『ライファーズ 終身刑を超えて』『トークバック 沈黙を破る女たち』『プリズン・サークル』などを撮った映画監督・坂上香さんの編著。
読む前は、坂上さんの映画作品のキーワードである(とわたしが思う)、「感情の表現」「回復を促すプログラム」を知る手がかりと、アメリカの「アミティ」という犯罪加害者回復支援を行う団体の取り組みを紹介する本だと期待した。
確かに3分の1はその通りで、坂上さんの単著『ライファーズ罪に向き合う』とはまた違う角度から、アミティと坂上さんとの出会い、アミティの歩み・組織・活動データ、プログラム内容(例えば映画『プリズン・サークル』でも出てきたソーシャルアトムやサイコドラマなど)などが書かれている。
映画を観た人にとっては、「あのTC」が影響を受けたアミティのプログラムについて、より理解を深めることができる。
しかし、わたしが本書で最も強く心をつかまれたのは、第2章の、2000年に起きた西鉄バスジャック事件の生存者の語りだった。この章を読むまで記憶から遠ざかっていたが、事件当時、大きな衝撃を受けた。その事件を彷彿とさせる青山真治監督の『EUREKA(ユリイカ)』を観たこともあって、何年も考え込んでいた。
その記憶が一気に押し寄せた。
あのとき何が起きていたのか、事件のあと被害者の人生はどうなったのか、家族との関係は、加害者との関係、加害者家族との関係が、克明に語られていく。読みながら心は大きく揺れたが、それを上回る語りの力に、確かな光も感じられた。
時間が止まっていたあの出来事に今の自分として出会う。
本で出会う。
出会い直すことの意味を差し出されたような体験だった。
本書は、感情の取り扱いと暴力との関係という点では、カウンセラーやセラピスト、コミュニティの運営者やスタッフなど、対人支援職の方の大きな学びになるだろう。
また、「加害者の回復を支援することがなぜ必要なのか?」という長年の問いを抱えている人にも、加害と被害の相関を示す一つの答えを示している。
もちろん、あくまでも出版された2002年当時(あるいは少し前)の状況であって、20年近く経った2020年の今はまた違う状況や語られ方があるだろうけれど、本書はこの時点での非常に重要な記録であり、社会への提言だ。
何箇所か引用する。
子どもに限らず大人も老人も、だれにも関心を払われることなく自らの感情を閉ざしたまま暮らすことを余儀なくされているのが現代であり、そこで溜めこまれた負の感情が、前後の脈絡もなく暴発するという現象は時代が生み出した病理だといえる。ゆえに、私たちはアックンのように施設で暮らす子どもたちだけでなく、社会のあらゆる層の人々に感情表出の機会を保障する方法を、いかに構築していくかということをも視野に入れる必要があるように思う。(p8)
人と人との関係の中で生じたダメージは、人間同士の関係の中でこそ修復が図られるのだと思う。(p9)
前後のつながりを把握し難い事件の顕在化の背景には、経済効率を至上とする社会的価値観の影響が多分にあるといえる。(p11)
噴出する感情が向かう先は一定ではなく、人によっては自己に対する攻撃となって発露されるし、また外部へ向けた攻撃となって現れる場合もあるし、内と外へ同時に向けられることも珍しくない。(p12)
アリス・ミラーは、「事情をわきまえた証人」や「助ける証人」の存在が、暴力の連鎖を断ち切るキーポイントになると言っている。地域社会や家族に、そうした存在を期待することが困難なのだとすれば、私たちは「証人」を生み出す必要があると思う。(p14)
あのとき、強く印象に残っているのは「連帯責任です」という言葉です。ああ、彼はそういう言葉で傷ついていたんだなあと、すごく思いました。(p.54)
こういったポジティブなメッセージや姿勢は、破壊的な行動を逆転させるのに役立ちます。そのなかで、スタッフ、教師、そして大人たちは、参加者に変化を要求するだけでなく、自らも変化する必要があります。(p.211)
上記引用のどれかひとつでも気になるものがあったら、ぜひ読んでみてほしい。
大変残念なことに、現在は絶版のため、どのサイトでも大変な高値がついている。
図書館で借りれば読めるが、本来なら購入して手元におきたい本だ。
再版を希望する。
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