ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

映画『ナイルの娘』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

※内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

13本目は、侯孝賢監督『ナイルの娘』1987年制作。
原題:尼羅河女兒、英語題:Daughter of the Nile

あらすじ・概要:ナイルの娘|MOVIE WALKER PRESS

 

▼4Kリストア インターナショナル版トレイラー

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▼台湾リバイバル上映『ナイルの娘』トレイラー(こちらのほうが好き)

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もともと観るつもりはなかったのだが、理由がいくつかあり、急遽観ることにした。

・『恋恋風塵』(1987年)と『悲情城市』 (1989年)の間の時期に制作された作品ということで、2作品を観たあとでは、ここをどんな作品がつなぐのか俄然興味がわいてきた。

・侯が中央電影公司という国民党系の半官半民の映画会社を出た後の第一作。台湾ニューシネマは、中央電影があったからこそ成立し、軌道に乗ったが、トップの交代により情勢が変わったことが要因、と公式プログラムにある。ここからスターを起用する路線に舵を切っていったこともあり、レコード会社の出資を受けて制作し、楊林(ヤン・リン)というアイドル歌手を起用したという、節目にあたるこの作品には興味がわく。

・『風が踊る』(1981年)以来、6年ぶりのアイドル映画。『風が踊る』と比較してどのような違いや変化があるか観たい。この6年の間に、『坊やの人形』(1983年)、『風櫃の少年』(1983年)、『冬冬の夏休み』(1984年)、『恋恋風塵』(1987年)と勢力的に制作を続け、侯とそのチームの美学が確立された後での、新たな一歩ということもある。

・先日のライブトークで、「台北の夕暮れから夜にかけての印象が強い」という話が出ていたので、観たくなった。

 

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侯作品の中では、新しいというよりもそれまでを感じさせ、その後の作品を予感される、まさに「はざま」の作品となっている。そのため、後の世に観ている今のわたしとしては、どうしても切り貼りされたものに見えてしまう。また、観ている最中に映画の構造が組み立てるのが難しい。

 

暁陽(シャオヤン)が『ナイルの娘』を読み耽り、一つひとつを現実の世界に重ねて見立てていくという大筋はおそらくあるのだろうが、読んでいるシーンは1度しか登場しないのと、『ナイルの娘』の物語設定のようなものがナレーションと共に冒頭と終焉に出るのだが、あまり詳しくは語ってくれない。

『ナイルの娘』は、日本の漫画家、細川智栄子の『王家の紋章』という作品のようだ。ただし、劇中で登場するのは細川の絵柄ではなく、台湾の漫画家が描いたものに差し替えられている。いろいろと混乱する。あらすじを読んでようやく構成を理解した。

また、これがレコード会社の出資を受けた企画ということで、楊林のものと思われるナイルという歌詞の出てくる挿入歌が3度ほど流れる。そこで、「あ、そうかそういう趣旨の映画だっけ」と思い出すのだが、前後は完全に「台湾ニューシネマ的な侯孝賢作品」になっているので、唐突さを感じてしまう。挿入歌以外にももう一曲、インストゥルメンタルの音楽も数回出てくる。

 

あれこれ書いてしまったが、これらのツッコミどころは置いておいても、アイドル映画と言いつつも、楊林の存在感はとてもいい。侯孝賢世界の住人として、役を生きながら彼女らしさが引き出されている演技や佇まいが随所にある。

また、一人ひとりのキャラクターが生き生きとしている。兄、父、祖父、叔母、同級生、シャオヤンの想い人であるサン、ほとんどセリフのない兄の舎弟、まったくセリフのないヤクザの情婦や、サンの車を襲撃しに来て一瞬映るだけのチンピラですら、存在感がある。

特に祖父役の李天祿(リー・ティエンルー)はとても良い。『恋恋風塵』よりいいんじゃないか?兄の暁方(シャオファン)役の高捷(ガオ・ジェ)も良い。(約10年後、1996年にも『憂鬱な楽園』に主役で出る)

 

一人の女性を物語の中心に置き、彼女にとっての「重要な他者」であるきょうだい、親、親戚、友人や、彼女の居場所(夜学、バイト先のケンタッキー、兄のレストラン"ピンクハウス")、それらがある台北の街。

侯らしい固定カメラやロングショット、少ない切り返し、バイク、車、幹線道路、ケンカ、ごはんもたっぷりと盛り込まれている。

夏の暑さ、吹き抜ける風、夜の雰囲気。どれも心地よい。

主人公のモノローグは、その後の『悲情城市』へのつながりを予感させる。

 

1987年の台湾はどのような社会だったのだろう。映画の中では、日本やアメリカは身近な国のようだ。英語、ファストフード、音楽、ファッション......アメリカ文化がどんどん入ってきている。それでもまだ兵役はあり、男の子たちにとっては「青春の終わり」を意味している。親の世代とも、祖父母の世代とも全く違う時代に青春を過ごしているかれら。青春が終わったら次に自分はどうなっていくのだろうか。行く先はあるのだろうか。変わらないでいると思っていた夜学の教員も、学校の経営難で解雇され、明日から無職だと聞かされる。

 

観賞後に滲んでいる感覚としては、「行き場もなく呆然と立ち尽くしている」が近い。

圧倒的な存在である親(あるいは親世代)からの自立をどう果たせばよいか、揺れている若者たちの姿。外遊びは楽しいが、帰るところは家しかない。先を生きているはずの兄世代も、真っ当な道ではない。このように生きるしかないのか。

社会はスピードを上げて変わってきている。でもどのように変わっていくのか。置いていかれはしないか、若者たちの存在は、その流れから疎外されてはいまいか。

若者たちの姿は、台湾の立場の複雑さを表しているようでもある。

 

祖父と妹、生き物(金魚、仔犬、ウサギ)の存在や、バイクでの疾走の気持ちよさ、焚き火の熱さや、花火の興奮が、完全に絶望には落ちないように辛うじて支えてくれてはいるが、身近な人を亡くしていくばかりのシャオヤンを見ていると、状況としてはなかなかにキツイ。父も老いていて、今回の傷は癒えるだろうが、いずれ介護が待っているだろう。

なんとなく、バブル崩壊後(1991年〜)の日本の空気にも似ているような。ディスコのシーンはバブルっぽいが、皆それほど羽振りがいいわけでもないところが、バブル後のような。

 

それまで田舎との対比による都会を描いてきた作品があったが、正面から都会だけを描いてみているようにも見える。先に『台北ストーリー』や『恐怖分子』を制作していたエドワード・ヤンの影響があったのだろうか。

時間が経てばまた、いろいろ発見が出てきそうな映画だ。

 

ああ、もう一つ。

とにかくタバコ、タバコ、タバコ......タバコを吸いまくりだが、初めてぐらいに、「タバコの吸いすぎはよくない」というセリフが出てくる。ようやくタバコの健康被害も社会的に言われるようになってきたのだろうか。

 

 

わたしが一人の監督の作品をここまで追いかけるのは常にないことだ。

数作品なら追ってみることはあるが、かかるものはほとんど全て観て、自分だけの鑑賞体系の構築に挑戦しているのは今回が初めて。

上映期間中に観たいのは、『珈琲時光』『風櫃の少年』『あの頃、この時』『憂鬱な楽園』『黒衣の刺客』の5本。

楽しみだ!