映画『私たちの青春、台湾』を下高井戸シネマで観てきた。
昨年の公開時にはまだ台湾に注目しておらず、見逃していた。
今年の初夏に台湾映画を20本ほど観て、ようやく台湾の民主主義まで辿り着けた。ここでこのドキュメンタリーを観られたのは、とてもタイミングがいい。たまたま日程を合わせられたのもラッキーだった。
観てきた。いや〜すごいもん観ちゃった。5〜6月に台湾映画を劇場で20本近く観てきて、『台湾新電影時代』や『あの頃、この時』もあって、歴史的なとこはだいぶ抑えられたかしら、次は近年の台湾を民主化へと押し上げたひまわり運動かなと観てみたら!これはいつまでも青春やってる私の話じゃないか?! https://t.co/5CRYJpjcgi
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月30日
ひまわり運動については前後から終焉、その後まで追っているが、その描き方が非常に個人的な動機に基づく、個人たちを映したもの。手持ちカメラで追っかけていく。監督のモノローグでかれらとの関係性がわかってくる。撮っている対象の個人は変化の激しい若者たち。エネルギッシュで危うく、魅力的。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月30日
運動を起こすと力が生まれる、人が集まると制御が難しい。混沌としていくあの感じ。「民主主義は難しい」。。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月30日
特に中盤からの展開にぐっと引き込まれた。これに賞を出した金馬奨がすごい。懐が深いのか、したたかなのか。
中という大国からのストレス、香と張りかけた共同戦線のフェイド・アウト、
台湾の激動続きの社会の中に(もちろん日本も影響を与えた)、思想や民族や国境による分断と、華人社会という大きな括りのネットワークとが混在していて、アイデンティティが複雑。わたしには想像するしかないが、このドキュメンタリーでまた寄れた気が。ともかくも「青春」のタイトルに偽りなし。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月30日
続きはブログに。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月30日
いやーこのタイミングで観られてよかった。
メモ) ひまわり運動といえばこの方も。https://t.co/OC5WhN1Q0h
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月30日
ひまわり運動 "sunflower movement" について(7:21から)
この本よかった。こういう人が大臣の国......。その国で生きる若者たちの記録が、今回の映画、か......。
『自由への手紙』オードリー・タン/著, クーリエ・ジャポン編集チーム/編(講談社, 2020年)
自国の歴史、自国の中の他地域の歴史、テーマごとの歴史。隣国の歴史。遠い国の歴史。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年6月30日
・他人はわたしのために生きているのではない、わたしもまた誰かのために生きているのではない。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年7月1日
・他人は変えられない、変えられるのは自分を基軸にした関係性だけ。
・けれどもお互い何らか影響を与え合いながら生きている。
・誰かにやってもらうのを期待するだけでなく、自分がやる(切実さの自覚
好きだったまちの風景や関係が変化していくことの喪失の話としても受け取れて。こないだのヒカルパイセンと庵野さんの話でもあったその、「喪失とどう生きていくか」か。。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年7月1日
この映画の監督も映画の中で、映画後に、金馬奨後に、たぶんいろんな喪失を重ねてきて、そういう話が本には書いてあるのかも。
わ、なんかすごいときに観た映画だったんだな……。
— 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) 2021年7月1日
「われわれは『台湾独立』に向けたいかなる試みも徹底的に打破する断固たる行動を取るとともに、国の再生の明るい未来をつくるため協力しなければならない」と指摘。(※習氏)https://t.co/PyHNEowGVm
充実のパンフレット。今はここで買えるみたい。
▼監督インタビュー「権力やウイルスへの最大の防御は利他的であること」
最後の質問への答えが非常に重要だと感じた。
▼メモその他( ※内容に深く触れています。未見の方はご注意ください)
・台湾の民主化への道のりを 客観的に撮ったらそれはそれでわかりやすいだろうけど、それを台湾社会はどう受け止めたのかを知りたいとき、今回のドキュメンタリーにあるようなものは、たぶん映らない。まずはこの作品を通して知ることができてよかった。
・どんな運動にも変革にも、一人ひとり人間がいて、背景があって、思惑があって、違う大きさのエネルギーの持ち寄りがあって、思いもよらぬ展開がある。
・『私たちの青春、台湾』の中にも出てきたし、『香港画』の予告もあって(下高井戸で7/2まで)、『乱世備忘』(7/1まで)のチラシもあって、「普通選挙」を切望する人たちの姿を見ていたら、普通選挙のある国に暮らしている人間として、やはりこみ上げるものがあった。学生たちが声を上げて、集まって、社会を変えようと動く。日本では学生運動がトラウマなのか、学生が活動することに対する社会の視線が冷たいように感じる。もちろん批判の仕方も、運動の仕方も教えないからと言い訳しようとしていたけれど。でも教わらなくてもやる人たちの姿を見ていて、何が違うんだろう?と何度も思った。いい子すぎる?飼い慣らされてしまった?何かが人質にとられている?
・映画の中ではりんご日報が取材していて、香港の黄之鋒(収監中)や周庭(6月に出所)が活動していて、写っているだけでなく、ひまわり運動の学生たちと同世代の運動家として横からの関係を当事者目線で描いていて......。これは過去の話というより、パラレルワールドにいるみたいだった。
・1989年6月3日 天安門事件のフィルムを見る学生たち。台湾では見ることができる?中国の中では情報統制されている。しかし中国の外に出た人たちは知ることができる。知ったときにどう感じるのか、自分の国に対する思いや考えはどのように変わるのか。そのことは語られていなかったように思う。
・「弱者にも夢見る権利を!」
・2012年 反メディア独占運動。中国による台湾メディアの自由への挑戦。サービス貿易協定の強行採決。大陸資本が入ってきたら、台湾の民主的言論が守られない。台湾はこういう脅威にさらされてきたのか。「両岸関係」。
・日本で今同じようなことがあって、「民主的な言論が守られない」ことの脅威を実感して立ち上がれる人たちはどのぐらいいるだろうか。。
・陳為廷:「死んだ母への侮辱は絶対に許さない」「ぬいぐるみを抱いて寝ていた」「帰る家がなく、居場所がほしかった」「社会とのつながりを感じたかった」という。社会を変えるという情熱の下にあった、あっけないほどごく当たり前のニーズ。「自分の国は自分で守る」も決して嘘ではなかっただろうけれど。
・陳為廷が性暴力の常習犯だった過去が発覚。。まさかの展開。しかし「カウンセラーに相談してようやくやめられた」というのもよかった。カウンセラーを頼るという発想が映画を通じて発信されたと思う。ここの犯罪者の心境まで語るところを映画におさめたところが凄かった。「相手を人とも思わない」自分勝手な言い分が続くが、真実なんだろう。吐き気がする。
・蔡博芸:中国をよくしたいと願い台湾で学ぶ留学生。中国から台湾に留学に来るのはレア?と知る。「台湾にきてはじめて政治とは何かを体験した。草の根からはじめるというのがどういうことなのか知った」ない社会にはない、許可されていない国にはない、という衝撃。「中国人が罵られるのは、わたしのことみたい」この難しい立場にあえている彼女の勇敢さ。学生代表選挙で国籍を理由に拒否される。差別という言葉は使われないが、これは明らかに差別。
・50万人にものぼるデモ隊への警察の介入で、多数の怪我人が出る。「この現場を見るのはつらい」わたしも辛い。いまだに香港の映像が見られない。
・政府による土地収容反対運動は、金馬奨史を描いた映画『あの頃、この時』で紹介された映画にも出てきた。
・どの文脈だったか忘れたが、「有名人が話すのを見ても時間の無駄」というセリフがあった。「有名人が話すのを見ているだけで何も行動を起こさないなら意味がない、そんなことをしている間に現場に行け」というような意味だったかと記憶。わかる。
・2013年中国に取材に行く。上海の学生との懇談。「学生の社会運動にどんな圧力がかかる?」の質問に「いつも圧力を受けている」と回答。中国における学生の社会運動を垣間見る。これはまた別の場所で知りたい。
・二人を呼び出して、またあれを一緒にできないかと問う監督。蔡博芸の落ち着いた態度に大物さを感じる。。「ドラマみたいにはいかない。劇的な変化は無理。自分が重要だと思い、出来そうなことをインタビューや文章に書く。「個人は変化していくから、期待されても困る」ときっぱり。しっかりした線引きがあり、でも信頼もある?健やかさに救われる。「人物に焦点を当てていた」個人を崇拝するのは危険。人は変わるから。「人生の目標があるから。決定待ちになっていない?独立思考が大事。超人が来るのを待っていてはダメ。当時の大衆と同じ」。
・監督の理想はなんだったのか、が結局よくわからなかった。「国が敵対していても、相互に理解しあう関係。中国、香港、台湾の公民社会」が監督の目指す理想?最後の最後に監督の決意。「二人に期待を押し付けたりしない」「真に自分の力で目標に進むために」。
・「この人がいないとできないと思っていた。でも、これは一人でもやることだ。引き受けるのだ」と腹を括る話だな。そこに至るまでの葛藤。みっともなさもぜんぶさらけ出す。一人のようでいて、決して一人ではない。必ず一緒にやってくれる誰かがいる。何か成したいことがあるとき、信念を形にしたいとき、人が必ずといっていいほど通る道。だから「青春」。
・この映画を観ているわたし自身、出版して、モードを変えて、「社会、社会」と言い出して、熱くなりすぎて失敗もした。まるで傳楡監督のような「イタい」半年間を過ごしてきた。人に期待しては勝手に裏切られたと騒いでいた。恥ずかしい。「人は変わっていく」「関心は変わっていく」「自分がやりたいなら一人でやる」
・それも必要なプロセスと思えば愛おしい。
「失敗してもかまわない、それも一つの選択なのだ」
・青春物語の体を取りつつ、込めているテーマは重い。そしてこの一本で、自分の国の政治体制と自分のごく身近な人間関係の両方を同時に考えさせる力がある。こういう映画が世に出せるのがすごいし、賞を出す金馬奨がすごい(第55回金馬奨最優秀ドキュメンタリー映画賞受賞)
書籍化されている。まだ読めていないけれど!読みたい!ああ、積読だらけ......。
『わたしたちの青春、台湾』 傳楡/著(五月書房新社, 2020年)
この映画を観たあと、都議会議員選挙だったので、民主主義についてより切実さをもって考えることができた。