最近気づいたのだけど、場をひらくときに、全員が「やるなら行く」とか「おまかせ」だとしんどい。だからなんとかあと一人、「一緒にやろう」と声かけてうんと言ってくれる人を見つける。なんでそうかはまだうまく説明できないけど、「しんどいな〜」とか、「ああ、気が楽」とかの感覚がすべての証明だと思っている。
そもそも、場づくりには感情労働という面がある。ハプニングがあってもなにもなくても。場の気を感じて動く、ふるまう、言葉を選ぶなど自分の様々な感覚を動かしている。それもプロフェッショナリティ。場をひらいている自分が「場づくりは感情労働である」と認められたら、報酬に反映させることに躊躇がなくなってきた。
「続けていくためにちゃんとお金をもらう」の意味も、今はわかる。
どのファシリテーター講座でも、場づくりに感情労働という面があるとは言ってなかったのが不思議なくらいだ。
報酬について、一般とか通常とか相場のことはよくわからない。ただ、わたしは自分がその機能を発揮することをプロとしてやるので、値付けは自分でしたほうがいい気がしてきた。
ついでに値付けについて。
「参加しそうな人」「払ってもらえそうなお金」だけを見すぎると非常によくないことが起こるのを、数々の場を踏んだり、友人たちと対話してきてわかった。
結局は、「自分がだれとなにをしたいのか」に尽きる。しかも「だれと」が先なのがポイント。自分が安心して、心地よく、健康的な関係を結べる人と、どんな場をつくりたいか。
「わたしがあなたと一緒につくります。そして、つくりきろうという意識をキープし続け行動する責任をわたしがもちます」という宣言が金額で、それに感謝するという形で参加や依頼した人がその額のお金を払う。
そういう循環がわたしにとっての仕事。
でもお金が発生するものだけが仕事というのも、狭義すぎるとも思っている。その話はまた時期が来て書けるといいな。