昨年11月、早稲田大学の中にある、會津八一記念館博物館を見学した。
展示されていた會津八一が蒐集した品々の中に、日本、中国、韓国の瓦があった。
どうして瓦を集めるんだろう、どうやって集めたんだろう、古美術として出回っているってことなのかな、瓦ってそもそもどういう価値があるんだろう、どう鑑賞したらいいんだろう……というようなことをふと口にしたら、一緒に観ていた友達が、
「建築物をそのまま保存しておくことはできないから? 建築はなくなっても、瓦なら小さいから取っておける。そこから全体がどうだったのか、当時の技法や表現はどうだったのかとか、建築を知る手がかりとして貴重な資料になるのでは」
と言ってくれた。なるほどーー!
記念館では、そういう前提については解説されていなかったので、友達によるこの仮説はとてもありがたかった。
同じ月にたまたま東京国立博物館に行ったら、《瓦が語る東大寺の歴史》という特集展示があった。今熱い瓦!
この資料はPDFで当該ぺージ(↑)で配布されてます。
まさに友達が言っていたようなことが解説パネルに書かれていて、興奮した!
瓦からいろんなことがわかる。
いつ誰が何のためにどのような方針で瓦を載せていた建物を造営したのか、改修・修理したのかがわかる。誰がお金を出したのか(誰の権力が強い時期だったのか)、仏教のどんな流れと関係があるのか、文様に込められた意味とは、そもそもどうやって瓦は作られていたのか、いつ頃からあるのか、など。
また、東大寺は国家プロジェクトなので、同時代の京の建築物に大きな影響を及ぼす。これがきっかけで技術が進歩する。
正倉院はやはりすごくて、傷んだものだけを取り替えて、古い瓦はできるだけ再利用することから、1,260年使われている瓦もあるとか。(←いや、これ見間違いかもしれないからあとで確認します!)
奈良時代は大量の需要に応じるために、型を使って効率的に造られたとか、平安時代には地震などの災害が頻発したので、修理のために瓦が葺き替えられてきた。
今の時代に台風や火事などの災害があって、民家を再建するときに瓦を葺き替える作業と同じなのだよな。歴史と今とのつながりを感じられる。
瓦の一枚一枚に年号やどこの寺のものなのかが入っていると、他の史実を裏付ける証拠にもなる。
瓦が重くて屋根がたわむので、瓦の枚数を減らしたり、軽量の瓦に葺き替えるなど、時代ごとの変化がある。瓦によって全体のイメージが変わる。今見ている東大寺は、ずっとこの姿ではなかったとわかるのもおもしろかった。
瓦の見方がわかったぞ!うれしいー!
おまけ。
會津八一コレクションの中で「瓦磚」という言葉が出てきた。読み方がわからなかったので調べたら、「がせん」だった。瓦のことを表すようだ。
ただ、逆に書いた「磚瓦(せんがわら)」というものもあり、こちらは壁や敷石として使われているよう。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1374608.html
たぶん……。今のところはここまで。
瓦磚と磚瓦。
気にしていたら、またどこかで出てくると思う。