暮れもおし迫った12月のある日、
早稲田大学の演劇博物館に行ってきた。
正式な名称は、
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
東京に引っ越してきた20年前からずっと行きたいと思っていたところ。
もちろん距離的にはいつでも来られるわけだけれど、館を訪問すること、作品に出会うことなどは、ほんとうにご縁とタイミング。
人生なんでもそうか。
とにかく求めているときに出会うのが一番ハッピー!
今回アンテナに引っかかったのは、「人形劇、やばい!」展。
https://www.waseda.jp/enpaku/ex/9268/
わたしは人形劇が好き。
これまで、文楽、ワヤン、サンリオ映画、台湾の布袋戯など、書いたり話したりしてきたけれど、小さい頃から、とにかくなぜだか人形劇に惹かれる。
はじまりはNHKの人形劇だったと思う。
大学生になってからは文楽を観に行ったし、働きはじめてからはチェコのパペットアニメーション映画にも夢中になった。
子どもが生まれてからはプーク人形劇場に連れて行った(これはちょっと怖かった)。
先日のバレエ「コッペリア」も人形振りがあると聞いただけで観に行ってしまった。
人形+演劇、人間と人形、人形劇と霊性について。
その秘密について。
いつも知りたいと思っている。
ずっと大事にしている本。
あ、えーと、なんだっけ、、、そうだ、展覧会だ。
何から書けばいいのか。
1ヵ月前の話なのだが、まだ胸がいっぱいで、なかなか筆が進まない。
まぁでもともかく、当日必死にとったメモを元に、記憶を呼び起こそう。
https://www.waseda.jp/enpaku/ex/9268/
日本における現代人形劇史を一望できる展覧会だった。
一瞬「えっこれだけ?」と思ってしまった、部屋一室、実に小さなスペース。
しかしそこの中身が恐ろしいほどに濃密。震えた......。
人形劇史について、これほど充実した、且つわかりやすい展示は、この先10年、いや20年はゆうに見られないかも。
貴重だった。
5パートの展示それぞれのふりかえり
第1章:人形劇、かっこいい
日本の現代人形劇は1920年代にはじまる。
人形劇というと子ども向けのイメージも強くありそうだが、当時は大人のための最先端の芸術だった。
しかもそれはすでに日本にあった人形浄瑠璃とはまったく別の文脈で、ヨーロッパから持ち込まれたものだった。イギリスからの人形劇団の来日公演が1894年(明治27年)にあったことなども影響した。
それを観に行った歌舞伎役者の5代目尾上菊五郎が、人形劇を真似た「鈴音真似繰」を公演。人間の存在を超えた人形を、人間がさらに演じるという、今では歌舞伎の型の一つとなっている「人形振り」を初めて披露した。
エンターテインメントとしてだけではなく、政治的な主張が人形劇に託されて、前衛芸術家の村山知義が戯曲を執筆するなどした。「やっぱり奴隷だ」「子を産む淫売婦」など、資本家を攻撃する内容で、左翼的な思想を持つ識者から評価される。
今見るとギョッとするような差別的な表現だが、当時は最先端の芸術だった。
人形劇に政治的な主張が込められる、ということはチェコの人形アニメで知っていたが、どこか他人事だった。この展示で一気に自分(の国)事になった。
第2章:人形劇、動員される
1930年代には、戦時体制へ突入すると、文化活動の統制、弾圧の激化で芸術としての人形劇の盛り上がりは一気に収束する。人形劇団が職業として成立する土壌が築かれていなかったという面もあった。
1940年代に大政翼賛会が組織されると、芸術の政治利用の一環として、人形劇も「動員」された。大衆の娯楽でありつつ、挙国一致、国威発揚のための宣伝ツールとなった。
特に「指つかい人形」は誰にでも簡単にはじめられるものとして、脚本、作り方、使い方の本が発刊されていた。
父・大和賛平をはじめとする一家を描く漫画「翼賛一家」は、人形劇の他、紙芝居、小説、舞台、ラジオドラマ、楽曲、落語などのメディアと結びついて広がった。
誰にでも描ける、シンプルな図形の組み合わせと親しみやすさが鍵となった。
第3章:人形劇、かわいく過激
かわいらしい見た目で強烈なメッセージを発することを可能にする人形劇の側面を発揮して、1950年代からNHKのテレビ人形劇は、"過激な"人形劇番組『チロリン村とくるみの木』『ひょっこりひょうたん島』を制作、放映する。
テーマは、プロレタリアとブルジョワ(異なる種族や立場)の対立と共生、政治、戦争、環境問題など実にシビア。
「人間が口にすると問題になるようなことでも、人形であればゆるされるケースというのは案外多い」(寺山修司×人形劇団ひとみ座「狂人教育」)
この流れは、『ねぽりんぱほりん』にも脈々と受け継がれている。NHKのお家芸。
第4章:人形劇、グロくて深い
このコーナーが最もグロい。「人間ではなし得ない人形固有の表現」を、普段人形劇を生業としていない作家の表現形式のチャレンジとして用いられることがある。
人形劇団プークによって1972年に初演された別役実の「青い馬」と、ひとみ座によって1962年に初演された寺山修司の「狂人教育」とが展示されていたが、人形の造形からして、人形劇の一番グロい部分をギリギリまで攻めきっていて、物凄い。
今なら人権問題に触れる言葉も表現も多い。当時だからこそできたことではあるが、その表現をもって何を見せようとしていたのかは、関心がある。
人形劇には、何か惹かれてしまう、見てしまう人間の性が隠されている。
そもそも、人間がやったら差し障りがあることを、人形にやらせるという発想がもうエグいというか、危うさがある。そこにまた魅力が宿る。宿ってしまう。
第5章:人形劇、ひろがる
人の形をしているものを動かすという人形劇から、「ものに命を吹き込む」という捉え方、また創り手や形式、創作方法、上演場所など、現在では多様になっている。
長野県飯田市では毎年市民がつくる人形劇の祭典「いいだ人形劇フェスタ」がひらかれている。飯田市には川本喜八郎人形美術館もある。こちらが先なのか、人形劇フェスタがあるから美術館が置かれたのかは、不明。
最後にあやつり人形の操作体験ができるコーナーがあり、鏡を見ながら、座る、歩くなどいくつかの動きを試せた。これ、楽しかった。
小さなスペースなのに、連れて行かれた世界の深みがすごくて、ずっとぞくぞく、わくわくしていた。
そう、わたしはこういうのが見たかったのだ!
どうして自分が人形劇に惹かれるのか、わかっちゃった!!
人形劇、やっぱ、やばい。
人形劇の情報発信アカウント
(公財)現代人形劇センター (@puppet_center) | Twitter
UNIMA-Japan 日本ウニマ (@UnimaJapan) | Twitter
人形劇の図書館
http://akapantsu.g.dgdg.jp/ningyoutosho/ninngyoutosyo.htm
人形劇の世界、、すごい、、、まだまだズブズブ行ってみたい。
そしてね、まだ書きたいことが終わらないんですが、、
この会期中に、ほぼ同時開催していた展覧会が、これまたすごかったんです。
コドモノミライ 現代演劇とこどもたち
https://www.waseda.jp/enpaku/ex/9247/
こちらを先に見ていたら時間がなくなったので、出直して翌日に人形劇のほうを観に行ったぐらいでした。
しかし、こちらの展示は、まだ全然咀嚼できていない。
人口減少やグローバル化、社会格差による貧困など、日本のこどもや青少年をとりまく生活環境はめまぐるしく変化し、彼らが、明るい未来を描きにくい社会になっています。こうした状況のなかで、演劇という表現に何が可能なのでしょうか。演劇を通じてこどもたちが希望を持ち、未来へと向かう一助となることはできるのでしょうか。
この大きな投げかけに答えられるだけの受け止めが、まだできていない。
でも、自分と演劇との関係についても、こちらで少し話したけれど、もっともっと対話の場をつくりながら可能性を掘っていけそう。
そう、演劇にはまだまだ可能性がある!
図録も読み応えがある。展示に行かれなかった方にも、おすすめしたい。
演劇館3Fの常設展
世界の演劇史を順を追って一気に学べる一室があり、これまた、「そうそう、こういうのが知りたかった!」と、夢中でメモをとった。
古代ギリシャ・ローマ劇場
コメディア・デラルテ
シェイクスピア
フランス古典演劇
近代自然主義演劇
ブレヒトと不条理演劇
現代演劇
アメリカ現代演劇
ミュージカル
もうこの流れと中身のキーワードを押さえていれば、かなりよい土台になる。
これらを元手に読み解けることが増えそう。
この解説がすごくよかったので、冊子になっててほしかったけれど、残念ながらなく。
英語の解説シートはあったので、それに一生懸命メモをとってきた。
そしてですね、
なんで早稲田大学"坪内博士記念"演劇博物館っていうんだろう?
って思っていたら、なんと、坪内逍遥博士、だったんですね!
『小説神髄』の人、としてしか知らず。
もちろんそれも読んだことなどなく。
その半生を傾倒した『シェークスピヤ全集(全40巻)』のことや、歌舞伎やシェイクスピア研究、児童劇の研究や実践に取り組まれていた演劇の人だったことなど、何も知らず!!
いやー、知らないというのは実に楽しいことだ!
この建築の意匠も、坪内逍遥の発案で、16世紀イギリスの劇場「フォーチュン座」を模したものらしい。でも、どうしてシェイクスピアのグローブ座ではなく、フォーチュン座にしたんだろう?
なんといってもぜんぶ無料のがすごい。早稲田大学さん、ありがとうございます!!
早稲田歴史館にも行ってみた。
「人形劇、やばい!」の会場は早稲田大学歴史館の中にあったので、そちらの展示ものぞいてみた。
周りの東京のいくつかの大学出身の人が持っている、母校の大学に対する強いエンゲージメントが、わたしには経験がなくて、ずっとピンとこなかった。
けれどもこういう展示を見ると、納得というか、その出元がわかったような気がした。
歴史館のカフェで「早稲田っぽいもの」として、「珈琲研究会ブレンド」をオススメしてもらった。
学内にそういう会がほんとにあるらしい。丁寧に淹れてくださって、美味しかった。
大学はこの日から冬休みだそうで、のんびりした雰囲気が漂っていた。
スタッフの人が銅像のこと「大隈さん」て呼ぶのもかわいらしかった。
會津八一記念博物館には時間切れで行けなかった。また次回!
https://www.waseda.jp/culture/aizu-museum/
おまけ。バス停の前の不思議な建物。
ガウディのカサ・バトリョみたい。…と思ったら、こんな方の設計だった。