ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

NT Live『戦火の馬』鑑賞記録

3月上旬、NT Liveのアンコール上映で、『戦火の馬』を観てきた。

www.ntlive.jp

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主人公が幼少時から愛し育てた馬が軍馬として徴用されたことから、数奇な運命をたどることに。果たして二人は再会できるのか?  (NTLiveウェブサイトより)


トレイラーに出てくる馬は、本物ではなくてパペット(動かす人形)、原作小説があるらしい(いいらしい!)、スピルバーグが舞台を観て感激して映画化したらしい、などなどを抑えて、楽しみに劇場に向かった。

 

 

観てきた。

400席もあるシネコンのシアターなので、画面も音も迫力のスケールだった。

 

戦争怖い

事前に見ていたレビューでは、「馬の動きが!馬の表現が!」というものが多数だったけれど、わたしはそれより何より、「戦争怖い」と思った。耳栓をしながら観るくらい。戦場の場面での大砲や機関銃、音楽、効果音、プロジェクションマッピングによる映像、照明はとても怖かった。

そのことはもっと語られていいと思う。もちろん馬はすごかったけど。

 

次に浮かんでくるのが滑稽さ

冒頭が兄弟げんかで始まる。のっけから愚かだなぁと思いつつ、「カインとアベル」を投影すると、普遍だなとも思える。

心の焦点が馬にあるまま、人間の言動を観る、という不思議な体験の中で、人間の言葉は馬として聞いてみると、どれも「どっちでもええやん……」と思うような内容ばかり。馬にとっては、国境も人種も言語も、大人も子どもも違いはない。

馬が主人公であることで、戦や争いの滑稽さが際立つ。かといって馬がしゃべるわけではないところが、この舞台の秀逸さ。

馬がどこまでも"健気"なのと同様、人間の中にも馬を深く愛する者がいる。

人間と馬の関係が近かった最後の時代なのかもしれない。命に対する慈しみの気持ちが全編にわたって感じられ、悲しい場面にも愛を感じる。

平和への祈りと願い、希望もたくさん。

 

第一次世界大戦という戦争

もともとのNTLiveは、2014年の公演。第一次世界大戦勃発から100年の節目に当たる年の公演を今回、アンコール上映してくれている。(2014年に東京でも公演があったらしい)

戦争のやり方がこの大戦によって変わってしまったということを作品を通してより理解できた。本格的な国家間の戦争になり、平民から志願兵が募られる。第二次世界大戦からは徴兵制になり、そして国家を超えたテロが戦争を変えた今を生きているわたしとして観ている作品。

父の代、祖父の代で、短刀でもなんとかなった。でももう戦争は全くそんな規模ではなくなった、ということも劇中で示される。

祖国のために戦って勝って帰ってきた。お前が受け継ぐ番だ。

男の人に連綿と課せられてきたしんどさみたいなものも感じられて辛かった。これもまた滑稽で哀しい。

合間のインタビューで、「どちら側から見るかで認識が変わる。それを馬の視点で描くことで、普遍的なものにしたかった」「戦場にいながら中立の立場。全てを見て聞けた人であり被害者」「悲しみには議論の余地がない」という話が出たのが印象的だった。原作者のモーパーゴさんの全身赤のファッションも!(栗毛色のジョーイを意識?)

▼戦争の変遷については、この本がわかりやすい。

 

これもパペットと言う!

馬の動きは、評判通り素晴らしかった。3人で一体を遣うところは文楽を彷彿とさせる。馬の頭部を遣ってる人が馬の感情が表情に現れててよかった。ミンゲラ版オペラ『蝶々夫人』の坊やを遣ってた人たちを思い出すなぁ。パペットへの愛が深い。

動物は歩いてなくても、常に何かしら聞いてるし、感覚を研ぎ澄ませてる。あの感じが微妙な動きで表現されていた。しかも三人でつくる。いったいどれだけの観察と訓練なのかと感服しきり。

馬にしかみえない。命が吹き込まれて馬になる。人間にはあんなこともできるのか。「命が吹き込まれる」ことが、観る方がいなくては成り立たないところもいい。

パペットってせいぜい高さ1mぐらいのものまでをイメージしていたけれど、この巨大な装置もパペットと呼ぶのかと、認識が上書きされた。

▼製作過程はこちらのTEDに詳しい。

www.ted.com

 

動物と人間

馬と日頃から親しんでいる人は特に響くものがあるのではないか。親しんでいるからこそ辛いところも多いと思うけれど。ほんとうに生々しい。

わたしは子どもの頃、『黒馬物語』やシートン動物記、椋鳩十の物語が大好きだったことを思い出した。そのことと、手元にたまたまロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』のチラシがあるので思ったけれど、人間と動物の情の物語は、とにかく悲劇になりがちだったなぁと思い出す。パトラッシュやスーホの白い馬もそうだし。

あまりに大きな戦の傷を癒すために、人々はあえて悲しい物語をたくさん作っていたのかも知れないと思うくらい、わたしが子どもの頃、1970年代は悲劇が多かった。

個人の力ではどうにもならないことへの悲しみ。

『戦火の馬』は希望を残してくれてほんとうによかった。

 
 
その他
・音楽。アイリッシュの哀愁ただよう感ある歌も美しかった。フォークソングか軍歌だろうか。この舞台のために作ったのかな。ほんとうに恐怖を殺すために歌いながら若い人たちが最前線にいたのかもしれないと想像させて、鳥肌が立った。歌詞が印象深い。
行いだけは記憶に残る 
何をしたのか 足跡だけは この世に残る

人間にあまり移入しなかったけど、唯一、ドイツ人のミュラーさんには感情がのった。これは馬目線なのか、自分なのか、どちらなのか。彼がいてくれてよかった。彼がドイツ語で喋れと言われ、英語で喋れと言われたり、立場がどんどん変わっていく中で、英語のシーンでもドイツ語が混ざってきてるのがリアルだし、「どっちでもいい」「こだわることの滑稽さ」みたいなものが引き立っていてよかった。

たまたま読んでいたこちらの本に中世の軍馬について記述を見つけた。なるほど、こういう時期を経ての、第一次世界大戦での軍馬の歴史の終わりなんだと納得する。

 

オフィシャルウェブサイトにもいろんな資料が載っている。

www.warhorseonstage.com

 

『戦火の馬』の原作は、中学国語教科書の「読書案内」に載ってるらしい。図書館で予約したので、順番が回ってくるのが楽しみ。


訳者さんのコメント

www.kodomo.gr.jp

 

映画は2012年3月公開。わたしはまったく記憶がない。この頃、子はまだ小さく、わたしは市民活動して、転職したばかり。まったく映画を観ず、チェックもしていない時期だったなと思い出した。そうか、まだ大きく揺れていたあの頃、こんな映画が公開されていたんだな......。

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今、出会えてよかった舞台。

演劇やパペット、表現の可能性もあらためて広げてもらえた。

上映を決めてくださって、ありがとうございました。

 

 

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