ヒトトビ〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する場づくりを通して考えることなど。

「きく」は結晶化への道

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友人と話していて、「オバちゃんの話は惜しい」という展開になった。
 
ここでいうオバちゃんとは、イメージ(というかほとんど妄想)であって、実際にオバちゃん(的人々?)がこういうコミュニケーションをとっているかは自信がない。
 
違ったら本当にすいません。
 
オバちゃんの話は身近な人にまつわることが多い。
夫が、子どもが、孫が、
姑・舅が、親戚が、
近所の人が、お店の人が、職場の人が……。
 
なんとなく愚痴みたいなものを話してるところに遭遇することが多い。
 
「この人とこんなことがあった」と、言葉から全身から、不快感をあらわにする。
聞いている友人もそれに乗っかる。
「なにそれ、ひどいなー。信じられない」
火が燃えてくる。
「そうなのよー、ほんとひどくて。他にもこんなことがあって」
さらに油を注ぐ相手のオバちゃん。
「普通はそういうときこうでしょ。その人ちょっとおかしいよ」
みたいな...。
そして散々油を注いで、団扇であおいであおいで、ぼうぼう燃やして、
「ほんと嫌だった!」
と本人はなり、
「もうその人の話は聞き流したほうがいいよ」
という感じで相手のオバちゃんのアドバイスで話は締められる。
 
あくまで想像ですが、なんかありそうな感じ。
 
感情は散々燃える。
 
でももう一歩先にいけたらいいのにな、と思う。
 
つまり
「本当はどうだったらよかった?」
「本当はほしかったのはなに?」
「何が満たされないからこんなに感情が出るの?」
という問いかけと、口をつぐんで、相手を見て、言葉を待つ姿勢。
 
たぶんそれがあれば、本当の願いを自分の中に探しに行ける。
そうして出てきた言葉に対して、
「ああ、そうなんだ、楽しくやりたかっただけなんだね」
とか、ただ繰り返すだけで、聞いてもらえた感じがあって、
自分の中のぐわーっとした波も落ち着いて、
再燃とかも少なくて、いつまでもくすぶっていたりしないんじゃないかな。
 
あるいは、もう一度同じことがあっても、違う手段がとれるんじゃないかな。
 
どろどろの溶液を熱したあとに出てくる結晶みたいな、きれいな願いの塊。
はなしてる人から出てくるものを、
一緒に「きれいだねぇ」って眺められたら、いいな。
熱することの手伝いをするなら、結晶化まで付き合えたらいい。
 
途中でアドバイスを入れるのは、なんかバケツの水をかけるみたいで、
我に返るけど、結晶はできない。
 
オバちゃんの燃やし方、煽り方はすごい。
それをやってるときはお互い楽しい。
その先に行けたら、もっと楽しいかも、ね。