ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

本『坊ちゃんの時代』1〜3部 読書記録

世田谷文学館谷口ジロー展を観てからようやく読む気になって、少しずつ読んだ。5部作のうち、第3部まで読んだところで一旦記録。

 

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文豪として名を後世に残した明治期の男たちの物語。苦悩の物語と言っていいと私は思う。

原作者の関川夏央によれば、始まりは1986年。旧知の漫画雑誌の編集者に打ち明けたことから。

「明治時代を描いてもいいか、とわたしは低い声で尋ねた。マンガでやってはならないということをすべてやりたいのだ。」

「明治は激動の時代であった。明治人は現代人よりある意味では多忙であった。明治末期に日本では近代の感性が形成され、それはいくつかの激震を経ても現代人のなかに抜きがたく残っている。われわれの悩みの大半をすでに明治人は味わっている。」

「わたしは『坊ちゃん』を素材として選び、それがどのように発想され、構築され、制作されたかを虚構の土台として、国家の目的と個人の目的が急速に乖離しはじめた明治末年と、悩みつつも毅然たる明治人を描こうと試みた。」(第3部『かの蒼空に』より)

1986年当時は、こんな企画は通らないだろうと一か八かで出したら通ったという、そういう背景なのだろうか。

今では翻訳もされ、ヨーロッパやアジアの国々でも読まれているとのこと。このときOKを出した編集者が先見の明があったということか。私も感謝しなくてはならない。

 

みんな今の時代で言えばどこかしら病を抱えていたのだろうなと思う。疾患だったり、症候群だったり。

石川啄木の「浪費癖」、夏目漱石強迫神経症と胃痛と「酒乱」、森田草平の「執着」。

癖というにはあまりにも深刻すぎる病の数々。それは当時の食生活や環境や医療などもあったと思うが、日本的なものを否定し西欧化していくこと、急激な変化に肉体と精神が悲鳴をあげていたことの現れのように感じられる。かといってそこに同情するような眼差しは一切ない。

むしろ、どいつもこいつも……と言いたくなるような輩ばかりでうんざりしてくる。そう感じるように描いている節もある。

中でも第三部の『かの蒼空に』は石川啄木の扱いは凄まじい。一冊丸々かけて、啄木のダメさ加減を描いている。最も晒されたくないところを次々にバラす、執拗にあげつらう。まるで懲罰のように。あるいは、「抒情詩人」と語り継がれることへの違和感なのか。

「新装版」には漫画だけではなく、関川夏央の文章も掲載されていて、啄木と金の話がみっちりと書いてある。

「死んではじめて金銭との悪縁を断ち切ることができた、ともいえる」

国語の時間では当然扱わないような話、かといって、スキャンダラスなネタとして軽く扱うのでもなく。漫画として描かれて、表情がくっついてくるだけに、読後にこちらに張り付いたものも重たい。

なんとなく自分のことのように思えてくるからだ。

「繊細であると同時にどこか無神経で 性格に整理のつききらないところがあった」

「自分にはひとの心をたやすく動かす文芸の才がある という自信をもてあそぶ若年の客気が とりわけ北海道放浪以前の啄木には漲っていた」

「啄木には 至るところに憧れの人 懐かしい人をつくって思い浮かべ 生活上の苦境を忘れようとする癖があった それは彼の自己防衛の手だてでもあった そんなときにも注ぎすぎたコップの水のように歌があふれるのだった」(第3部『かの蒼空に』より)

計画性がなく、向き合わなければならない現実から逃げ回る、浅ましくて厚かましい。

逃避行動から生まれる啄木の歌は、エアポケットに投げ込まれていく。

金田一京助のイネーブラーぶりも、どこまでも凄まじい。啄木のような破滅的な人間の周りにいる人も只者じゃないということなんだろうか。

そこには日露戦争後の社会不安が陰を落としている。当時権力を持っていた政治家や軍事の思惑も合間出てくる。

いやーしんどいですよ、第三部はとりわけ。

 

谷口ジローの描き込みが、展示でもみたけれども物凄い(としかほんとうに言いようがない)。画力もそうだけれど、考証がすごいのだ。当時にタイムトリップしているような感覚を覚える。日差しとか、影とか、匂いとか。お湯の熱さ、質の悪い酒の味とか。活劇の様子とか。リサーチが只事ではない。

その明治の中でもエピソード毎に時間を行き来詩、同時代の人々が交友し、すれ違う様を草葉の陰から見ている気分になるのも面白い。映画のような表現の面白さと、東京に一極集中しはじめたときの「狭さ」がよく現れている。

 

男たちが国家とか文学界とか師弟関係とかで「苦悩」をやっている間に、女達は実は喜んでいたのではないかと思う。

樋口一葉も、平塚らいてう(明子)も、与謝野晶子も、言葉を得た。大きな格差はあったものの、言葉を武器にすれば闘えるということを知っていった。「自己を抑制しない女性」「新時代の女性」として。

もちろん明治維新になって、家父長制と戸籍が生まれ、女性の人権がより男によって掌握されることになっていく時代という背景は含みつつも。

この物語は男がメインなので、エリーゼ(鷗外のドイツ時代の恋人)も明子も一葉も内心の言葉を与えられていないところに、この時代においての男女の関係の遠さと歪みが表割れている。扶養家族、子どもの世話担当、性の対象。

漱石「女も僕からみれば言うことなすことことごとく思わせぶりだ それが女だよ 女性の中の最も女性的なものだね」

啄木に至ってはあからさまなミソジニーだ。この女性への眼差しも読んでいてつらいし、怖い。つらいように描いているのか? 初出の媒体『WEEKLY漫画アクション』が成人男性向けの漫画雑誌だから?

平塚らいてう森田草平の経緯と顛末に至っては、読んでいてなんだか気持ちが悪くなった。これは好みの問題もあると思うけれども。でもそれだけでもない気がする。私は何にムカムカしているのだろう。

 

漱石山房記念館の展示を見て、自分が起こした心中事件を小説にするってどういうこと?と思っていた方には(いるか?)第3部をぜひおすすめしたい。しんどいけどね。ほんまに。

第4部、第5部もそのうち読む。

 

漱石山房記念館(新宿区)
https://soseki-museum.jp/

森鷗外記念館(文京区)
https://moriogai-kinenkan.jp/

樋口一葉記念館(台東区
https://www.taitocity.net/zaidan/ichiyo/

石川啄木記念館(盛岡市
https://www.mfca.jp/takuboku/

石川啄木について(文京区立図書館)
https://www.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/burari/index_1074.html

田端文士村(北区)
https://kitabunka.or.jp/tabata/

平塚らいてう記念館(上田市
https://www.culture.nagano.jp/facilities/631/

与謝野晶子記念館(堺市
https://www.sakai-rishonomori.com/yosanoakikokinenkan/

小泉八雲記念館(松江市
https://www.hearn-museum-matsue.jp/

 

2020年の小泉八雲展の鑑賞記録(新宿歴史博物館)

hitotobi.hatenadiary.jp

 

幸徳秋水展、これ行きたかったなあ!

www.kochi-bungaku.com

 

『鷗外の怪談』鑑賞記録

hitotobi.hatenadiary.jp

 

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年