「きょうしかない!」と、ほぼ導かれるように行った、ソフィ・カル展「限局性激痛」。
わたしにとっては2013年に原美術館で開催された「最後のとき/最初のとき」の御礼参りとして。「きょう」を迎えられたこと、それを「ここ」に報告しに来られたことをしみじみと味わいながら、品川駅からの道を歩いた。
わたしにしかわからない方法で、わたしはソフィ・カルの作品を理解している。
いろいろな鑑賞対話の場をひらいてきたけれども、この展覧会は特別で、これは人と容易に分かち合えない類の体験だと思い、企画も何もしなかった。友人とも感想を交わしていない。
会期がはじまってから、何度も行こうとしかけたけれども、レビューを読むにつれ、だんだんと「怖く」なり、心身ともに元気で晴れた日に行って、観ながら「わぁあぁあ〜」と身も心も十分にもっていかれても、とにかく帰宅して布団に倒れ込んじゃえばいい!...という日に行こうと心に決めた。
でも行ってみたら、レビューに書いてあるどんな内容とも実際の鑑賞体験は異なった。
わたしは彼女のユーモラスでチャーミングなところがとても好き。
繊細さとタフさ、思慮深さと図々しさも。
いや、実際は知らないけど。
作品から受け取っているのはそんなところ。
何よりあのとき「生きなきゃ」と思わせてくれた、原美術館での「最後のとき/最初のとき」。それからきょうまで続く、わたしの人生とのシンクロニシティ。この実感がすべて。
どんな分析や批評もどうでもよくなる。
そのくらい作品にも展示にも力があり、わたしにとって超個人的でかけがえのない鑑賞体験になった。
その日わたしはたまたまクライン・ブルーみたいな青のカーディガンを着ていたので、入った途端、イヴ・クラインの作品があったし、展示の中にもクラインの作品があって驚いたりもした。
他の人にとってこれがどのような体験になったかはわからないけど、ともかく、原美術館でのソフィ・カル展に、人生のこのタイミングでまた立ち会えてよかった。
今年いっぱいでここ御殿山の原美術館は閉館する。まだ来られるチャンスがあるかな。
(美術館機能や収蔵品は「移転」だけれど、ここにある美術館としては閉じられる)
▼2013年の展覧会のときの感想。