7/25(土)夜、シネマ・チュプキ・タバタさんとのコラボ、〈ゆるっと話そう〉の第13回をオンラインにてひらきました。
今回の作品は、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』
こんなご案内を出しました。
『この世界の片隅に』の公開から3年の月日を経て、250カット以上の作画を追加し完成した『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。
原作にありながら前作では描かれなかったりんと主人公すずの関係を中心に、すずの新たな面を取り込んだことで、周囲の人物やシーンも生き生きと立ち上がっています。
いくつもの片隅の物語が動き出し、簡単に善悪のつけられない、複雑で混沌とした世界の有り様が描き出されています。
ひと言では語れない。けれども何かを言葉にせずにはいられない。
自分が見てきたいくつもの片隅のこと。
だれかのために、忘れないために、何かを継ぐために。前作を観た方も、ぜひこの新しい物語に出会ってほしいです。
語りましょう。ご参加お待ちしています!
こう書いたあと、『この世界の片隅に』、太平洋戦争、広島、原子爆弾投下、ヒロシマ、、、関連するさまざまな資料や作品を辿ってきて、ゆるっと話そうの当日を迎えました。
さて、今回はどんな場になるだろう。
と、思いながら始めていったら、もう最初から皆さん、「語りたかった!」とばかりにあふれる、あふれる、言葉があふれる。
すごい勢いでした。猛ダッシュ!して行くので、進行のわたしが「待ってーー!」とあとからついていくほどの熱量の高さでした。
作品、顔ぶれ、時期(夏、戦後75年、コロナ禍など)、いろんな特別さが集まっていたのかもしれません。
出た話題を一部ご紹介していきます。
前作『この世界の片隅に』も今作も、両方ご覧になった方がほとんどでした。
・受ける印象がかなり違った。前作でなぜこのカットが入っていなかったんだろうと思うぐらいに深まった。すずさんという人物も、前作ではほんわかしている人の印象だったが、強さや深みが出て、何倍も魅力的だった。一方で説明しすぎの感もあった。
・コロナ禍には繊細な作品が多く見られるように思う。大事な作品になった。折に触れてまた思い出すと思う。
・映画館に来ているのは男性が半分以上なのに、語る会に来ているのはほとんど女性なのはなぜなんだろう。
・前作では、女の人たちの気持ちまで考えられていなかったことに気づいた。
・あの時代の女の人の生き方を描いている物語だと思った。強いイエ制度や家父長制などの中で、それぞれに「その人として」生きている姿が見えてきた。(作者の批判的な姿勢も見受けられる)
今を生きるわたしたちから、あの戦争下を生きた人たちへの思いを言葉にしました。
・「この後」、この人たちに何が起こるのかをわたしたちは知っている。でもこの人たちは先のことは知らない、知りようがない。でも、強くたくましく生きている。そこに心動かされた。
・自分にとっては希薄になった家族の関係や、地域の人との関係がこの映画にはある。
・戦争中の爆撃の恐怖にさらされている、この物語の中の人たちを見ていたら、目に見えない新型コロナウィルスに怯える自分の弱さを感じた。
・コロナ禍にあるわたしたちも、後世の人たちから見たらある意味かわいそうなのかも。
・いろんな人たちの実体験の物語で、この人たちの造形ができていることを思う。背後にあるたくさんの物語。
・すずさんが周作さんと出会ってから映画の終わりまで、ほんの2年ほどの出来事なのに、夫婦としては20年か30年ぐらいの経験をしているように思える。人間は特殊な状況下では、そのようにさせられるものなのかも。
・民間人に対して、あのような攻撃をする、あのような兵器を使うという非人道性をあらためて感じた。
これからも愛される作品として残っていってほしい、という思いがわきました。
・夏になると観たい映画。シンプルに、みんな仲良く生きていきたいと思う。
・そこにいる、人が生きている。人間がよりリアルに描かれていて、人間のドラマとして観られる。
・『この世界の片隅に』『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の映画や漫画を残していきたい。
・とても悲しいことも起こるけれど、悲惨なだけではない。こんなにもたくさんの人に観られて、観た人の人生とリンクして、人々の記憶に残っていく。愛される作品。
映画の背景、作品から発展したことをシェアしていただきました。
・呉に住んでいたことがあり、特別な思いで観た。前作を観て、呉というまちについて調べているうちに、いろいろなことがわかった。また、職場で呉出身の年配の方から話を聞くことがあり、まさにあのすずさんたちの世界だと思う。シェアする機会があってよかった。
作中の人たちを、その人だけの生を送っている人として、大切に思いあい、鑑賞の喜びを共有しました。
対話をふりかえって
一つの作品でも、観る人によってまったく違う感想が出てきますが、今回もまた作品の世界が何重にも広がる体験でした。
綿密なリサーチと一流の演じ手によって生まれた作品世界の中で、登場人物たちが生き生きと動き話す様子を観て、そして今回、対話の場で語り合って、一人ひとりのリアリティが持ち込まれた。
わたしたちにとって広島、呉、太平洋戦争がとても身近になったように感じられました。
みんな一人ひとり違う人間だからこそ、そこに至れたのだと思います。
今、これを目撃した、立ち会ったわたしたちとして継げることがある、手がかりはある、と確信しました。今の時代だからこその手法、手段、ツールで。
危機感や脅しからだけではなく、とても愛あふれる、個別の能力を発揮するやり方で。
できる。
自分がそう思ってるだけでなくて、既に示してくれている人たちがたくさんいることが、このような作品に出会うとわかります。
この作品をきっかけに、普段から身近な人と戦争のことを話題にすることもよき営みです。一方でまた、はじめて会う人と感想を話すことに一生懸命になるのも、よいものです。今回の場のように。
わたしは、当日までの約3週間、この映画を軸にして、いろいろな作品を鑑賞したり、事象をリサーチして、とてもよい時間を過ごしていました。
一つの作品をこんなふうに大切にできるのはほんとうに幸せなことです。
もちろん時間も身体も有限なので、出会うすべての作品に対してはできない。でも、だからこそ、同じような豊かさがどの作品の周りにも広がっていることを思います。その貴さたるや!
自分の人生で見聞きし、知り、学んできた、「日本と戦争」に紐づくあらゆることが自分の中で一気に手をつなぎあい、体系を持って立ち上がってきたような感覚もわいてきました。
もちろんいつでも知らないことのほうが圧倒的に多い。知らないことだらけ。
それがよいのだと思う。
だからこそ、これからも長い道のりをゆけるし、人と語り合う余地が残され続ける。
ちょうど7月末に「黒い雨」訴訟の判決が出て、そして昨日国が控訴を決めたというニュースがありました。「わたしたちが目撃しているこれはなんなのか?」知りたい気持ちがわいたとき、『この世界の片隅に』はこれからも優しく橋をかけつづけてくれるでしょう。
あまりにも大きすぎるテーマをひと言では語れないなら、少しずつ、小さなことから口にしていけばいい。
小さな対話という支流は、いつか大きなうねりになっていく。
自分という取るに足らない存在、あやうくはかない生命。
自分がそういうものでよかった。
どうにもならないように思えることに、引き続き生命を燃やして生きていきたい。
世界美し、愛おし。
ご参加くださった皆さま、一緒に場をつくってくださるチュプキさん、ありがとうございました。
あの日の対話が、いつか心凍える日の小さな灯になりますことを願ってやみません。
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