映画『幸福路のチー』をネット配信で観た。
台湾。2019年11月日本公開。
『台湾、街かどの人形劇』を観に行ったときにトレイラーを観て、気になっていた。
アメリカで生きていたけれど、なんだかもやもやして疲れる日々。おばあちゃんの死をきっかけに台湾に一時帰国して、懐かしい街や、可愛がってくれた親に会って、幼い頃の自分とも出合い直して、だんだん自分らしさを取り戻していく......というような、全体的にほっこりふわふわした物語なのかと思っていた。
いや、全然違った。骨太。違っていてよかった。
実際は、一人の女性の半生に台湾のここ40年の歴史をめいっぱい詰め込んだ、奇跡のような物語だ。その中には苦い記憶もたんまりとある。
主人公のチーは1975年生まれ。わたしと同年代だ!
そこからもう他人事と思えない。地域は違えど、大きなスケールでの時代の波は、国境を超えてわたしたち個人の日常をさらっていたのだから。
※以下は映画の内容に深く触れています。未見の方はご注意ください
蒋介石の亡くなった日(1975年4月5日)というメモリアルデーに生まれたチー。
テレビアニメの影響で、白馬に乗った西洋人風の王子様に憧れる。
小学校に行くと、台湾語は禁じられ、北京語を学ばされる。
アメリカに憧れる。
階級格差がある。市長の子は教わる前から北京語(台湾華語)を話せる家柄。おそらく二世としてのキャリアが生まれた時から決まっているのだろう。方や家が貧しくて働かなくてはならず親から小学校を退学させられる子もいる。
教科書には蒋介石への賛美があふれ、チーも自然とヒーロー視する。
従兄のウェンは、読書会に参加していたことから警察に逮捕された。おそらくは反体制的な内容の本を読む会だったのだろう。これは「白色テロ」だ。おそらくそのときの暴行や拷問によって色覚を失いかけている。それがきっかけとなり、アメリカに旅立つ。
ウェンの話を北京語のスピーチで使ったチーは、教師から「その話はもう誰にもしないほうがいい。あなたのためだから」と言われる。(戒厳令下では、大人は誰でも知っていても口にすることはタブーだった。)
チーも9.11をきっかけに、ウェンに誘われてアメリカに渡る。ニューヨークの大停電をきっかけに、夫と親しくなる。
......などなど、台湾の歴史を大まかにでも知っていれば、一つひとつのシーンをより深く物語を味わうことができる。台湾だけでなく、中東やアメリカの出来事も、ちょこちょこ入ってくるのも、時代を丸ごと駆け抜ける感覚になる。逆にこのアニメーションをきっかけに歴史を知りたくもなると思う。知識があってもなくても、楽しめる映画だ。
わたしがあらためて感じたのは、こうして一人の人生を追う事で、一通りの台湾社会の動きを肌で感じられると、年表上の一つひとつの出来事が、一市民にはどうにもできない大きなものだったのだということだ。
自分の悩みや苦しみは、あとから時代の影響だったとわかるが、それが起こっているときには「個人的な事」としてとらえて生き抜いていくしかない。もちろん一つの拳となって(デモに参加するとか、投票に行くとか)できることも多いが、結局は今ある手札の中で決めていくしかない。手札とはいえ、使い方の限界を決めてしまうのはいつも自分で、それは取っ払える。
子どもにとっては、より使える手札は少ないように見える。それでも、おばあちゃんはいつも「お前が何を信じるかで、自分の人生が変わる」とチーに言い聞かせる。それが後々彼女を助けていく。
この大人のチーと、亡きおばあちゃんとの対話がいい。亡くなってもこうしていつまでも心の中でお話する限り、その人は死んでいないんだよとそっと教えてくれるようでもある。
おばあちゃんは原住民のアミ族で、シャーマンだ。不思議なまじないで、チーを助けてくれる。
ビンロウを嗜むため、チーは学校で「野蛮人」などと呼ばれたりする。ここに漢民族から原住民族に対する差別の意識も見え隠れする。
台湾の原住民族文化(台北駐日経済文化代表処HP)
https://www.roc-taiwan.org/jp_ja/post/202.html
台湾原住民分布図と人口
https://www.nikomaru.jp/taiwan/taiwan/indigenous
ビンロウ
https://www.pharm.or.jp/herb/lfx-index-YM-201012.htm
物語は、子どもの頃に幸福路で暮らすチーと、妄想や夢の中のチーと、アメリカから戻ってきた大人のチーの3つの世界を行ったり来たりする。
妄想や夢の中のチーの描写はとてもインパクトがある。子どもの頃のちょっとした出来事から、喜びや恐怖が増幅されて大きくなって、自分を飲み込みそうになる感じをよく表している。監督は日本のアニメーション監督、今敏さんから影響を受けているとインタビューで答えていた。納得!
宝くじにのめり込む父、確実に稼げる仕事につくために勉強に駆り立てる母、受験を勝ち抜け、医者や弁護士や会計士になれという圧力。能力主義、拝金主義、成功、手塩にかけた子に楽をさせてもらうのが夢......日本にもこういう時代があった。
また、子孫を残していくことが尊ばれるコミュニティで、結婚や妊娠・出産への口出しもものすごい。こういう会話が当たり前のようにあった時代。(今もあるところにはある)
久しぶりの帰郷で見たのは老いた両親。言い争いが絶えず、宝くじに生活費をつぎ込むのは変わらず、母は「リサイクル」に情熱を見出そうとする。しかし精神のバランスが崩れてしまって、家はゴミだらけ、店で無意識に窃盗してしまう。
彼らの夢とはなんだったのか。それを叶えられなかったのではと罪悪感を抱くチー。これも、日本の家族関係でも、とてもとてもありそうだ。親は親の人生で、子は子の人生と、そう言い切れないのは、結局のところ社会が家族での相互扶助を前提に組み立てられているからでもある。でもそんな構造がわかったところで、現実の血縁、地縁をそう簡単に捨てることもできない。
ベティとの再会がチーを励ましていくところもとてもいい。ベティは複雑な生い立ちで、絶望して死を選ぼうとした瞬間もあったが、子どもの存在が彼女を前に向かせていった。「子どもを育てるのに自信がない」と思わず打ち明けられる、この女性同士の関係がとてもいい。Sisterhood
冒頭に出てくるウェンとウェンの娘との短いシーンもあとあとになると印象的だ。彼女は中国語を話せないし、台湾の食べ物も受け付けない。故郷を離れても、ルーツには変わりなく、アイデンティティの重要な部分を占めていたとしても、それが受け継がれていくかはわからない。移住者には移住者の複雑さがある。
個々のシーンについてだけでも、いくらでも話したいところが出てくる。これは1970年代生まれの日本(台湾に比較的近い)わたしだからだろうか。
他の人が観たらどのように感じるのだろうか。
いろんな人の感想を聞いてみたくなる。
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追記(2022.5.16)
読みたい。
今日の1冊:『いつもひとりだった、京都での日々』宋欣穎/ソン・インシン、光吉さくら訳(エッセイ/早川書房/2019)|太台本屋 tai-tai books 本でつなごう台湾と日本。
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