ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

展示「生誕110年・没後30年 森類―ペンを執った鴎外の末子」@鴎外記念館 鑑賞記録

去年の冬に初めて訪れてから、企画展ごとに必ず来ようと決めている鴎外記念館。

来るたびに鷗外と作品とまちと時代について知っていくのがおもしろい。

 

今回は、鷗外の5番目の子どもで、3人目の「男子」である森類(もり・るい)さんの特集。1911年生、1991年に80歳で没。

鷗外が60歳で亡くなったとき、類は11歳。

 

コレクション展「生誕110年・没後30年 森類―ペンを執った鴎外の末子」 - 文京区立森鴎外記念館

 

 
 
 
 
 
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鑑賞メモ

・鷗外45歳のとき、1907年(明治40年)短歌界の対立する結社、明星派とアララギ派を接近させようと観潮楼に招き、歌会を催す。双方の歌壇代表者が集って、夕食や酒を楽しみながら、無署名で歌を読みあったそう。(粋な計らいというのか。調停者のような役割を自らしていたところがおもしろい。展示品を見ている限りでは、鷗外が誰かと激しく争ったというようなエピソードがあまり出てこない。もっと詳しい本などを読めば出てくるのだろうか。)

・こういう催しを1907年から1910年まで、毎月第一土曜日の夕方から夜中までひらいたらしい。同好の士と交わる時間は、人生においてギフトなのだろうな。

・遺族から6,400件の遺品が寄贈されている。個人の名を冠したミュージアムがあるとちゃんと保存も研究もしてもらえてよいのだな。あるいは、県や市の文学館のようなところでも受け入れてもらえたら、貴重な資料が散逸せずに済む。

・類は鷗外にボンチコ(坊ちゃん)と呼ばれ、可愛がられていたそう。(ボンチコ......可愛い。)

・鷗外は死の2ヶ月前に、ドイツ留学中の長男・於菟(おと)に、「類は少し勉強し出したが、一年後に中学の競争試験を受けることが出来るや否や問題である」と手紙に書いていて、その実物が展示されている。(お手紙の展示ってやっぱりおもしろい。どんな道具で何に書いているか、どんな筆跡かがわかるので。)

・鷗外が亡くなったとき、知人宅に預けられていて看取れなかった類。於菟が留学中のため、11歳の類が喪主となった。(名前だけだと思うけれど、妻も、姉も二人いるのに、女性が喪主になれなかった時代なのか。。)

・類は観潮楼跡に千朶(せんだ)書店をひらいた。1951年(昭和26年)図書館が建つために立ち退きになるまで10年。神田に自転車で仕入れに行き、空いた時間に小説や随筆の執筆をしていた。「晝は書店のおやぢ、夜は午前二時に起きて文章を書きます」店のネーミングは斉藤茂吉。(偉大な鷗外の重さを感じつつ、鷗外の残した交友関係に救われているところがあったのだろうかと想像)

・類の筆跡、インクのよくのる万年筆で一字ずつ丁寧に書かれている。大きくもなく小さくもなく、原稿用紙のマスに収まるほどよいスペース。読んでいて気持ちがいい字。オープンで誠実そう。誤字の直し方に几帳面さも感じる。

・家族の間の確執があったらしい。於菟だけ前妻の子で、男子でもあったので祖母が可愛がった。後妻の志げと気が合わず。於菟と類とも気が合わず。家族について書いた類の本で茉莉と反目?など。そんないろいろがあったのか。

・1946年(昭和21年)「新円切替に伴う預金封鎖が起こり、経済的困窮に見舞われた」とある。「新円切替に伴う預金封鎖」とは?日本銀行のサイトに説明があった。https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/money/c23.htm/

もっとあれこれ見ていると、けっこう無理やりな実施だった面もある? 人によっては現金資産が紙切れになってしまった人もいる? そして今新円切替で同じことが起こるんじゃないかと予想している人がいる? 斜め読みなので違っているかもしれないけれど、また別のところで行き当たるかもしれないので、一旦メモしておく。

・類は自分の子に鷗外の作品に由来する名前をつけたり、鷗外や志げの書いた作品を書き写したりもしていて、その原稿が展示されている。

 

 
 
 
 
 
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谷根千のイロハ』森まゆみ亜紀書房, 2020年)

森さんがガイドしてくれる谷中・根津・千駄木のまちの歴史。時代や場所とのつながりを感じながら、森鷗外の人生や鷗外記念館の物語を味わうのも楽しい。

 

 

以下は読みたい本。(読みたい本がどんどん溜まっていく......。)

『鴎外の子供たち:あとに残されたものの記録』森類筑摩書房, 1995年)
森家の人びと:鴎外の末子の眼から』森類三一書房, 1998年)
絶版になっている?図書館で借りるか。

 

『類』朝井まかて集英社, 2020年)


『闘ふ鷗外(鴎外)、最後の絶叫』西村正(作品社, 2021年)

 

今年3月に開催されたウェビナー。2021年12月31日まで公開。

日独交流160年「先人たちが遺したもの 特別討論シリーズ第一回 文豪・森鷗外が見たドイツ」

youtu.be

 

上記ウェビナーでベルリンにも森鷗外記念館があることを知った。ベルリンでの住まいが記念室になっている。100年後にこうなっているとは、鷗外も想像もしていなかっただろう。

www.museumsportal-berlin.de