ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

ファシリテーターは心をつかう


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つい最近まで、ファシリテーターは、場において最も冷静で理性的な人間だと勝手に思っていた。どんなことがあっても平静を保ち、心を波立たせず、穏やかで中立で公平な存在。

でも、実際に場にいると、とても冷静ではいられない。想定外のアクシデントことはもちろんだが、ただ進んでいくだけでも感情はうねるし、内面の葛藤も凄まじい。

一体どうやって、冷静さを取り戻せばよいのか?
そんなことばかり考えて、わからない時期がずっとあった。

よくよく考えてみると人のエネルギーが集まり膨らむところで、心が動かないわけがないのだ。

そう考えると、実はファシリテーターこそ、もっとも心をつかって、自分の全部で反応していく役割ではないかと思えてくる。
自分の中の一瞬一瞬の感情の動き、その偏り具合を感じながら、その時々でふるまいを選択していく。
だから、心をつかって自分を覆うほどの大きな感情を感じとりながらも、同時にそれを観察する冷静さも必要になる。

葛藤が生まれたとき、針の触れが戻ってくるのは正しさではなく、自分のニュートラルな位置。
冷静の冷は、人に対して冷たさを発揮する、締め出したり、ガードすることではなかったということだ。

そのためには自分のニュートラルな位置を把握している必要がある。

場をホールドするというのは、そこで何が起こっているかに目を凝らし、よく聞き、逃げずにそこに居続け、相対していく行為なのではないか。
その勇気ある姿勢、態度、振舞いが場に影響を与えていくし、エネルギーを集めていく。
影響を与えるといっても、決して場を支配するのではなくて、ただ自ら感じとる装置になることで。

オープンであるとはそういうことではないか。
うまくやろうとしない無防備さ。
自分の心に誠実であろうとする姿勢。
外からの影響を受けやすい状態に、あえて自分をさらす勇気。

思考を活発にして、それこそ理性的に場を進めていくやり方もあるけれども、それが得意な人も、感知機能をもった人をコ・ファシリにするといい。
見えているものだけでは、届かないところに場づくりの本質があるからだ。