映画『獄友』を観た。「ごくとも」と読む。
http://www.gokutomo-movie.com/
やってないのに、殺人犯。
人生のほとんどを
獄中で過ごした男たち。
彼らは言う
「不運だったけど、不幸ではない」。
『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』『袴田巌 夢の間の世の中』に次ぐシリーズ第3弾!
冤罪青春グラフィティ『獄友(ごくとも)』
(映画公式HPより)
この映画を見ようと思ったきっかけ
2016年に金聖雄監督の前作『袴田巌 夢の間の世の中』を見ていた、ということが大きい。
それ以来、2018年に再審が取り消されたこと、2019年にローマ教皇来日時のミサに参加されたことなど、袴田さんのことは気になって、チラチラと追っていた。
映画でじっくりと観たかった、
袴田さん以外の冤罪事件についても知りたかった、
今現在、袴田さんはどのように過ごしておられるのか、支援者の方から聞いてみたかった、
というのが足を運んだ理由だった。
そもそも子どもの頃から、
冤罪や死刑はわたしのライフテーマであった。発端はここに書いた。
わたしがこのテーマに関心を持っているのは、罪を犯した人に対する処遇をみれば、その国の政治や権力が、人間というものをどのように考えているか、端的に知れるからだ。
わたしの中で個人的にひっそりと抱えていたこのこと。
最近になるまでほとんど誰にも話したことがなかった。
しかし見渡してみれば、実にさまざまな人がこの問題に取り組んでいて、世に伝え、考える場を持とうと各自のフィールドで取り組み、声をあげている。
そのことに勇気をもらい、わたしの立ち位置からもまた伝え、共に悩み考える場をつくっていきたいと思っている。
昨年、映画『教誨師』でゆるっと話そうのために調べたら
第一審が裁判員裁判の被告人で確定死刑囚となった人が30人以上いた。
裁判員制度は2009年に開始、10年経って、様々な問題点が出てきている。
にもかかわらず、
裁判員制度の導入からこの10年間、死刑制度の存続の是非について、大きな議論にはなっていません。また、裁判員が死刑判断に加わることについても、何も変わらないまま、今後も裁判員に選ばれた市民が重い判断と向き合うことになります。
拠って立つ刑法の不平等・不公平さ、
杜撰な捜査、理不尽な逮捕、
強引な取り調べという手続き、
懲罰と反省としての収容という根本思想...。
これらいずれに対しても疑問が大きい中で、自分が裁判員として参加することに違和感が拭えない。
まして、冤罪で無期懲役、冤罪で死刑。
可能性ではなく、ほんとうに起こる。起こってきた。
裁判員制度だから冤罪がなくなるとは思えない。
なぜなら、裁判にのる以前の取り調べの段階で、すでに冤罪は起きる。
裁判員になって、取り返しのつかないことに加担するかもしれない。
5年に一度の内閣府の調査では、大多数が存置を望む、厳罰化を望むという調査結果が出た。
しかしこれも十分に議論した上での回答とは思えない。
調査の仕方にも問題がある。
にも関わらず、それを理由に存置されるというのは、あまりにも脆弱だ。
さまざまな経緯、考え、思いを持ちながら、映画を観た。
『袴田巌 夢の間の世の中』で観たシーンもいくつか入っていた。
まだ出所したばかりの袴田さんは、獄友の桜井さんからの将棋の誘いに、「知らない人だ、帰ってくれ」と突っぱねていた。
視線も定まらず、何かに怯えているようでもあった。
次第に金監督とも応答が成立するようになり、何時間も将棋を指したり、誕生日には桜井さんと真剣の将棋を指すまでになっていた。
直前まで同じく獄友の石川さんと笑いながら指していた桜井さんが、黙って真剣に指しているところは、とても印象深い。
最初は姉の秀子さんと二人だったが、終盤には一人で外出をする姿も映る。
秀子さんの家は相変わらず片付いていて、清潔で、明るくて、風通しがよく、あたたかで、穏やかだ。まるで秀子さんそのもののようだ。
まだ無罪になっていない人がいる。
殺人犯というレッテルを貼られたままでは、まだほんとうに自分のところに自分の人生を取り戻せたと言えない。
その苦しみをまざまざと感じた。
映画には映っていなかったけれど、「ほんとうはやったんじゃないか」という心無いこともたくさん言われ続けていたのではないかと思う。
抗い続け、戦い続けること、やっていないと言い続けることが、どれほどのエネルギーなのか......まったく想像を絶する。
獄友5人の獄中生活は、31年7ヵ月、48年、29年、29年、17年6ヵ月。
全員が冤罪。
うち二人は再審が開始されていない。
もっとも社会生活を充実して営むはずだった年齢の頃を、刑務所で暮らしてきた。
これはいったい...。
いったいどういう国に自分は生まれ落ち、暮らしてきているのだろうか...。
すべてにおいて、これらの経験は想像を絶する。
それをもたらしたのはシステム。
システムを支えている一人ひとりは、その多くが善き人だ。
その善き個の力は、システムに組み込まれた途端、打ち消される、自ら引っ込める。
こんなに壮絶な体験をしてしまったら、世界への信頼を一切無くし、心身共に疲れ果て、生きる意欲もなくしたり、長年のギャップを埋められずに苦しんで、恨みで目の前が真っ暗になって、自暴自棄になって...ということがあってもおかしくないはず。
しかし、映画で切り取られた彼らは明るく、仲間を思いながら、日々を噛みしめるように、力強く生きている。
そういう面を、もしかしたら金監督だから見せているのかなとも思う。
獄友の友。
金監督が、撮っているのは、人間。
一人ひとりの生と、その人と周りの人との関係。
語り。表現。
「(こんな)行動をしよう!」や「(これ)に反対しよう!」などの明確なものを掲げた運動のための映画ではなく、やはり、「冤罪青春グラフィティ」。
観た人の中に立ち上がってくるものがあること、それが大切と言ってくれている。
もう気の毒だし、胸が痛くなるし、もしも自分や身近な人がこんな状況になってしまったらと思うと、苦しい。
けれども、映画が進むうちに、「彼らは生きているのだ」と実感する。
今、獄友たちが生きて、語り、笑い、集い、憤り、悲しみ、、表現していることに対して、深い敬意や親愛の情が湧いてくる。
だからこそ、人間が他の人間の尊厳を損ない、奪ってはならないのだと、思いを強くする。
とりわけ、社会的に不利な立場に置かれやすい、排斥されやすい人たちが、しわ寄せを被り、生命の危機に晒されやすい。
それをどのように防ぎ、守っていくのか。まだまだ成熟へは遠い。
たくさんの愛のある映画ではあるが、無念さも大きい。
どうかどうか、袴田さんと石川さんが、生きているうちに、再審無罪を勝ち取れますように。
わたしも祈っている。
袴田さんを救う会・門間(もんま)さんのお話
・救う会は、1980年最高裁で死刑判決が出てからすぐに発足した
・現在、巌さんは83歳、秀子さんは87歳。一日も早い再審無罪をと願って活動している
・1,000万筆集めたら変わるかもと言われ、途方もない数字だが集めよう!と決めた。一人の署名でもとてもうれしい、とても大事。
・釈放されたからそれいいじゃないかと言う人もいるが、「仮釈放」であり、無罪と言われたわけではない。まだ「死刑囚」であり、収監も停止されているだけ。
・ローマ教皇の訪日時は直接は会えなかったが、ミサに参加したことは大きな力になっている。恩赦も請求している。
・ヨーロッパで署名活動もした。スペインやイタリア。拙い英語だが、"Innocent Prisoner"と言って、パネルを示したらすぐに理解してくれて、たくさんの人が署名してくれた。
・浜松では人気者。声をかけて手を振ってくれる人も。警察も、巌さんが道に迷ったときに家まで送り届けてくれたり。
・死刑判決文を書いた裁判長も、人生を壊された一人。彼についての映画もある。『BOX〜袴田事件 命とは〜』。
・巌さんに、「何を考えながら歩いているの?」と聞いたら、「困る人が一人もいないように」と答えた。
そういえば、『教誨師』...。
拘置所で文字を学んだ石川さん。
先に挙げた映画『教誨師』のモデルに、心当たりが足されていく。
林真須美死刑囚...冤罪の疑いがあると言われている。
そして、先日死刑を求刑された植松聖被告...。
終わった話でも、架空の話でもなく、現在進行形。
やはり、話り、共に考える場づくりが急務だ。
場の担い手が出てくることも...。
いつもお世話になっているシネマ・チュプキ・タバタ
で観た。
もう過ぎてしまっているが、2月前半のラインナップがなにしろすごかった。
そんな骨太なラインナップでありつつ(?)、「お店」なところがやっぱり好きだ。
この日も、上映を開始するときはトイレから出てくるお客さんを待っていただけでなく、予約を入れていたけれども来館していないお客さんへ、スタッフの方が電話をかけていた。
「なんで来ないんですか?(怒)ってことじゃなくて、道に迷ってないか心配で、電話してるんです」
とのこと。
人間に人間として接するって、こういうことだよなぁ...。
懲罰的世界観から、修復的世界観へ。
わたしも行ったり来たりしながら、移行する。
_____________________