前期のアンコールはなんとなく食指が動かず、今はお能の気分だなぁと、オペラからは少し距離を置き気味だったのですが、2018-19シーズンはなぜかまたMETLV(Live Viewing)にひたるぜ!と気合いが入っており、トップバッターの「アイーダ」から行ってきました。
▼こういう色の感じだった。
バーっとツイートしておいて、それを元に書き直そうかと思ったのですが、まだ温度が高すぎて触れないので、そのままを貼ります。
オペラをMETLVという形式で見るのがおもしろくて、毎回見るたびに発見があるんだけれど、今回もすごかったなぁ。どうしてわたしは芸術を必要とするのか、の一部が言語化された気がしました。
オペラに関しては、お祓いしてもらいに行っている感じもあります。ありがとう。
アイーダ、素晴らしかった。ネトレプコもラチヴェリシュヴィリも、秒単位で変化していく複雑な感情をあんなにも微細に表現していて、、5回は泣いた。演技が決定していく声と、声が決定していく演技。生ならあそこまで近づけないところ、LVはありがたいなぁ。 #METLV #アイーダ
— せいこ (@seikofunanok) November 6, 2018
途中でガランチャが「サムソンとデリラ」のためのインタビューで話していたことがきょうのハイライトだったかも(アイーダの鑑賞とも相まって)。
— せいこ (@seikofunanok) November 6, 2018
「いつも役の定型を抜けたいと思ってる。新しい面を加える。人間味が大事。日常に近づけるということ。罪悪感なしに人を糾弾できる人はいないでしょ?」
アイーダもアムネリスも母親がいない。亡くなったのかなんなのか。父と娘っていう関係で物語を見るのもまた興味深い。あと愛と尊厳vs名誉とプライドとか。裏切りの傷みがあるが、実は存在の喪失は痛くないのでは?という今読んでる一条ゆかりの「天使のツラノカワ」と関係ありそうなとこも。
— せいこ (@seikofunanok) November 6, 2018
途中でバレエが入っておおっと思ったのが、身体がそれぞれに最適化されてて、片や楽器になった身体、片や運動になった身体が舞台の上で一緒にいたところ。つくりがもうぜんぜん違うのね。どっちが美しいとか比べられない。なんならオーケストラピットにいる人たちも、幕間に舞台をこしらえる人も。
— せいこ (@seikofunanok) November 6, 2018
容姿じゃないんだよなぁ。技術、表現、作品の解釈・理解。
— せいこ (@seikofunanok) November 6, 2018
オーケストラが鳴らしているのはひとつの音楽、旋律だけど、そこで歌われるのはは五者五様の言葉。思惑の掛け合い。「起こっていることはひとつだが、関わる人それぞれが見ている世界が違う」を感情を伴った身体表現として目に見えるように・耳で聞こえるようにしているオペラのつくり。話す聴くの場。
— せいこ (@seikofunanok) November 7, 2018
能や文楽やオペラをときどき観に行くのは、衝動、葛藤、恥、妬み、欲、、分かり合えなささえも美しい人の営みである、ということを思い出すため。だから、今を生きる人の力になるために芸術はある。特に古典には新しい解釈や表現や技術が加えられ、今の時代の人に真に必要とされることで命を延ばす。
— せいこ (@seikofunanok) November 7, 2018
そして「その時代の人に真に必要とされる」がどのように適うのか、次に繋げる「役」を自覚する人たち、切実に必要とする人たちが、自分を賭けて愛し取り組むことでもまた生き永らえる。
— せいこ (@seikofunanok) November 7, 2018
そして「その時代の人に真に必要とされる」がどのように適うのか、次に繋げる「役」を自覚する人たち、切実に必要とする人たちが、自分を賭けて愛し取り組むことでもまた生き永らえる。
— せいこ (@seikofunanok) November 7, 2018
ネガティブといわれる感情は、必要が満たされていないときに体験するもので、そのように欲しがる、憧れる(あくがる:魂が体を抜けて彷徨う)、浅ましく醜い人間の姿・様を、美しい貴い命の躍動として見ざるを得ない舞台、とりわけオペラという形式に救われる。
— せいこ (@seikofunanok) November 7, 2018
救われるのは、「わたしもまたそのように」苦しみがあり、喜びがあるから。それが数百年、数千年の時間の積み重ねと関わる人間の身体(と人間の命の時間)をもっているものであればあるほど、救済の度合いが深い。普遍。普遍を受け取るのは、今を生きてそれを目撃する人間。
— せいこ (@seikofunanok) November 7, 2018
METLVの場合は、だいたい3〜4週間で字幕がついて日本でリリースされている。英語圏だとそのローカライズの時間も手間ももっと簡易なのかもしれない。本当に行われていた舞台を、撮影と編集の最高の技術で編集されて、数週間後に時間差で体験できることのおもしろさもある。
— せいこ (@seikofunanok) November 7, 2018
それが今や70カ国、10万人が「いつもの映画館」で視聴できるエンターテインメントになっている。MET OPERAの負っている使命を具体的な行動にするとこう、に立ち会っている。対立や紛争が起こっている世界だけれども、文化芸術は確かに和平、調和、治癒に貢献するのではと希望が見える。もちろん内部で
— せいこ (@seikofunanok) November 7, 2018
さまざまな騒動や犯罪もあるのだけれども。しかし少なくともわたし個人に届くものは救済と祝福しかないので、1作品3,600円、お賽銭をお届けしている気持ち。芸術にお金を出すのはお賽銭。自分のため。それが自分が生きていくのにあってほしいから、あってくれないと困るから。あってくれて感謝だから。
— せいこ (@seikofunanok) November 7, 2018
「容姿じゃなくて、技術、表現、作品の解釈や理解」に加え、当日のその場その時間に至るまでの「準備」も観ているのだな。どのように役や作品に向き合ってきたか、その人自身がどういう人生を送ってきているか、自分のどのような表現を通してその芸術と社会との間に橋を架けようとしているか、Why me?
— せいこ (@seikofunanok) November 7, 2018
幕間でネトレプコ自らが解説してくれた"Pietà"も聴きどころだったなぁ。(ほんとLVの解説コーナーありがたいわ)Pietàの感覚を知りたくて聖書も読んでみたけど、やっぱりこれを実感するっていうのは擬似でしかないのだよなぁ。。逆にPietàがない日本文化に救われるってどこかの国の人が言ってたっけ。
— せいこ (@seikofunanok) November 7, 2018
今期は他に「サムソンとデリラ」「マーニー」「カルメル会修道女の対話」が気になっています。楽しみだなぁ。