年明け感も落ち着いた1月の日曜日の午後、お寺の中のカフェで「シッダールタ」の読書会をひらきました。
こんな告知で募集しました>>
共催のオハラさんと、「こくごのじかん読書会」と名付けたのは、二人とも本好き、読書好きで、中学や高校の頃の国語の授業が大好きだったことがまずありました。そこから、こんな国語の時間があったらいいなぁ、大人になって自分の好きな国語の時間をつくってみれたらいいなぁという願いを込めました。
近さを感じながら一人ひとりがたくさん話せるようにしたい、ということで、人数もわたしたち含めて6名の小さな場にしました。
この本はもともとわたしが数年前に読んでいて好きな本だったことから、オハラさんにおすすめしてみたところ気に入ってくれて、ぜひこれでやってみたいということになりました。
全員が読了後の「もうすぐにでも話したい!」という思いを抱えて、この日を楽しみにしてくださっていたようで、場がはじまるともうずんずんといきなり深まり、様々に展開していきました。
いろいろな感想が出たのですが、わたしが後日ふとした瞬間に思い出したのは、こんな言葉たち。
・人は14才ぐらいになればこの社会や世界のことがほとんどわかってしまっている、悟ってしまう。そういう時期は危うくて、でもシッダールタはそこで終わらず、実際にやってみる、経験してはじめてほんとうに理解しようとしている。
・起こっていることは変わらないのに、河はただ流れているだけなのに、自分の状態によって様々に受け取る(受け取ってしまう)。
・わたしとあなたがまったく個別固有の存在であるということと、あなたがわたしでもあるということがあり、それらの間には何ら対立も矛盾もない。
・シッダールタの心を最も攪乱し正気を無くさせたのは、父でもなく師でもなく友でもなく女でもなかった。あのシッダールタでさえも。
必要なものが必要な分だけある。終わった後から感想がどんどんわいてくる。同じ物語を読み、それぞれに心の旅をし、ある日ある時間ある場所に集い、旅のお土産を持ち寄る。言葉を交わす、なんとか言い得ようと試みる、音になる言葉をその奥にあるものごと受け取る。
わたしがいて、あなたがいる。
この日の対話を経たことで、この「シッダールタ」という本が、一人ひとりにとってなにかしらの特別な一冊になったという感じがしました。人生のフェーズが変わるたびに読みたい。
ヘッセの他の著作で「デミアン」や「庭仕事の愉しみ」のおすすめもありました。「シッダールタ」での読書経験とつなげて読むとまた受け取るものが違いそうで、読むのが楽しみです。
会場の「赤門テラス カフェなゆた」さんは、かるたCafeで大変お世話になっていたのですが、また別の場でもお付き合いができ、こうしてあたたかく出迎えてくださっていたのがうれしかったです。
対話の助けになればと、今回はじめてプリントを作ってみました。これがわたしにとってはすごくすごく楽しい作業でした。
わたしこういうのが好き!楽しい!自分が好きなことでみんなが喜んでくれるお仕事をこれからもやっていこう、とあらためて心に決めました。
今回もご参加いただけたこと、無事にひらいてとじられたこと、ありがとうございました。なんだかまとまらない文章になりましたが、2時間目もどうぞお楽しみに!