『沖縄 うりずんの雨 改訂版』鑑賞。
2015年製作、ジャン・ユンカーマン監督
1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸。6月23日(現在の慰霊の日)まで12週間に及んだ沖縄地上戦では4人に一人の住民が亡くなりました。本作は、当時同じ戦場で向き合った元米兵、元日本兵、そして沖縄住民に取材を重ね、米国立公文書館所蔵の米軍による記録映像を交えて、沖縄戦の実情に迫ります。また、戦後のアメリカ占領期から今日に至るまで、米軍基地をめぐる負担を日米双方から押し付けられてきた、沖縄の差別と抑圧の歴史を描き、現在の辺野古への基地移設問題に繋がる、沖縄の人たちの深い失望と怒りの根を浮かび上がらせます。(映画HPより)
シネマ・チュプキ・タバタさんとの映画感想シェアの場〈 『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』でゆるっと話そう〉の準備のために鑑賞。場のためには、やはり沖縄の通史を知っておく必要に駆られた。
1853年のペリーの那覇来航から、2014年、2015年までを、18名の人々の語りとフィルム、そして監督のナレーションとでクロノロジカルに歩む2時間半。
沖縄とアメリカ
沖縄と大和
黒人と白人
女性と男性
子どもと大人
南部と北部
たくさんの差別と格差、暴力と悲しみに触れ続けることの痛みは強いし、感情は揺さぶられ続ける。観終わった後はなかなか立ち上がれなかった。
それでもやはり、今観ておいてよかった。
体験した人たちはどんどん亡くなっていく。記録し、記憶し、遺していかねばと思う。関わりのある人や作品からはできるだけ聴いておきたい。この映画からもすでに6年......。
わたしたちは、どのような出来事の連続の上に、今生きているのか。
今このときも続いていることをどう受け止めるのか。
自分のこれからの選択一つひとつに関わる話だ。
他者とのかかわり、社会とのかかわり、世界とのかかわり。
これは映画でなければ描けないし届けられないものだ。その映画でも、権力によって描けなかった部分があると知った。
まだ十分に言葉にならないが、観る機会が得られたことと、観ることを選択してくれた自分に感謝したい。
一昨年、ドキュメンタリー映画『太陽の塔』を観たときに、「ああ、だからこの国は……」と、長年の謎が、音を立てて崩れ落ちるような感覚があった。もしかしたらこの映画も、そんな力を持っているのではないか、と期待した。やはりそうだった。
なぜ拒めないのか、抗えないのか、終われないのか。
なぜ命を、生きることを選択できないのか。
この国が根源的に抱える宿痾を見た思い。
見ようとすることで、準備ができ、受け取れるものが起こり、またこの世界を一つ知る。世界とつながりを深める。
わたしよりずっと若い人たちが真剣に学んでいることを、どうして大人であるわたしが無視できようか。
あの人たちが、わたしを引っ張っていってくれている。
明日6/23水・慰霊の日の特別上映あり。14:40〜『沖縄うりずんの雨 改訂版』もぜひ観ていただきたい。上映後に監督のトーク有。1853年ペリーの那覇来航から2010年代まで、証言とフィルムとナレーションでクロノロジカルに描くドキュメンタリー。今が知るタイミング!という方に届いてほしい。 https://t.co/kKgD5HnMsQ
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月22日
痛い、重い、苦しい。感情は揺れ、引き裂かれる。暴力の連鎖。複雑な差別と対立の構造。。けれども、自分がどのような歴史の連続上にいるのかを知る。それは自分の救済につながるかもしれない。知らないでいるほうがしんどいのだ。2015年に作られ、うりずんの季節に巡ってきた映画。この機会にぜひ。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月22日
タイトルが『改訂版』となっている理由がチラシ裏面に書いてあった。作り手の矜持を感じる。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月22日
▼映画を観ながらとったメモ、30枚超。チュプキさんの親子鑑賞室には台があるので落ち着いて書けるのです。
▼ジャン・ユンカーマン監督のトーク(シネマ・チュプキ・タバタにて。ツイートを展開してどうぞ)
沖縄うりずんの雨 改訂版https://t.co/aysG9pnp4Y
— Cinema Chupki(チュプキ) (@cinemachupki) 2021年6月28日
慰霊の日、ユンカーマン監督をお迎えしました。日米両国での上映を念頭に制作。沖縄戦で戦った日米元兵士の話、基地建設後の暴力や事故、差別の歴史を通じ、今なお終わらない戦争を浮かび上がらせる。一人一人が現状を諦めないことが希望に繋がる🔽 pic.twitter.com/sQ8WW7UC79
▼2015年のTV出演時。「モンスターではない」と監督。つまり、「何が(誰が)そうささせたか(させるか)」ということなんだろう、と。人間にまつわることのすべては。
上間陽子さんの『裸足で逃げる: 沖縄の夜の街の少女たち』を読んでいるけれど、すごいな、これ。2017年の刊行だけど、わたしにとっての読むタイミングは今。インタビュアーやリサーチャーが個を出して語ることって「学問的に認められない」ように(勝手に)感じていたけれど、潮流を変えたのでは。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月18日
若者の支援の現場にいる友人とよく話す、「だってその人はまだ生きているんだから」のことも思い出した。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月18日
一遍ずつ大事に読んている。彼女たち、今生きているのかな、どのように。
米軍地内で暴力やいじめがあるから、少しでも自分を強く見せようと、米兵たちは刺青を入れる、、というようなくだりがあって、ああ、、と思う。#沖縄うりずんの雨 が脳裏によぎる。基地の外で起きていることは、中で起きていることの連続。。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月27日
このくだりはほんとうにさらっと書いてあるだけなのだけれど、たまたま今はここに目がいってしまった。本自体は、語りと関わりを通して沖縄社会の課題をうっすらと感じ取る時間。そしてその課題が凝縮して現れているのが、家族、女の人、子ども。。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月27日
沖縄の戦中戦後の性暴力犯罪と、旧日本軍が起こした「慰安婦」の問題をもっと知りたくて、このあとwam(女たちの戦争と平和資料館) に行きました。
これが終わったら、来週あたりwamに行こうと思っています。2015年の映画『何を怖れる』からずっと行きたくて、いつの間にか6年!ようやく自分の動機が明確になり、行けるようになったことが喜ばしい。学びたい。「愛するために学びなさい」とはホッシーさんの祝辞(ちむぐりさ)https://t.co/rPpFsiTnPD
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月28日
「愛するために学びなさい」