ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

本『きみの体は何者か』読書記録

『きみの体は何者か』伊藤亜紗/著(筑摩書房, 2021年)

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これは 『きみがつくるきみがみつける社会のトリセツ 』の第1章 あなたの心と身体のこと にまつわる図書として紹介したかったなぁ。もちろん発刊年がこちらのほうが新しいので全然間に合っていないのだけれど。

 

身体をどう使うか、身体をどう大事にするかという話の前に、これなんだよな〜

 

「その体を自分で選んだわけじゃない」

「きみはその体、一生かけて引き受けなくちゃいけないんだ」

「もちろん、努力して体をきたえ、理想の体型に近づけることはできるよ。勉強をして、学力を高めることもできる。整形手術わや性転換手術を受けることもできるし、遺伝子操作だって技術的には可能だ。だとしても、やっぱりそこには限界がある」

まえがきのここで、そうだよーーとガツンとやられる。やられる、痛いというか、安堵というか。

 

最近仕事で『難病者の社会参加白書』の編集のお手伝いをしたので、エピソードを寄稿してくださった方々のことが頭に浮かんだ。

 

そして、白眉は「体、この不気味なもの」と題された第2章。いや、ほんと体、不気味ですよね!自分でコントロールできないし、振り回されるし、仕組みも不明。そんな体に頼らないと生きていけないんだからなぁ。

 

伊藤さん自身の持つ吃音という特徴を徹底的に分解していく。私は吃音がないし、身近にもいなかった(たぷん、気づいていないだけかも)ので、こうして事細かに当事者から解説されるのははじめてで新鮮だった。そういうことだったのか。

 

伊藤さんがここで吃音を紹介したのは、吃音について知ってほしいということではなく、体について考えるときに「わたしにとっては」これについてシェアすると一番体について話しやすかったからそうした。体に付随している吃音とは何か、それをどう取り扱ってきたのか。

 

そう、これこそまさに、「体のトリセツ」じゃないか。

伊藤さんに『きみトリ』を読んでもらいたいよ〜!

 

『きみトリ』を書くときに、毎日小学生新聞辻村深月さんのコラムや吉本ばななさん『おとなになるってどういうこと?』(これも筑摩書房だ)を参考にした。あのときこの本が出ていたら大いに参考にしたと思う。