『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』
最初にタイトルを読んだときに「子どもたちが階級闘争をしている」、つまり「階級格差をネタにいじめ合っている」ということなのかと思っていたが、政治の問題が子どもたちにまで影響が及んでいる、ということだった。
他に印象的だったのは
・「『自分の力』主義。というのは各人が自分の生き方の指針にすべき考え方であって、それを他人にまで強要するのはヒューマ二ティの放棄である。(p.30)”
・子どもを手放さざるを得ないほどに親が踏ん張れなくなっている。(2015年当時)
・発展途上国から来た向上心の強い母親たちの中には、努力しない人が貧しいのは当然だという自己責任論者もいて、子どもに対して手をあげることもあるという。この件は以前、児童虐待防止のシンポジウムでも耳にした。
・人種と階級の複雑な絡み合い。「ちょっと階級を昇ったりすると、外国人こそが最も積極的に他の外国人を排他する人々になるというのは、あまりにリアルでサッドだ」(p.65)
・「DBSチェック(子どもを相手に働く人に義づけられている犯罪履歴調査)」これ、日本でも必要。動いてくれている人もいる。https://dual.nikkei.com/atcl/column/19/062200074/082700003/
・保育園の保育士配置基準における課題。当事者でなくなるとアンテナが立たなくなっているが、現状はどうなんだろうか。
・「分裂した英国社会の分析は学者や評論家やジャーナリストに任せておこう。地べたのわたしたちのしごとは、この分断を少しずつ、一ミリずつでも埋めていくことだ。(p.142)」
・「いろいろな色を取りそろえる意味は、やはりあるのだ。そしてそれは保育士と子どもたちの関係だけではない。『レイシズムはやめましょう』『人類みな兄弟』とプラカードを掲げていくら叫んでもできることはたかが知れている。社会が本当に変わるということは地べたが変わるということだ。地べたを生きるリアルな人々が日常の中で外国人と出会い、怖れ、触れ合い、衝突し、ハグし合って共生することに慣れていくという、その経験こそが社会を前進させる。それは最小の単位、取るに足らないコミュニティの一つから淡々と進める変革だ。この道に近道はない。」(p.86)
しかし何よりもずっしりと心にきたのは、これかもしれない。
「きっとこの人には辛いんだろうなと思った。育ちがよくて心根が優しいから、大変な境遇の中で生きていて、そのために歪んでいる子どもたちと触れ合うのがきついのだ。」(p.208)
ここのことをわたしはずっと考えているのだ、たぶん。