マイケル・モーパーゴ著、 『戦火の馬』を読んだ。
3月にNational Live Theatreのアンコール上映で、舞台版の『戦火の馬』を観たことがきっかけで読んだ。
原題は"War Horse"。1982年に出版された本で、ジャンルは児童小説となっている。
イギリスの田舎で農場を営む両親の元に生まれたアルバートは、父が手に入れた仔馬ジョーイを可愛がってきた。第一次世界大戦が始まり、ジョーイは軍馬として徴用され、フランスの戦線に送られてしまう。悲しむアルバートはジョーイを探し出すことを誓う。一方のジョーイはその後、さまざまな人間と出会いながら数奇な運命を辿る。果たして"二人"は再会できるのか、そして無事に故郷へ帰ることができるのか......?
2007年に舞台化、2011年に映画化されている。舞台は、3人で1体を遣う等身大のパペットであること、映画は、スティーヴン・スピルバーグが監督したことで知られる。
わたしは舞台を観てから本を読んでいるので、本からこの物語に入った人とはまったくちがう体験をしていることと思う。
原作は、馬のジョーイが「私」と一人称で語るところが特徴で、そのことが舞台の記憶をより鮮やかに立ち上げてくれている。
舞台ではジョーイは明確に主人公ではなく、どちらかというとアルバートに感情移入しやすいつくりになっている。しかしそれでいて、アルバートが完全に主人公とも言い切れない。観客の関心はあくまでもジョーイにあって、ジョーイの存在を通して、目の前の人間たちの言動や営みを間接的に観ているような、不思議な感覚に没頭できる作りになっている。
物言わぬジョーイから、どんな世界が見えていたのか、人間がどのように見えていたのか、ジョーイ自身が語るからこそ初めて知ることができた部分も多い。それでいて、単に動物を擬人化してしゃべらせているわけでもない。
馬は人間の言葉は理解しているそうだが、そうはいっても動物だから人間界で起こっていることの理屈がわかっているわけではない。その馬としての過去現在未来の時間の感覚や、視界の描写や、感情表現が、抑えたトーンで綴られていく。
ふかふかの干し草の寝床の快適さや、ふすまをお腹いっぱい食べたときの充足感と、逆に寒い中でぬかるみに立ちっぱなしで夜を明かさなければならない辛さや、脚を痛めたとき、仲間の馬を喪った辛さなど、まるで自分が馬になったかのような錯覚になる。
いくつかの設定や個々のエピソードは少しずつ違っているのだが、違和感は全くない。どちらが良い悪いと比較する気持ちもあまり湧いてこない。二つの世界が融合して、壮大な物語の体験をしている。
舞台でも人間からしばしば無理難題をつきつけられ、こき使われ、利用されているにも関わらず、なんとか懸命に要求に応えようと死に物狂いで動く馬たちに思わず涙が出たが、小説でも同様だった。
第一次世界大戦では、4年にわたる戦闘で、およそ100万人のイギリス兵が亡くなり、200万頭の馬が死んだ。銃弾や大砲に倒れ、又はぬかるみに浸かったり、有刺鉄線に絡まって病気や怪我によって。終戦後は、生き残った馬を本国に輸送するには費用がかかりすぎるという理由で、食肉用としてフランスの肉屋に売ったという。
そのような史実を知ったことも、モーパーゴがこの小説を書く動機になっているそうだ。
戦争の凄惨さと愚かしさを馬の視点で描いた作品。
人間はこれから動物とどのような関係を作っていくべきか、も考えられる。
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