北区田端の田端文士村記念館で、平塚らいてうの展示を見てきた。
平塚らいてう没後50年特別展 ~らいてうの軌跡~ : 北区文化振興財団
以前観た芥川龍之介の展示がとてもよかったので、田端に行くときは必ず立ち寄るようにしている。
田端は、明治中期より若い芸術家たちが集うようになり、やがて"芸術家村"を形成しました。「創作」と「日常」という二つの環境を共有した芸術家たちの間には、絵画・彫刻など、表現方法の枠を声、豊かな交流が育まれていきます。(記念館HPより)
ということで、田端ゆかりの芸術家たちの人生、作品、暮らしぶり、交友関係などについて、毎回テーマを決めて展示をしてくれている。ちなみに入館料は無料(!)。
今回の「平塚らいてう没後50年特別展 らいてうの軌跡」の展示は、常設展示スペースの半分を使って行われている。
「元始女性は実に太陽であった」という、今も語り継がれる名文を残した 平塚らいてうは、今年で没後50年の節目を迎えました。 本展では、らいてうが田端で過ごした時代を中心に、その社会的な活動から家庭的な一面までを様々な資料でご紹介します。
チラシ(PDF)
わたしが平塚らいてうに関心を持ったのは、フェミニズムの側面と、実は自分の小さい頃に、平塚らいてうの子孫の方と交流を持っていた時期がある、という二つの文脈がある。けれども、どちらも今回の展示をみるまで詳しく分かっていたわけではないし、常にらいてうのことを調べて回っていたわけでもない。
この展示に、偶然出会えたことに感謝したい。
▼鑑賞メモ
・平塚らいてうについて
(国立国会図書館)平塚らいてう | 近代日本人の肖像
(日本女子大学)
女性・平和運動のパイオニア 平塚らいてう | 時代を切り拓く卒業生 | 日本女子大学
・夏目漱石の弟子・森田草平と心中未遂事件を起こす。森田は『煤煙』でその経緯を小説にした。そこに夏目漱石と森鷗外も解説(?)文章を寄せている。それだけ聞くと、よくそんなこと世に出すなぁとか、そこに乗っかるなぁと思うだけで、理解はしづらい。もう少し詳しく知りたい。
・漱石山房記念館でも、このことは、森田草平の心中事件の後始末をしてやった面倒見のいい人という感じで紹介されていたような気がする。思い違いかもしれないので、また次回行ったときに見てみる。
・台湾の映画『悲情城市』の中で、次のような話が出てくる。
「日本人は桜の花をめでる。花開き、最も美しい時に、枝を離れて土に落ちるからだ。人生とは、そうあるべきだと言うのだ」
「明治時代に、女性が多岐に身を投げた。厭世自殺でも失望でもなく、輝かしい青春を目前にして、これを失ったら、すべてが無意味だと。桜の花になぞらえて、生命が光り輝いている。その時に、風に乗り枝を離れた。彼女の遺言は、当時の若者の共感を呼んだ。明治維新のころで、時代は情熱と気概に満ちていた」
(パンフレットのシナリオ採録より)
映画を観たときにはここのくだりがよくわからなかったが、展示に出てきた
愛し合う男女が死へ突き進むダヌンツィオの小説『死の勝利』に強い影響を受け
というくだりに時代背景としてつながるものを感じた。
・『青鞜』の社員でバーでカクテルを飲む、吉原を見学するなど、「男性しか行かない(行けない?)場所」で女性が遊興したと叩かれる。これは、ヴァージニア・ウルフの『ある協会』に出てくるメンバーのさまざまな"活動"にも似て、やはり女性の制限を取り払おうとする動きだったのだろう。
・奥村博史との結婚や事実婚へ向けての話し合いが垣間見える手紙(共同生活への質問状)の展示もある。これに対する奥村の返信もよい。
「今の制度がどうあろうと、それはもともと人間が作ったものですからどうでも好いのです。もし結婚が嫌ならこのままでいましょう。」
・娘の曙生(あけみ)さん
父・奥村博史は、「お母さんはお母さんでなければできないことをしたほうがいいんだよ」と言っていたと。
母に対して世の夫のように「主婦」を要求しなかったことが母への最大の強力ではなかっただろうか。
・そもそも、自分は女性のための活動をしていたのに、いざ自分が出産するとなると恐怖があるという告白。
・子育てとライフワークの両立の悩み、夫婦別姓としたことによる「私生児を生んだとの非難の声」などから、「個人的立場では解決できない女性、母、子どもの社会的問題を痛感」
・いわゆる母性保護論争。与謝野晶子が、「経済的自立をしない女性が国家に保護を求めることの依頼主義」と論じていたのに対し、「特殊な労働能力を持つ者以外は、現時点では経済的自立は不可能」「国家が育児を支援しない限り、女性が経済的に独立を果たすことはできない」と対抗している。これって「母性保護」というタイトルだから感情的なやりとりに見えてしまうけれど、展示を見ている限り、らいてうの主張もかなり真っ当で、「女性を取り巻く環境の改善」や「女性の政治的参画が必要」と唱えて、運動を起こしていく経緯を見ても、現代もなお解決されていないイシューでもあり、興味深い。
与謝野晶子 自立訴えた子だくさんの母 ヒロインは強し(木内昇)|NIKKEI STYLE
魂を形成する権利を男に委ねるな 疑うことは私たちの自由 生誕130周年の山川菊栄(2)(47NEWS) - Yahoo!ニュース
羽仁もと子と母性保護論争 ―与謝野晶子と平塚らいてうとの接点― 林 美帆(PDF)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jiyu/3/1/3_1/_pdf/-char/en
・大正8年の治安警察法第五条の改正。女性が政治集会に参加することや政党に加入することを禁止する内容。これに反発。『青鞜』第3巻第1号にて、男女平等を揶揄する人たちや、女性の権利について、社員がそれぞれの考えを示した。
・『青鞜』1915年9月号では、女性が抱える性の悩みなども取り上げていて、画期的。
らいてうが、夫婦別姓・事実婚のスタイルをとっていたことも、女性の政治運動の自由を求める運動をしていたことは全く知らなかった。
今回の展示で、平塚らいてうにぐっと近づけた。ぜひいろんな方に見ていただきたいと思う。わたし個人としては、今期のメイン展示よりもおもしろかった。
文京区小石川に「らいてうの家」という記念館もあるようだ。ここにもタイミングを見て足を運んでみたい。もっと彼女について知りたくなった。
▼関連書籍
『新編 激動の中を行くー与謝野晶子女性論集』与謝野晶子/著、もろさわようこ/編(新泉社, 2021年)
平塚らいてうに関する本も探したい。
※追記(2021.8.16)
「本を探したい」と書いたのがよかったのか、たまたまツイッターのタイムラインに流れてきたこんなツイート。
「日本には、今、奴隷は主婦や娼婦だけではありません。労働者、サラリーマンまで、男女の奴隷がどこにでもいっぱいになっています。わたくしたちの婦人解放の運動は、これらの人たちの解放運動とつながっていることを知っていただきたいのです。」(『平塚らいてう評論集』岩波書店、P297) pic.twitter.com/IKKVzPl3sG
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) 2021年8月16日
「雇主である男性は、職業婦人に、いつも若さ、美しさ、愛嬌などを求め、それらを、技能以上に買う傾向がある。だから働く女たちにとって、お化粧はますます高く評価され、お化粧している態度に悽愴な真剣味さえ見える」(『平塚らいてう評論集』岩波書店、P257)https://t.co/Xtu5qaIX7X
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) 2021年8月16日
こんなことが書いてあるんですね!『平塚らいてう評論集』読みたい!