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ヒトトビ〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する場づくりを通して考えることなど。

「対話型ファシリテーションの手ほどき」自主勉強会/読書会をひらきました

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9月と10月に「対話型ファシリテーションの手ほどき」という書籍をつかった勉強会的な読書会/読書会的な勉強会をひらいた。

 

この本は国際協力や国内外の地域づくりの分野で活動する、認定NPOムラのミライの代表理事・中田豊一さんの著作で、現場での試行錯誤の末に編み出されたファシリテーション(コミュニケーション)の手法・技術について書かれている。支援の現場で何に行き詰まり、それをどんな具体的なやり方で解消し、結局なにが課題だったのかを、そのときの会話の再現と共にわかりやすく、体型立てて説明してくれている。この手法を身に付けるためのワークも紹介されており、2、3人いればちょっとした練習をすることもできる。

 

わたしがこの本を知ったのは、心理カウンセラーの友人がおすすめしていたからだった。「ファシリテーションを学ぶのによい本をおすすめしてくださいと言われるとき、わたしはこれを挙げています」ということで。

muranomirai-japan.stores.jp

 

 

表紙に

「なぜ?」と聞かない質問術

「どうでした?」ではどうにもならない

と書いてあり、このフレーズがとても気になってすぐに注文した。

 

なぜ気になったかというと。


ある日小学生の息子が、「大人はどうしてすぐ"学校は好き?"って聞くの?好きかって聞かれたらそれ以外に言えない」というようなことを言っていて、わたしも確かにそれは嫌だなと思った、というようなことをFacebookに投稿したらコメントが20ぐらいついて、ちょっとしたディスカッションの場になった。その中で、「じゃあ、これからは"きょう学校どうだった?"って聞くようにします」というコメントが2、3あって、「なんだかそれも違うような気がするんです」とコメントをしてそのときは終わった。けれどもその問いはわたしの中にずっと残っていて、その3ヶ月後にこの本の紹介を見て、この2つのフレーズ(「なぜ?」と聞かない質問術、「どうでした?」ではどうにもならない)を目にして、「もしかしてあのときのもやもやの答えがわかるかも?」とつながったのだった。

 

実際に届いてみて読みはじめたら、今までになかったファシリテーションの切り口にすっかり夢中になってしまった。そして「きょう学校どうだった?」ではダメな理由もハッキリとわかったので、「いつぞやの答えがこの本でわかった!」と興奮気味にまたFacebook投稿したら、今度はこの本を買う人が続出して、コメントやメッセージをくれた人だけで30人もいるというフィーバーぶりになった。そこで、「こんなにたくさんの人が同じ本を買っているなら、読書会ができるんじゃないのか?」と思い、投げかけてみたら、ぜひやってほしいという人が10人はいたので、場として設定することにしたのだった。これがひらくまでの経緯。

 

共同主催者も手を上げてくれ、2人で場を設計することになった。ファシリテーションをテーマに場をひらくのは実に3年ぶりで、正直なところファシリテーションのついての場をファシリテートするなんて考えたくもなかったぐらい、トラウマがあった。

わたしはかつて人にファシリテーションを教えるなどという仕事をしていた。あんな無知で実践経験もろくになく、対人関係にも課題があったわたしが、人様にファシリテーションについて講義するなんて、今思うと全く恐ろしい話で…本当に今も冷や汗が出ている。が、いざ流れを考えて詰めていくと、学びの場を組み立てていくその作業はなかなか楽しかった。自分が参加したい場のイメージをただ形にしていけばいいんだ!ということに、頭と手を動かしながら気がついた。

仲間内の気楽な勉強会、読書会とはいっても、いつもの小説の感想を自由に話している読書会とはまったく違う、場に来る全員が、「ここから何かを学びとりたい、疑問を解きたい」という気持ちをもっているわけだから、その全体のニーズを満たすためには、やはり設計図がないとうまくいかないだろうということで一致した。とはいえ、2人のキャラクターや場の作り方が全然違うので、構成的にするか、非構成的にするかで若干意見の食い違いもあったりしたが、結局2人でつくって1回ずつファシリテートしてみることで解決した。1回目にやってみて、わたしはベースの構成は決めておいて、当日は非構成的に進行したいタイプなのかもしれないという発見があった。

 

このメソッド自体は、「なぜ」「どうでした」を聴かない、いつ、どこ、だれ、なに、いくら、何人、何年、何回…等の事実を聴くのが基本。シンプルだが非常にパワフルでであることを、本に載っていた3つのワークを実際にやって、ふりかえりをすることで実感することができた。やはり他者と共に体験し、ふりかえることは大きな学びになる。自分とは違う感想、感触、疑問を口にしてくれる他者の存在はありがたい。

 

さらにこの勉強会が終わったあとの日常での気づきも大きかった。

 

事実を聞いていくことで見えてくるのは、自分の浅ましさだったりする。

いかに
自分の描くストーリーに相手を乗せて運ぼうとしているか、
自分の設定した落としどころへ向かわせようとしているか、
自分が安心したいだけで聞いているか、
相手の進みたい方向ではなく、自分の興味、好奇心にのみ付き合わせているか、
相手の楽しそうな「様子」を見て、自分が満足したいか。

人も自分も、非難し追い詰める傾向にあるかも見えてくる。
よく、
いつも、
みんな、
全体的に、
絶対…

質問の言葉は、暴力になり得る。

 

「なぜ」「どう」が効くときもある。
でも、もう少し丁寧に分解すれば、もしかすると「なぜ」の中に、「何がほしくて」「何に対して」などが入っているかもしれない。

 

他の言葉で表現できるのに探索の手間を省いているということがある。
そして、その探索を相手にやらせている。

事実質問は、その点、脳が楽。
考えなくてよくて、思い出せばいい。
それでいて、今の、目の前の相手に近づいていけている感じがする。

尋問しているような、不躾な気がして戸惑う気持ちがあった、という声も出た。
質問されたほうに聞いてみると嫌な気持ちはしなかった、むしろ聞いてもらえてありがたかったというフィードバック。だから尋問とか不躾になるかどうかは、相手と自分との間の事実質問の言葉以外の、別の要素なのかもしれない。

 

今よりもっと熱心にファシリテーションの勉強をしていたときに、オープン・クエスチョンとクローズド・クエスチョンを使い分けるということを知り、それでも現場ではなにかとオープンクエスチョンが重宝されていたようなイメージがあり、わたし自身も偉そうに多用していたのだが、それは大きな間違いだったということにも気づいた。なぜ場が意図と違い、漠として広がりすぎてしまうのかと言えば、事実質問が足りないという、ただそれだけだったのかもしれないのに、参加者のせいにする自分がいたのだった。当時の参加者さんに土下座して謝って回りたい気持ちになった。

 

相手に探索を促したいときでも、果たして目の前のその人にこの質問でよいのかという自問を経て行いたい。援助や支援を普段仕事で行っている人は、この点に注意が必要だという声も出た。相手を必要以上に揺さぶったり、疲れさせていないか、力を奪っていないか。

 

ファシリテーションとはなんなのか、未だにわたしもわからない。
このメソッドがファシリテーションなのかどうかもよくわからない。

けれど今回の勉強会がよかったのは、場をファシリテートするわたし自身があまりわかっていないということだった。教え授けることが目的ではなく、みんなで探求したかった。だからわかっている人が進行することで、場で生まれる学びを妨げる結果にならなくてよかったと思う。極端に構成的になりすぎることもなかった。これは2人で場をつくったことも理由として大きかったと思う。

 

このメソッドは、他のファシリテーションの手法と対立しない。もし対立するとすれば、メソッドの利用自体に権力的な制限がかかっているはずだ。結局は話を聴く、話をする目の前の相手とどういう関係をつくりたいかだと思うから。

 

このメソッドをいつどの場面で誰を相手に使うのかや、これまで培ってきたメソッドやスキル、もともとのパーソナリティやキャラクターとどう組み合わせるのかは、使う人次第。その無限の可能性にわくわくする。勉強会に参加した人や、わたしの投稿を読んで本を買ってくれた人に会うと、その後の話を聞かせてもらうことが度々あり、そのドラマに心が揺さぶられる。中でも離婚一歩手前だった夫婦関係が改善するまでの話には、聴いていて涙があふれた。

 

後日、著者の中田さん本人にメールでご報告したところ、「国際協力や支援といった特定のシーンから生まれた手法であるが、日常で親子関係、夫婦関係に生かされているのは本当にうれしい」というようなお返事をいただいた。本の書きぶりと同じ、温かい人柄が感じられる文章に、一度お会いしてお礼を申し上げたい気持ちでいっぱいになった。

 

「こういうシーンで使いたい」という動機はとてもよいきっかけなのだけど、特定のシーンだけでいきなり話がきけるようにはならないので、誰に対しても、そして会って話す以外にも実践し、瞬間瞬間の自分を内省していくしかないのだなと思う。

 

人と人との間に起こることは、果てしないけど、取り組みがいがある。

 

 

※この本をつかった有料の読書会や勉強会等を開催する場合は、事前にムラのミライ事務局へ連絡が必要です。