12月に参加した「虐待・親にもケアを」のオンライン読書会の後編に参加しました。
前編のレポートはこちら↓
MY TREEペアレンツ・プログラムとは、子どもの虐待に至った親の回復プログラムです。
加害する・した人に対して、反省や更生以外のアプローチで、根本的な回復を目指している効果の高いプログラムと聞き、どのような内容なのか、何を大切にしているのか、どのような人が関わっているのか、どんなよい影響が出ているのか、などを学びたくて参加しました。
「はじめに」にMY TREEの根本思想(といってもいいと思う)が述べられている部分に、とても感銘を受けています。
虐待に至ってしまった親たちの回復支援は、子育てスキルを教える養育支援ではありません。母親支援でも、父親支援でも、子育て支援でもなく、その人の全体性回復への支援です。課外の更生は被害によって傷ついた心身の回復からしか始まらないのです。MY TREEの参加者たちは、親である前に一人の人間として尊重される体験を得ることによって、自分を回復する礎としていきました。
今もう一度読み返してみても、とてもあたたかな気持ちになります。
それはわたし自身が、子育てする中でも、いや、そのずっと前からも感じてきたことと関係があるからだと思います。
読書会にはいろんな型がありますが、この会では、章ごとに分担して読んでレジュメを作るところまでを準備し、当日は担当者が5分発表した後、みんなで10分感想を話しながら進めていく、「輪読形式」をとっています。この日は7人で分担をしました。
わたしは6章「親たちと向き合ってきた実践者からのメッセージ〜実践者の多様性がMY STREEのストレンス(Strength)」を担当しました。サポートの場をつくる側の人がどんな人で、どんな景色を見ていて、どんな実感を得ているのか知りたかったから。
5分で人に伝えられるぐらいに要約しようとすると、内容を理解していなくてはならず、理解するためには、読み込んでいなくてはならない...ということに今更のように気づいたこの輪読形式。
結局、今回は16ページ弱の章を準備するのに2時間もかかりました。レジュメはA4で6枚。
ここは大切だと思う事実や用語や思いを並べていると、あっという間にボリューム大になってしまいます。そのくらい、この章は厚みがありました。
いや、というよりも、きっとどの章も、精読すればこのように受け取るものや、見過ごせない箇所がたくさん出てくるものなんでしょう。
6章の内容についてメモしておきます。
わたしが言い換えている部分もあるので、詳しくは本書をご確認ください。
・「実践者」とは、MY TREEのプログラムを実施する人、場をつくる人のことで、この本の出版時点では30人ほどが活動している。
・保健師、臨床心理士、看護師、助産師、保育士、元児童相談所所長、行政の子育て相談員、大学教員など多様な職種の方々が、自治体や児童相談所の委託事業や任意団体主催として、プログラムを実施している。
・受講は法的強制力がないため、参加者を集めるのに苦戦したり、助成金が取れないなど悔しい思いもする。
・インターネット、新聞記事、自治体の広報、チラシ(幼稚園、保育所、小学校、保健センター、行政の庁舎や関係機関など)で情報を届けている
・虐待に至った背景に性暴力やDVの被害、ジェンダーの問題が含まれている。彼女たちも被害者であり、その多さに驚く。「いかに女性や子どもたちが暴力にさらされている社会であるか」
・MY TREEはよい親になるためのプログラムではないと言うと、参加者の女性たちはびっくりする。「母親失格の自分」「よき母親にならなければ」→母親役割のキツさ。評価、違い、比較に苦しめられてきた女性たち。
・「何もなければ虐待は起こらない」人生の中でうけたさまざまな心の傷。個人の問題では済まされない。親の回復支援を。
・「気づけば子どもを叩いている、子どもを無視している、傷つけることを言ってしまう、可愛いと思えない、このままではどうなってしまうのかとても不安」などのプログラムのチラシを見て「わたしのことだ!」と来ている。「子どもとの関係を改善したい、変わりたい、子どもと幸せに暮らしたいと願っている。
・参加者の回復する力に敬服。実践者もたくさんの感動と力をもらっている。エンパワーされている。
・2003年当時「虐待」という用語はタブー視されていた中での新聞記事での紹介。「私が求めていたのはこれだと思った」と申し込み。
・「実践を鍛える」自分はこのプログラムの実践に値する者であるか。
・ひとつのプログラムが確率するのに5年、定着するのに10年かかる。
・児童虐待は家の中の奥深く、人知れず進行していくもの
・児相で働く人の感情労働。介入とケアの橋渡しで癒す。元児相所長「心強い味方ができた思い」
・「見守り」=放置でしかない。できるだけ早く虐待をストップさせる。
・個人カウンセリングよりもグループワークのMY TREEのほうが促進がある。仲間がいる、否定されない、思いを汲んでくれる、労ってもらえる、一人の気づきが他者の気づきになる・共鳴がある(グループダイナミクス)
・家族再統合のためには、強制的な生活改善や親子関係の対応スキルではなく、親の内面へのアプローチ、親自身の変化を促すプログラムが効果がある
・親を指導する「介入」と親自身の振り返りを支援する「ケア」を同じ一つの児童相談所が担うのは困難。ケアは市町村が担うのがよいのでは
・生活圏が狭くつながりが濃い地域では、居住地を限定せず、他の市町村からの受け入れによって参加者の匿名性を保つ配慮。
・多くが虐待を受けた経験のある子どもを受け入れているファミリーホーム。親と接触を避け、虐待の報道を目にすると加害親への怒りを持っていたが、MY TREEを実践するようになってから見方が変わった。「あなたは大切な人」を言うと泣き出してしまう親も。生きてきて今まで一度も言われたことがない......。
・大変な状況の中、ヘルプの声をあげてくれた方へのねぎらいと感謝、安心、安全を大切に、全力で寄り添い、選択や決定のサポートをする。この土台づくりが、ファシリテーターのもっとも大きな役割。
・子どもたちは、虐待してきた(いる)親への複雑な思いを抱えている。親に変わってほしい、認めてほしい、受け入れてほしい...その葛藤や苦しみを抱えて大人になり、人生の局面、パートナーとの関係、出産や育児などで蓋が開いて噴出する。
・親や大人へのサポートやケアの視点、実際のサービスが少ない。傷をケアされずに大人になって子どもを産んだ途端、「自己責任」なのか?
・MY TREEプログラムはターンアウトスイッチのポイントのようなもの。このままでは衝突事故を起こしそうな列車の線路の分岐器。なくなるわけではなく、切り替えていけるようになることが大切。
6章の前の5章の「プログラムを終了した親たちからのメッセージ」は胸が痛くなるような箇所もあるけれども、その回復に向かう力や綴られる言葉の一つひとつに、立ち合うこちらのほうこそが力をもらうような気持ちになり、実践者の方々が現場で日々感じられているのは、このような感覚なのかなと、想像しました。
実践者の方々が「これからの課題」と述べれらていたのは、
・自治体の一年契約の入札事業では継続性と有効性が発揮されない。プログラムを安定的に実施していくために、政治への提言も
・誰にも話せない、自覚が麻痺している、変化を望まないといったより「重度」の人にどうアクセスし、どう参加してもらうか
など。
前回12月から今までに野田市で小学校4年生の女の子が虐待により亡くなる事件がありました。そしてこのブログを書いている3日前に、渋谷区の児童養護施設の施設長が元入園者に刺され亡くなる事件がありました。
これらの件について、言葉を次ぐのが難しいです。
でも、この読書会をきっかけに、精読して、予習して臨んで、発表して、みんなで感想を交わし合ったから、報道の中で理解できることが格段に増えました。それ自体がわたしにとっては救いなんだと、あらためて気づきました。知って、学んでよかった。
そして、このMY TREEペアレンツプログラムがあり、実践する人がいて、実際に生きる力を取り戻した人たちがたくさんいることを思い出し、温かな気持ちになりました。
もちろん、感情的にはとても辛い。
この辛さにじっと耐えつつ、思いを同じくする人と手を取り、知り、学び、言葉にする、明るいほうを見る。
これからも諦めないでいこうと思います。
どんなにひどい虐待やDVがあったかのみを伝える報道は辛くて、この問題を考えることから目も心もそらしていきそうになります。この本を複数人で読んでいたのも、同じような「辛さ」や「重さ」が元になっている。
まだ調査中だとしても、その中でも家族や性別役割にまつわる幻想を見直し、虐待とDVとの関連や、暴力の世代間連鎖、個人の問題ではなく社会の構造の問題であることや、ケアのことにも少しずつでもふれる報道は可能だと思います。
少なくともわたしはそういうものを見たい。