4月のはじめ、まだ緊急事態宣言に入る前、根津の竹久夢二美術館に行ってきた。
夢二デザイン1910-1930 ー千代紙から、銀座千疋屋の図案までー
https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/exhibition/past_detail.html?id=1788
約100年前の日本で“可愛い”というキャッチコピーを使用し、自らデザインしたグッズを売り出した画家・竹久夢二(1884-1934)。
伝統と近代、和と洋の美術様式を交差させて、暮らしに身近な日用品から商業図案まで、夢二は洗練されたデザインを幅広く展開しました。
本展では、1910年から1930年の間に夢二が手掛けた千代紙、絵封筒、雑誌表紙、楽譜表紙、本の装幀、双六、銀座千疋屋のための図案、ポスター、レタリング等を展示紹介し、グラフィックデザイナーの先駆けともいえる、夢二の美の世界を考察します。(公式HPより)
夢二と言えば「夢二式美人」ですよね!という人もいるかもしれないけれど、わたしにとっては断然「図案の人」。
▼鑑賞メモ、感想
・1900年頃 絵葉書が登場する
→1904年〜1905年の日露戦争で大流行
絵葉書の歴史 | 絵葉書資料館
→1905年(明治38年)夢二、絵葉書図案でデビュー
・1914年 港屋絵草紙店、オープン(この背景や顛末がすごい......)
港屋絵草紙店 竹久夢二専門画廊 港屋
可愛い(かあいい)という言葉で宣伝。もしやニッポンの"Cawaii"はここからはじまった??
・少女向け雑誌の中で書いていた夢二の言葉。(確か裁縫の図案?か何かのページだったような、うろ覚えですみません)
「身のまはりの衣服調度は、なるべく自分で工夫して気持ちよく便利にそして、簡素にしてゆきたいと思ひます。流行を追ふといふことは、自分で自分の生活を工夫することの出来ない人か、物を所有してゐることを見得にする人のことです。」
「日毎に緑が深くなってゆく麦の葉にも、ひと雨ごとにふくらむでゆく桐の花にも、来るべき夏を用意している自然の美術館の営みが見られます。」
「色調の仕方はコントラスト(対比)とハルモニイ(調和)とがあります。
身近な人以外の大人から、こんなふうに声をかけられた少女たちは、どんなふうに受け止めたんだろう。ちょっと説教臭くもあるけれど、目線を上げてほしいという願いも感じられる。
・ブックデザイナーとしての夢二は、自著含め、300以上の装丁を手掛けている。雑誌の表紙絵や本の装丁からは、夢二式美人や少女像に見える「かわいくてふわふわ」ではない夢二が見られる。幾何学的なデザインや、動物、植物、虫などをモチーフにした図案は、今見てもカッコいい。怪しさや怖さもあって魅力的。
・大正後期から昭和初期に起こった童謡運動(鈴木三重吉と北原白秋が創刊した児童文芸雑誌「赤い鳥」がきっかけであり活動の舞台にもなった)によって生まれた、童謡や唱歌の楽譜の挿画を夢二がてがけている。これがまた美しい!これを手に取った子どもたちはわくわくしながら歌を歌ったのではないだろうか。
・レタリングやアール・デコ風の図案、扉、カット、タイトル字など展示物たっぷり。いせ辰でみかける図案もある。
・同時代のデザイナーに、津田清風、杉浦非水、橋口五葉、恩地孝四郎、武井武雄などがいる。
めくるめく図案の世界はとてもよかったけれど、わたしはどうにも夢二の女性遍歴の話や、なよっとしてぼんやりしている美人画の感じが好きになれない。
そんなのは好き嫌いだから別に放っておけばいいのだけれど、なにか気になるところがある人でもある。
何かまた他の切り口で展示があれば、観に行きたいと思っている。