4月9日、『ノマドランド』の鑑賞記録。
▼公式HP。あらすじ、見所など。
大変よかった。
主演のフランシス・マクドーマンドは好きな俳優だ。『ブラッド・シンプル』1987年日本公開時にはおそらく観ていなくて、1996年の『ファーゴ』のときのリバイバル上映で観たのだと記憶している。とにかく好き。『スリー・ビルボード』もよかった。(当時の感想)
フランシスであることを忘れて観ようと思って、前情報なしで行ったが、無理だった。フランシスだから良いのだ、この役は。
実際に、並々ならぬ思い入れがあっての出演で、フィクションとノンフィクションが交錯するのも当たり前の作品だったとわかった。
トレイラーを観ていて、これは大きな喪失と悼みの物語だと感じたので、何か良いタイミングで観られるとよいなと思っていた。鑑賞当日は特別に記念日というわけではなかったが、春ならではの出会いと別れ、隠から陽へ切り替わる時期特有の喪失感いっぱいの気分だったので、この日この映画に会えてよかった。
前情報といえば、「酷い目に遭ったりしなくてよかった」というツイートは見かけて、それが鑑賞の大きな決め手になった。「『ブラッド・シンプル』が好き」と言っておいてなんだが、女の人が一人で旅をしていて酷い目に遭う(多くは性暴力の)映画を散々観せられてきて、ウンザリしていたから。実際、過酷な環境のときもあったけれど、誰かから暴力をふるわれたシーンはなかったので、ホッとした。
ただただ、鎮魂、祈りに満ちた、優しい映画だった。観終わってずっと優しい気持ちが残っている。経済や政治や時代など大きな力の前に、一人の人間の無力さを思い知りつつ、必死に生きる、今ここを生きる人間への柔らかい眼差し。
かれらへの期待や、過剰な称賛も、もちろん非難もない。ただ人を見つめている。
人の営みの、その外側にある何重もの時間の層と、壮大な山や海。
数百年の時を生きる木。
明日も昇る朝日と、明日も沈む夕日に、それぞれの現実が浮かび上がり、季節がめぐる。
言えなかった気持ちを話せることもあるし、言えないまま別れることもある。それでもいつも「じゃあまたね」と言って別れたい。
止まっている時間が少しずつ動き出す。長年の確執が解ける。「あのこと」があってからはじめて涙が出る......。模索、葛藤、グリーフの物語。
迫りくる老いを感じながら、終末までを自分の納得のいくように生きたい。
そんな主人公ファーンの思いが伝わってくる。共感する。
自分の老いについてもとくと考えた。
この先、もし一人で老いを生きるとしたら、どうなるか。
最愛の人に先立たれたらどうなるか。
仕事や収入が尽きたら何をして生きるか。
社会の周縁に生きるとはどういうことか。
わたしだったら、一時期一緒に過ごした人と別れることはできるだろうか。「いかないで」「一緒にいて」と言ってしまいそう。
10年後に観たら、どんなことを思うだろう、受け取るだろう。
資本主義とグローバル経済の勝者と敗者。埋めようのない階層間、地域間の格差。
リーマン・ショックの影響の一つを知る。人生を狂わされた人(そこから生き直した人)、むしろチャンスを得た人との対比も残酷。そしてどちらも現実。
わたしの知らないアメリカの現実がまたここにも広がっている。
今この瞬間もきっといろんな朝があるんだろう。息を呑む美しいシーンが、そこかしこに。大きな自然であったり、雪融けの音であったり、人と人との小さな交歓であったり。
ああ、それにしても、この社会の構造よ。
やりきれない気持ちも強い。重さがある。
見終わって、なんとなく思い立って親に電話をかけた。
もしもし元気?またね。といういつもの言葉のやり取りが、いつもよりも温かかった。
▼パンフレット。鑑賞日にはなかった。4月30日に発売。映画のパンフレットも公開に間に合わないってことあるのね。
▼すぐの感想。
▼配給サーチライト・ピクチャーズが配信している『ノマドランド』の特別映像。撮影、サウンドスケープ、演出など。
▼ヤマザキマリさんへのインタビュー
▼このような素晴らしいレビューを読んでしまうと、自分が書き散らしたフワフワした感想など、一体何の価値があるのだろうかと思ってしまう......。
▼原作
『ノマド: 漂流する高齢労働者たち 単行本』ジェシカ・ブルーダー/著、鈴木 素子/訳(春秋社、2018年)
読めていないのだけれど、これもずっと気になっている本。関係あるだろうか。
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