20世紀のポスター [図像と文字の風景] 展を観てきた。
庭園美術館は、一昨年のキスリング展以来。
招待券をくれた友人を誘って、あれこれ話しながら観た。こういう感じも久しぶり。
最近は一人で来て2〜3時間ぐらいじっくり何周も観る展覧会が多かったから、気軽なのもうれしい。
いつもの展覧会と違って、若い人が多かった。デザインの勉強をしている学生さんだろうか。
この館のアール・デコの空間に、モダンなポスターをどのように展示するのか、どんな雰囲気になるのか、楽しみだった。取り合わせとしてあまり意外な感じはなかったのは、2011年に〈20世紀のポスター(タイポグラフィ)〉展に来たときの記憶があるからか。この頃はあまり美術館に行けていなかった時期だが、これはどうしても行かねばと思った記憶がある。
初期、1920〜1950年代頃はコンサートや建築、工芸美術館の展覧会のポスターが多い。欧文のタイポグラフィはカチッと決まる印象。和文には和文のかっこよさがあるけど、かっこよさの種類が違う。
中学生の頃にコラージュやレタリングが大好きで、空いた時間は一人でもくもくと作っていたのを思い出した。とにかく紙とペンで作ることが好きだった。子どもの頃からぜんぜん変わらない。
ポスターはやはりポスターのサイズで見るのがいいね、と友人と言い合う。インパクトが大事だものな。
スイスのポスターも多くて、ドイツ語もたくさん観られるのがうれしい。最近〈ドイツ語でなんか読んでみるかい〉と題して吉本ばななのドイツ語訳の小説を読んでいるためか、パッと目に入ってくる。
この感じは、ドイツで少し「生活」を体験してみられたときのことも思い出す。まちの中でその国の言葉を知るのは、人々の会話の他は、アナウンスや広告が多い。「あれって何が書いてあるんだろう?」とついつい見る。パターンがあるものから、日本で似たものを見るときと比較しながら、自然に知っていく。
たとえば Eintritt Frei なら、FreiはFree(無料)で、ポスターのこのへんに書いてあるということは、たぶん「入場無料」のことなんだろうなぁとわかる、など。
印象的だったのは、スコロス=ウェデルのストラヴィンスキーの『火の鳥』のコンサート告知。鳥の羽根の拡大部分が画面のほとんどを占めていて、上のスペースに遠くからはほとんど判別がつかないくらいの大きさでタイトル、演者、時間、場所などが入っている。白地に二色刷り。かっこいい。これは二人とも気に入って、きょうのイチオシということになった。
https://www.pinterest.jp/pin/67342956907962250/
デジタルサイネージに慣れている今からすると、一枚ですべてを表しながら引いて引いて引きまくったポスターは逆に新鮮に見える。
出品リストもデザインが入っていて、美しい。豪華!
庭園美術館の建物を補給しに行った感じ。やはり周期的に訪れたくなる。正門からのアプローチは、神社の参道に似て、だんだんと精神が整っていく感じ。
桜や椿、木瓜などが花盛り。美術館の外に併設のカフェRestaurant Du Parcは、天井までのガラス窓の建物で、外の木や草花がまるで屏風図のように見える。
知らぬ間に溜まっていた疲れやダメージについて労いあう。社会不安、目に見えないストレス。ほんとがんばらず、ご自愛していこうね、と。責任もますます大きくなってくる年齢だから、「こういうときだからこそがんばらないと!」って無理をしがち。でもやっぱり自分を長持ちさせるためには、無理せず、でも諦めもせず、こういう場所にきて、人と語り合いながら、やっていけたらなと思う。
今回は新しい知識を得たり、学びと学びをつなげるというよりは、大切なもの、懐かしいものに会いに行ったという鑑賞だった。
次回は庭園美術館のお家芸とも言うべきアール・デコの展覧会。絶対来よう。
展覧会についてのレビューはぜひ青い日記帳さんのブログを。
遠方や事情で行けない方には、ギャラリートークの動画を。
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