以前はお能第一で観ていたけれど、最近は狂言だけの公演も好き。
最近「笑い」がしんどい。
人を貶めず、損なわず、笑うことってできないんだろうかと考えたときに、やっぱり狂言にかなうものはない、という結論に至った。落語でさえもしんどいときあるからな。
雁礫(がんつぶて)
あらすじ>大名が弓で雁を狙うところを、通りがかりの男が石つぶてで仕留めてしまう。大名は自分の獲物だと言い張るが……。
見栄と虚勢を追及し、やわらかくあばく。勝負に持ち込まずとも最初から誰がやったかは明らかで、むちゃくちゃを吹っかけるほうが悪いのに、みんなで付き合ってあげるところが間が抜けている。固執していると見せかけて、吹っかけているほうもダメ元、あわよくばと考える。そのしたたかさが可笑しい。
成敗されるような深刻さでもないところがいい。
茶壺(ちゃつぼ)
あらすじ>https://kyogen.co.jp/outline/post_155/
雁礫と似て、人の物を最初から自分のだと言い張り争いに持ち込む人。「相舞にせよ」と仲裁人に諭され、明らかに勝敗のつく舞を披露する。雁礫と同じく勝敗がついて「勝ったぞ勝ったぞ」で終わるのかと思いきや……そうくるか!最高!だから狂言好き。
「相舞」とは、能・狂言で、二人以上が同じ型で一緒に舞うこと。連れ舞。
「曖昧」の語源なのかと思ったけれど、関係ないようだった。精選版 日本国語大辞典によると、曖も昧も「暗い」の意味だそう。
宗旦狐(そうたんぎつね)
千利休没後500年記念で、千宗旦に化けた狐の話。1976年(昭和51年)初演の比較的新しい曲。点前の所作など、お茶をやっている人には「おお」というところがあるのかも。可笑しくもあり哀しくもあり、舞も謡もあって、能寄りの狂言という感じ。
久しぶりの中正面席も新鮮で良く。
スタジアム感のある視界が広がり、一部始終を見渡している感覚。
よかった。全席チケット販売でほぼ満席の客席を見るのもうれしい。
こんな記事があった。
能と茶に一度で親しむ好機!国立能楽堂が4月《千利休生誕500年》で茶道ゆかりの演目を上演 新作狂言「宗旦狐」では舞台上で見事なお点前が演じられる場面にも注目です。
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展示室では、能楽鑑賞教室とのタイアップ企画。「能楽入門」と題して、能の五番立にしたがって、能のいでたち(扮装)を紹介していく。主な曲、登場人物の面・装束・小道具等。いつ観てもやはりお能の品々は美しい。
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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年)