侯孝賢監督の映画『好男好女』を観た記録。
侯孝賢監督の作品が好きで、2作以外はほとんど観た。この作品は公開当時に観たはずだが、記憶がないのでもう一度、配信で見直した。
藍博洲(ラン・ボーチョウ)による『幌馬車の歌』が原作。太平洋戦争末〜白色テロの時代にかけて、鍾浩東(チェン・ハオトン)ら政治的迫害を受けた台湾知識人についてのドキュメント。
http://www.sofukan.co.jp/books/165.html
蒋碧玉(ジャン・ピーユ)と鍾浩東(チェン・ハオトン)夫妻の物語は、劇中劇として登場する映画『好男好女』として描かれ、蒋碧玉を演じている現代の俳優の今の生活と少し前の彼女の様子を入れ替わりで写しながら、物語は進む。
「踏み込んでいた」映画だった。
いつもの侯孝賢作品のように、離れたところから見ている感じにならない。こういうしんどさを感じることはなかった。主人公が女性だからだろうか。ストレートな愛の言葉や描いているからなのだろうか。内面を描いているし、吐露している感情も、共感しやすい。
ストーリーはいつものように詳しい事情は説明がないのでわからないまま進むが、彼女の中でどんな感情が動いているのかはわかる。生身の女性がいる感じがある。
それを演じた伊能静はすごかった。
この本『侯孝賢の映画講義』にも、彼女が非常にのめり込んで演技をしていたということが書いてあった。彼女にとって歌手から俳優への転換点だったと。
朱天文の脚本に変化があったのか。あるいは監督と脚本家とのやり取りの中で何かが起きたのか。
撮影スタイルも違うように感じる。距離感が変わった。
クローズアップまではやらないが、しっかりと表情をとらえているのがわかる。
未見だが『ミレニアム・マンボ』もこの路線だとしたら、すごく観てみたい。
※以下は内容に深く触れていますので、未見の方はご注意ください。
伊能静は、主役の蒋碧玉を演じる俳優・梁静(リャン・ジャン)として登場する。蒋碧玉は劇中で最愛の人を失うが、それを演じる梁静もまた最愛の人、阿威(アウェイ)を亡くしている。そしてその深い悲しみで自分の役である蒋碧玉に強く共感し、同化していく。
ここまでで既に入れ子の構造になっているのだが、さらにそれを見る観客である私も多かれ少なかれ人を失う体験をしているため、映画全体として、三重の入れ子になっている。
そう、しんどさや悲しみに共感するのは、観ているこちらにも失くしたもののことを思い出させるからだ。やっぱりこんなふうに感情に直接訴えかけてくる侯孝賢作品は、今観ても珍しい。
梁静または伊能静を通じて私たちも蒋碧玉の時代にふれられる。自分から切り離された遠い場所の昔の出来事ではなく、同じ人間の物語として見るという一つの手段を得る。ある種、西洋的なドラマの手法かもしれないが、やりすぎないところに新鮮味を感じる。
崇高な意志を持ち、敬いあう知識層の夫婦と、チンピラと水商売の婚姻関係にはない行き場のない関係のカップル。信念を抱いたまま国家の犯罪者として倒れた男と、チンピラのいざこざであっけなく死んだ男。愛する男との子を宿した女と、”宿せなかった”女。これらのくっきりとした対比も、物語に奥行きを与えている。
あまりにも違う彼女ら、かれらだけれど、愛する人を亡くすという悲しみで全く異なる時代の異なる状況の女性同士がつながっている。彼女は演じることで共感し、理解し、生きる力を得る。
無言電話に泣きながら語ったことで、梁静は初めてちゃんと悲しんだ、吐露したのではないか。それができないでいた間は、ある種の囚われの中にいたが、喪失をしっかりと味わったことで、自分を囚われから解放した。彼女の人生が動き出す。映画『ドライブ・マイ・カー』を思い出す。家福も喪失の辛さを吐露することによって、ようやく自分を解放する。
最後は冒頭と同じ画が映るが、色が現代のカラーになっており、画面のトーンも明るい。予感に満ちている。
そうだった、侯孝賢の映画は、苦さや哀しみもありながら、最後は「そして人生は続く」で終わるのだった。そこが私を惹きつけて離さない、大きな魅力なのだ。
その他鑑賞メモ
・詳細はわからないが、侯孝賢映画によくあるチンピラのヤバい仕事の話が出てくる。義兄が何やら怪しげな商売の話をしているところ。こういうのは、ストーリー自体には直接大きな影響を与えないとわかっているのでOK。
・なぜ日本語を話しているのかとか、生まれた子どもを養子に出すのかというところは歴史の理解が必要だと思う。抗日戦のために女性も子を手放したくだりは、『不即不離 マラヤ共産党員だった父の思い出』でも出てきた。そういうことが戦争時、紛争時には起こる。もしかしたら今も起きている。
・通夜で紙のお金(紙銭)を焼く風習が出てくる。『悲情城市』にも正月か開店祝いか何かで出てきたので、このときに調べた。沖縄にも類似の風習があるのをドキュメンタリー映画で見た。お盆の行事の一環で。
・屏東(へいとう/ピンドン)は台湾の南端。そこから中国大陸の広東省の恵陽へ渡る。屏東は今でも多様な台湾先住民族が暮らす地域だそう。蒋碧玉らの言葉はクレジットによれば台湾語のようだけれど、それにももしかしたら特徴があるのかも。少なくとも広東語とは全く違っているので、意思の疎通ができない。通訳が間に立って、人を変えて何度も同じことを繰り返しやり取りする。通訳が必要なほど違うのに、同じ目標を持って歩めると信じているかれらの姿が胸に痛い。
・チンピラとごはんの組み合わせは、侯孝賢映画には欠かせないアイテム。特に『憂鬱な楽園』が好き。そういえばじゃんけん飲みもたまに出てくるアイテム。
・「知識層の力」「我々が教えれば民衆は目覚める」「新聞を発刊すれば同じ考えの人、わかっていない人にも届く」「わかっていないから刊行物で、宣伝で人の力を結集する」社会運動と言論の関係が解説されるシーン。
・梁静の歌が、劇中映画のシーンに重なるところが胸にせまる。モノクロ、夜道をライトの明かりだけを頼りにこいでいく自転車。
・『超級大国民 スーパーシチズン』の中で、関わりを遅れた家族が遺体を引き取らなかった(引き取れなかった)ため、無縁仏となって、墓標だけがある打ち捨てられた場所が出てくるが、『好男好女』では、「お金がないと遺体を引き取れない、工面しないと」という台詞が出てくる。つまり当時もしかしたら、引き取ろうとしても、お金の工面ができない遺族も混じっていたのだろうか。
・冒頭の小津安二郎の『晩春』のが使われている。このことは『侯孝賢の映画講義』にも書かれていた。(『珈琲時光』の主人公と父の関係は『晩春』に似ているようで似ていない。父がほとんど語らないところは同じだが、娘との関係性は現代に刷新されている)
シナリオ採録されているので振り返りやすい。薄いが中身のつまったパンフレット。
伊能静、高、林強のトリオって『憂鬱な楽園』じゃないか!と思ったら、『好男好女』が先だった。『好男好女』と伊能静については、『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』でも綴られている。
「今回彼は動き始めた」ー「テーマを定める」p.127〜p.136
「幌馬車の歌」は、侯孝賢の『悲情城市』でも処刑される同胞を見送るときに歌われている。この本が詳しいらしい。未読なので備忘として。
▼侯孝賢関連で書いたブログ記事
映画『憂鬱な楽園』『フラワーズ・オブ・シャンハイ』@早稲田松竹 鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2022/01/21/110253
映画『憂鬱な楽園』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/03/182253
映画『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/25/111421
映画『黒衣の刺客』(台湾巨匠傑作選) 鑑賞記録https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/19/161847
映画『珈琲時光』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/13/091023
映画『あの頃、この時』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/12/140418
映画『風櫃(フンクイ)の少年』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/11/221706
映画『ナイルの娘』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/27/161859
映画『悲情城市』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/26/092009
映画『童年往事 時の流れ』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/15/122554
映画『台湾新電影時代』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/09/221252
映画『坊やの人形』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/09/180008
映画『恋恋風塵』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/09/102725
映画『冬冬の夏休み』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/08/193955
映画『HHH:侯孝賢』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/08/190723
映画『風が踊る』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/06/181438
映画『台北暮色』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/15/161752
映画『日常対話』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/05/210609
本『侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と私の台湾ニューシネマ』読書記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/19/105346
『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』刊行記念のライブトーク:視聴メモ
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/24/084255
▼白色テロ関連の映画
映画『スーパーシチズン 超級大国民』鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/16/131432
観ていないけど、『返校 言葉が消えた日』(2019年)も白色テロが題材。
検索していて見つけた『幌馬車之歌』展の動画。会期が2015年10月〜2016年4月となっているが、国家人権博物館は2018年5月開館のはず。このギャップはよくわからず。
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