Bunkamura ザ・ミュージアムで『ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代』を観てきた。
身が切れるように寒く、陰鬱な冬の日。今にも雨が降り出しそう。
ビュフェ作品を鑑賞するのに、これ以上ないくらいぴったりの日。
電車が混む時間をずらし、最寄り駅をずらして、渋谷駅ではなく代々木公園駅で下車。
そこから徒歩でBunkamuraへ。歩く人もまばらでホッとする。
このルートは、美術ブロガー・青い日記帳さんのこちらの記事を見て知った。感謝。
静岡のベルナール・ビュフェ美術館の所蔵する油彩を中心とした80点の作品で構成。
第二次世界大戦直後の不安と虚無感を表現する作家として評価されている。1928年生〜1999年没。
疫病や自然災害、国家の機能不全に見舞われる今のわたしたちにとって、響くものがある。
・人間の気配のないパリのコンコルド広場やニューヨークのブロードウェイは自然と疫病に見舞われた都市を連想する。館内にもほとんど人はおらず。監視の方のほうが多かった。
・閉塞、歪み、褪せ。不審、不条理。偏向、執拗、繊細な感性。人間の負の感情への真摯な眼差し。
・どの作品も2〜3mぐらい離れて観るとちょうどいい。人間嫌いのビュフェが接近を警戒している。
・フランソワーズ・サガンの小説(文庫)の表紙がビュフェ!実家にもこの『悲しみよ、こんにちは』があった。今も入手できるのは『ブラームスはお好き』のみとか。
・縦に伸びる何かに魅了されている?
・アナベルの両性具有的な雰囲気。
・人体、ありえないほどシャープなのに違和感がない。
・サインも作品の一部
・最後の部屋、晩年の作品群はさすがに苦しい。冥途の強い予感。
父との関係、母との関係、現家族、戦争の記憶、ピエール・ベルジェとの関係、アナベルとの関係、養子の二人との関係、アルコール依存症や精神の苦しみ......。
本人は作品を観る時に人生と絡めてはほしくはないだろうけれど、人生がドラマティックだから、ついいろいろ知りたくなってしまう。
多作というから、全作品観てみたい。一部だけでもと思い、画集を購入した。
ビュフェを見たい気分になるとき、「その心理」「その感情」に黙って寄り添ってもらえる。喩えようのない虚しさと、孤独。自分の中の牢獄との向き合い、世界とのつながりや自由への渇望......。
クレマチスの丘には行ったことがあるけれど、ヴァンジ彫刻庭園美術館とIzu Photo Museumまでしか観られなかった。
次行くときは、ベルナール・ビュフェ美術館を中心に。楽しみができた。
ビュフェ作品約2,000点を所蔵、内常時100点以上を展示とのこと。
1973年に日本にこれだけの規模の美術館がオープンした経緯も知りたい。除幕式には妻のアナベルが代理で来たと(本人が人間嫌いすぎて)。
2019年で、ベルナール・ビュフェが亡くなってから20年。
自分の人生の半分は、まだビュフェが生きていたのか。
海外から作品を搬送しての大掛かりな展覧会が行えない今の時期に、国内にある名品でこれだけの展覧会がひらけるというのも、すごいことだ。
これまでの先人たちの蓄積、遺産の豊かさを思い、感謝する。
1Fのラウンジで注文したコラボメニューのホットチョコレート。
赤いのは食用バラ。ゴージャス!アナベルを彷彿とさせる。
コラボメニューを注文するともらえる特製クリアファイル。これ欲しさに注文しちゃった。カッコいい!
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