ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

展示『川端龍子の院展時代』@大田区立龍子記念館 鑑賞記録

6月下旬、大田区立龍子記念館に『川端龍子の院展時代』展を観に行った記録。

 

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▼鑑賞メモ、

・自分を見出し、育ててくれた横山大観院展、そこからの脱退の決意、覚悟にふれてみたくて観に行った。わたし自身の現状になにか通じるものがあるような気がして。

・30代はじめ、アメリカからの帰国の2年後、1915年 第2回院展で初入選。

・西洋画から転向するといっても、日本画の師にもつかず、日本美術史も知らず。「まずパステルでやってみた!」というその発想と勢いがイイ。パステルを砕いて、膠で溶いて。これはこれで味がある。やったことないけど、やってみるという思い切りの良さ、若々しさ。

1917年に院展同人に推挙され、「一にも川端、二にも龍子」と徴用される。1928年に院展脱退。その後20年関係断絶。こういうことって人生あるよね。「庇護と自立」って語りたいテーマだ。

・「同人」「院友」「会員」は違うものらしい。どのように?

・「積極的未完成」っていい言葉だな。アレハンドロ・ホドロフスキーみたい。

・洋画/日本画の境界を超える。異端児。大観も異端児、龍子も異端児。ルネサンスを彷彿とさせる。

・「洋画教育には立派な橋がかけられているけれども、日本画にはないのでは」という問題意識。

1920年 自宅を建て、画室ができる。喜びに溢れた一枚>https://twitter.com/ota_bunka/status/1385481006749143042?s=20

当時の建築中の家の写真、棟梁たちが屋根に上がっている?誇らしげな感じが伝わってくる。

・「会場芸術(会場で目立つだけの絵」と揶揄された龍子、「展覧会における芸術が広く大衆と結びつけばつくほど、それはよい意味の会場芸術となる」。1921年「火生」

・1923年 10回院展 会期中に関東大震災が起こり、会場で避難者の救護に奔走する姿が新聞に掲載されている。このことが「関東大震災の経験が龍子に、民衆と芸術との関係を考えさせた。(1924年「龍安泉石」)芸術を探究するというのは個人的なことではなく、誰のための芸術か、ということへの目配りがあってこそ、ということなのだろうか。「偉く」なると見えなくなりがちなことかも。

・「役行者役小角(えんのおづぬ)に、院展の中で突出した「影響力」を持ちすぎてしまった自分を重ねた?大作主義を異端視されたとか。作品が大きくなったのは、展覧会会場で、多くの人が立ち止まっても見やすいようにという、配慮もあったと何回か前の企画展で見た。役小角って懐かしいですね。『宇宙皇子』を思い出す......。

・「民衆のための美術行動としては、小さく凝り固まるものではなく、大きくひらけて民衆の美的興味に訴えるものを」「健剛なる芸術の実践に情熱を傾けていった」

・大観や院展との目指すべき芸術の方向性の違いが顕著に。(あるあるですね。)1928年院展から脱退(同人を辞める)。この年に発表した「神変大菩薩」は、モチーフは日本的だけれど描き方が革新的だったのか。今の目から見れば、これも「日本画」に見えるけれども、当時の流れからは亜流、異端だったのか。

・1929年44歳で青龍社を創立。自分に目をかけてくれ、こちらも敬愛していた師をある地点から超えてしまった驚きと、ある意味ではもう目指しているもののベクトルが全く違うことに気づく。尊敬はしているけれども、自分はもうそっちではないとわかったとき、この場にはそぐわない、貢献できない、挑戦したい、、、なにかいろんな思いがあったのではと、作品から読み取る。(自分の話かもしれないけれど)

・青龍社創立して最初の公募展を院展と同じ会場で同じ期間中に開いたのは、たまたまなのか、挑戦状なのか。わざとだとすれば、大観が「君、嫌なことをするね」と激怒するのも仕方がないかなと思う。

・後年、川合玉堂のとりなしで和解して、ほんとうによかった。またこの一件を山種美術館川合玉堂展で確認できたこともよかった。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

三人で展覧会を開いたときの写真をテキトーにスケッチしたもの。左から玉堂、龍子、大観。楽しそうだった。

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・140点以上を所蔵している。毎回違うものを見ているし、同じ作品でも企画展のテーマ、切り口や編集が違えばまた違って見える。一人の作家を自分の変化と共に毎回追えて、作品に新たに出会い、出会い直し続けられるのは、個人美術館の醍醐味。

・わたしは龍子記念館に来る時は、それ専用に設られた、落ち着く広々とした空間で、大きな絵を観て堪能したい〜!と思う。そういう体験を龍子は鑑賞者に提供したかったのだろうな。それが龍子式会場芸術。自分が信じているものを、信じているように作る。その気概を今回の企画展ではさらに感じた。

・企画展の作品が並んでいる逆サイドの壁際には、11歳〜13歳の学校で描いた作品が並んでいて、これがめちゃくちゃ上手い。墨一色でさらりと描いた玉ねぎ、茄子、牡丹、瓢箪などなど。評価が思いっきり作品の上に書いてあって、たいてい中か上。上のほうが多い。

・学級委員タイプで、成績優秀、後輩に勉強を教えていたそう。

・和歌山から先に東京へ行っていた父のところには他の女が一緒に暮らしていた。実の母と離れて暮らすという、少々複雑な生い立ち。

 

 

敷地は広いのだけれど、運営としてはおそらく小規模な部類に入るであろうこの美術館で、とても熱心にやっておられるのが、Youtube解説。

遠方の方もこのチャンネルをチェックして、【ズバリ解説】を楽しんでいただきたい!

今回のポスタービジュアルになっている〈阿吽〉の他にも、この企画展示分だけで10数本の解説動画がUPされています。すごい......。こちらにも動画へのリンクがあります。

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龍子公園(旧邸宅&アトリエ&庭園)も緑でいっぱい!

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いろんな人におすすめしているのだけれど、ほんとうにいい場所なので、一度訪れてもらいたい。大森駅からバスと聞くと、ちょっとひよるかもしれないけれど、バス停もわかりやすいし、本数も多いし、慣れれば楽です。

入館料がたったの200円!この満足感で!

 

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