ヒトトビ〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する場づくりを通して考えることなど。

映画「むかしMattoの町があった」を観て感想を話す会《後編》をひらきました

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映画「むかしMattoの町があった」を観て感想を話す会の後編が終了しました。
(前編のようすはこちら

前編からきてくださった方も半数おられました。貴重な時間を共にしてくださって、場を信頼してお話しくださったこと、本当にありがとうございました。


前回に続き、愛があり、芸術という拠り所があり、ストレートな感情の表明がある点に、イタリアという国の人間味を感じていました。(もちろんフィクションの部分もあるし、絵に描いたようなところばかりではないけれども、日本に比べてどうか、という点で)


ひとつの精神病院内での取り組みを物語った前編から、後編は地域にどう還す/還るか、どのように法制化していくのかの道のりに入り、精神疾患、トラウマ、家族(親子、きょうだい、夫婦、カップル)、アルコール依存、依存、性暴力、暴力、虐待、妊娠・出産、別居・離婚、支援者の支援など、書ききれないほどのテーマが含まれていました。短い尺の中にたくさんのエピソードが詰め込まれていたため、アップダウンが激しく、鑑賞だけでぐったりされた方もおられたかと思います。


それでも一度感想を場に出して、置いて帰れると少しはホッとしていただけるのではないかと思い、どう進行するか迷いつつも、精神科医のつかぴーさんによるキーノートスピーチにあった問い「この人たちをどうしたら地域に還すことができるか」をよすがとしながら、場の流れについてゆくことにしました。今回は現場を知る方、制度面の知識をお持ちの方が何人かいらっしゃったことで、映画の背景が補足されて、理解が深まったという印象がありました。感情が大きく揺さぶられた分、史実、事実に基づく話で着地できたのはありがたかったです。


1時間ちょっとの短い時間の中で、皆さんはどのような体験をされたのでしょうか。


最近、物事の両面性について考える機会が多いのですが、きのうも皆さんの話を聴きながら、何度もそれを思う瞬間がありました。例えば、精神病院への入院は隔離された閉鎖的な場とも言えるし、制御不能になった時間の激流から退避できる安全な場とも言える、とか。

どちらから見るか、どのような態度でかかわるか、によって変わってくるのかもしれません。


意図はあるけれども支配はしたくない、想定はするけれども見立てはしたくない、ということをファシリの席からは強く思っていました。まだまだ修行は続きます。

 

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