ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

「読んだ」と「読んでいない」のあいだにあるもの(積読本をひらく読書会)

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なんだかとっても楽しそうな写真を撮ってもらっています、積読本をひらく読書会。今回もとっても楽しかったです。

 

手元にあるけれど読めていない本を持ち寄って、積読になっている理由を紹介し合う「持ち寄り紹介型」の読書会。

 

今回は、

・すてきな喫茶店での集まりのあとに手にした本
・亡き母の仕事場にあった本
・友人から勧められた興味あるテーマの本
・仕事について考えたくて買った本
・本のリレー式交換の棚から持ってきた本

などなど…8冊が集まりました。

 

本の印象や手元に来た経緯から、読むとは、本とは、人生とはを考える味わい深い時間になりました。

 

特に、どういう状態が「読んだ」と言えるのかが人によって違うという話が個人的には興味深かったです。わたしが持って行った積読本には付箋がたくさん貼ってあって、それは明らかにわたしが貼ったもののはずだったが全く記憶にない。わたし自身が「読んだ」と思っていない。読んだけど読んでない。

 

じゃあどうなると「読んだ」と言えるのかというと、最終的に文章に書けると読んだことになるかも...。つまりこの世に存在するほとんどの本をわたしは「読んで」いないことになる...?!でも「読んでいない、けれども、何が書いてあるかはすごく知っていて人に説明することができる」という本もあるのです。これは一体なんなんだろう?

 

例外的に、読書会で取り扱った本、その本の感想をみんなで交わした本はすごく「読んだ」という実感があり、「読んだ」と言えます。このあたりに、わたしが読書会が好きな理由がありそうです。知って言葉にしたくないような、秘密にしておきたいような気分。

 

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本屋さんや古本市などで本を手にとったときにすでに感じていた何かは、時間が経っても薄れない。手にとる度に違う自分として出会いなおすのかもという話も出ました。

 

積読本は「消化」してもいいし、しなくてもいい。気になっている、読みたい、でも読めない、そんな一冊一冊に対する気持ちをみんなで丁寧にひらいて、美しい風景をたくさんみせてもらいました。

 

 

お土産はいつものように「積読本をひらく読書会のレシピ」。これをつかって読書会をひらいていただいてもいいし、見て楽しむだけでもいいし。

積読本を紹介し合う読書会は他にもやっている方はいるし(わたしだけの発明ではない)、わたしが設計したプログラムも人が違えば全く違うものにもなるので、どんどん真似してやってほしいです!

 

 

ご参加くださった皆さま、ご関心をお寄せくださった皆さま、ありがとうございました。

 

 

次回は9/5(水) 10:00-12:00です。※都合により日程が変更になりました。

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