千葉市美術館にて『田村一村展』鑑賞してきた。
展覧会自体はノーチェックだったが、田村一村のことも知らなかったが、SNSのタイムラインに流れてきた、「アダンの海辺」を使ったポスタービジュアルに目が留まった。
千葉市美術館では、この地にゆかりのある画家として、2010年に大規模な回顧展が開かれたそう。
それから2021年までの10年間で新しく所蔵した100点超を一挙に展示ということで、かなり気合いが入った展覧会だった。
青い日記帳さんの今回のブログ記事と、2010年の記事を両方読んで出かけた。
・田村一村は1908生まれ、1977年に69歳で没。
わたしが生まれたのとちょうど入れ違いの時期に、奄美でひっそりと亡くなった。
その前は千葉で20年暮らし、地域とのつながりの深い人だったらしい。
・川端龍子主宰の第19回青龍社展に入選したのが、中央画壇で名を残した最後とのこと。おお!ここで昨年末に訪ねた龍子記念館や青龍社が出てくる!(この記事)
青龍社は門下の画家たちの展示だけでなく、公募展もやっていたということなんですね。仕組みがよくわからずだけれど。
・その後も、仕事はしていたものの、知る人ぞ知る作家として生き、50代で奄美に移住してからも、細々と制作を続けた。
・一村の存在が"発見"されたのは、没後。1983年のNHKの番組「日曜美術館」での放映がきっかけという。当初は「50歳代から晩年にかけての、孤高の南洋画家」として、ロマンを感じる取り上げ方が多かったよう。
印象派も流行ってたから、ゴーギャンを彷彿とさせたのだね。
それがうかがえる展覧会のポスターやチラシなどの展示も最後にあり、この切り口がユニークでいいと思った。
少し脱線。80年代の展覧会のポスターに、"生涯妻を娶(めと)ることなく"というリードがついていた。時代の価値観が広告宣伝には全部出るのだよな。当時なら何も思わなかっただろうけれど、今はそこに自然と目がいく。
・好きな作品はたくさんあったけれど、わたしはやっぱり軍鶏(しゃも)がよかったな。最初は色紙に描いたユーモラスなスケッチが、どんどん写実的になり、軍・鶏という漢字がぴったりの、あの目つき、立ち姿、胸を張って、コートのポケットに手を突っ込んでこちらを睨んでいる。人間みたい。
・20代の頃に描いた「椿図屏風」。意欲と情熱と切実さ。盛り上がってくるような椿、トリミングや余白の使い方の斬新さ。
・母の遠縁にあたる川村家からの寄贈が多く、その中でも色紙が多かったのがおもしろい。パッと色紙に描きつけちゃう感じは何かに似ていると思ったら、インスタグラム!
1:1の画面も、気軽さも、人にシェアしやすい感じも。
パッと反射でも作れるし、作り込もう、凝ろうとするのにも使える。
・比較的最近発見された画家のため、作品によっては、「制作時期をはじめ、契機や意図など、検討すべき点が多くのこされています」とのこと。まだまだこんなふうに知られていない作家がいて、まだまだ研究を進めていけることがある。ミュージアムは古いものをしまっておくところではない、ということ。
・「名が売れず、芸術が理解されず苦しむ」ということについて考えるきっかけがたまたま重なった時期でもあった。一村の作品や生き様にそのことを重ねながら観た。
「金の心配をせず、絵だけを描いていたい」という心情の吐露。生涯探究し続けた絵画、美の完成への執念。共感しかない。
図録は今回の展示の記録としてはとてもよかったけれど、人生と画業を一望できるほうがよいなと思い、東京美術の"もっと知りたい"シリーズを購入した。このシリーズは印刷がとてもよい。
「理解者のおかげで大きな仕事もしていた」あたりの時期は、展示では少し薄めだったが、こちらでしっかり補完される。おすすめ。
同時開催の「ブラティスラヴァの絵本展」もよかった。やはり絵本の絵って特別。
そろそろ「いいよね〜」の先をもう少し専門的に学びたいなと思い、購入した本。まだじっくり読めていないけれど、良さそうですよ。
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