ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

映画『アニメーションの神様、その美しき世界 Vol. 2&3 川本喜八郎、岡本忠成監督特集上映(4K修復版)』

渋谷のシアター・イメージフオーラムで、『アニメーションの神様、その美しき世界 Vol. 2&3 川本喜八郎岡本忠成監督特集上映(4K修復版)』を観てきた。


公式サイト:https://www.wowowplus.jp/anime_kamisama2-3/

 

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国立映画アーカイブでの展示を観て、映画を楽しみにしていた。(会期は2021年3月末で終了)

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まずは、子どもの頃から『人形劇三国志』で大好きな川本作品が!ムック本の写真でしか観たことなかった作品が!動いている!ということで、もう大興奮である。生きてるうちに映画館で観られることがうれしい。

 

本編はすべてが想像以上だった。こんな色なのか、こんな音、こんな動き。

いつもならメモをとりながら観ているのだが、途中からもうのめり込んでしまって、ペンも紙も片付けた。

一昨年の早稲田大学演劇博物館での『人形劇ヤバい』展や、1979年のサンリオの人形アニメ映画『くるみ割り人形』を思い出す「ヤバさ」、怖さ、妖しさに、ぐいぐいと引き込まれた。わたしの大好きな人形劇の魅力が溢れまくっている。

 

「鬼」や「道成寺」は、文楽お能に親しんでいてよかったと思った。もともと文楽は川本作品の影響で好きになったのだったが、文楽が川本作品に与えた影響を自分自身の実際の鑑賞経験とともに理解できたことがうれしい。この抑制の効いた、隅々まで一定の緊張を行き渡らせる表現よ。

風の表現は、扇風機を回しているのではなく、髪の毛一本一本を動かしていると知り、アニメーターのその忍耐強さには、言葉を失う。

今回は選ばれなかった『犬儒戯画』『蓮如とその母』『いばら姫またはねむり姫』も観たい。『死者の書』ももう一度観たい。公開時に観たが、今観たらまた違う体験になりそうだ。

 

もちろん岡本作品もすばらしかった。国立映画アーカイブの展示をじっくり見てきてから観ている『注文の多い料理店』だったので、「こういう感じだったのか!」とずっと心の中で叫びながらだった。とにかく怖い。本気で怖かった。子どもの頃に見ていたら泣き出したと思う。セリフはしゃべらないのに、音が緻密でリアルで、本気で鳥肌が立った。

家帰って子に『おこんじょうるり』の話したら、ぼろぼろ泣いちゃった。「泣いた赤おに」級の切ない話。劇場で、同じ列に座ってた男の人も嗚咽してた。。

川本人形よりずっと素朴な感じのつくりなのに、表情や仕草が、ドキッとするほど、ギョッとするほど命を宿していた。岡本さんは監督、演出をするが、「描く」「創る」は別に作画担当の方がいるので、人形師でもある川本さんとは違い、一見して「岡本さんの作品」と判別するのが難しい。しかも毎回素材、題材、作法、時代、地域などを変えているので、一体どれだけ好奇心や探究心旺盛なのだろうと思う。

川本さんも毎回挑戦はされているだろうが、どちらかというと、「一つの道に分け入り、突き詰める求道者」のような感じ。二人は全く違うタイプ。だからこそ、パペットアニメーショウのようなコラボレーションもできたのだろう。

ちょうど今、侯孝賢特集の台湾映画を見まくっているところなので、台湾ニューシネマの一時代を築いた、侯孝賢楊徳昌エドワード・ヤン)の関係を思い浮かべてしまう。

 

二人の作品を合わせた全体を通して流れていたのは、不条理、ままならなさ、不運。川本喜八郎の「不条理三部作」だけではなく、岡本忠成作品にも共通している。明確に制裁を受けたようなものもあって、「それは果たして悪なのか?」と言いたくなるものもあった。苦い。心にジリっと棲みつくものがある。これは時代の空気なのだろうか。

ややホッとする作品もあるものの、深く根付いている「勤勉さ」「自己犠牲(身を投げうって尽くす)」のようなものも強く感じられて、こういう指向、精神性のようなものの出元が知りたくなる。

 

別冊太陽『川本喜八郎 人形ーこの形あるもの』に寄稿されている、能楽師観世銕之丞さんの文章が、今回の鑑賞でわたし受け取ったものと近いと感じるので引用する。

人間は原則的にはいきいきと明るく生きたいのだが、結果的には色々な挫折や、別れ等の悲しみに出会うことになる。それが悲劇の基本的な原形で、いきいきと生きていた人間なればこそ、死や別離に出会うことが、最も普遍的な「人の悲しみ」になってゆく。しかし演技としてのその「人の悲しみ」をいきなり悲劇の表現として説明的に行うと舞台が浅薄なものとなってしまう。その時点でリアリティを失い、格調がなくなる。その説明的演技を防ぐのが「型」なのだ。「型」を守ることによって演技者に客観的な眼を与えられる。(p.64)

今回の演技者というのは、人形師でありアニメーターになるだろうか。人形がいかに命を得ているか。わかりやすくすることではなく、いかに観客が感じ取れるか。

そういえば、先日観た、『台湾、街かどの人形劇』の伝統布袋戯にも通じる話だ。「揺らしすぎる。人間はそんなふうに動かない」という言葉が印象に残っている。

 

こうした素晴らしい作家の作品を見ていると、創作の追求と商業の関係についても考える。商業にのって作品を発表すると、制作には自ずと制限がかかることになり、作家性を十分に発揮できない場合もあるだろうが、商業にのったことによって、保管、保全、継承の可能性が高まるということもまた事実だろう。そのせめぎ合いの中で表現者たちは制作を重ねているのだろうと想像する。

 

今回修復に関わったみなさま、上映してくださったみなさま、ありがとうございました。おかげで後世に作品が遺ります。誰かの「遺さなきゃ!」という切実な思いが実ることがうれしい。

 

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▼パンフレットを買ったらおまけでついてきたポストカード。
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▼3分ミニ動画。国立映画アーカイブの展示も見られます。映画の公開と同時に開催できたらよかったですね。感染症のためにスケジュールが変わってしまったようです。わたしももう一度観たいよ。残念。

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