鑑賞メモ(展示解説より)
・『たけくらべ』のはじまり「大門」「見返り柳」は、当時は誰もが知る吉原を象徴する語。
・『たけくらべ』の世界は、単に地理的に隣接する場所というだけではなく、人々の職業、服装、言葉遣い、大人ぶった子どもたちの様子、年中行事など、他の地域と異なる、吉原界隈の独特の雰囲気を醸し出している。子どもたちの日常、それぞれが背負う宿命がある。
・『たけくらべ』には未定稿が存在する。題名も『ひなどり』となっていた。伊勢物語の筒井筒からとった『たけくらべ』だったのはよいインスピレーションだったのでは。
・『文藝倶楽部』「閨秀小説」に「十三夜」「やみ夜」掲載。女性作家特集というのもこの時代にしては画期的と言えるのか、対等でないと言うのか、刊行の意図はどういうものだったのだろう。
・生前の唯一の単著は、意外にも手紙の例文集。こういう仕事もしていたのか。萩の舎で歌の講師もしていた。自分の才能を余すところなく発揮して生きていた。世が世なら作家で大学教授だろうか。発行は1896年5月。肺結核で倒れた頃。
・一葉が亡くなって1ヶ月半で全集が出ている。博文館の支配人兼編集者・大橋乙羽による仕事。日本で最初の編集者と言われる。神奈川近代文学館の展示では、一葉への原稿催促の手紙が展示されていたが、夫婦で一葉の生活を支えようとはしていた。大橋がいなければ、『大つごもり』から亡くなるまでの刊行ラッシュ「奇蹟の14ヶ月」もなかったのか。逆に売れるということが彼女に無理を強いていた面と両方があったろうか。
全集刊行の半年後、斉藤緑雨によって『校訂 一葉全集』も刊行される。スピーディ!
一葉の十三回忌に発刊された『一葉全集 前編』で日記が掲載された。こちらも博文館からの刊行。先に校訂全集を編集した斉藤緑雨がくにから依頼を受けていたが、鷗外からの反対意見や、緑雨自身が結核で逝去したため、一葉と親しくしていた馬場孤蝶が編集を担当した。写真は後編。確かに亡くなって間もなく、関係者も多いものを、しかも本人は捨ててほしいと遺言していたものを刊行するのもどうなのかと思うが、ここで刊行されていなければ、歴史の中に埋没したかもしれず......難しいね。
妹のくにによる手記。向田邦子と和子の姉妹を思い出す。
・萩の舎で親しくなった生涯の友人・伊東夏子との手紙のやり取り。一葉は本名・奈津から転じた「夏子」と名乗っていた時期もあって、お互いを違う呼び名を使っていたらしい。同い年の仲良しの気心の知れた感じや、若い二人の明るさが伝わってくる。伊藤夏子のほうは家柄のよいお嬢様だったが、学友として敬愛しあっていた。萩の舎から一葉の葬式に参列したのは夏子と田中みの子のみとのこと。
・昭和に子ども向けの伝記や伝記漫画などで多く紹介される。
・『一葉舟』青江舜二郎・久保田万太郎共作の舞台。一葉を主人公にして、日記や『にごりえ』『たけくらべ』を組み合わせた物語に仕立てている。観てみたい。(ネットで調べると青江と久保田の間にいさかいがあった?)
・『にごり江』の舞台模型。舞台美術科の朝倉摂による。朝倉摂は朝倉文夫の子。台東区つながり!!
・宝塚でも公演された。昭和18年(1943年)9月に初演。
・美空ひばりが『たけくらべ』の主演。昭和30年(1955年)美空ひばり、かわいい。
たまたま一緒のタイミングで入館した4人グループの人たちが、まるで親戚のお嬢さんの話をするように一葉のことを熱っぽく語っていて、印象深かった。
時代を超えて愛され、共感を呼ぶ人。
本年もよろしくお願いいたします。
— 一葉記念館【公式】 (@ichiyo_taito) 2022年1月7日
一葉は「雪の日」という小説を書いています。明治26年1月20日に書き上げた作品で、大雪の日に半井桃水宅を訪ね、一葉にとって忘れ難い一日となった前年2月4日の出来事をモチーフとしています。初出掲載紙『文学界』第三号を展示中です。 pic.twitter.com/uBIVQhmUni
一葉愛用品。兄・虎之助作 薩摩焼の紅入れ。かわいい。彼女が薬指で紅をさしていた様子を想像してみる。
一葉愛用品。虎之助作の薩摩焼の一輪挿し
今年開館60年記念とのことで、当時のポスターや開館までの経緯がわかる資料が展示されていた。記念イヤーのわりにひっそりとした企画展示だった。感染症などもあるからか。せっかくなのでもっといろんな人にこの館の存在を知ってもらいたいな......。
記念館の向かいの公園
記念館正面
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