国立ハンセン病資料館に行ってきた。
石井正則さんの写真展の会期中に行けることになった。
http://www.hansen-dis.jp/03evt/photoexhibition20200229#online
感染症対策で入館者を絞っての公開なので狭き門だったが、たまたまキャンセルが出たところに滑り込んだ。
ほんとうに行けてよかった。
たくさん読み物や映像資料も世の中にはあるのだけど、やはりその場所に身体を運ぶからこそ、わかることがある。
行きたいと決めるからこそ、受け取れるものがある。
編まれた展示の中でこそ、物が語ることがある。
すごく遠くにある場所のように思っていたけれど、自宅から1時間とちょっとで着いた。住宅街の中にあって、清瀬駅と久米川駅を往復するバスも何本もある。日本に13園あるうち、たぶん一番アクセスのいい療養所。
資料館の窓からは雑木林や、入所者の方達が植えた桜並木が見える。
春はさぞ美しかろう。
感染症対策のために、現在見学できるのは、資料館の展示室と図書室のみ。
ここには20年以上前から来たいと思っていた。なかなかきっかけがつかめなまま時が流れ、去年、日曜美術館で「光の絵画~ハンセン病療養所・恵楓園 絵画クラブ金陽会~」を観て、やっぱり今行かなくては、という気持ちになった。
そんなタイミングでの石井正則さんの写真展がさらに背中を押してくれた。感謝。
気づいたら予約はいっぱいになっていたけど、「キャンセルが出るのであきらめないで」とのツイートを見て、しょっちゅうページ更新して確認していたら、たまたま空いていて、すべりこめた。
20年以上前から来たかったのはなぜだったか、今日資料館で思い出した。1996年、わたしが大学生だった時に「らい予防法」が廃止された。そのときに史実と現実を知って、驚いたからだ。そのタイミングで一度、調べた記憶がある。
会場での見学時間は90分しかないので、まず写真展を観た。大判カメラで撮られた手焼きのモノクロ写真。陰影の美しさと存在の強さ。戦災や天災の遺構とはまた違うもの。
石井さんという人の個人的な動機が発端だからこそ、記録としても貴重なものになっていると感じた。何があったかは想像するしかないが、常設展がその助けになる。
短い時間の中で必死にメモをとった。ざっくりとは知ってるつもりだったが、展示を見てみたら、知らないことばかりで、衝撃を受け続けた。
これから何を観ても、歴史の表舞台には決して出てこなかったこの人たちのことを自然に思い出すだろう。
なんとか当事者の方々の気持ちに近づこうと、先週、 国立歴史民族博物館で『性差(ジェンダー)の日本史』展を観たときのことを思い出した。
「制度がつくられるたびに社会から少しずつ排除されていく」「生きていたのにいないことにされる」ことの辛さと痛み。それも本日の見学に生かした。
血みどろの凄惨さよりも辛いのは、「いるのに、いないことにされる」ことだ。
選ぶ権利を剥奪されることだ。名前を奪われ、生を否定されることだ。
自由、権利、イニシアティブ。
自ら自覚し大切にするだけでなく、他者からもそれを尊重されること。
お互いに尊重し合うことが大切。
同様のことは用心していないと、また容易に起きる。
声を上げ続けなければ。わたしは学び続けなければ。
見学の最後に、全作品が掲載されている立派な図録をいただいた。他にもたくさんの資料。すべて読んでみた。思うことがありすぎて、まだ言葉にならない。
多磨全生園に到着した時、緑豊かな園内を見て、春は桜が綺麗だろうなと呑気に思っていたが、実はあれらの木々は、戦後の物資不足で木が必要になったときに一旦全部切って、その後、入所者の方々が一から植え直したものだそう。だから武蔵野の原生林とは植生が違うし、きちんと公園設計をして植えた木でもない。その話を食堂は働いておられる方が、とある場で話されているのを聞いた。
おすすめ資料
・ハンセン病資料館キッズページ
http://www.hansen-dis.jp/kids/
1回目のライブ配信は手持ちのカメラの揺れで酔いそうだったけど、
2回目は3台の固定カメラを切り替えながらの配信で、とてもグレードアップしていた。
お話はとてもよかったです。1回目と2回目、違うお話です。
・石井さんへのインタビュー 記事
・映画『あん』
--追記--