アーティゾン美術館に『鴻池朋子 ちゅうがえり』展を観に。
会期終了間際に滑り込み。
なんとなくこのタイミングだった。
ギリギリすぎて、だれかにシェアする間もない。
自分のタイミングじゃないと展覧会に行けないというのは。
やっぱりそういう仕事はわたしには難しいんだろうか。
2018年の秋田県立近代美術館のハンターギャザラー展で観た作品も、新しい美術館で再構成されて、また異なる印象に。
さり気なく登場するアーティゾン所蔵の西洋絵画が包まれるように並んでいて、洋の東西を超えた根源的な営みを連想させた。
壁に張られたたくさんのフォトスナップや文章、秋田や青山で聞いた作家の語りを思い出し、たぶんもっともっと、漂白され、整頓される前の野生がこれらの作品にあったことを思う。作る途上の、そこにしかなかった時間や、喰い合うような関係のことを、わたしの経験全部を使いながら観ていた。
深く、広く。
また、さまざまな種類の喧騒に、わたしたちは隣に来る他者を選べない、とはこういうことかと思った。
人間とだけいると疲れるのは当然だし、
狭く苦しくなっている今。
前々からやりたかったことを、やってみたらいいのかもな、という気持ちになった。
なんのことやら、ですが。
この日わたしが持っていたのは鹿革のバッグだった。
獣害駆除で殺された野生の鹿の革を使っている。生前の鹿は、野山を駆けまわり、樹木にぶつかり、喧嘩をして日々を過ごしていたため、革には、たくさんの傷がついている。
また、鞣すまでの保存状態によっても独特のダメージがあり、それも魅力。猟師さんから作家さんのところにくるまでにも物語があって、対面でその話を聴くのは楽しかった。
鹿の生きた痕跡と共にわたしもぶつかったり、転んだりしながら生きている。
コレクション展は、"ブリヂストン美術館"のコレクションで好きだった作品ばかりが展示されてうれしかった。
「また会えたね!」という気持ち。
工事のための閉館中は、「こういうときにブリヂストン美術館があればなぁ、ブリヂストン美術館のあの作品が観たいなぁ」と思うことが何度もあった。
オープンして、またコレクションに出会えて、ほんとうにうれしい。
そのわりに来るのが遅くなってしまったけども。
印象派の女性画家のコーナーは、ぜひ企画展をしていただきたいぐらい旬なテーマ。
無料の解説冊子まで配布されていて、素晴らしい。ありがとうございます。