10月下旬、東京ステーションギャラリーで開催の小早川秋聲展に行った記録。
先に開催があった京都文化博物館。図版が多く載っているので。
じっくり観たかったから、こんな冬のように寒い雨の日はうってつけだわ、きっと空いているわと、ようやく二度寝の布団から起きて出かけた。
小早川秋聲は、2019年に京橋の加島美術というギャラリーで展示を観たことがあり、そのときに《國之楯》を生で見た。ガラスケースに入っていないので、複雑な跡の残るあの黒い画面を複雑なままに目に入れることができてよかった。
そのときの展示も、従軍画家としてだけではない小早川秋聲の、長い画業の一時期であり、多彩な面を持つ秋聲の一つの面としての《國之楯》という扱いではあったけれど、私自身が《國之楯》の実物を初めて見るがために、どうしても印象が強く残ってしまった。
今回はポスタービジュアルを《國之楯》にせず、展示室も最終盤に置き(経歴順に辿ると自然とそうなるわけだけれども)、他の作品を丁寧に丁寧に観てきた上で、はじめて《國之楯》に対面するという形になっていたのがよかったと思う。
鑑賞メモ
・谷口香嶠に師事していたときに、きょうだい弟子に津田青楓がいた。谷口香嶠は竹内栖鳳と並ぶ京都の巨匠。京都画壇の流れ。・郷土玩具蒐集家だった。郷土玩具を絵巻にしたものが、かわいくて、かわいくて、かわいかった!!
・めちゃくちゃ絵が上手い
・構図もカッコいい
・でも残念ながら人物の顔はあまりピンとこない。。
・額装美しい。美術館では額装付きで観られるのがやっぱりいい。
・2年半、中国、東南アジア、インド、エジプトを経由して、ヨーロッパを旅行している。この時代にイタリアをじっくり旅している日本人は珍しいのでは?シチリア、ナポリ、ローマ、ミラノなどに行っている。最北はグリーンランドまで。この時期の旅先の景色を描いた作品群が素晴らしい。
・昭和初期、外務省や企業からの依頼で、芸術文化を通じた日米交流の架け橋の役を担っていたそう。
・万歳して子を送り出した、出征兵士が出ると誉の家となる。。パネル解説より「自国の勝利を願いながら、死を悲しむのは、一見矛盾するようだが、当時の人々のごく普通の感情だった」に最近観たドキュメンタリー映画『いまは、むかし』が重なった。
・「虫の音」(1938年)ぐっすりと眠る兵士たちを細い月が照らす。戦争画なのに平和。荷物に挟まれた白い野の花。
・「出陣の前」(1944年)出陣を命じられて、心を強くするため、野点した上官の絵。
・1974年に亡くなってからまだ50年も経っていないので、美術館の所蔵がさほど多くない。作品リストを見ても個人蔵が多い。それらが一堂に会するのもなかなか貴重な機会だったようだ。
・従軍画家を経験し、戦争画を書いていたことで、戦後の立場が一転する。日本にいられなくなった藤田嗣治、画壇の表舞台から降りた小早川秋聲……それぞれの人生がありそう。小早川が発掘されたのは、戦争画の再考を試みた1995年の芸術新潮の特集がきっかけとのこと。ある程度時間が経たないと語れないことがあるのか。
・戦後はちょっとおもしろい方向へ。「天下和順」(1956年)満月の下で酒を飲み踊り群れる人たち。あの世への道のようでもある。
ふと疑問に思ったこと。
仏教や神社は、戦時中どういう立ち位置だったんだろう。戦後、振り返りはあるんだろうか。宗教は平和を謳うものである一方、そうでないことに用いられてもきた。日本の場合はどうだったんだろう。
京都での会期中にこんな新情報があった。
【小早川秋聲展】
— 京都文化博物館 (@kyoto_bunpaku) 2021年9月22日
お客様からの情報によって、《長崎へ航く》のイメージソースと思われる作品がわかりました。ベルギーのアンリ・カシエによる1899年のポスターです。アントワープから米国へ向かう航路「Red Star Line」のポスターで、秋聲は渡欧の際に目にしていたのではないかと思われます。 pic.twitter.com/y5cwzqgDnp
関連漫画(PDF)小早川秋聲の生涯がわかりやすくまとまっている。これありがたい。
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/pdf/comic_202110_kobayakawa.pdf