先日、川端龍子記念館で疑問に思ったことがあって、その確認をしたくてやってきた。
館内の年表に「1952年(67歳)横山大観と川合玉堂と川端龍子の三人で展覧会を開催」とあったのを見て、日本美術院を離脱したけど、大観と引き続き交友はあったのねということと、川合玉堂さんて誰?と思ったので覚えていた。
この件は、展示室の最後であっさり謎が解けた。タイムリーすぎてうれしい。
川合玉堂展で謎判明。山崎種二さんと玉堂は親交があり、横山大観、川合玉堂、川端龍子の松竹梅展を企画。疎遠気味だだった大観と龍子の仲を取りもったのは、"温厚な性格の"玉堂。へえ!龍子作品も2点展示されてた。「もと光る竹なむひとすじありける。怪しがりて寄りて見るに」のシーン。イイ。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年3月26日
第三回の松竹梅展は、大観89歳、玉堂83歳、龍子72歳。おじいちゃんたちがいがみ合い、それを別のおじいちゃんが取り持つというのも、微笑ましい。
目的を果たせただけでなく、他にももちろん収穫があった。
まずは日本画の作家をまた新たに知れたことがうれしい。(とても有名な作家だと思うのですが、わたしはまだまだ知らないのです、ハイ。)
わたしは子どもの頃はもちろん、大人になってからもずっと日本以外の作家の作品が好きで、なんとなく日本画や日本の作家の版画は遠い存在というか、薄ぼんやりして地味というかパンチがないというか。あるいは高尚そうで近づけないとも感じていた。あるいは、「これが日本文化だぞ!」といういかにもなモチーフへの反発というのか。書いていてもう恥ずかしいけれど。
でもこの歳になって、じわじわと日本画の良さがわかってきた。
とにかく落ち着く。ホッとする。たぶん競技かるたを始めたことや、お能を観るようになったことも大きいと思う。自分の中に他の文化や歴史の文脈ができてきたから、自然に良さが受け取れるようになっている。
「何を描こうとしていたんだろう」と積極的に観に行ってみると、美しさ、カッコよさ、可愛らしさ、荘厳さ、壮麗さなどがどーんと胸に迫ってくる。緻密で繊細だったり大胆だったり適当だったりヘタウマだったり。
いや、そもそも日本画って、何が描いてあるか全然わからないというものはほとんどなくて、ある意味シンプルに美を受け取れるところがある。
それも見知った光、見知った色、見知った自然。歳を重ねるっていいなぁ、とあらためて思った。
撮影OKだった2点。部分を拡大しつつご紹介。
玉堂の作品はとても親しみやすい。
山の中に咲く桜やツツジ、藤や紅葉など、ちょっとした色が入っていたり、猿や鳥が登場するなど、ホッとする部分を作ってくれている。優しい彩り。目に優しい。
自分もそこに居られる、居やすいというのか。またその木や花や鳥までの距離感も臨場感がある。奥多摩によく写生に出かけていたのだそう。納得。
鵜飼に携わる人たち、急流にかけられた橋を馬と渡る人、険しい山の中を旅する人など、自然の中にいる人間の描き方にも優しい眼差しを感じる。
雨が降っている風景、雨が上がった風景もいい。
ポスタービジュアルになっている『山雨一過』も、生で見ると澄んだ空気が伝わってきてとてもいい。(ジブリ映画の背景のような鮮やかさや生き生きさもある。いや、あちらが日本画的なのか?)
山に行ったような清々しく、心が洗われるようなひとときでした。
「図録セット券A」は一般入場券に2017年の展覧会の図録がついたもの。
この図録はいいですよ!今回出品されていない作品ものっています。A5判のコンパクトサイズです。しかも別々に買うよりちょっとお得。でも図録付きでなくても、事前にオンラインでチケットを購入していくと100円引きになるのでお得です。
山種美術館の字は安田靫彦のものらしい。山崎さん、いろんな人とつながっていたんですね。川合玉堂の作品は個人的に親交のあった関係で、71点も所蔵しているそう。
これからもこの山種美術館でいろんなお宝に出会っていけるのが楽しみです。
この日の夜。月と桜。美術館の中で観たものと、外の世界がつながっている。
鑑賞からインスピレーションをもらって世界を新しい目で見て、見た景色を自分の内側にストックしていく。そしてまたそれらのイメージを鑑賞に生かしていく。
そういうことを日々やっているんだなぁ、とあらためて気づいた日でした。
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