https://www.nfaj.go.jp/exhibition/rashomon2020/
ついつい馴染みの「フィルムセンター」という名称で検索してしまうけれど、
東京国立近代美術館フィルムセンターは2018年4月1日に東京国立近代美術館より独立し、新しい組織「国立映画アーカイブ」となりました。(公式HPより)
ということでしたよね、そうそう。国立映画アーカイブ。
一昨年くらいから、友だちが黒澤映画を見返していると聞き、その影響を受けて、今年2月に『七人の侍』の4Kデジタルリマスター版を映画館に観に行くなどした。
長さを全く感じさせない!おもしろい!と、ただただ夢中で観た。
10代の頃に観ていたのとは、(当然ながら)全く違う景色が見えてきたことに驚いて、やっぱり作品に再会するってよいなと、また思った。
だから『羅生門』についても、当時の製作現場を知ることで、また違う見方ができるのではないかと期待した。原作である芥川龍之介の『薮の中』は、ずいぶん前に読書会でも扱ったことがあるので、馴染みのある作品。
行く前にもう一回観てみたら、いやはや、デジタル完全版は美しい〜!
きっとここのシーンにも、ここのカットにも、いろんな背景があるんだろうなぁと思ったら、展示が俄然楽しみになった。
展示されているのは、『藪の中』が誰のどのような企画によって、映画『羅生門』の決定稿に至ったかの流れ、手書きを印刷した脚本に手書きのメモ、スナップやスティール写真、早坂文雄の手書きの楽譜、撮影風景(レフ板ではなく鏡)、香盤表。
崩れかかった羅生門のセットのつくり(1ヶ月で2,000人が作業、瓦4,000枚)や、雨のシーンの撮影(消防署のポンプ車3台が出て大量に放水したので、近所が断水して苦情きた)などの伝説も。
そうやって撮っていたのか〜〜!
会場構成に沿って歩んでいくと、たくさんの才能が関わって、たくさんの試行錯誤の中から生み出された映画だったということがわかる。
どんどん試す、その場でどんどん修正、改良されていった勢いを感じる。
もちろん『羅生門』が特別なわけではないけれど、世界から脚光を浴び、今も愛される作品であり、黒澤が日本で最も偉大な映画監督の一人にまでなったのは、やはり『羅生門』だったからなのだろうと思う。
今よりも現場は過酷だったろうと思うし、手放しで全部素晴らしいと言えないことも多々あったと思うけれども。作品としてはやはり素晴らしいし、制作過程においても、自分たちにはなかなか気づきにくい価値を、自分たちの手で見出していこうとする姿勢には、時代や分野も超えて共感できる。
場内で紹介されている動画が、Youtubeにもあった。大賀しょうこ氏制作。
「誰もかれも自分のことばかりの世の中。人は信じられない」「人は捨てたもんじゃない」のラストは、まさに今の社会の状況ではないか、とドキッとする。
会場で配布されている資料。英、中、韓語であり。
こういうとき、英語の資料のほうが要点だけ書いてあるので重宝している。
今回初めて知ったのは、1951年のヴェネツィア映画祭に『羅生門』を出品するにあたっては、あるイタリア人の立役者がいたということ。
ジュリアナ・ストラミジョリ(Giuliana Stramigioli)さんという日本文化研究者で、『自転車泥棒』などのネオリアリスモのイタリア映画を日本に紹介した人でもある。
往復書簡からは、最初は一緒に動いていた朝日新聞が降りたり、映画祭側からは『酔いどれ天使』と『野良犬』を出品してはどうかと言われたのを『羅生門』を推し続けた様子が見てとれる。
ちょうど今、 イタリア映画祭が朝日新聞社も共催でひらかれているところなので、このことと何かつながりがあるのか、ないのか、勝手に想像してしまった。
ヴェネツィア映画祭での上映、金獅子賞受賞後のNYタイムズでの絶賛ぶり、ブロードウェイでの公演資料、各地での公開時のポスター(特に1952年西ドイツのHans Hillmannの墨のにじみとグラデーションを表現したものがかっこいい)、プレスシートなどの資料も数多く展示されている。
ロバート・アルトマンのインタビュー映像でも、「蜘蛛の巣城と並んで素晴らしい作品」「それまで観たことがなかった映画」「知覚や記憶に影響を与える、これは芸術だ」「太陽にカメラを向けたのは黒澤が初めて。自分もそのあと何度もやってみた」とベタ褒め。
また、「演技スタイルは西洋の俳優と違うが、日本人には違って見えるだろう。わたしたちには気づけないものがある。それが文化」「西洋で受けたのは、会話が少ないから。視覚に重きを置いている。観る者の視覚に訴える作品」との分析にも、なるほど。
観る時間がない方にも、2箇所で映像が流れているので、それだけでも十分に楽しめる。観たあとにぜひ本編を観るとさらに楽しい。
展覧会は2020年12月6日まで。 行けない方はぜひ図録で。
常設展のほうも見応えたっぷり。
限られた空間の中で、日本に映画が伝来した1897年から撮影所時代ぐらいまでの映画史を通覧できるようになっている。
幻燈の時代からの古い映写機や撮影機、映像展示もある。
映画発明の親、リュミエール兄弟の会社であるリュミエール社が、技師を派遣して、「世界の珍しい風俗習慣を撮影していた」というのは知らなかった。日本にも1897から1899年にかけて技師がきていて、そのときの記録映像が流れている。
「関東大震大火実況」という映像では、1923年の関東大震災の報道に映画が取り入れられ、それが文部省の教育資料として配布されるきっかけになったそう。
炎がめらめらと燃え、黒煙が空を覆いながら流れる、小さなポンプ車での消火活動、焼け出され家財をリヤカーに積んで歩く市民、崩れた浅草の凌雲閣、背中の子をあやす女性.......。写真でしか観たことがなかった当時の様子が、映像で観るとまた全然違う。
1939年に制定された「映画法」は国策に沿って映画を有効に利用するという意図があり、検閲も行われた。美術や音楽など、芸術が戦争に利用された時代。当然映画も力を奮った。その痕。
その他の写真はインスタグラムでご覧ください。
本も図書館でアーカイブしなければ失われていくように、映画も記録、保存しなければ失われる。国の機関としてあり続けることの大切さをあらためて思った。