わってもらいながら、書かれたものが立体的に、且つ深遠な体験として心に残る様を実感していただきました。

 

クリスマスが近いこともあり、ポール・オースターの「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を選びました。


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巷の読書会では、あまりその場で読むタイプの読書会はわたしは知らないのですが、わたしが以前ひらいていた読書会(ブッククラブ白山夜)では毎回短編小説や、長編小説の一部をその場で読んで感想を話すということをしていた経験もあり、またこの記事を読んでくださったこともあり、今回はこのタイプの読書会にも興味を持ってくださいました。

 

「読みながら「気になる箇所」に傍線を引いてください、あとで共有するときに使います」とお声がけしてから読みはじめました。

おもしろかったのは、読み終わったときに、「国語の授業のようで、なにやら当時のことを思い出してしまった。自分の中で葛藤が起きた」「傍線を引いて読むのは仕事に使う本のことが多いので、小説では戸惑った」「気になる箇所というのが最初ピンとこなくて二周目でようやく一箇所引いた」など、いろんな声が聞かれたことでした。

一人ひとりの読書行為や読書体験は全然違うことにあらためて気づきました。

 

読書10分、シェア20分というごく短い時間でしたが、気になった箇所を一人ひとり共有したあとフリートークの流れにして、話題が次々に出て、掘り下げられたものもありました。

 

 

 

ご感想

・本の魅力を掘り下げて紹介するときに、他の人の紹介も聴きながら、じゃあ自分はどんな言葉を出そうか、どんな表現で伝えようか、などを考えられたことがよかった。

・ダイナミック!

・読書会がどういうものか、なんとなくわかった。体験できてよかった。

・他の読書会にも参加してみたくなった。

積読本が気になりだした...。

・たくさん本を読もう!語ろう!と思った。

・翌日、「読書会からつながっている!」と思えるキーワードがパチパチとはじけて、刺激的に感じました。

 

 

 

質疑応答の時間も、読書会のつくりについて知りたいことをどんどん出してくださいました。ありがたいです。よき時間をありがとうございました。

 

 

一人ひとりが違う、その具体的な違いをその人自身の言葉で表現してみて、みんなで味わってみる。同じ体験を共有した人同士の前提やつながりが生まれる。

直接質問をして答えてもらうのは難しいけれども、本を通じてなら、その人が人生で大切にしているもののこと、どんなふうに世界を見ているのかの一端を垣間見られる。

 

やっぱり読書会は楽しい^^

 

 

 

★企業や団体の方

・販売促進や普及などを目的とした読書会をお手伝いします。

・読書会という場を体系立ててレクチャーする講座や、読書会の運営コンサルティングファシリテーションを実施します。ご要望に応じてタイプや進行はカスタマイズいたします。

 

★個人の方

・読書を楽しむ仲間のつくり方や企画したい読書会のコンサルティング、読書会への同席とフィードバックなどでサポートいたします。


詳しくはお問い合わせください。

 

 

 

読書会についての過去記事

母になった女性に集中と表現の時間を:託児付きコラージュのこと

先日、冬至のコラージュの会をひらいたことを書きました。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

そして、その会に申し込んでくださっていたけれども、都合がつかなくなりキャンセルされた方がメールをくださいました。

 

2014年に、産後ドゥーラの友人と一緒に、見守り保育つきのコラージュの会を自主開催していた時期がありました。

http://seikof.blog.jp/archives/8334257.html

http://seikof.blog.jp/archives/10159558.html

http://seikof.blog.jp/archives/11712958.html

http://seikof.blog.jp/archives/13508534.html

 

メールをくださったのは、そのときに参加していた方で、同じときに参加していた別の方も、今回の冬至の会をご検討くださっていたとのことでした。

 

 

友人とも話していたのですが、あのときは救われました。衝撃的なイベントでした。いまだに新鮮な衝撃を持ち続けています。

自己表現できる場がありがたかったのです。
その時は何に自分が飢えていて、どうしてこれが「ごくごく飲み干したい」感じなのかも分からなかったけれども、今思えば、自分のニーズに一番ぴったりで、ほどよいスペースを与えてもらっていた気がします。

 

そのようなこと伝えてくださいました。

4年も前のことなのに、大切に持っていてくださってほんとうにありがたいです。

 

 

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当時のわたしは、切実に感じていたことがありました。

 

息子が今よりうんと小さかった頃(生まれてから3歳頃まで)、わたしはまとまった時間がなかなか取れませんでした。


「まとまって自分と居る」時間がほしいのに、まとまって考えたり、自分のことに関心を向けて集中する時間がほしいのに、どうしても子どものことや家のことで中断されて、時間が細切れになっていく。

 

周りの女性と話してもそのことが辛いという話はよく出ました。でもその話は「今の時期は仕方がないから」という諦めの言葉で終わる...。


でもわたしには、この欲求はごく自然なもの、真っ当なものだと思っていました。

自分が今何に関心があるのか、どんなものを好きで心地良いと思っているのか、出産前はどんなものが好きだったのか、これからやってみたいことやほしいものは何か、行きたい場所はどこか......それらに思いをはせ、探り、選び、紙の上に集約していく作業は、日々の子どもやパートナーとの生活を送る上で、とても大切なことだと感じていました。

 

それに取り組むためのまとまった時間を自分も含む女の人にあげたい、女の人の手に時間を取り戻してあげたい、という気持ちもあって、見守り保育付きコラージュの会や、百人一首の会(当時は仲間内で)をひらいていました。

 

集中する時間をたった60分だけでもいいから...と。

ほんとうに切実だったのです。

 

 

 

それから時は流れ、息子が成長するにつれ、その切実さは次第に薄れていきました。

まとまった時間はたくさん取れるようになり、アイロンがけが必要な服を着ることもでき、おしゃれをしてクラシックのコンサートに行くこともできるようになりました。

 

でもそのメールをもらって、当時の気持ちが蘇ってきました。

今のわたしができること、したいこと。

 

このプログラムがそのように役に立つものだとしたら、例えば母親へのサポート、産後の女性の支援をしている団体や行政の方などからオファーいただけるのであれば、出張開催の形で提供をしたい。託児スタッフをつけてもらって、実施できる場所で。

 

自主開催の形としては、わたし個人には切実さがないので、もうできないのです。

(つまり、自分でスペースを探して使用料を払い、自分で宣伝をして人を集めて、参加費を収入とし、自分で参加人数の変動リスクをとってひらくやり方)

 

でもお役に立ちたいと強く思っている。

スペース(場所)とコミュニティや募集ルートを持っている団体に呼んでいただいて、講師やファシリテーターとして、講座やワークショップとしてこのコラージュの会を提供することをしたい。

 

どなたがニーズをお持ちなのかわからないのですが、宣言してみます。

もちろんご紹介も歓迎です。

お話をうかがい、講師料と交通費のお見積もりをお出しします。

 

 

お問い合わせをお待ちしております。
ご連絡はこちらのフォームからお願いします。

 

 

 

 ▼2014年のコラージュの会です。

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第九を聴きに行ったクリスマスの夜

きのうはクリスマス。

第九ふむふむ予習会をして、楽譜を買い、聴き比べ、歌いまくって臨んだ生の第九のコンサートの日でした。

東京芸術劇場にて。読響。

芸劇に前回来たのは、ハイバイの芝居だったかな。ずいぶん前だ。そしてここでコンサートを聴くのはたぶんはじめて。


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一緒に予習会をした友人2人と近くの席をとっていたから、聴き終わってすぐの感触を交わし合った。

一人の「こんな日が来るなんて」という発言に、「ほんまそれ!」と思った。

彼女の言っていた感じとはたぶんちょっと違うと思うのだけれど、わたしは、今年になってやっと、「アイロンがけの必要な服を着てもよいわたし」になっていると気づいたところだったので、それにさらに「クリスマスの夜に第九を生で聴きにきてよいわたし」にもなっている!と気づいて、それに対して祝福の気持ちがあった。

 

しかも予習を一緒に楽しみ、一緒に聴きにくる仲間もいるのってすてきだ!

 

今までだって、大変だと思っていた時期だって、その気になれば聴きにくることはできたのだけど、こんなに我を忘れて好奇心のままに堪能できなかっただろうと思う。まず関心のあることにはどんどん行ってみるという自分へのOKが出せて、あまり知らない世界のことにも時間を使ったり、深めていくことができている今、ということがうれしいのだと思う。

見知った世界(美術展や文楽や能)ならそこまで思わないのだけれど、わたしにはクラシック音楽は少しずつの準備が必要だった。

 

この話ができる仲間がいる、ということも。

たくさん橋を架けてもらって、少しずつ渡ってきての今。

 

はー……なんかすごいな。長い旅をしてきたような気分。

 

 

オーケストラの生の音を聴くのは、時間の集積を聴いているんだという話をまた思い出した。

曲自身の時間、これまでこの曲が演奏されてきた時間、指揮者と演奏者が携わりはじめてからの練習や数々の本番の時間、楽器の時間、楽器に使われている材質の時間、ホールができてからの時間、ホールが立つまちの時間、集う人たちのきょうここに来るまでの人生の時間......。

 

 

演奏のほうは、聴いてきたCDたちとも、わたしが歌ったときの演奏会とも違っていた。CDと生の違い、楽団の違い、指揮者の違い...ってほんとうなんだーということを確認した。

何度も聴いたり、歌ったり、予習会でパート別にバラして注目して聴いたからわかったことだと思う。

第三楽章がやさしくてふんわりしててうっとりしててきれいできらきらしてて、モーツァルトみたいだったところのティンパニは、"Ich-liebe-mirって叩けって教わった"という話を聴いていたから、納得だったし。

 

おもしろかったのは、何回も観て(聴いて)いて、次に何が起こるかよく知っているはずなのに、「一体全体どういう展開になるの?」とはじめて観たときのように、固唾を呑んで見守る感じが起こる。

 

でも逆に「次にどの音が来るかわかっている感覚」もある。何回も聴いてるから当たり前なんだけれども。

 

が、しかし実際に音が出てみて、「あれ?こんな曲だったっけ?」という感じも起こる。これは先に書いた指揮者の違い、演奏者の違い、生だからこそ、ホールによる響き方、座席位置、体調...などいろんな違いがあるからだと思う。

 

その3つが、ずっと同時に進行している感じが不思議だった。

どんな曲かは知っているけれど、どんな音が聴こえてくるか、どんな体験になるかは鳴ってみないとわからないところがライブはおもしろい。

 

 

今思い返してみればすごく独特な第九だったのかもしれない。

タメるのかな?と思えばあっさりしているし、テンポ早いな〜と感じるところもあれば、強弱の付け方が独特なところもある。

たくさん聴いてるわけじゃないから、まだ批評はできなくて、「独特」なのかはわからないけれども。

 

 

 

 

先発で読響のサントリーホールでの演奏を聴いていた友人のレポートも助けになって、指揮者のマッシモ・ザネッティの"アモーレ♡"ぶりを想像しながら聴いてみたり。

サントリーホールには、P席というのがあってステージの後ろにあるので、指揮者の振りがよく見えるらしい。一度ここで聴いてみたい。


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それにしても。

今まさに目の前で人間によって起こっている出来事を、人間が息を詰めて見守る、支える感覚が「舞台」で行うものにはあって、大変に魅了されることよ...と思うわけなのです。音楽に限らず、演劇も能もスポーツもプレゼンも。

舞台があり、本番があり、器として従事している間の、付属するものは一切関係がなくなり、ほんものになり、光を放っている人間は目が離せないのですね。演奏でも手術でも消火作業でも通訳でも。不思議だ。

 

 

予習会での解説や感想の交わし合いと、先発隊のレポートがほんとうにありがたくて、自分一人で行ったのの百万倍ぐらいすごい体験になった。

近くに橋を架けてくれる友人たちがいることに感謝!

ティンパニコントラバスにこんなに注目したことなかった。交響曲としてまるっと聴いていたのが、トライアングルもシンバルもチェロも...。

 

響き合いとかうねりとか応答とか受け渡しを目でも聴けるってすごくいい。

音楽の色の帯や粒が見えたんです、ほんとうに。

楽器ごとの方々の運動量の半端なさとかも聴けるのもいいし。

 

 

あとは、普段いかにデジタル処理された音を聞いているか、ということも感じたし。

生の楽器の音を摂取することで、活性化される細胞があるように思う。

クラシック音楽に関しては、自分にとっての楽しみ方をこんなふうに一つずつ獲得しながら、細く長く楽しんでいけたらいいなぁ。

 

 

未知の分野に詳しい人に選んで連れて行ってもらう企画は、6年ぐらい前から自分も能や文楽などでもコツコツとやっていたり、企業に提案したこともあった。そのときは通らなかったけど、今また取り組んでいるのだな。

 

音楽でこんなふうにするのもとてもいいですね。またやりたい。

 

そして

 

みんなやればいいのに!!(お決まりのフレーズ...)

 

 

うーん、楽しかった!よかった!!

 

 

 

風物詩っていいですね。一年に一度コンサートに行って、時間の重なりを感じてみるのもいい。そして「第九」なら、普段はコンサートに行かない人も、聴きに来られるような雰囲気がある。

一方で、水を打ったような静かなコンサートにも立ち会ってみたいとも思う。競技かるたの名人戦・クイーン戦のような、息を止めていてください、というような静寂も好きだ。

 

 

 

はー、なんか東京での今年が終わったって感じ。ようやく帰省の準備にかかれる。

つまり、わたしにとって年末とは2回来る感じ。東京でまず仕舞い、実家で仕舞い...。

 

実家のことを考えたら、コンサートが終わってからあっという間に家に着いてるところもすごい!あたしの今の環境すごい!

実家のほうなら、コンサートホールから家に帰るまでに電車とバスと徒歩で1時間半はかかるからなぁ。

 

つまり、わたしは今のわたしの仕事をつくるのにこの環境が必要。だから今ここに暮らしているんだなぁとあらためて思いました。

 

 

 

▼右の月刊オーケストラの特集で、オーケストラの方々が「第九」を語っている座談会がおもしろかった。あーだこーだの会だし、ふむふむの会だし、〇〇を語る会って、〇〇を寿ぐことで。やっぱり楽しいよね。

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