まったく詳しくはないのだけれど、ここ5年ぐらい小さい関心を細々と向けてきたのが、戦争画というジャンル。(戦争画とは)
東京でまず一番出会いやすいのが、東京国立近代美術館の常設展。シーズンで入れ替えしつつも、フロアの1部屋を使って、様々な戦争画を展示してくれている。
以前、ここでボランティアガイドさんのツアーに参加したことも、戦争画に関心を持ったきっかけになっている。以前こんな記事も書いたけれど、ほんとうにガイドさんには感謝だ!
近美の過去の常設展の記事などを探していたら、こんなシーズンもあったようだ。
平和のために戦い続ける、という矛盾した状況の中で、「ブラックゴースト」の核を成すのが、実は人間自身の戦いへの欲望であることが次第に明かされます。
というくだり、先月夢中になって見ていたNHKEテレ「100分de名著」のロジェ・カイヨワ「戦争論」でも言っていたことだ...と関心と関心とがつながったときの戦慄を覚える...。
とはいえ、近年の戦争画特集の展覧会はどれも逃していて、今回の小早川秋聲展でようやく関心があるという自覚を持っての、近美以外では、ほぼ初めての鑑賞となった。
直前にNHKEテレ(こればっかり!)の日曜美術館で特集をしてくれていたので、背景などよく理解して出かけていった。もちろん観たかったのは「國之盾」。そして代表作以外の作品たちから見えてくる画家の人生の物語。
しかしながら。
実物を目の前にすると、日曜美術館で語られていたことと、わたしの実感とはだいぶ違っていた。
まず感じたのは、死んだ人に見えない、ということだった。
どこからそう感じたかというと、体つき、肉付きがとてもよい。
解剖学にはまったく詳しくないのだけれども、でも、パッと見の印象では、これは直前まで三食しっかり肉も魚も食べて、鍛えて、無理な姿勢をとるような長時間の労働や作業に従事せずに生きていた人の身体つきのように見えた。
全身軍服で、軍靴にさらにゲートルも履いて、手も手袋をしているし、顔の部分は日章旗で覆われていて首元も見えない。
そのように一切の肌の露出はないのだけれども、がっしりとした体格には精悍さすらみなぎっている。
持ち物はどれもほぼおろしたてに見えるほど、傷んでいないし、汚れてもいない。
軍服、カバン、双眼鏡、日本刀、水筒、手袋。
唯一、軍靴のみ、歩いて履き込んだときにできるシワが出ていて、少し泥がついて乾いた跡のようなくすんだ感じもある。
戦地で亡くなったにしては、血痕などもなく、見た感じでは死因がわからない。
だからあまり死んでいるように見えない。
だからこそ、「死への悼みが感じられる」とも言えるけれども。
会場2階で流れていた映像や写真の感じからして、顔のあたり、特に鼻筋は、小早川自身に似ているようにも見える。
背景は一度桜の花びらが描いていたが、のちに黒く上描きされたという説が有力なよう。
たしかに黒の下に丸いつぶつぶした跡が見える。
顔の周りは仏の光背のように明るく光っている。
桜の跡と言われているものは、体からつぶつぶしたものが湧き出していて、全身が発光しているようにも見える。このあたりに体温を感じているのかもしれない。
そこに黒い死神の添い寝をしながら、魂を吸い取っているようにも見える。
刀の先だけが暗闇に溶けているが、あとは明るい中にある。
黒いのだが、真の闇ではない。
このあたりは、モニターや図録ではなかなか感じ取りにくい。
150.7cm*208.0cmというサイズ感も、やはり実物に会わないとわからない。
そうしていろいろな観察をした上で、あらためて2メートルほど離れて眺めてみると、
横たわっているものが、一体「何なのか」を考えざるを得なくなっていく。
この絵と対話していると、まるであれはわたしではないのか、という錯覚に陥る。
理由はうまく説明ができない。
わたしであるとすれば、なぜわたしはこのような姿で横たわっているのか?
戦争画という枠のあるジャンルなので、もちろん全部を自由に観るわけにはいかない。
戦意を削ぐから日本兵を描くのは禁じ手、と言われていた時代の依頼だったから、死んでいるように見えないように描いた可能性もある。従軍画家として戦地に赴いていたし、これほどの技術を持っているのだから、リアルを描けないわけがない。
そのように、この絵が生まれた経緯や、描かれた当時の情勢、状況、小早川の立場や信条なども併せて考えた上で、今自分の中に生まれるものを観ていたわけだが......、
それにしても、なんとも不思議な絵だ。
破れや表具の破損が、この絵が陸軍から受け取りを拒否されたこと、その後の運命なども想像させる。そこに水の筋のようなものが見える。これは濡れなのか描き足しなのか。
どの作品も展示ケースを通さず、自分の目と作品との間に遮るものなく、近い距離で鑑賞できたことがありがたかった。これは画廊だからこそできることか。
それにしても無料で40点もの作品が間近でみられるとは、なんとも贅沢であった。
「國之盾」以外の作品にも、筆致や色づかい、構図に小早川の美的感覚の鋭さや、繊細さが感じられた。日本画の中でも様々な技法に挑戦しており、旅を愛した人としても知られる小早川の好奇心旺盛な様子も、垣間見られた。
わたしのお気に入りは、「倣古図(浮世絵)」。夏、蚊帳の中で団扇を手に赤ん坊に乳を含ませながら、うたた寝してしまった女性を描いていて、これには思わず共感せずにはいられなかった。
展覧会がよいのは、このように感じ取れることがたくさんあるからだ。
人間の観る力、聴く力、想像する力、体系立てる力は、数値以上の感覚の域も加えれば、非常に高い精度を持っている。
展覧会には、場を企画した人の軸がある。意図を持って編まれ選ばれ並べられ、解説がほどこされている。一度その物語に入ってみて、感じることは鑑賞者個別のものだ。
それにはやはり現実の空間と、場を守っている人と、他の鑑賞者との作用が要る。
まだまだ言葉が足りないが、「なぜ美術館で実物を観る必要があるのか」という問いにはどこかできちんと答えねばならないと思っており、その最初の石をここに置いてみた。
今後のイベント
▼2019年9月23日(月•祝) 秋分のコラージュの会
https://collageshubun2019.peatix.com/ (国分寺)▼2019年9月28日(土) あのころの《いじめ》と《わたし》に会いに行く読書会 満席
https://coubic.com/uminoie/979560▼2019年10月1日(火) 爽やかな集中感 競技かるた体験会
https://coubic.com/uminoie/174356
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